単体のアイデアは評価されるか?

アイデア自体はとてもポジティブな印象が僕にはあります。

一方で「アイデア」に対して悪い印象を持つ人も少なからずいるのでしょう。だからこそ、アイデアに対して解像度や粒度がかなりばらついていて、「アイデアだけでは駄目だ」みたいな認識があるのかなと。

正確にはアイデアを求める人にはアイデアが評価されたほうがいいわけです。ここでアイデアに対してその実現をセットで求める人が「アイデア」を求めると混乱します。つまり、アイデア+実行までをもって「アイデア」とするのか、アイデア単体で「アイデア」とするのか。

では、アイデア単体だけで評価出来るのか?というところで実践の肌感としては、これはほぼないです。即ち「アイデア単体」で評価出来るケースが限られるからですね。

このあたりのアイデアについてありがちなことを掘り下げてみたいと思います。

単体アイデアでは評価されづらい

これは実践としての話で、研究や理想とかでは全く別です。ちなみに私はどんなアイデアも価値があるという立場というか、そういう信条です。信条というのは考え方とか価値観であって、「アイデアだけでは価値がないよね」と瞬間的に思うことはあるのですが、それでは「アイデア」が狭くなるだけで、そういう概念自体は中長期で持ちたくない、つまりアイデアはそれ自体価値がある世界観を希望しているわけです。

ただ、一方で現実を見るとそれはやや理想です。

具体的に冒頭で書いた話から行きましょう。

アイデアの評価とは?

まずアイデアとは何かしらの概念、工夫、取り組み、やり方、理想、企画の第一歩、こうしてみたら、などなど色々とあります。これはビジネスでも趣味でも、生活の工夫でもなんでもオッケーです。

一方で、ここで自分が考えたアイデアを実行するというケースは評価は自分ですから、自己評価のみです。

ここでいう評価は他己評価つまり他者が何かしらあなたのアイデアを評価するケースです。

この時の評価とは、ものさし、つまりそのアイデアを測る基準ですよね、それが他者にあることに留意したいところです。

よって、自分のアイデアが素晴らしいと思うが他人が評価してくれないはありがちです。論理エラーとして、あなたが他人の評価に合わせるべきだがそれが出来ないとなります。

一方で、イノベーションであったり、その評価者自体が理解できないためというのもあります。

ここで実践としては、歯切れが悪くなるのですが、イノベーションとか自分を信じたい貫きたいならそれをやり続ける。一方でそれだけでしんどいなら、他者にも合わせてみるというくらいです。このさじ加減はもう人によって全然異なるはずです。

単体アイデア評価は実践としてはできない

例えばあるビジネスアイデアがあるとします。そのビジネスアイデアがあなたは業界経験があるかつ実践的な課題でもありつつ、当事者意識も高い。つまりユーザーも見えていて多分いけると相当程度いえるものだとします。

ですが、このアイデアを結果的に評価する側が、誰なのか次第で全く変わります。業界未経験であれば課題を認識できない(パンスクとかならパンなんてどこでも食べられるでしょという人は価値を認められないですよね)わけです。このあたりはかなり細かい話のようですが、実際にめちゃくちゃ大事で、評価する人が何を言ったかはもちろん大事ですが、評価する側が適切な立場や経験かは良く見たほうがいいです。

実践として、アイデア単体で「それはいいね」は全然ありです。ただし、その評価者が結局「実行」を本気度がある程度あれば想定しますよね。つまり、ビジネスアイデアとは、ビジネスをするため、事業を行うため、そのサービスで誰かの課題を解決するためですよね?ではないものってありえないわけです。ありえるとしたら、シミュレーションとしての模擬事業とかだったり、学習としての勉強要素が強いものとかですかね、例えば研修とかe-ラーニングとかならありですよね。

よって、単体アイデアをそれ自体評価することは、理屈ではしたくても、実践ではまずないということなんです。

だから「アイデアはいいけど」みたいなものが叩かれるというか、無価値扱いされるのは、実行までがセットになってないというところなんですね。それだけです。

よって、アイデアが仮にいいとかなら、実行まで寄せていく、それはほんの少しだけでいいので高めるだけでぐっと解像度が上がる、つまり評価が上がるかなと言えそうです。

アイデアに実行を求めないのは本当か?

