自分が考えたことを書いていこう

他の人が書かないことを書くことは一定のオリジナルさを与えてくれます。もちろん、全く誰も書いてないことを書くのは大変ですが、数が少ないとか、あまり人が言ってないことを書くのは価値です。

価値とは、数が少ないけれどそれを欲しているとか共感している人がいるとか、そういうことなので、ただ誰もやらないことをすればすなわちいいというわけでもないでしょう。

これって実は企画=奇をてらうことをやる、面白いことをやればいい、という発想をしてしまいがちなパターンと同様かなと思います。

他の人が書かないことを書く、これについて考えていきます。

自分の意見や主張の正しさはわりと曖昧

はまると抜け出せないのですが、ある場面では正しいようにみえることも、ある場面では誤りということがありえます。緊急時は色々なステップを省略して行動することが正しいと思えますが、平常時はやはりステップを踏むことが正しいと思えるからですね。

僕もそうなのですが、自分の書いている考え方が正しいと思ったことはあまりなくて、また人の意見が間違っているとかそういう話もあまりありません。もちろん、理解しがたいことは多数あるのですが、「自分が理解出来ないこと」があるから、正しくないというのはちょっと違うだろうという話です。

こちらが「理解出来ない」のであれば、相手も「理解出来ない」可能性が高く、大体そういう時に感情でぶつかると争いになります。感情的にならないほうがいいというわけでなく、あえて争う意味はないというところです。

僕が仮に「正しい」と思っても、また「絶対にこれは正しい」といっても、かなり眉唾ものです。というか、読者や読み手に完全に疑って読めとは言いたくはないですが、正しさの塊とは思って欲しくないというわけです。

犯罪や社会ルール的にどうか、マナーも昇華させれば裁判になりえますが、裁判で勝ったから正しい。というのもなんだか微妙です。もちろん、それが国やこの日本でのルールですからひとまずそういう枠組みがあるのは良いのですが、正しさなんて証明はできないというところです。

だから、「正しい」とか「間違っている」とか、あまり極端に主張したりしている人は注意が必要です。少なくとも合理的または論理的な証拠をあげてない、または証拠自体が眉唾であれば非常に怪しいわけですね。

もっと謙虚に自分の言っていることは間違っているかもしれないが、というのは好まれやすいのですが、実際にへりくだりすぎてもどうかと思うので、それを思って話す、書けばいいのではないか。もちろん相手の配慮は大事ですよね。

自分が考えたことを書こう

自分が考えたことを書く。

一見当たり前のようですが、ネタがなかったり、脳が動かなかったり、面倒になると、自分で考えるということを放棄する人もいると思います。例えば、1記事1000字があってそれをただ埋めるというだけです。もっともその記事に価値はないので、読者はそこを読み取りそっと去るだけでしょう。

考えるとは何か、という一見取っ付きにくいものに向かい合わないと、考えたことを書くという説明はしづらいです。

今回はとくにそれが主ではないので、簡単にいえば、自分が見たり聞いたりした、知識や経験を元に自分で解釈をしたり、想像したりすること。出来れば根拠や論理的であるほうが良い、というところが考えるというところだと思います。

考えるとは面白いことだと思っていて、今回は「他人が書かないことを書こう」ということですが、どういうことを書くかという切り口なのか、他人とは誰なのか、書かないことって何か、普通に書くことは何か、というように色々な「切り口」が存在します。

そういう切り口を明かした上で書くのもいいし、明かさずにこう思った、感じた、考えたというのもありでしょう。それは書き方の話です。

そして考えること、考えたことは、多くはオリジナルです。なぜオリジナルかというと、同じような考えでも、気付きを得た源が同じでも異なった反応があったり(同じニュースを見ても全く違う反応をする、同じ場面にあっても全く違う行動を取るなど)、異なるところに生きていても同じ知見にたどり着く(文化とか文明とかわりと似たようになるとか)ことがあるからですね。

事実が箇条書きであったり、データがあっても、それに対しては非常に冷たく感じると一般的には思われます。僕もそうなのですが、実はストーリーや流れ、そこから解釈を使えばそれらの冷たいデータは温かい物語に変わります。これは解釈、切り口というところが、「データ」を「ストーリー」として受け入れたのではないかと思うわけです。

ストーリーと出てきましたが、ストーリー自体がやはり考えること、考えたこと、流れや切り口だなと思うわけです。ストーリーとは、別に物語形式の小説を書くとかそのプロットや流れということでなく、話のつながりや接続形態のようなものだと思って下さい。

