シゴトが跳躍しているかどうかで、シゴトの成否が分かるかも

小説家になろうで出版デビューした作家10人のインタビュー本があり、それらの中でとくに印象に残ったことを紹介します。

文章が跳躍しているかどうか

読者の心をつかむ WEB小説ヒットの方程式
田島 隆雄
幻冬舎 ( 2016-07-27 )
ISBN: 9784344993884

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この中に、蝉川さんという方が「文章が跳躍しているかどうか」ということで、小説に対する自分の書いた感覚や評価が分かると言っています。

僕の解釈では、

「文章が跳躍している」=論理や文章など書いていることがあちこちに飛んでいるおり、筆者しか分からない。一言でいえば、自分勝手な書き方。読者を意識してない。自己満足であり、自分のメモ。

「文章が跳躍していない」=論理が読者目線で、読む人の理解にもとづいて丁寧に書いている。読者が読んで分かる、伝わる文章。一言でいえば、読んでいて分かる、不安ではないもの。

という理解です。

もちろん、分かる文章を書けば=小説家になれるなんて話ではありません。ただ、そもそも小説であれば他人が読んで著者の考えていることが文章で分からなければ話にならないので、めちゃくちゃ大事ですね。

実際にこれは自分の書いたものを読んでみて飛んでいるなあと思うなら多分伝わらないでしょう。もちろん技法としてわざと飛ばせてとかはありますが、そもそもそれが伝わることが必要ですし、飛ばしたら着地しなければやはり分からないのですよね。

一度形にすればあとから跳躍しなくなっていく

小説を書きたいとか小説家になりたいという、文脈が本書にはありますが、それはスルーして、起業家、企画屋、アイデアマンとか全部同じことがいえるのではないかなと。

起業をする人は、その事業が跳躍していれば「誰もそのサービスを使わない」でしょう。あなたが欲しいと思っているだけで誰も欲しくないからです。

企画も自分がやりたいことはお客さんはどうでもいいと思っています。まれに一致するケースがありますが、多くは異なります。跳躍してない、お客さん目線で考える企画が必要なわけです。

アイデアマンも、自分が良いだけと思うアイデアならやはり三流です。もちろん自分が良いのは必要ですが、それだけなら自己満足ということです。お客さんが望むものを入れることで、アイデアマン足り得ると思います。

つまり、自分のシゴトとして出すアウトプットがあるので、それがどこまで読者、お客さん目線にあるのか。ということです。これって基本中の基本じゃないかと思ったりしつつも、面白いことにいざ起業や企画を作るとこれらが見えなくなります(笑)

つまり、跳躍しまくる事業であったり、自己満足の企画が出ます。小説なら、俺の小説を読めです(笑)そんな小説読みたくないし、事業も自分に役立ちそうにないので誰も頼みません。

なぜそうなるかは、単に視野が狭くなるからです。例えば小説も読んでいる場合は作品にあーだこーだ言えるわけですが、それは作り手の立場なんて考える人はあまりなく、赤の他人でもあるし、距離が遠いからで、純粋に作品に対して突っ込めるんですね。

しかし、作者として何でもいいので小説を書いたりします。すると、読者を意識しなくても書けます。むしろこの是非は正解はないのですが、読者を意識したらしすぎと言われ、しないならしろよと言われるからですね。バランスが分かりません。ただし、小説を書くことをした場合、小説の世界、小説を書いているということに集中をして「はて、この作品は誰が面白いと思うのか?」ということがどこかに飛んでいってしまうわけですね。

もちろん、小説=商品ではないというなら、売るとか誰かに読んでもらうことを考える必要はほぼありません。ブログもそうですが誰にも読んでもらわなくていいなら、適当に書いておけばいいわけです。それが悪いわけでなく、その目的なら適している書き方です。

このブログの読者なら、商品化を意識するはずなので、どうすれば読んでもらえるか。自己満足にならないかを考えているはずです。そういう意識があってもいざ書くとそうならないんですね(笑)

