「勉強法が変わる本 心理学からのアドバイス」が面白かった

岩波ジュニア新書ということで、高校生がメインターゲットですが、全然面白かったです。いいですね。

気づきメモ

ざっとですが、気になった点や面白かった点を書いていきます。

少し考えてポンと出ないなら分からない

簡単な問題なら,頭だけで考えてポンと答えを出す.むずかしい問題なら,頭だけで考えて,結局わからない」というパターンに陥ってしまっている生徒は,ぼくの見たところものすごく多い

勉強法が変わる本 心理学からのアドバイス 位置: 243

これって頭の使い方とか、考え方の話なんですけど、著者が実際に相談を受ける学生とかからのネタですね。正解や頭に既に「答え」があって、そこに紐づくから「分かる」と思っている人が多いのではないかということを少し考えました。

アイデアでもいえそうで、アイデアが苦手とか、アイデア出しが苦手な人は正解思考で、唯一の何かがあると思いがちなんですね。前少し書きましたけど。

ここで大事なのは、最初考えても「んー?」となって分からないわけですよ。でも考えてこうすればいいとか、まず整理してみるとか、そうやって「すぐ分からない」ことに対して免疫とか体制があるか。そこなんですよね。

そこが勉強、とくに義務教育的な学校の話になると、この免疫とか体制がある学生は多分勉強が出来る、結果的にですけど。ここで諦めると思考が面倒になると。これ別に大人でも変わらないわけで、すぐ諦めちゃうって人はここに「ポンとすぐ分かるとか、アイデアが見えるとか」って思っちゃうのではないかと。

当然これは「うなれば絶対分かる」とは保証がないので、リスクです。だからこそリスクを引き受けることで、見える世界もあるのですよねってことが理解できたり見えると面白いのではないかと。

なんで考えようとしないかは、面倒くさいから

一般的には,図を使いながら算数や数学の問題を考えようとしない子どもが少なくないのは,すでに述べたとおりである.なぜだろうか.理由は簡単で,「めんどうくさいから」か,「どういうふうに書いていいのかわからないから」である。

勉強法が変わる本 心理学からのアドバイス 位置: 251

これはもうそのままですけど、面倒くさいからというのは大人でもあるわけですよね。少し考えたら分かりそうなーというとき「その少し」が耐えられないのだ、もうイヤイヤイヤ!なのだ(笑)って。それはありそうだなと。

次に「どうやっていいか分からん」というのもあると。これは解法とか、考え方が提示されないから分からないと。まあ分かるんですが、これ全くゼロってことはないと思っていて。とはいえ、ゼロではないが、どうしていいか分からない気持ちも分かるので、この架け橋みたいなものって何になるのだろうかなって自分に引き付けて考えてしまいましたね。

面倒な人は多いと思うわけですよ。工数がかかるし、その分やらなきゃいけないことが増える。あと、そしてそれをどのように書いていいかも分からないから、二重でやらないってのが大きいですよね。

アイデアでいえば、自分が考えたアイデアをそのまま頭で考えて書き出さないとかも普通にあるあるなのかなと。億劫なのは分かるんですが、それではあまあ考えが深まることはないのかなと感じました。

この書きながら考えるというところでは、

「人の話を聞いたり,自分の考えをまとめるときにメモをとる」「数学の問題を図を使いながら考える」などというのが「手を使いながら,頭を使う」ということだ.これらは,一見めんどうなようだが,大きな威力を発揮する.しかも,慣れればそれほどめんどうではなくなる.その有効性を肌で感じて,習慣にできるかどうかは,中学校や高校時代に習得してほしい大切な課題であるとぼくは思っている.それは,単なる勉強のテクニックを越えた学習と思考のスキル(技能)なのである。

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そう、ここでメモなんだよなというわけです。そこで学習が始まっているのだけど、メモしているところは「学習」ではないと思っている人もいそうかなと。まさにその時という感じ。慣れるまでが大変というのも分かるので、そういうことなんだよな。身に付けてしまえばそうやって考える癖がつくので楽できるというか。ってところまで、学習の仕方ってやはりあるのでそこが大人の役割だなとも言えそうですね。

自分が分かっているかは、説明すれば分かる

自分がわかっているのか,いないのか,どうももやもやしているというときに,説明できるかどうかでチェックしてみる というのはすごく大切な勉強法だ。

勉強法が変わる本 心理学からのアドバイス 位置: 1008

これ面白くて。

説明するって学んで理解していれば出来るんですよ。だから、人に説明していて曖昧な部分があれば、そこは理解が怪しいと。なんでだろと気づけるわけですね。

もう少し書かれていることを噛み砕くと、例えばこれって壁打ちとかと同じだなと。自分が考えていることはこうですーといってみる、それに対して「あーその説明はここが理解が怪しいかも、これ知ってますか」みたいなフィードバックが来る。そうやって相談者は説明することで、自分のアイデアや理解がどこまで出来ているかを明確にできるといえる。曖昧なら曖昧であるといえるし、どこで分からないかも見えてくるってわけですね。

一人で出来る必要はなくて誰かに話せればいいわけですよね。で、まあ僕はそういうことを仕事にしているので良かったら使ってみてくださいというのは宣伝です(笑)お問い合わせから「壁打ち希望」と書いてお送りください。

