創造的脱力からアイデアの出し方を考えてみる

少し前に若新さんの「創造的脱力」という本を読みました。非常に面白かったのですが、そこからヒントを得つつ、アイデアの出し方を考えてみます。

創造的脱力って、クリエイティブな脱力って意味になりえますが、脱力という力を抜くことで見えてくるものはある、またはもっと楽にやっていい、というところを著者なりに伝えようとしているのでは、という形で解釈しています。

発想法というよりも、アイデアを出すというところにおける考えを深めたいとか、何か刺激を受けて考えるネタにするとかってくらいで捉えてもらえれば嬉しいです。

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周りに合わせたら終わりという思考が面白い

大学時代に起業をしてそれで自分なりの社会というか感覚が出来つつあり、そういう中で自分を周りに合わせたら何かなくなりそう、合わせたら終わりという意識の話が出てきます。これは著者の感覚であって読者にどうということではないのですが、もっと引いてみれば「社会に合わせずに自分に社会を合わせる」、シゴクリ的にいえば「仕事に合わせるのでなく、自分に仕事を合わせる」という感覚でしょう。

多分これはある程度正しいと思っていて、社会の要請や要求に従うのは分かりつつも、とはいえ全てそれで良いかというとやはり違うなと。

僕自身がこの葛藤なり不安なり気持ちにひどく襲われたことはないものの、先回の大学時代のポエム(笑)からも意識を保っておかないと簡単にやられる(笑)というのは分かる気がしました。

ちなみに、JKまちづくり課やアウトロー採用であったり、ニート株式会社みたいな取り組みは面白く、意識はむしろ低いという焦点かもしれませんが、実際にやられていることは実験的かつチャレンジングな印象です。という意味で意識が高いという感じです(笑)

今の時代においては、そこまで「僕はこれでいく」「そういうのが自分ですから」について、あーだこーだ言われないのかなと思います。と思ってるだけかもしれませんが、潰しても意味がないのかもしれないのと、社会を構成する人が変わってきたのかもしれませんね。

ちなみに、プロゲーマーの梅原さんの講演が動画に上がっていますが、ここでも30分前後で中学時代に周りに合わせなかったみたいな話が出てくるはずです。合わせるか合わせないかの二択に、中学生くらいだとなりがちですけど、実際にその時の意地であり、貫いたこととかってどうであれ、うまく解釈していくことが大事かもしれないですね。

創造的になるための脱力

著者の実践してきたプロジェクトの話がわりと多くその中の知見の共有が面白かったです。本題というか、そもそも肩に力を入れすぎて力んでしまって続かないというかやめてしまう。

これってモチベーションの話でもあるのですが、やりたいのに力むからこそやり続けなかったりは勿体無いなと感じるわけです。

実践されたプロジェクトはなるほどなあ、面白いし、アイデアがあるし、より実験的だと思う一方、これを真似しようと思って出来ることは結構難しいと感じました。というか真似しろとは著者は言ってないわけですが、どうこの知見から学ぶかがポイントになります。

僕自身は著者ほど「何か場に委ねてみて」という感覚はなく、そこまで実験できないなと思いつつも、ただ場であったり、何かを投じて試していくのは良いなあと感じたところです。もっと実験できるし試していこうと思ったのと、アイデア出しのヒントにならないか、思考のヒントにならないかなというところです。

一言でいえば、この創造的脱力って「ゆるさ」のことです。ゆるいことでリラックスできたり、本音が出たりというのはよくあることで、ピンとはった緊張がゆるくなるのは「笑い」「打ち解ける」「本音を言って感情が揺れ動く」というような時だと思います。初対面の人でゆるさでいくのは難しいですが笑いポイントとか、これ面白くないですかで共感してもらうとだんだん打ち解けられますよね。

ブレストなどでゴールを決めるのもいいけれど、ゆるく雑談していたら出てくるのもあるわけで、きっちりやらなきゃいけないが全てでもない。ゆるゆるすぎても困るかもしれないですが、ゆるさが担保されることで、つまりここでは心理的安全みたいな話で、場ではちゃんと意見を拾ってくれるとか、聴いてくれることがめちゃくちゃ大事になると。