起業も企画も経験値が低いとそうなる。逆に経験値がある程度あれば、読者目線、お客さん目線は可能です。だから、小説であれば臆せず自己満足で書いてまず書き上げる。そこから「ああ、そうだこれは人に読んでもらうものだから読者にとってどうかは考えないと」というところから少しずつ読者視点にするのがいいと思います。

恥ずかしいというよりも、僕が起業とくに会社を立ち上げた当初は、お客様目線なんて一切ありませんでした(笑)そして企画もそうでしょう。もちろん、自分のやりたいことをやりたい形でやるのは悪いことでありません。ですが、そういうやり方をしても、結局お客さんや他者に受け入れられることでしか成立しないので、そこを一切考えないで済むというのは僕は今まで聞いたことがありません(営業をしてお客さんを取って来れば制作はあとのスタッフがやってくれるみたいな組織やチームがあることも多いです。この場合営業をしていて制作をしてない人は営業だけしていればいいと思い込んだら同じケースとなります。営業をしているけれど、制作チームがあるから回っていると考えている人は他者視点があり、お客様目線もあるといっていいでしょう。立場の主張は時には喧嘩になりますが、そもそもそれもどちらかが譲らないからこそ起きることでしょう)

当初そういう目線であっても、やることで「あれこれはまずいなあ」とか「このままでは全く話にならない」とか気づくんですね。この気づきがない場合はどうするか?と不安になる方も多いと思います。でも、ここで大事なことは、「そもそもやる前から不安になりすぎる人は多分向いてない」という言い方も出来ます。また想定する不安やリスクをどう対応するかを冷静に考えられないと結構やばいという感じもします。

不安やリスクがある程度あっても(ゼロはないので)、そこからある程度リターンや得るものがあるからやる。そういうのがないと何でも行動が出来ないし、チャレンジも出来ません。

小説家は小説を書いている人のこと

もう1つ、蝉川さんであったか忘れましたが、本書に小説家とは誰かということが書かれています。答えは小説を書いている人ですので、小説家になろうで小説を書いた人の数だけ小説家です。それを商業的に成功したり、お金が入ってきているかどうかは関係ありません。

もう一度言います。小説家とは小説を書いている人のことです。

この定義はシンプルですが協力です。1作品が100文字であれ小説というなら小説です。そしてそれで完結するなら小説1本書いたといっても嘘ではありません。

そして小説家であれば、小説を書き上げるし、そこから知識やスキルがついてくる(上でいう当初はお客さん目線なんてなくても自ずとついてくる)ので、どんどん評価が上がってきます。もちろん読者を意識するのは面倒だしやりたくないなら、それまでです(笑)

これ、起業家や企画業もアイデアマンも同じことが言えるなあと。起業家は起業をする人です。事業を作るとかいってもいい。その成否はスルーです。失敗ばかりしている人は起業家ではないのか。おそらく続けられること、または続けているということで全然違うスタンスや見方で価値があると思います。馬鹿にしているわけではないですよ。

企画業や企画屋もそうです。イベントを企画すること自体は企画業とか思わないかもしれませんが、立派な企画屋さんですし、あとは自分を自称したいか、そのラベリングや定義の問題です。企画をしていれば企画業です。もちろん言われた企画をやるだけとか、そういうイレギュラーなことは分かりません。

アイデアマンもそうです。アイデアを出す人がアイデアマンです。もちろん、そのアイデアが自己中なら駄目なんですが、そういうことをいっている人はアイデアマンというか、アイデアを出すことが出来ません。出したあとであれこそ、形にしてあれこれいうのはありですが、やる前から色々いっても仕方がないところです。

シゴトの成否を跳躍から判断する

シゴトを作ります。その時に出来た仕事、商品、サービスがうまくいくかどうかって、結局自分都合か他人視点かでしかないと思います。お客さん視点が最初なくても、入れることが出来ますから、それを入れていって売れないということは、本当にニーズがなかったことと言えます。

ここまで考えると、

1.仕事をまず作ってみてどうかを検証する

2.その時お客さん目線は考えなくてもいい(考えられるなら考えればいいが、それを考えることで行動出来ないならやめる)

