苦手なことは最低限でオッケー。得意なことをもっとやろう。

シゴトづくりにおいて自分の弱みや出来ないこと、得意でないこと、あまり好きでないことと向き合う必要が出てきます。シゴトづくりというよりも人生においてかもしれません(笑)

普段やってないこととか、出来てないことってそれなしで生きているのでフォーカスが当てづらかったりします。例えば卵が食べられない(アレルギー等でも)人に、卵が食べられる人が「えーもったいない」みたいな悪気ない発言って飛び交っているはずです。でも、卵が食べられない世界で生きていればそれが普通なので不自由するかどうかはまた別の話です。

見えている世界や生きている世界が異なるということですね。

さて、自分の弱みとどう向き合ったらいいかそのあたり考えていきましょう。

基本的に弱みは最低限フォローできればオッケー

僕の考え方では、例えば僕が作業的なことが苦手だとしましょう。作業とは、単純であまりスキルが問われないようなことです。

とはいえ、そういう作業的なことがビジネスやシゴトにおいて、全くないかというとそうではありません。経費管理や入力が面倒だったり、資料作成が手間だったりは頻繁に感じますから(笑)

では、このやりたくない作業はどこまでやればいいか?

そうです。最低限やっておけばいい。つまり、学校のテストでいえば、平均点60点なら60点は不要。赤点で30点だと駄目だけど、まあ40点くらいまでなら問題なく単位取れるよ。みたいなところです。つまり、決していい成績でないけど、通ればオッケー。

僕の考え方なので、これに違和感がある人もいるでしょう。え、60点平均なら60点行こうとかね。もちろん、それもあると思います。でも、ここでは無駄なリソースではないかと考えるわけです。考え方としては以下のようになります。

苦手なことに対して:平均60点を40点でなんとか最低限で通す=20点余る

得意なことに対して:平均80点を100点で最高にやる=苦手な分に回さなかったエネルギーが生きる

つまり、得意なことに対してパワーを回すため、苦手なことは省エネで行こうという発想になります。

得意なことにどんどんリソースを割く

もちろん、苦手なことへ省エネ=得意なことへのエネルギー投下となるわけではないので、意識的にやる必要はあります。

時間とかお金とかが分かりやすいでしょうか。

ただ、苦手なことをお金である程度解決できるここでは、自分の時間を使わずに平均点60点を取れるならそれもありなのかなと。やや矛盾していますが、苦手なことに対して極力時間もお金も割かないが、お金を割いてパフォーマンスが出てやれるなら任せるというところでしょうか。2段階設計ですね。

得意なことはもうこれはどんどんやってください。そしてエッジを効かせるほうがいいよねというのが基本的な考え方です。

少なくとも、苦手なことを平均60点まで持っていくこと、得意なことをその分下げて平均点にしてしまうこと。これはまずいです。なぜならそれは平均的な感じになってしまってエッジが立たないからです。

ただ例外として、Webサービスなどを作る時に大体全部やれるみたいなのは価値になりやすいです。これ矛盾していますが、ここでいう平均的にやれる人がいないという現状があるため価値になるってことです。

例えば漢字も英語も平均的という人がいるとします。この場合、こういう人って自分に特徴がないって悩みがちです。なぜなら、漢字って日本人なら普通だしとか、英語も普通レベルだしと平凡さを感じてしまうんですね。平均あたりにいるってわりとすごいことだと思うんですけどね。そこでオススメなのは組み合わせ。漢字×英語=その人の特徴になりやすいです。例えばシンプルに漢和辞典レベルのものを英語で解説するような英語辞典とか作ったらどうか。すでにありそうですが、なんか楽しそうです。

つまり、平均的なところを目指す分野や業界などで、平均的な能力やスキル自体は優遇されるわけではない。むしろスタンダードであり普通。それらがあって当たり前となる。ここまではいいですよね。

しかし、それがその中で価値がある、人が少ないけどニーズがあるというなら別ということですね。

簡単にまとめると、

1.苦手なことは最低限でオッケー

2.得意なことはより伸ばす

3.平均的な人間にならない(ただし平均要素が価値になるなら別)