新しいアイデアを産み出すプロセス

前置きが長くなりましたが、著者が最終章で書いている図が面白くそこから何かアイデア出しについて考えられるかも、ということで考えてみます。

若新 雄純著「創造的脱力 かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論」(光文社新書) 、P.232より

上の図をざっくり説明すると、固定電話やFAXがメインで普及していてそれが通信手段の日常だった時に、初期のパソコン通信や初期のインターネットなどは怪しさがありました。怪しさとは、使う人も少なく、良くわからない人が多い状態ということでしょう。それらが結果的に進化していって、スマホ全盛というか普通になっていくという流れです。

進化したということでなく、ポイントはあくまで「つまらないか魅力的」かという魅力軸の縦軸と、「まともか怪しい=日常か非日常か、かたいかゆるいか」という横軸での見方にあります。

つまりメインストリームなものは、しっかりあって日常だから魅力かどうかというと「普通ですから」となってしまいます。今でいえば、スマホが魅力的という人は少ないでしょうが、それは他の人が使ってない怪しさゆえの魅力もあったはずです。ということが言えないくらい一気に広まった感はありますが。今後スマホがどうなっていくか、新しいデバイスになるのか分かりませんが、こういう見方は面白いですよね。

横軸でいえば日常かどうかというのは分かりやすいです。もちろん日常にあるものや使っているものは人によって異なるものの、ここでは「社会文化」という話においては、広く社会の人が使っていることと考えられるといっていいでしょう。

元図はこれくらいにして、気になったら本書を読んでみてください。では、これをアイデアでやるとどうなるか・・・ということを考えてみます。

最初の思いつきから仕組み化するアイデアへの成長

日常からのアイデア出しのイメージ

ちょっと無理はあるかなと思いつつも、解説してみます。

最初のおもいつきエリア

まず右下です。日常×つまらないとはなんともですが、実際の行為として「最初の思いつき」が生成されるということです。ただ何がつまらなくて日常かというと、ブログでも書いている通りの「日常」です。日常は、実は毎日同じことが行われているようで違っています。ループものの小説とかで感じるのですが、今生きている今日は昨日と違うのか、また同じ毎日なのか?ということをプログラマ時代に感じたことがあります(笑)それくらい違いを見出すのが難しかったといえます。実際は違っているのですが。観察であったり、日常会話、日々のご飯や趣味など、地味な行為しかないです。派手なものは非日常って感じですよね。このつまらなさに耐えろとか、日常はつまらないというのではないのですが、客観的に「毎日が面白い」と思っている人は、かなり乱暴な言い方ですが「放っておくと勝手につまらなくなる日常があるので意識的に変えていこう」という意識があるんじゃないかと思っています。

重力みたいに日常は勝手につまらなくなるというイメージです。なぜなら、慣れるし、それを無意識で処理できるからです。これは慣れてはいけないとか、無意識出来るようになってはいけないってことではないです。人間のそういう学習能力があるからこそ色々なことが出来ていたりするからです。ポイントは、そういう「つまらない」圧力が一定ある中で、どう見つけていくか。そういう圧がなくてもあっても、その中で「最初の思いつき」まさに「!」を何でもいいから見つけることです。

そういう意味で、最初のおもいつき自体がつまらないということではないです。ただあくまで日常のつまらないところから、いかに面白いものがないかという好奇心であったりなんでもいい。そこから「思いつき」を作ろうということになります。これがない場合、人から刺激を受けるとか、何か仕組み、つまりここでは環境ですね。環境に入ってどうにかするかしかないですね。

ちょっとしたアイデアエリア

次に左下です。ちょっとしたアイデアとは、Webサービスのデモとかプロトタイプとかでもいいですし、企画書になりきれてない企画メモとか、でも思いつきだけではないリサーチや検討した何か痕跡があるとか。意見っぽいものだと、「僕ならこう考える」みたいな粒度かもしれません。MVPやリーン的なものもそうですが、行動力がある人はここへ簡単に来てしまう感じです。

日常→非日常へのジャンプという感覚はなくて、むしろこれらは全てグラデーションかもしれません。そこで書いたのは、緑の「0」という数字です。これは、0の壁と勝手に呼んでみますが、「形にできるかどうか」つまり、0から1へという感じですかね。0から1という時、人がどのレベルのものを具現化すると、形にするとしたかが異なるのでこの設定は分かれるかもしれません。が、ひとまず設定してみました。