3.お客さん目線を入れて商品を改善、検証していく

4.一定期間で全く手応えがないなら明らめる

5.一定期間で全く手応えがなくても継続出来るならやっていく

などとなります。

4で明らめるなら、明確なビジネスとか投資とかの損切に近いです。でも、多くの物事って「儲かるからやる」という人は少ないと思っていて、好きとか面白そうとか感情的な何か(儲かる=嬉しいとかもありますけど)があります。つまり重層的であり、粒度も様々ということですね。

一定期間の定義は難しいです。どれくらいやればいいか。10年やったら分かるとか、3年やれば分かるとか、そういうのは分かりません。ただ、行動ができてかつ検証をしてそこから一定の循環が出来るのに、単に時間として動ける時間を考慮するなら、1ヶ月では短すぎる、3ヶ月くらいは最低、半年から1年くらいが一定期間なのかなと思ったりします。この目安はぜひ自分でやってみて見つけて下さい。それが得られれば自分の大きなものさしが出来るので有利です。

5については趣味ともいえます。ただ趣味的要素が強くても、出版デビューしている方も多かったのが本書であり、むしろ最初の投資、つまり作品を100話とか1話5000字以上であれば、50万文字です。10万文字程度は単行本はあるとかないとかですが、それを書いた時間は投資です。しかし作家自体は、投資というよりも、「自分が書いた物語が好きな読者がいるなら書き続けよう」ということで継続されているし、それが好きだったということが前提です。

1話1,2時間かかるとしたら、200時間はかかるし、修正など入れたり読者とのコミュニケーションのコメントなどの対応も入れるともっとかかります。専業でないなら、1日2時間とっても、100日=3ヶ月ちょっとはかかるので、実質もっと時間は取れないとすると、半年は1冊分でかかるといえます。

では、この3ヶ月程度の投資的作品構築が、結果的に商業出版されたりして売れるともとが取れるかという考え方が4でしょう。数十万部売れたりして、数百万から数千万という金額の印税が獲得できますが、これはどう考えても一攫千金に近いです。売れ続ける作品かどうと一時的に売れるものとは別だからですね。そういう意味で趣味的という位置づけは健全だといえます。

だから、5という形で趣味として書いていてたまたま出版されたからこそ、小説が嫌いになるとか小説家として食っていくという考えの人はあまりいなくて堅実的だといえます。

跳躍しているかどうかは、自分のシゴトづくりにおいて、時間を例えば1ヶ月とか3ヶ月とか色々やったものがどうなるか。その検証です。分かりやすい形としては、自分のサービスが世の人に使われているとか手応えです。それは読者が1名でもつく、お客さんが一人でもいた、何かコメントや問い合わせが1件でもあった。その1という数字を馬鹿にしてはいけませんし、ものすごく有り難いことだと思います。

その手応えを持ってどう考えるか。シゴトづくりの経験値が低ければ一喜一憂しますが、慣れてくると概ねの目安や自分のものさしが出来てきます。ものさしとは、手応えがあるまでの期間や投下した時間、累積記事とかページ数や成果物や見える形との兼ね合いなどのことです。

形にする前から考えるタイプもある

まず書いてみてそれから考えるというようなことをいっています。まずシゴトを作ってみてそこから考えるということです。

ですが、最初の最初はこれは辛いのでそのアドバイスは僕はしています。一方でシゴトを作った事がある人はあとはどう売るかとなります。とはいえ、商品自体がマーケティングや拡散の要素がないとか、仕組みとしては多くは、一人でやるなら、商品の完成度を高めるのはシゴトづくりの一部でしかなく、どう売るか、売り続けるかがシゴトづくりの全体かなと思います。

僕自身はある程度考えたらGO派ですが、とはいえビジネスモデルや仕組みを考えてそこから逆算してやるやり方もありだと思います。ただこの場合頭で考えて形に出来ないことも多いのも事実だと思います。