実際にアイデアコンテストは、アイデアだけで評価します。その実行を評価するのは少しずれます。

なのですが、具体的にいえば、例えば100均アイテムのアイデアコンテストがあるとしますよね。でもこれも具体的な絵やニーズやどういう解決や価値があるかまで「具体的」(ここでは形にできやすいという要素)がないと、評価されないわけです。仮にぶっ飛んだものでもいいけど、実現できないなら評価されないと。

もっといえば、妄想空想アイデアコンテストであればそれでいいけど、それに対してお金を出すとか、リターンを出す人は、なかなかレアです。なぜならそれはなんでもいいと。妄想らしいアイデアって言われても困りますからね。このあたり、仮に募集するなら結果的に何かしらの要件、条件を決めることになると、考えれば明確かなと思います。

よって、これらの実行が入らない、実現性や現実性、現状の課題がないものとかは、かなり実現度が低いアイデアとなります。

単にこれらを欲しがる人がいるか?だけなんですよね。

答えではないですが、僕の肌感ではそれらを欲しがる人はまずいないというか、話とか雑談とかならいいけど、「積極的に」「お金を出して」とかはないと。あるなら相当変わりものといえます。それが悪いわけでなく、レアでまずないと考えて良いのではないかというところです。

アイデアに実行を入れるって何か?

具体的に考えると、アイデア自体は企画と言えます。企画とは何かといえば、アイデア+その実現方法を考えてまとめたものといえます。

もっと言えば、僕の感覚に過ぎませんが、「アイデアに実現を入れている時点」で企画的なんですね。よって、「アイデアコンテスト」といっているのに、「実現度」を求めるのは、「企画アイデアコンテスト」くらいと言わないとなんともむず痒い感じです。これは言葉の認識や粒度なので、人によって異なると思いますし、そこまでタイトルにこだわらない人もいるのでしょう。

アイデア自体を実行出来るかどうか、正直なところ、これはアイデアによるわけです。ビジネスアイデアならそのアイデアをどこまで実現したいかですし、実現できなくてもその過程を評価する人はいると思います。

その他の趣味のアイデアでも、例えば音楽でギター演奏をする人がもっと弾きやすいピックを作ったとかでもいいし、園芸が趣味な人が観察記録をつけやすいアプリを作ったでもいい。こういうのもアイデアですよねと。

さらにゴミなどを出しやすくするライフハックもアイデアかなと思います。

そこで、こういう小さい大きいアイデア問わず考えた人がいて、考えたアイデアがあると。それを試したかどうかということなんだと思います。

これらは考えて実行したから結果とか何かが出ますよね。それが企画といっていいかなと。その企画であれば、実現性も実行した経験や過程で担保されるので、「ならばちょっと検討してみようか」となります。

少なくとも考えただけで、それが揉まれてない(現実化の検討が微塵もない)ならば、やはり評価されないんですね。

よって、アイデアと言っているんだけど、企画を求める場合ってこのすれ違いがあります。

ただ世の中には「企画」の概念が分からないという人もいるはずで(これは例えばプログラミングや開発をするということが何か分からない人が多いのと似ている、と僕は思います)、そういう人は「アイデア」を求めるのですが、実際は「実現度の高いアイデア」を求めるので、それって企画だなというわけです。

このズレを常に考えると実は、依頼者や募集者だったり提案するときにコミュニケーションのズレがなくなるかもしれません。

どういうアイデアが評価されるか?

これはアイデア自体の期待値自体で変わります。

よって、ライトな思いつきを一杯欲しい人と、実現性のある企画寄りのアイデアが欲しい人であれば、同じものではないってことです。これはケースバイケースなので、見極めるしかないと。

僕も感じるのは、前者に対して後者は重く、後者に対して前者は軽いので、いずれも評価しづらいです。ちなみに、軽いアイデアを求める人は、文字通り「アイデア自体の評価も軽く」なりがちで(因果というより相関と思われます)そこは留意が必要です。

この事実というか感覚からいえば、アイデアを評価する人が適切、適正であることがポイントです。そうなると、実践的にもアイデアが分かる、実現度がある程度あるということになるんですね。

これは理詰めの話ですが、では直観においても、「そのアイデアいいね」と思っても買えるわけではないんですよね。あと、仮に買えたとしても、それを買い取ってもその人自体がどこまで関与できるかとなると、結果的に話がかなり交渉であったり、共通化しづらいんですね。文字通りその場やそのケースでやり取りする必要があると。

くどいですが、

  • 依頼者側の求める粒度が分かること、実現感などがポイント
  • それに対して適切なアウトプットをすること

が、求められるアイデアってことになります。

ここまでいくと、普通にこれは僕の肌感と合致していて、例えばリサーチのアウトプットはこれとほぼ一緒です。というか、変わりようがないんですね。

ここで「何かしら調査すること」と「アイデアを出すこと」は全く違うのでは?とか思う方がいるかもしれません。あなたはどうですか?

