アイデア自体の価値を減じなさせないこと

アイデアソンやハッカソンに対しては大分前に参加してさすがに懲りたというか、参加はしてないです。イベント自体が良い悪いはおいておいて、違和感などがあったのがやっと明確になったのでこれをアウトプットしてみたいと思います。

アイデアソンやハッカソンまたは類似のイベントの価値は?

1,2回ではないです。結構参加した経験からいうと、流行りのようになってからは一気に価値が減退したという印象です。端的にいえば、盛り上がるのだけど、一発花火で終わるというところです。そうでないイベントや作り方もあるとはいえ、基本この性質を帯びていて(イベントという性質という意味で)そこを踏まえないとまあ花火で終わります。

当然ですが、花火を否定しているのでなく、打ち上げ花火を見るのはとても良いというのは分かっていて理解できます。一方で打ち上げ花火で良かったなあ次もみたいなくらいはあるものの、それ以外にはとくになにかは起きません。もちろんそこで一緒だった人と親密になるは有りえます。

そういう中で、イベント、まさに出来事として一時的なコトなのですが、どこまで価値があるかです。

ここでいう価値は何をやるか、どうやるかなど色々な定義が出来るのですが、アイデアソンでいえば、「アイデアが生まれるか」であるかなと。アイデアが生まれるかどうかといえば、まあ生まれるわけです。全く否定しないですし、逆にアイデアソンでなくてもアイデアは生まれますし、アイデアソンでないところでのアイデアのほうが普通であり、あちこと、今まさに沢山のアイデアが色々な人の頭に浮かんでいる、このブログを読んでいる読者も浮かんでいたら嬉しいですが浮かんでいるんですね。

ハッカソンであればプロトタイプやサービスを何か作って見せるということです。それが価値です。

ここまでで価値は一定程度あるといっていいのですが、あくまでそれは何もアイデアを見いだせなかったりアイデアを出せなかった人、またはそういう場でないと作れなかったプロトタイプみたいなことです。

自分やチームでやれる、つまりイベント外でやれる人にとっては「詰め込んだ感」があり、取り立てて言う価値はありません。

アイデアソンが嫌な理由

ややネガティブなのですが、アイデアソンが苦手というか、ある局面、あるハッカソンでアイデア出しをする場面で感じました。それは、「テーマ」を言うのでそれでアイデアを出してくださいというところです。スケッチしてA4一枚にまとめるのですが、キャッチコピーやアイデア概要、絵もラフでいいので描く。それをあとで置いて、参加者みんなで投票するというよくある光景です。

ここでアイデア自体をアウトプットしているのですが、いくつか問題があります。

時間の関係上しょうがないとはいえ「アイデアがほぼ多数決」で選ばれることです。チームビルディングは別枠ですが、アイデアが多数決で選ばれるという感覚が、あとで書くのですがとても嫌だなというところです。

アイデアに対するという捉え方で、アイデアの踏まえ方が雑になるということです。つまり、1つ1つのアイデア自体は丁寧に広げられるかもしれないし、全くとりとめもない(と発案者が思っている)ものが選ばれる可能性もあります。良くも悪くも単発でイベントとしてその場だけで終わるなら「アイデアの評価」ってどうでもいいんですね。ただ、そうではない、アイデアの収束、その後とレンジを広げるとこれはちょっとどうなんだろうと考えるわけです。

この2点を丁寧に考えると、アイデアソン自体にまず積極的に参加したくなくなったのと、してどうするのかというところで、もっぱら自分がやるとしても「アイデア出し」自体を楽しむ、エンタメであって、そこに対してアイデアをケアする、サポートするというのがないことは避けるという感覚です。

結構ニュアンスがここまで含まれていますが次にもう少し説明します。

アイデアの価値を減じさせていること

まずアイデア自体の価値が減るということです。

これは何を言ってるかというと、アイデア自体は思いついたものから、練ってきたものまで様々なものが参加者から出ます。それはそれで楽しいのですが、一方で個人的なことですが、僕はアイデアをタダで提供する気はありません。個人的というか、職業的、仕事的といってもいいでしょう。

このブログにアイデアらしきもの、アイデアだと明記したもの、様々な会話などはアイデアで成り立っています。これは僕の許可というか、自分でOKを出しているのでいいんですね。これはあくまで僕の話で、僕の世界で完結することです。

逆に他人が「アイデアはタダでいいから出せ」と言われて、はいどうぞと言われるのは、かなり厳しいです。もちろんイベントとして参加者として振る舞うのでこれで揉めるわけではないんです。ただあえてプロがアイデアをそこで出す意味は、その場と企画を理解した上でないとまあだめでしょう。この話はプロなら分かる話でしょう。

つまり、僕が有料で出すアイデアを(アイデアが有料かどうか、価値があるかは個々の依頼主と僕との関係であるので、もうこれは比較しようがないです)無料で出すこと。これが自分のアイデアが減じているという根拠です。