形にしてから検証か、頭で考えてから形にするはどちらがいいかでなく、合ったほうをやるだけであって、いわばタイプや性格というところでしかありません。

僕自身はわりと分析や考えること、戦略は好きですが、結局それ考えても実行できないなら意味ないじゃん。という反動があって、考え過ぎないこと、行動をやっていくことを大事にすること、くらいが丁度良いさじ加減になっています。これは僕のバランスなので、人によっては、もっと振り幅が広かったり狭かったり、本当に形がないとやらないとか、形がなくても色々考えた上でやらないと動けないならそうすべきです。ですが、考えようが考えないであろうが、形にしたあとに考えたりするわけなので、結局一緒です。

つまり、スナップショットで短期的に見ていると違いが大きいですが、動画としてムービーとして1年間の動きを見れば、結果的にどちらも大差がないというのが僕の考え方です。もちろん合ったやりかたをしないと、「なんかイライラするなあ」とか「こんなにやってるのに手応えがない」とかそういう感覚は出てくるので、むしろそこを調整していくのもシゴトづくりとも言えそうです。

おわりに

文章が跳躍していないものは小説として成り立っている。さらにいえば、商品化したいのであればよりお客さん目線だったりを目指す。

シゴトづくりにおいても同様のことがいえる。まずやってみて形にして検証していく。あとからお客さん目線は入れられるので。ということでした。

もちろん、小説であれば、読者を意識しすぎて著者の世界観がなくなったなんてこともいえるわけでして、もうキリがないところです(笑)ですが、このあたりは小説家や起業家が考えることであって、当事者でない人が何を言ってもあまり意味はありません。読者が作品への批判、お客さんが事業者へのクレームや批判は大いにありなのですが、ここではあくまで小説家や起業家などそういうシゴトをやりたい人やシゴトを形にしたい人向けの話です。

決してお行事が良い読者やお客さんになってくれとかそういうことでなく、小説家や起業家としてクリエイティブな何かを作る人向けということですね。趣味であれなんであれ作ることはパワーが必要です。そのエネルギーが消えたらそこで終わりですが、エネルギーがあり好きパワーが続くし、回る仕組みが作れそうなら大いにチャレンジしていくのいいし、冷静にパワーバランスを見極めてこれは専業は辛いならやらないのも手です。

働き方については色々言われているわけですが、単に選択肢もそうですが、選択肢自体と実際に形に出来るものなどのバランスが乖離していて、自分が考える良い働き方とかシゴトの作り方がないんだろうなと思ったりします。

端的にいえば小説家ですといっても、商業的に成功してないと批判したり、すぐ「それで食えないなら、やる意味ないよね」という意見が先鋭化します。一理あるのですが、人のやっていることにケチをつけるだけというのもナンセンスです。批判とはケチを付けることでなく、その作品や考え方を検証するということであって、その中で否定があるので、単に否定するならそれは批判というよりも、非難でありクレームですね。そういう意味で批判ってちゃんと批判ステージの上でやることになりますね。

食えないことはシゴトではないという考え方も根強いです。でもちょっとおかしいなと思うのは、漁師とコンサルタントの話ではないですが、コンサルタントが経済的に成功して自由になるということは漁師は経済的に成功しなくても叶えています。経済が全くないのはないでしょうが、とはいえ経済的に走ればオッケーみたいなのも短絡的でしょう。

これは新規事業や起業でも見られるわけで、やってもいいけど失敗するなとか(笑)そういうのって無茶というか無理です。趣味でやっているからお金は稼がなくてもいいというのは一つの考え方ですが、積極的に何かしらシゴトとしてお金を生み出すことを目指すなら、そういう考え方で小説を書けばいいし、シゴトを作ればいいとなります。

このそういう考え方というのが肝で、出来ないだろうとか、やれるわけがないといっていると、「形にできない」のでいつまでたっても前進出来ません。そういう考え方、つまり意識ですがそれをもってやるだけで大分違う。いやかなり異なるというところが僕の実感です。

シゴト自体がお客さんを見ていないと多分成功しませんというか成立しません。視野狭窄に陥って、お客さんが見えなくなることは悪いことのようですが、実はめちゃくちゃ自分の商品やサービスを考えていることにもなります。そうしたら、跳躍していないかどうかを確認して、お客さんに寄り沿ったサービスを提供していく形になるでしょう。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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