前者は調べてまとめることで、後者のアイデアを出すことはヒラメキが必要みたいな違いでしょうか?

それは一理あるとしても些細な違いです。というよりも、まず仕事であるとか、何かしら求めることが決まってない要件みたいなことって、仕事として成り立たないですよね?またはここで「アイデアを依頼すること」とか、「アイデアを考えること」とかを仕事として認知しないなら論外です(笑)それが仕事として考えるとそうなるわけですね。

もう一つだけ。この時、ではアイデアとはリサーチをすれば出てくるものか?そのリサーチ結果がアイデアということ?となるかもしれませんが、そうではないです。あくまでリサーチは何かしら依頼に基づいた調べること、その考察の過程、そしてそれをまとめることです。一方でアイデアを出すとは、どちらかといえば問いを立てて違う観点や切り口を生み出すことです。

もっといえば、リサーチはその結果をまとめた形が所望されやすいわけですが、アイデアは形よりもその問いや観点が求められると。

だから、厳密にいえば、リサーチにはアイデアが含まれるかなと。つまりリサーチの仕方とか、どうすればこの欲しいデータが得られるかなどはまさしくアイデアです。

アイデア出しにおいては、切り口や観点、問いなどがより求められると。ここで既存にあるアイデアは要らないですみたいな注文もありえますが、それも粒度の問題で「既存にある」とは何かから考える必要がありますよね。クライアントの脳内にあるものはNGならそれらを全て出してもらって(笑)その上でそれと違うものを評価となるのですが、こういう作業をまずクライアント側が出来ることは稀なので、実践はそこまではないはずです。ただし、何を持って「既存と違う」かを明確にするコミュニケーションはかなり大事です。

他人が評価しないアイデアや企画は価値がないのか?

ここではアイデアも実践で詰めれば企画的になるということで、やや乱暴ですが同一としました。ただここではあまり問題にならないはずです。

他人が評価しなかった、それは使えないと言われた。それは誰かが「そう思った」程度のことはある、以上でも以下でもありません。これが僕がアイデア自体の評価って決めつけないほうがいいということです。

つまり、アイデア自体の評価者次第なので、それに従い続けると、評価者が分からないものは評価されない。では評価者って何者かと(笑)神?なのかとなりますよね。そんなことはない、ただの生活者に過ぎません。むしろ、提案者側の粒度もないかもしれない、課題感もないかもしれない(笑)それってもうその企業、組織、団体、その人の意識次第ですから。

これが先程言ったさじ加減となります。

つまり、馬車の話は有名ですよね。馬車の次に何が欲しいか?では、車は生まれないと。ではイノベーションをするとかしたいわけではないけど、アイデアを形にしてそれを評価されるには?となると、分かる人や分かる形にしていくしかないってだけなんですよね。

それはつまり、分からない評価者には分かるやり方にすると。あとはその付き合いというか、リソースの問題です。ここまでやっても分からないなら無理だなとか。ここまでなら出来るぞとか。

よって、僕は他人が評価しなかったというラベルを付けた、付けられたアイデアも、全然価値がないとはいえない。つまりあるのだと思います。なぜかといえば、くどいですが、それは評価者次第だからです。

ある人が使えないから、別の人が使えないというかというとそれは、「使える人」に出会ってないだけとなります。実践としてこの探索というか探究活動みたいなものって辛い感じしませんか?