お金がもらえるならやるとかそういうことではないのですが、くどいですが「あえて」参加することはないなと直観で思ったことを、理屈で言っているということです。

しかも問題なのは、ふわっとしたところでスマッシュヒット、またはスルーパスですかっとするアイデアを出したしても「いいですね」くらいで終わります。くどいですがそれをイベントで言う、とかイベントの場で乱すとかはないです。振り返ってということです。しかし、これはとてもアイデアに対して失礼だし、自分の仕事を安くしているということにもなります。コントロールして秘密主義にしたいとかでなく、そこはコントロールしたほうがいいよねという話です。

結局そこでのアイデア出しはわりと僕の中では本質ですが、イベントの中では「頭の体操」的であって、例えば「今日家から会場まできて面白い人いませんでしたか?」みたいな問いかけに近いです。であれば、あえてアイデアでやることはなくて、その問いかけでいいのではないかとすら思ったんですね。

ここで大事なのは、僕がそういうことを直観で感じていて、そういえばといって振り返って思い出して今分かったことです。今までは分からなかったです。なんか違和感があるというのがまさに「アイデア自体の価値を減じている」ということだったんですね。

これが僕がアイデアでお金をもらってないとか、何も生み出してない、アイデアの価値をもっとあると思えてないなら、こんな事は言わないでしょう。このもやっとしたものこそが、僕のアイデアというものへのこだわりと言えます。これこそがポジティブな部分であって、イベントとかどうでもいいんですね。

また誤解がないようにいうと、アイデアソン自体はあってもいいわけですが、それはアイデア自体にそこまで拘ってない、とくにアイデアのプロ的な人が参加すると意味が異なります。広告代理店などもアイデアのプロのはずですから、やはりアイデアソンに参加してアイデアを出すシーンに仮にそこで「お金」をもらう人や仕事ならば違和感があるはずです。ない場合は何かしら別目的か、気にしてないようにしているだけかなあと思っています。

ゴミみたいなアイデアも価値があること

ゴミというといい方が悪いんですが、使えないな!みたいなアイデアも使えるときがあります。レンジを広げれば使えるし、状況で変わるってことです。

もちろんアイデアの収束、イベントもですけどその時間でまとめていくことは大事です。ただ収束から全てをコンパクトにまとめていくことで、確かに「形」っぽくなるけど、そこでお行儀よくまとめても、小利口みたいな感じで、ギラッとした、ドロドロしたものみたいなのはないんですね。むしろそれを消すこと、平均化することを求められるし、そういうことが評価される。

これって筋がとても悪いんじゃないかと言えるんです。ドロドロして、どうしようもないような、何に使えるかわからないのは、正直怖いですよね。不安しかない。これは特に運営側や運営サイドのファシリテーターや依頼主がビビってしまう。お金かけたのに「ゴミ」みたいなアイデアしかなかったら、やですから。これはサラリーマン的な悲哀としておいておいて、華麗にスルーしましょう。

もちろんアイデアは全て広いあげてどうとかはできないです。やれるとしてもまとめていってアイデア形成に貢献しているとかですよね。そういう何でも価値があるみたいな綺麗事を言いたいのでなく、みんなが良いというものはまず無視して、誰か一人が良いと信じきれるもののほうが筋がいいなって感じです。全く本当に使えないものってさすがにできない気がします。それくらい人は恒常性があるというか、社会生活を営んでいる人って条件でしょうから(笑)やはりいけるんだと思ってます。あえてやらないとこれは検証できないですね。

別視点でいえば、アイデアの価値があるものが捨てられるみたいな話は、アイデアの解像度が高いプロでないと見えないはずです。別に低い人を馬鹿にしているのでなく単に見えないし分からない、それだけです。本当に文字通り票が入らなかったものは価値がないと思われるのでしょうが、その判断はどういうレベルか。ぱっと見のイラストが可愛いとかかもしれないし(それはアイデアではない)、文字が汚いから読めない(それも可読性の問題で、アイデアではない)ので、人気のある絵であり、雰囲気にしかならないという問題があります。

アイデアというのは概念です。概念を可視化するのがたまたま絵や文字だからであって、それを端的に表現するのは結構難しい。慣れていけばいいのですけど、多くの人がアイデアのプロになるわけでもなく、アイデアソンのプロでもないわけで、そこにリソースを割く人は稀でしょう。面白いならやってもいいわけですが。これは表現の問題です。アイデアスケッチの良さもあれば微妙さもある。では一人ずつ発言すればいいのか?これも言葉の問題になる。つまり、アイデアは概念があっても、伝えられない、伝えきれないということこそが問題である、と気づけるわけです。

だからどんなレベルでも、ある人が「アイデア」だといってるのは、常にこちらに伝わる段階でズレてるんですね。というかズレる可能性が常にある。そういうズレまくるものを、評価って出来ないんじゃないかというところです。