ということになりますね。

3については、対象とするターゲットや売る人やお客さん、市場というかニーズについて考える必要があります。

RPGなどのゲームで勇者などは回復系魔法が少し使えるパターンが多いですが、パーティーに誰も回復系の魔法が使えないと勇者が回復係になります。その場合、勇者の価値って回復系魔法だったりします。

一方別のパーティーでは回復系の僧侶がいるので、勇者の役割は攻撃と同時に僧侶が出来ない回復の補助だったりします。ここでの勇者の価値は前者のパーティーとかなり異なります。

このパーティー自体が社会や集団といえば分かりやすいでしょう。こんな分かりやすくないですが、大体そういう何かはあるはずです(笑)

得意なことと苦手なことの見極め方は?

苦手とか得意とか良くわからない人は多分そこまで物事に対して激しいこだわりはないのかもしれません。それはそれでオッケーなのではないかと思います。僕も激しい何かというのはないと思っています。

ですが、人って不思議なものでこれだけは勘弁というネガティブな感情や経験がパワーとなることも多いものです。

僕で言えば、作業系はやりたくないのでそうならないように仕事をしていますし、そういう仕事を作るという人生に舵取りをしました。別にこれ自体成功しているかどうかはぶっちゃけどうでもよくて、そういうマインドや考え方がないと、自分の人生は少なくとも全く楽しくはないなと思いました。

誰の元で働こうが、どうしようが、何を食べようが自分の勝手でしょ!というのはものすごくワガママですけど、一方そういうワガママすらないのも寂しい人生だなと思うわけです。誰かに迷惑を意図的にかけたいとかってわけではないんですね。(このあたりは結果的にどういう人と何をしていくかとなりわりと高度ですが、シンプルにいきたいですね)

より得意なことに集中出来る方がいいよねということで、そのようにしていくためには、自分で何かを作り出せる、またはそれを売ったりして商売ができる、そういう仕組みづくりが大事だなと思いました。そのためには手を動かして少しずつでいいので試していくことが求められます。

そこで出て来るのは、

・それ自分でなくていいのではないか?=苦手ではないけどやらなくていい

・これやりたくないかも。他に得意な人がいるよね=苦手なこと。

・これもっとやりたい、好きかも。=得意なことへ

・やりたくないことだけどやらないとね=最低限やる

みたいにささっとどういう塩梅でやるかを見極めて判断することかもしれません。

苦手なことをどうにかやらないといけないとかって不安だし、憂鬱ですよね。それを考え続けても何もいい方向にはいかないですから(笑)

大体気分転換や好きなことをやって変えていくと。

ですので、得意なこととか苦手なことって、好きか嫌いか?みたいな01でなくて、大まかに好きかもーとか苦手かもねーくらいでいいのかなと。もちろん勝手に判断されるならそれでいいと。

やりすぎて好きなことも本当に好きなのか?と疑い続けてしまったらまた本末転倒かもしれませんが、たまには考えてみるといいかもしれません。

弱いところを突く人とは一緒にいないこと

環境が大事です。

例えば僕は作業系が苦手だといいましたがそういう作業を強いるところではパフォーマンスを出すことは決してないでしょう。つまり、作業が早い人には勝てないし、そこで評価される場合まず作業が遅いので評価されません。しかも嫌いなので、やりたくないから身が入りません(笑)

どう考えても良い結果にならないんですね。そこでやっていたら「君の作業に感動したよ」なんて話にはなりませんから。

ここでは強いるといいましたが、そういうことが強制される場所には極力行かないことがベターです。職場を簡単に変えることはできませんが、それでも強いる人ばかりでないなら強いる人は避けるとかですよね。あとは強いられる作業はパスするとか。もちろん職場であれば、その作業をパスすると他の誰かがやっているということになります。このあたりは関係が大事なので、その分他の誰かのカバーを得意なことで補うのがベターでしょう。僕なら企画や0から考えることが得意なのでそれで補います。(もちろんその時、その誰かが企画も得意とかとなると困るのですけど、まあ細かいことはいいでしょう(笑))

仕事以外でも人付き合いも同様でしょう。友人や周りに普段いる人に、強いるとか、弱いところをネチネチいってくるとか、それが出来ないなんて!と言い続けるのは鬱というか、病気になりそうです。病気の元というと怒られそうですが、とはいえ実際にそうなりそうなら勇気ある撤退が大事となります。