僕は辛いなあという人を否定しませんが、「それがどう使われるかが楽しい」という人でないとこれを続けられないのだと思います。最もそれは個人の資質だけでなく社会の文化とかもありますから。そのトータル環境みたいなのが求められると。だから、僕はアイデアを無邪気に出せる、それがバカバカしい程よい、くらいのほうがいいんだろうなと思うわけです。厳しい規律の中でアイデアってやっぱ生まれづらくて、単に論理と前例の繰り返しだけになるんだろうなあと考えています。

アイデアを出し続けて現実化を試み続ける

新規事業とか何かしらスモールビジネスでもなんでもいいのですが、それを0から考えて実現して形にしたみたいな人ってまあ稀です。なぜ稀かといえば、自分が全て出来る人は少なくて、また自分の認識がしっかりしている人ほど「自分の力だけではない」って思っちゃうんですよね(笑)そうすると、結果的に大言壮語型か、うそぶいてしまう人が跋扈するみたいなことになります。まあこれは何でもそうでしょうか。

僕が提案したいのは、かなり地味な話です。

まずアイデアを出すこと。これは大げさなアイデアでなくていいので、まずは自分がこれいいな!から始めることです。そして、これいいな!を考えていくと、「どうせなら形にしてみるか」となります。

それは雑貨アイデアでも、Webサービスでも、アプリでも、ビジネスでも、誰かのプロジェクトの補助でも、暮らしの改善でもなんでもいい。本当に何でも良いんです。そのアイデアを考えて実行するみたいなことを、自分で完結出来るのが望ましいです。そうしないと、実現までがリソースが掛かりすぎて嫌になるので。例えば1アイデア1年もかかると、20歳なら40歳になっても、20個しかアイデアが試せないんですよね。でも、実際に形になるものは限られるので、20考えても1個も形にならないかもしれないと。

そうならば、もっとアイデアをざっと出したり、または出す時の質を上げて解像度を高めることで、率を上げたほうがいいはずです。

これが僕の提唱する、アイデアを出し続けて、その評価は切り離しつつまずストックする。あとは、課題や状況に応じて現実化するという、大きな枠組みです。おそらく実現度が高いとか、やり切れる人はこういう考え方とマインドセットなんじゃないかと僕は推測するわけです。

最後にビジネスとかお金になるとかの話では、その取り組み自体がすぐにお金にならないから価値がないと考えるのはあまりオススメできません。倫理観もあるのと、あと反社会的ではないのは必須だからです。その頭のネジ=規制ですよねを外すのはアイデア発想としては推奨ですが、反社会的行動を取れってのが論点ではないです(笑)そこを間違える人はあまりいないのですが、なぜか自分が稼ぎたいという欲求「だけ」を貫くと欲求化け物になっちゃうんですね。これは人間は理性的な生き物でもありますが、一方で情緒や反射で動いてしまうという本質でもありますから。

現実化を試み続けるとは、ビジネスアイデアがあればそれを実現していくということです。その時の評価も、他者評価が悪いわけではないですが、それだけにしないほうがいいわけです。つまり、自己評価的なアイデアのポテンシャルがあるかどうか、他者評価的な現実や社会に適合できるかどうか。両方必要なわけですね。

実際に言葉は違えど、実行者の想いとか熱量ってこの自己評価ってことですから。それがないと駄目だけど、とはいえ他者評価だけではパワーがないというか、弱いんですね。

おわりに

単体アイデア自体は実践的には評価しづらい、されづらいです。僕も依頼側なら同程度のことを思うからです。

では、実践的に価値がないから無価値かというと、それはないんです。僕が評価できないだけで、他の人は評価できるなんてことがあると。誰に持っていくかで最適化できる余地があると。それは嘘ではないわけです。

ただ、さらに詰めるとでは「このアイデア」は評価されなかったから、「どこに持っていけばいいのか」というのは、これ自体もアイデアですよね(笑)それを他人に聴いても答えが出るのか分かりませんが、そこまで良い「持って行き先」はでないかなと思います。

なぜか?それはあなたが考えている時点で解像度が高いわけです。最も適当に作って売れるだろうならダメですが、それなりに顧客やターゲットを調べて研究したなら「あなたの解像度」はそれなりに高いわけです。その高い人が「見えない」なら、やはり「アイデア」というよりも、欲しい人が見つからない、というところで保留した方がいいかなと思います。

当然そのアイデアはそれで「バツ」でなくて、そこでは駄目だっただけです。実は数年したり、ある別のひとが違う形で「マル」をつけるかもしれません。その時あなたがその人と協力出来れば面白いのと、同じレベルで話せるのであれば話してみると良いと。

長くなりましたが、少なくとも、そのアイデア自体、企画自体を作り上げることと、それに対して価値づけや誰が価値と感じてくれるかは別問題ということです。別観点というか。そこが見えないのであれば、それを鍛錬して学んで鍛えていくしかないと。これはセンスとかでなく、行動や技術の問題と僕は考えています。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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