ビジネスアイデアは身の回りにあるものを育てていくこと

ノウハウとかいうよりも、端的にいって、身の回りにあるという身も蓋もない結論です。

それは分かっているけど、色々と取りこぼす。それってなんだろうということを考えつつ書いてみます。

身の回りにあるものがアイデア

最近、アイデアの出し方を友人にヒアリングした企画をやりましたが、それとほぼ同じです。何かというと身の回りにしかないです。あなたの身の回りであって、僕の身の回りは僕のアイデアが見つかるというか、僕が見つけるだけですから、あくまで「あなたの身の回り」にあるということです。

ビジネスを始めようと大上段に構えるとかはなくても、どこをどうしたらいいみたいなことがあります。偉そうなことは僕は言えませんが、とはいえ分かっているのは、「観察」「リサーチ」「研究する」というのは表現は合っているのだけど、それを聞いた人は勘違いする恐れがあるんじゃないかということです。

つまり、頭の中ではとても地味な作業で妄想に近い。または孤独に「あ、これ面白い」の繰り返しでそのストックです。ビジュアルにしてみてテンションが保てばいいですが、そういう問題でもないかもです。

一方で観察とかリサーチとかも「こんなのがあってね、こう気づいたんだ」っていうと、なんだそんなことかって矮小化というか、小さく捉えちゃうんですよね。問題はそれに気づけるかなので、誰かの事例がどうでなく、自分が事例を作る、得る、拾う必要がある。有り体に言えば行動に落とし込めるかってことですよね。

この地味なところであり、見せると小さく理解されるというところで、本質的に観察とか、リサーチとか、研究もですが、理解されづらいのだと感じています。理解するには、実際にやってみて何かを思って、形にしていくことを何かしないと結構わからないですよと。でもこれなんでもそうなので、学習とか学ぶってそういうことですよと。

リサーチは難しくない

企画やビジネスをする時に何をリサーチするかはコツはいるかもしれませんが、そもそもコツ以前に興味の広げ方、関心の掘り方ってなんだろうかと。それってわりと熱量の問題です。面白いと思ったことを少しやれば満足か、もっとやりたくなるか。この熱量って、生き方であり、その人のスケール(尺度)と相関していそうです。

熱量が高いとじっとしていられないので、動くと。その分大きなこともできると。でも、色々と失敗量から挫折量も多いと。その分学びも多いのでしょうが、リスクとリターンではないですが、そういう関係になりますよね。逆もまた然りで、熱量が低いとじっとしていられるので、あんまり動かないと。そのスケールは小さくなりますが、逆にそれで十分ということもあります。

熱量が高いから良いとか、低いから駄目ってことじゃないんです。むしろ、高いから良いとか低いから駄目って決めつけると話が終わるのと、そう決めつける人は多分色々と見落としています。

とはいえ、リサーチを何かするときは、結果的に高い方が色々と得られます。ただ、色々調べて疲れるのと、なるべく省エネで掘っていくのは違うので、やっぱ高ければいいわけでもないと。低いなら低いなりのやり方があるという感じがします。

難しくないとしたのは、身の回りにあるからです。または動いて調べていくことと、仮説を立てること、検証することなので、もはやそれって誰でも出来ることです。このサイクルを回すのは、行動だけではいけないし、思考だけでもいけない。バランスが問われますね。

リサーチが難しいとか、止まる人は、考えすぎることで動けないか、動いたけど検証がうまくいかずに諦めたとか、わりとシンプルかもしれません。まあ人によって色々な状況なので一概にいえないのですが、諦められるならそれはそれで良しという感じもします。

身の回りにしかアイデアはない

物理的な意味と、精神的な意味で身の回りにしかやはりないんです。物理的な意味は文字通りあなたの周りにあるということです。観察して見つけるしかないでしょう。精神的は本でもブログでも読んでいってその人の体験や経験から得るということです。これもいいですよね。

どちらにせよ、身の回りにしかアイデアはないなあと思っていて、どこか遠いところに、自分が見つけてない何かキラりと光るものが・・・落ちている・・・わけはないんですよね。本当にありません(笑)遠くなくて、近く、あなたの身の回りにしかない。となると、観察して調べて、どうかをやると。それがビジネスのスタートじゃないかと考えています。

それでやってみて駄目なら次をやろうと。わりとシンプルにそういうことを回せる人は結果が出たらそれをうまく確保してあとは大きくするだけ。シンプルすぎるのですが、そこまでやれるかと、飽きないかと、色々考えすぎて出来ないとかもあるので、なんとも言えない感じなんですよね。

直観としては、多分言うほど何かをやりたい人は多くなくて、実は見栄で言ってたりというのも感じます。見栄ってのはカッコつけですよね。カッコつけはいいけど、心に思ってないことをいっても疲れるし、結果的に出来ない自分をかばうのであまり健全じゃないかなーと思ってます。そういう心理はわりと自分を蝕んで、いつしか嘘つき少年ではないですけど、誰も信じてくれなくなります。口ではホラかもしれないが本当にやる人はやるので、これもまたなんとも難しいところです。

自分の発見を丁寧に育てよう

社会を面白くするというコンセプトを再認識したでは、本質的な価値ということで、自身の体験を書いてみました。

自分が何をやりたいのか、これこれをやりたいというのはなんとも重い感じがしますよね。

そういう意味で、同記事は「自分が見つけた、こんなのどうかなというまさにアイデア=新しい価値を社会に投げてみる」ことが評価される。

その試みが広がること=ビジネスをどんな人も、日常に落ちているであろう「種」からできるんじゃないか、という提案なわけです。

つまり、僕がやりたいのは、シンプルに「社会を面白くすること」なんだと、まさに10年くらい前に思ったコンセプトに戻りました(笑)戻ったというか、またそこに来たなあという感じです。

同上記事より、太字は筆者注

僕が書いた文章ですが、ポイントは太字です。つまり参照した記事がすごく良い記事で、そこから学びがあったと。それが身近に見つけた価値、こんなのあったよということ。であればそれを試してみる、やってみるということですね。それは、文字通り落ちている、日常にあるので、誰でも文字通り出来るということですよね。

そんなことを考えたら、社会を面白くすると書いていますけど、最近では、アイデアや企画という視点で、誰かにとって=これが社会ですが、役立ちたいし、そういう仕事をするということを書いています。本当にその通りだなあと。

自分のビジネスとか、事業とかってなんか難しく考えちゃいますけど、実際はもっとシンプルで、見つけたことをどう?これ使えそうじゃない?って無邪気にやって試す。わりと遊びに近いんですよね。遊びというとふざけてる!って人がいますけど、そういうのは「遊び」がないので窮屈ですよね。ちょっとリラックスして、余裕があるほうがアイデアは拾えるし、見つかりやすくなります。これも皮肉かもしれないですが、そういうものです。

というわけで、自分が見つけたこと、それを丁寧に検証してみる。見つからないなら、色々と調べたり動いてみる、体験してもいいし、何でもやってみてもいい。そういう感じで広げていく。そうすると、結果的にリサーチだとか、観察だとかにつながっていくというか、これらはあなたが同じ人間であれば、振り返って経験して同じ脳に入るので気づきがまあ生まれないわけがないというわけですね。

そうやって丁寧にやっていくと、きっとそれが必ずうまくいくとは言わないですけど、自分の自身になったり、糧になったり、支えになるんじゃないかと。

少なくとも僕はそうやって普段見たり感じて生きてますよっということで。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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