自分が考えたことは価値がある

もちろん、無名の人が考えたことは価値がないだろうというか注目されないという意味で価値は生まれにくいです。

ただ、無名であればとくに著者がどうという話にはならないため、逆にいえば「事実」「考え方」「見せ方」のみで評価されるということになります。もっともこれは一定のプラットフォームなどであると人気ランキングなどがあり一概にこのようにはならないでしょうが、理屈では著名度は無視出来るわけですね。

ある場面で考えたことを小説にしていもいいし、Twitterでつぶやいてもいいし、ブログで書いてもいい。自分が考えていることはおかしいのだろうか?そうではないのだろうか?それとも?という人は結構いるような気がします。

おかしいとか正しいとかって答えはないので、一応僕が言えそうなことは、「そのような考えには一定の何か背景がある」というくらいです。Aというなら、Aの前の何かがあるとかです。その前は・・・とやると終わりはないですけど、例えば性格とか家庭環境とか色々なものに寄せることもできますし、それが一般的かもしれません。

一人でもその意見なるほどと思えば多分成功です。一人も同感されない場合が多いかもしれませんが、多分貫ける人って、同感を求めてない、表現であることが多そうです。

考えを出すことは表現なのか、よく分かりません。しかし、人が書いたことをなぞるだけでは、それは考えたとはいえないので、なぞった上であなたなりの切り口で考える必要があるわけです。真似はある程度汲み取った上で加工しているならグッドなのですが、ただコピーするだけではオリジナルに勝てることはないんですね。もっともオリジナルに勝ってしまった例もあるわけですが、超レアケースとして捉えたいところです。悲しいですけどね。

自分の価値はどこで確認したらいいか?

これ結構難しいです。僕も自分の文章の価値、または伝えること、知識や経験が価値があるよというのは結構肯定が難しい。

ただ、リアクションというのが少しはある、それはサイトのアクセス数でもいいですし、問い合わせやメルマガのコメントでもいいし、Facebookのコメントもありますが、そういう色々なリアクションがあるところかなと思います。

ここでいう価値とは、何かしら伝えたいことがあって、それを共有できたり、その概念に対してあーだこーだいえるというところでしょうか。

もっといけば、友達とか、人間関係とか、色々な人と関わることになるんですが、実はそういうことを文章という手段で僕は置き換えているのかもしれないと感じました。と、書いていて気づきました。

ここでの価値も別に誰かと比較してどうとかいうものでもありません。あなたが価値があるならそれは価値があるし、ないならないのです。というだけのところですね。もちろん僕が価値があるというのを否定されれば悲しい気分になりますが、それ自体は価値観の違いなので、コミュニケーションする場合は丁寧にやる必要がありますよね。

価値が異なることとその伝え方は別であるって感じでしょうか。

人と異なるくらいでちょうどいい

僕自身は人と違うほうがいいと思っていました。最もこれは本当に見た目が異なるとか、社会的ハンデがあるとかそういう意味ではなくて、考え方とか、生き方とかそういうことの話です。あまり違う「異なる」になると話が違ってくるので。

それで人と全く同じ人っているのか?というとそれはまずないでしょう。双子ですら異なるのですし、日本人は同じ考え方の人が多いというのもかなりアバウトです。多分大分違うけど押さえ込んでいるというところでしょう。

一人ひとり違っていいというと、ルールが守れないみたいな話もありますが、一定のルールの上で異なること、または異なる上でルールがあることってやっぱ矛盾してないだろうなと思います。

人と違っては駄目だというのはちょっと前の社会でしょうか。今逆に同じでいいという人はめっきり減っていて、違うやり方や生き方をしないと閉塞感があるのではないかなと思います。

僕の戦略としては、人と異なるためにリスクはある。が、しかしそのリスクを取っても自分の人生の楽しみを最大化したいと感じました。これはたまにいっているのですが、自分が死ぬ時にもっと色々やればよかったというやれてない後悔をしたくないからですね。

ですので、異なるくらいで丁度いい。まあそんな感じです。

おわりに

だらだらと、他の人が書かないことを書いたほうがいいというところで書いてみました。抽象的ですがたまにはこういうのもいいってことで(笑)

他人と違う意見のほうが面白いですが、とはいえ無理して創作しても意味がないでしょう。なぜそう思うか思ったか、考えたかを説明出来ていること。それが大事ですね。

書くことについてはもっと色々と考えられるのでまた書いていきたいところですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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