行動力がある人は、最初の思いつき→ちょっとしたアイデアという軽い行動もセットで動いているイメージです。慎重な人はこの段階で、「こんなの考えたけどどうだろうか」と誰かに相談している気がします。ちなみに僕はひとまずどうするかはおいておいて、メモをして寝かせておく感じです。とはいえ、どちらかといえば0→1タイプなのでここの壁はあまりありません。

だからこそ、日常から観察して次のアイデアを生み出し、ちょっとしたアイデアを生成していくことができる。その行動力はあると考えています。っていうほどあるかないなって突っ込みは知りません(笑)

ポイントは、日常と非日常って行動でしかカバーできないのかってことなんですが、形にするということは実は「日常」的なところに、非日常っぽい風穴を開けることに他なりません。「このアイデア世の中の人が喜んでくれるに違いない!そうだ実現していこう!」という無邪気な興奮、アイデアはとても好きです。ただ冷静に考えると穴が多い。こちらの穴は風穴を開けてくれるけど、アイデアの穴があるとこの時点ではつまらない世界にいるとすると問題にならないものの、次へ進む時にやはりきつくなります。

評価されたアイデア

左上です。ここでは、ちょっとしたアイデア→評価されたアイデアとなり、入賞であるとか、実績となって何か形としたとか、人から見られたり言われたり、褒められたり批判されたり。色々なことが起こります。ポイントは仮にマスターベーションというか自己満足で黙っているとか、誰にも知られたくないならここに来る意味がないです。人からの評価はそのアイデアの質とかそれを成長させる意味で必須です。ただその評価が正しいとは別です。このあたりはかなり解像度が高い話になりますが、あえていえば評価とは、良い・悪いという単純なものも含めてそれ自体が意味があるということです。

人間は社会的な生き物ですから、一人で粛々と生けるとは少なくとも僕は思いません。リア充っぽいかもしれませんが、それでいいのですが、やはり嬉しかったことは共有出来る人が一人でもいるだけで全然人生の質というか楽しさが変わります。それを誰かに見せるかどうかはおいておいて。共有=見せつけるではないのでそのあたりもありますが。

ここでちょっとしたアイデア→評価されたアイデアでは緑の「1」という壁があります。これは面白いかどうかです。縦軸は魅力的かどうかです。ここでつまらなかったワールドから抜け出すイメージです。なぜならちょっとしたアイデアというのは小さな行動であり小さなトライアルですから、周りにしか知られてないか自分ほど知ってないからです。周りも含めてこれどうだといって形にしていったものを「文字通り世に出して、評価を受ける」時に、面白いと言ってもらえるかどうかです。面白いとは、笑えるということだけではありません。魅力とは、何か惹き込まれるとか、それしか実現してないものとか、楽しそうであるとか、評価する人の数だけあるはずです。つまり、何かしらイベント企画であればその参加者が「面白いと思った」「ここがよかった」といえるかどうかです。

この面白いかどうかは、自分が面白いからやる、ここが面白いのだと思うというやり方もありです。そのレベル感、バランス感で、アーティストっぽいか、それともデザイナーというか設計っぽいか、自身の作品づくりの中での世界観を出すクリエイターっぽいか、もっと仕組み化したいビジネスモデルっぽいかとか、まあ色々です。とはいえ、自分に全く経験や分からないところでは「出来ない」はずです。

このあたりで、自分が面白ければいいんだとか、人に評価されないと意味がないとか、アイデアでいえば形になっただけで意味がないとか、色々なことが飛び交います。ただ引いてみれば、ここまで、思いつき→ちょっとしたアイデア→評価されたアイデアまで回せる人も少ないのかなと思います。0の壁、1の壁というところで、壁があるからです。多分壁があるから突破しないとなあという感じでなく、壁を意識せずやるのが良さそうです。禅問答っぽくてすいません(笑)

仕組み化エリア・成長するアイデア

最後は右上です。ここでは、評価されたアイデア→仕組み化・成長するアイデアということになります。ここではこのアイデアが日常であり面白いからと言われるゾーンです。ビジネスがそこそこ回ったり、非営利プロジェクトが何かしら動き始めたり、多分事業であれなんであれプロジェクトが面白いのってここで回る感じが面白いのと、そこまで作るのが面白いのと、さらにこれをもっといい感じで回すのかで好みというか面白い感覚は人それぞれで違うと考えています。

