社会の人を知るという素敵な企画を手伝う

ある学生さんとお話して、励ましというか、まあ応援する形で色々と話すことをしていました。簡単にいえば、学生さんにとっては、社会にいる人がどういう仕事やどういう生き方をしているかの参考に。僕にとってはその学生さんが少しでも前向きになったり、より深めていけるようにという意味あいですね。

社会イメージの重要性

細かいことは書かないのですが、自分の中の気づきとして、おそらく学生とか社会人とか関係なく、その人にとっての社会イメージが相当大事だと僕は考えています。

例えば社会のイメージが良い=他者を信頼しやすいというほうが、疑いから始まったりするよりは良い社会ということです。一方で良いイメージいるとそれで騙されることもあります。ここがバランスなのですが、誰もが良いわけでなく、悪いわけでもない。実際と理想の違いで苦しむよりも、うまく見極めていくことが大事なんでしょうね。

社会イメージが乏しい、つまり特定の人としか話してない、年齢でも、仕事でも、趣味でもなんでもいいのですが、それが狭ければ非常にアイデアも狭くなるんですね。僕の仕事柄ありえないことなので、そういうときはインプットの旅に出るわけです(実際に旅するのでなく)。

社会イメージが偏っていると、社会への決めつけ=こういう人はこうであると言いきってしまう(ある種それが防衛にもなるわけなので否定できませんが)ことが多くなります。決めつけるのでなく、そういう傾向があるくらいで、例外や遊び、余地があればいいのですが断言を連発するとちょっとなあってことです。とはいえそういう感覚よりも、偏っていると「まず目の前の人と会話、対話して受け入れる」ことが難しいかもしれません。が、言うは易く行うは難しなのであまりいわないようにしますか(笑)

僕が良かったことを繰り返し生産する

結局僕は学生時代に良い人と出会えてその師匠というと違うかもですが、メンターなり良い影響を与えてくれたであろうリストみたいなのがあって、それは勝手にそう思っているだけですし、リスト化しているわけではないです。ぱっと頭に思い浮かぶ人でかつ学べたというくらいですが、その人達を想像すると、僕がそういう立ち回りを出来るかはおいておいて、やったほうがいいだろうという感覚です。

何度も言っていますが、具体的には一人の誰かを励ますことは、それはミシマ社のミシマさんが本に書いてたような、このカテゴリの企画概要で書いた気がしますが、そういう「社会に対してポジティブにチャレンジする人を応援したほうがいい」というそれだけなんですね。それをすることで、多分可能性の芽は伸びる一択だと。逆にこの学生さんが失敗するとかそういうことはないのだと思うんですが、仮にうまくいかない、つまり社会イメージをうまく獲得できないとしても(それはないと思うのですが)、僕の話も参考にならなくても(少しはなったと思っていますが(笑))、なにか「変な人いたな、面白かったな」みたいなことが原動力とか、思わぬ力になることがあるんですよね。

これは関係性が遠い、その学生さんも初対面なわけですけど、そういう知らない人がなんか色々語ってて、なんか伝わってきた。全く違う知らない人だけど、世界はそういう人の感情や論理や仕事で生まれているし、構築されているという「想像力」が生まれますよね。これがめちゃくちゃ大事で、ここが出来れば社会への興味がないってことにはならないですよね。まあ人によるんでしょうけどね。

そうやって僕はされてよかったことを繰り返すのだなあと客観的に感じました。つまり、これを今特定の時期だからこそやるのでなく、やり続ける仕組みとして、僕はそれによって誰かに影響を与えるかはおいておいて、そこで何か感じる参考程度の何かがあるのであれば、僕もそれによって気付けることがあるので良いなあというわけですね。

面白さという原動力

僕は面白いことを基準に動いているのですが、では作業的なやらねばならぬことをどうしているかというとやらないって感じではないです(笑)むしろやっていると思っていて、逆にそれをどう楽しむかだけですよね。工夫してアイデアを考えて作業を超面白くする。これってスマイルズの本にも同じこと書いてありましたけど、そういうのが企画発想に近いと。

ある種の状況を踏まえて、そこを打破するか、変えていくのって企画ですから。これが仮に全くできないと、ただ受け入れるだけなので非常につまらないですよね。求められないというかやっちゃダメなところもあるようなので、その場合は環境を変えたほうが早い気もしています。

それで、面白さはたしかに原動力です。面白いと自分が楽しいから学ぶしよりやるわけで、そうすると巡り巡ってより仕事やサービスやコミュニケーションが磨かれるのでより良くなる。誰にとっても良いという結論です。

好きをあまり言い過ぎるとなぜか「好きで出来るわけがない」というテンプレみたいな批判があるのですが、「好きで伸ばせることや持ち味があるならそれを伸ばしていって、苦手なことをカバーしていったほうが多分筋が良い」という程度のことを伝えたいです。むしろ、問題なのは「好きでやることを恨んだり、妬んだりしてそういう人を潰す」というクラッシャー的な視点です(笑)これが問題なんですね。好きとかポジティブな感情を軽んじるというか、それこそがエモくて、それが全てといってもいいくらいなのですが、どうも闇落ちみたいな感覚になると、妬むのが普通みたいになっちゃいますね。

心理的にはシンプルで、自分がうまくいってないから人の不幸を望むというだけですね。これは強力なパワーにもなるので、まあそういう人と、そういう場にはいかないし、関わらない方がいいです。単にエネルギーを吸われるだけなので、あなたのパワーはもっとポジティブなものに使ったほうがいいよということですし、僕もそうしています。

最も仕事としてネガティブなところでパワーを受けてしまう人もいるでしょうが、それはプロとしてやれるように引きづらないし割り切れるのがプロだと思っています。カウンセリングとかそうですよね。コーチ的なこともそうかもしれません。僕はやらないですが、そういうプロはのぞくとしても、自分が気持ちよく話せる場、仕事仲間、関係性をどんどん作るとそういう社会イメージになりますよね。それだけなんじゃないかなって思ったりしました。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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