アイデア自体は評価がセットなのは認識しています。ただここでいうアイデア出しとその評価とは、かなり限られた話です。つまり、アイデア出しをしたときに、する時に多くは「こういうものが評価される」というそれが「嘘」でも提示されます。嘘とは文字通りで「クライアントが評価する条件や評価基準」は、クライアントこそが言っていても間違えます。

例えば「実現性」を重きに置いているのに「今までになかったものだから」評価したなのです。これは新規性や奇抜さ、組織や自社になかったものということなので、実現性とはさすがに言えないでしょう。もちろん、複数の基準が総合的にあるので、その重み付けだけかもしれません。それはいいのですが、あくまで、嘘であっても、提示された何かがないと、怖くて出来ないんですね。

怖くて出来ないとは文字通り出来ないのでなく、「出したところで評価がズレるのでやれない」ということです。つまり後出しジャンケンみたいなものでしょうか。それであれば勝てないでしょう。

アイデアソンのアイデア出しにそれを求めるのは酷ですし、野暮です。それは求めてません。あくまでトリガーとして振り返りとしてそういうことがあるから嫌だったんだなと、見えたという話です(笑)

逆にいえば、何も不明瞭な中でアイデア出しなんて出来ないんです。ざっくばらんに自由に考えて、が全く無理なパターンの好例です。この時、評価者はこういうはずです。「出てきたアイデアがあってから考える」です(笑)これは評価する方向性がない人が言う台詞ですし、こういう場でアイデアが出るわけがありません。アイデアのようのものが出て終わる。悲しいですがそういう場にいたら即効逃げるのが無難でしょう。

少し遠くなりましたが、アイデア自体はどんなものでも価値があるはずというところで、評価がふわっとする中では、結構しんどいなあという話でした。

アイデア自体の価値を高めていくには?

結局はアイデアソンなどのイベントはおいておいて、自分がやるならアイデア出し自体を楽しむ、それを仕組み化するみたいなことでしょうか。もっといえばアイデアソンはやりたくないし、参加したくないというところでしょう。上の課題がクリアになるものはおそらく厳しいでしょうから。

そうやって考えていくと、アイデア出しってもっと楽しいし(でないとやってられないので、誤解がある人が多いはず)、アイデア活動自体を伝えるのでもいいし、アイデア出しの場というコミュニティ活動でもいいですし、アイデアワークショップみたいなものもいいですし、やり方が様々にあるといえます。アイデアを基軸にしつつ色々出来るということですね。

例えばアンチテーゼとしていえば、アイデアが軽んじられるなら、アイデア自体が本当に駄目かどうかをケアしていく、本質的には何だったか、単に浅いならそれは本人の自覚や振り返りで気づいていく、失敗とか行動もありきで考えていく。アイデア自体で価値を提供しているので、そこでアイデア自体を軽んじることはできないんですね。アイデアの神様みたいなのがあるとして、神に対して無礼なことはできないというシンプルな理由です。

アイデアの総量みたいなものでもいいでしょうか。アイデアがいっぱいあるところに、アイデアが集まっているところにアイデアがより集まる。アイデアの法則といってもいいでしょう。こういうところを目指していくと、結局アイデア自体をイチイチ評価したりする必要がなくて、ストックされたり集まったアイデアで実現可能性が高いものを使うだけとなります。この時点では確かに「評価して選んでいる」のですが、それってあえて否定する意味はないわけです。もちろん、結果的に総合的に否定するとかはあるんでしょうけど、否定はゴールではないので、結果的に使えるものを使っていくと。

では、そこで選ばれなかったアイデアは?その場では価値が低いわけですけど、まさにアイデアソンのアイデアスケッチ後の選ばれなかったむなしさ(笑)ですけど、次やもっと先でそれが評価されるかもしれない。つまり、0ではないんですね。むしろ、違う状況ではより価値を生み出すかもしれない。そういうのを僕はアイデアの可能性と言ってます。だからアイデアが好きなんですね。

というわけで、アイデアでもっとできそうだという話でした。

そして、アイデアアイデアいってますが、ここで大事なのはあなたにとって重要なことを減じるというか価値を低めることはまあやらないほうがいいです。アドバイスとかもそうですね。良いアドバイザーといわれててもピンとあなたが来ないならやはりだめです。例えばそれが僕でもやはりしょうがないと僕も思ったりします。万人に合う人はいないですから。

自身の大事にしていることを大事にするという超基本ですが、色々なものに飲まれたり他人を気にしすぎたり、または自分がこれがいいという習慣がなかったりすると、今は軽くやられちゃうのかもしれないですね。

よりアイデアを大事にして(アイデアを秘密にするということでなく)、アイデアを丁寧に伝えていく(適当にやっているわけではないですが)、またはもっとアイデアのわくわくを伝えていく、これがいいかもしれないですね、そんなことを考えてみました。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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