ここでも、評価されたアイデア→仕組み化というところで、2の壁があります。それは自分から離れてもいいかという壁です。ある種作品作りをするアーティストは確かに自分の作品で作ったが、それを世に出したら、見た人が「何その絵」「これはこういう意味があるのだ」という評価(勝手)がされます。それを自分から離れたといっていいと思いますが、この時この評価が違うというのか、感じられたものを面白がるのか、自分が考えたものが伝わるかどうかに絞るかは人それぞれです。ここではアーティスト側がです。企画っぽい話であれば再現性や狙ったところでいけるかどうか。精度は色々ですが、まぐれでは意味がないので再現性の高いことをどこまでやれるかが企画として問われるところです。

この自分から離れたところというのは、すでに1は出来ていて、ここから1→10とか、そこからさらに成長するイメージです。仕組みを作るのが上手い人が世の中にいるはずですがそういう人はここから関わるといいのかなと感じます。逆に、思いつきやちょっとしたアイデアのところで「0→1」やることは辛いということです。当然逆も然りで、下にいる人が上でやるのはまたしんどそうです。これは向き不向きの話であって、人のスキルや能力についての優劣ってことでもないです。

稀に両方出来る人がいますが、人材がいない場合、社会的に見て二刀流出来る天才レベルの人もいた場合、社会の要請というところでいって、インパクトがあるとか、もっと面白いものとか、より社会に影響があるものとかそういうところにアサインしたほうが社会的にもグッドですよね。もっともその天才の考え方次第なのでなんともですけどね。

ちなみに僕はこの仕組み化とか色々いってる割にうまいとは思ったことがありません(笑)ただそれって平均への回帰っていうそれっぽいワードをかましつつ、進んでいくというところですね。得意な人がいればどうぞどうぞというところです。

最初の思いつき→仕組み化ってプロセスはきつい

楽して儲けるアイデアを教えてくださいってことは、さすがにもう言われなくなりました(笑)もちろんコミュニティやサービスや集まる人が変われば言われそうですが、さすがにそういう場に行くと疲労するのでやってません。このストレスはかなりでかいのでコントロールしないといけないかなと思います。

さて、この図が言いたかったのは、最初の思いつきからいきなり「仕組み化できる」ものっていう超レベルが高いことをやるのはまあ無理ですって話です。常に違和感があったのですが、ここで明文化できてスッキリしているのですが(笑)例えば「10億売り上げられるビジネスアイデアを考えてください」って言いたいこと分かるんですが「そんなのあったら誰もやるよ」って突っ込みを常にしていましたし、今も変わりません。読者のあなたはどう思いますか?こういう問いかけ。実際は思考するなら「何をもって10億なのか、売上なのか利益なのか、それとも」「ビジネスアイデアの精度はどうなのか、例えばA4一枚でペライチで表現するの?」など突っ込みがあるわけですよね。

端的にいって「儲けられるアイデア」というのは、ビジネスですから言いたいことは分かる。でも、それってこの図でいう無茶筋を言ってないかということです。もちろんですが、ワンチャンスで一発アイデア何か生まれるのはあるわけですがでも確率的に1万あって一つあればいいくらいでしょう。まず1万アイデア出せない(笑)そして、見えてないだけで(解像度が低い人が)、実際は試すし検討するし、行動するしでリソースを使います。色々考えたり試してこうだった、それでいけそうだからとか、たまたまとかもありつつもそれを見た人がいたりして・・・ということで、やはり右下→左下→左上というほうが僕は自然な印象があります。

ただ若干日常か非日常か、面白いかどうかは「当て込んだ」感じもしますから、あくまで参考程度にしつつ、ご自身の考えるアイデア出しや企画ややり方の参考になればくらいです。

ちなみに、「儲かるアイデア」については、それがあれば自分がやるよという意見が最も妥当性があるので、逆にいえば仮に募集側が「そういう募集」を書いたらそれなりの解像度の高さや専門性というか、どういう考え方なのかを説明しないと「信頼」は生まれません。脱線しちゃいますがまさにオープンイノベーションとかってのがうまくいかないのがそのあたりの信頼のジレンマというか、自己開示ってのが組織というのが生来やりづらいものという感じかもしれないですね。