環境は変えられないのでなく、変えていく。どのように作るかは自分次第となります。もちろん自分の判断や行動の結果が今の環境ともいえるので、どちらかが先というよりも、今の環境や状態=自分の思考結果でしかないと、そこはシビアに見ていくしかないでしょう。

結論的には、ここでは「自分の得意なことにフォーカスを当てる」ようにもっていく。少なくとも苦手なことばかり求められるところでは動かないし、選ばないという話です。

自分が1日かかって出来ることがある人が1時間で終わる時、なんか寂しくなりますよね。もちろん今は1日だけどもっと磨きたいとか、うまくなりたいというのがないならやるべきでなく、苦手とか弱みだと思うなら、上で書いたように最低限でオッケー!でそこはダッシュで突破しましょう。

バランスの取り方

苦手なことは最低限で、得意なことをたくさんやるというのは分かった。でも、それでバランス取れるの?というのもありそうです。

実際僕がバランスを取れているかはおいておいて、少なくとも自分の人生の選択に後悔はしていません。ただ、もし違う選択をしたら別のことをしていたかもしれないなくらいはあります。一方で、どんなところにいても、自分は自分だという変わらぬ何かも感じるので、結局遠からず同じようなことをしているのだろうと思います。

同じようなことというのは、自分で何かを仕掛けるということですね。分かり易いのが企画。または何か作ること。ものづくりはどうか分かりませんが、クリエイティブに何か創造することが好きなんですね。言葉も好きなのでもっと制作をしているかもしれないし、何でしょう。

バランスを取る=平均で落ち着くではない、ということだけは言えそうです。天才肌では僕はないですが、天才系の人って例えば日常的な家事が苦手でなくめちゃくちゃ苦手、だけどある分野ではものすごいパフォーマンスを発揮するみたいな人いるんですよね。僕はそういう感じではないです、というか本人としてはそう思っています(笑)

ただ何にでも得意だからとなると、器用貧乏みたいになります。言い得て妙なんですけど、器用だから貧乏というよりも、出来てしまうことに対して全部GOみたいになる。だからそういう人は絞ればいいってことになります。もちろん全部やりたいなら全部やるでGOなんですけど、そこは有限の人生であり時間であるので、その命の時間をどう使うか。それだけです。わりとシンプルです。

得意なことが周り始めるとそれだけでオッケーというよりも、それが苦手な部分をもカバーします。例えば僕ならアイデアを考えて企画を試すとか、新しいことにチャレンジするのが億劫ではない方です。ですから、苦手な部分として作業系のことも何かしら「アイデア」で乗り越えられることもあります。これアイデアのトレーニングになるとか、ネタになるかもとかですね。ここまでこればバランス以上に、得意なことで苦手なことをカバーできている状態なのかなと思います。

ここまでいければグッドなのかなと思ったりします。

おわりに

苦手なことについてどう考えるか、向き合うか。

考えていると苦手なことがあると生きていけないとか、出来ないことに対してコンプレックスや苦手意識を極度に持つこともありそうです。

励ましになるか分かりませんが、僕もめちゃくちゃ不完全ですし、とくに完璧だ!とか人間的に思ったことはありません。適当適当、適当で結構(笑)くらいです。

ニュートラルや自然体を意識して、のんびりというかマイペースで行きましょう。マイペースとは、人からどう言われようが自分のバランス感覚や自分の判断が少なくとも「マイペースじゃ駄目だよ」とアドバイスしてくる人よりもある(笑)ということだと思っています。

苦手なこととか弱みとかって毎日考えるものでもありません。たまーに考えたり、落ち込んだり、そういうテンションが低い時とかくらいでしょう。性格的にいえば、悪い面もあるし、微妙なところがない人なんていません。

ただそっちにフォーカスを当てるのでなく、良いところを自分で評価していきつつ、そこを伸ばす。自分もそうだし、他人もそう。だから、自分にそういうものさしで見ている人は、他人をそうやって見ますよね。出来てないのにやっちゃうと駄目なんですけどね。

テンションが低い時に励ましになれば幸いです(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。