なんて書いてますが、まあどうなんでしょう(笑)
さて、本ってなんだと思いますか?という根本的本質的な問いを投げつつ、
一方で「読む」もの、勉強する時に使うもの、では少々勿体無い。
そんな感覚はもう10年くらい経つんでしょうか。それ大事だなと。
生き方のベクトル
最近強く感じるのは、
「ああ、この人はおそらくこうやって生きていくんだなあ」
というのが、良い意味でも悪い意味でも感じることが多いです。
逆に言うと、うーん逆じゃないんですけど、
「長く生きていると、あの人は昔はあんな感じじゃなかったけど、変わったね」
みたいな、いわゆる経験値を踏まえていくと良い役者みたいなのもあります。
短期的な達成はノリ的には楽しそうですが、
どうもそれはやった!飽きた!やった!飽きた!の繰り返しとなりそうです。
それが悪いというよりも、
「そうやって生きているんだ」といわれればそれまで。
それに共感できるかどうかみたいな時代になりつつありますね。
で、生き方のベクトルとは、生き方の方向性です。
ものさしが一杯だ。さあどうする?
身近な学生でもいいですし、そうではない社会人、同世代。ここでは30前後の人でしょうか。
会社に勤めてシゴトをしてお金を稼いで生きていくモデル。
悪くないんですが、それだけではないよねって思ったりします。
同時にフリーでやっていても、あなたのやり方は「会社員」っぽいよね、
というのもあります。これもどうなんだろうと。
で、最終的に自分と向きあう感じになるんですけど、
僕自身は、「アイデア」にやはり賭けてみたいと思っているわけです。
ギャンブルじゃないですよ。
ものさしが一杯あるので、学生がどう生きたいか、自由にとか、
ワークライフバランスとかは眉唾ものですけど、でも、そう考えること自体
自由ですし、どう他者や社会と接合していくか、そんな感じがします。
というか、それだけだなあと。
社会との接合がどうなるか。だから、受け入れられない価値観とかも、
まだまだ一杯あるんだろうと思ってます。
あなたのものさしどんな感じです?
用途ではないだろう形でデザインする
で、タイトルに戻ります。
たくさんのやり方やアイデアがある中で、
何をどのようにやるかは実は自由です。実はというのは、
論理的にはってことで、実は名古屋に住んでいれば東京に行く物理的距離があったり
するわけです。どうでもいいんですが、そういう環境の制約を受け入れつつ、
どこまで出来るか。それがクリエイティブじゃないかと思います。
本を読むだけでなく、コミュニケーションデザインとしてツールとして
使い倒していく。それはもう本を超えたクリエイティブで、
先人が何かやってきたかもしれません。でも、それって微々たるもので、
本以外のツールであったり、道具、もの、情報ですらその対象となるかもしれません。
ものさしも多様、価値観も多様、そして本来のあり方から自由になる。
そういう条件が出てきた時、軸だとか、あなた自身がアイデンティファイされるもの、
それが重要になってきそうです。
というか、色々を認めることができるのは、その人はある程度
固まってたりしないと、認めるとは相対的であり絶対的であれ、
距離間を確定していることですから。100歩譲ってもイコールはないわけです。
オチとしては、
その使い方もっと他にやってみたらどうですか?ってところです。
アイデアが出ない人はいつでも相談乗ります(笑)