日常を面白くするってコンセプトは悪くない

昔作った会社で掲げたのは根拠も何もないですが「社会を面白くする」というものでした。これってここの時点でいえば、かなり筋が良かったと言えます。僕自身は社会が良くなっていく絵を描くほうが好きです。というか誰でもそうだと思っていますが、もちろん例外ありですけど、社会が良くなるっていうとどうしても、社会貢献みたいなこととか、寄付みたいなこととか、慈善活動になりがちです。

でも、それこそ想像力のなさであって、もっと色々あるじゃないかと。ビジネスで仕掛けてもいいし、個人のブログからあーだこーだいってかつ動いて証明でもいいし。嘆くのもいいけどやはりすかっとやっていくことで人が動くんじゃないかというところです。想像力のなさを嘆いてもしょうがないので、こうしたらいいのではっていうのが欲しかっただけなんでしょうね、このコンセプトは。逆に言えばアートっぽくて「もっと考えろ、動け」ってだけかもしれません(笑)そういうとカドが立つし説教なんで誰もみないけど、面白そう→うわっやばい→やろうみたいな(笑)の結構というか大分好きですね。

そういう意味で日常がつまらないというところで決めつけるのでなくそういうルールになっていてどうそのルールを解除できるか、スター状態で突破できないか、状況有利の状態を作っていけないか。結構そういう進めるアイデアはあるかなと思います。

壁をどこで感じるかもポイントかも

色々言えることはありそうですがこれで最後にしてみます。壁ということで、日常→非日常の壁(形にできるかどうか)、面白いかどうかの壁、自分から離れる壁という3つの壁をご用意しました(笑)でもこれってそんな壁あるのか?という人も多いはずです。つまり、0→1派なら、形にできるかどうかなんてなくてしてから考えているとか。そうすると壁はないですよね。自分から離れる壁も1→10派ならそれが面白いので壁にならないと。面白いかどうかもやってみたらいいじゃんで終わる人もいれば、それやって駄目ならどうしようもないじゃんという人もいる。色々ですよね。

チームを作るならば、その壁がないという人を作りあてていくと最強ですよね。つまり、得意な人の構成です。ただここで問題は得意だから俺がやれる=担当=他は関与しない=他が駄目だからどうなのっていうパターンです。これは単にコミュニケーションや理解や共有が甘いってだけなので、そこが逆にできないと「得意ありき」ではきついですよね。むしろセットで考えないと駄目っぽいかなと。

こうしなければならないというのは大体筋が悪い

創造的脱力=ゆるさは、その場に委ねる手法であったり、いわば環境依存的ともいえます。だからこそ環境や周りを信頼できる、その心理的安全がなければ結構怖くて出来ない。だからこそそこを作れるかなんですが、これは「ゆるい」からこそ難しいとも思っています。むしろそれが出来ているところは、楽しいし、面白いし、成長するしということでいい感じの場であり組織だったりするかなと思います。

ゆるさって適当とかって意味に解されて評価が低いイメージですが、むしろ逆です。ゆるさほど難しく、かなりの練度がいると僕は考えています。例えば場への介入ということであれば「ゆるい場なのでどうぞ」だけ言っていても微妙でしょう。その人がゆるさとはどうかを体現していく、言うのでなく、言葉と態度で示していく必要がある。相手を攻撃してしまう人は退場ですし(笑)そういうルールが必要ですから。それってゆるくないって思うかもしれませんが、言葉の誤読であって「自由」とは最も厳しい、多くの人にとっては不要の産物かなとも思ったりします。もっともルールで縛れってことでなく、より自由度が増すと僕も含めて何をしていいか分からない状態になって不安になるんですよね。それがあるからです。

こうしなければという縛りは筋が悪いですが、とはいえ何もないのも不安だ。人間ってわがままですが、結局いい感じで使い分けしつつ、ゆるさでうまくいくプロジェクトもあれば、それを精度が必須なところだと怒られるというか向かないので万能な「手法」ではないです。僕のアイデア思考図もそのとおりで、全然役に立たない状況も多いはずですから。

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