もう一つ面白いのは、本書では、日常モードと学問モードと言っているのですが、モードが違うと。日常的に分かっている、例えば犬って何か分かっているよ!って思うわけですが、学問モードで説明すると結構難しいわけですよ。犬の定義なんてしないし、分かっているものとして処理していると。でも、学問、そうこれは勉強の方なわけですが、数学が日常にあるかというと別にそうでなくて、だから「日常に役に立つんですか」って疑問が上がってくるわけです。純粋ですが、ちょっとそこは最初は乖離があって、埋めていくとか、一旦そのままにしておいてという「抽象化」「保留化」というテクニックがいる気がします。

そのテクニックはおいておいて、日常モードで分かるーみたいなことを具体レベルでやっている人ほど、抽象的なところとか、学問的な意味で、理解や説明が危ういという気がします。乱暴ですが、友達と会話してツーカーで回しているだけみたいな。そうすると、大人とどう話していいか分からんとか、パターンがないのでどう振る舞えばいいかも分からないと。そういう意味で物事への興味とか、社会への理解って面白い大人がいることがまさしく良いのかなとか思っちゃいましたね。

もっといえば、自分の考え方を示すなんて、学問的であるわけですよ。でも、日常で「私はこう考える、だからこうしていきたい」ってなかなか言わない、話さない。すると、学問モードが衰退して、日常モードでツーカーで知っている人だけで過ぎていく。それを否定しないのですが、学びは減ると思います。違和感、異和感ですね、というのがなくなると、コンフォートゾーンになって何もしなくてもキープでいいと。それがすなわち学びの衰退というか、面白みはないですよね。

学びとは教訓を引っ張り上げること

教訓を取り出すということは,「その問題解決の経験から得たポイントを確認しておく」ということである。

勉強法が変わる本 心理学からのアドバイス 位置: 1770

これはしびれました。確かに数学の話で説明しているのですが、解き方が分からないとかでもいいのですが、その時に出てくる「こうするといいのではないか」「こうやったら次はできそう」みたいなものを気づきですよね、教訓と言っていると思います。スキーム(スキーマ)などの再構築と言えるのですが、誤ったスキーマ=考え方や解き方をうまく修正していくと。

当然同じ問題はない=具体的にいえば数値は毎回違うわけですから、のでそこがまさに教訓化、抽象化といえそうです。苦労するからこそ学べるというのは「苦労」を美化するわけですけど、まさにこうやって自分で考えて気づいたからこそ得られる果実だと思います。これは否定できないし、まさに学びそのものだと思います。練習は裏切らない系ですね(笑)

教訓として何か言えることはないか、それが本当に何もないならばそれは学んでいない、新たに刺激はなかったといえます。読書とかもそうで、こうやって僕が気づきを書いていることは「真」の意味で、「あーこれは知らなかった、こういう視点もあるのか、なるほど!」というから書いてるんです。そうでないと、書けないわけです。という意味で僕の頭の中のメモでしかないのですが、こうやって気づいていくのだという実践でもあるんですね。つまり、学び方の本で、学んでそれを学んだというメタ構造があるわけですね。ややこしいですけど(笑)

そうやって得た教訓はメモするのが良いと筆者は言っている気がしますが、メモして再度近いことや似た問題や、全く違う問題で「あれ、これ使えないか?」で再度定着させる試みをすること。これがまさに学びの醍醐味、使ってみる、駄目ならまたやってみるということになるかなと。

人は考えるために書く

くり返すと,人は「考えたことを書く」のではなく,いわば,「考えるために書く」のである. 書くということを通じてこそ,人は自分の考えを進めたり,新しい考えを出したりできる.逆に言うと,考えがまとまらないとか,進まないというときには,書いてみるのがいちばんなのである.しかし,それがわかっていながら,人はなかなか面倒くさがって書かない。

勉強法が変わる本 心理学からのアドバイス 位置: 2376

これは最後の小論文の書き方みたいな話です。興味ある人はここだけでも面白いのでオススメです。確かに小論文って独特な感じがしますが、意見を考察するというところではわりとトレーニングとしては優れている気がします。僕も昔やったことを思い出しましたね(笑)

ここで、先の図で書きながら考えるとかありましたが、数学でもなくて小論文でも同じということです。正解的にすぐにある、頭の中にある何か概念を出す、のは楽ですよね。それは実は少ないと。多くは「分からん」状態で「では、それこういうことがいえるかもな」と頭で考えるとは、書くことで考えを出していってというわけです。まさに僕が書いている、この時点でこれは発動していて、僕の頭の中には色々とそういう気付き、こういうことがいえそうだが、色々と出ているわけですね。それをキャッチしながら書いているわけです。

失敗すると全て入れると散らかるわけですが、ある程度小見出しレベルでいけばそこまでひどいものにはならないはずです(笑)

ここで書いてみるのが一番のはその通りかなと。一方でこれをアウトプットすると書くことでその考えていることがバレるというか恥ずかしい人もいるんじゃないかなと。自分が底が浅いというか(笑)そういうことがバレたくないってまああるわけですよ。自身のなさとも比例しそうですね。自信がなければ書かないし、あるから書くというか。

そこで打たれ強さというか、免疫の話につながる気がしますね。思考の免疫とかですよね。

そしてこれもアイデア的にいえば、アイデアって書くと出てくることも良くあります。スケッチで描いているとアイデアが出るとかもあるわけですが、そういうのと全く同じです。書くことで、頭の余白が生まれたり違うものとリンクしていって、余白や余地が別の概念とリンクして、違う考えになる。

だから、書くのは身体動作としてあって、それが脳を刺激して考えがまとまったり、考えを生み出す。同時に頭を使うので書ける。つまり、身体性と脳をちゃんと使うと。このバランスが取れていると色々と楽しいです。逆にどちらかしか使ってないとなんかストレスやしんどいので、やはり体の反応、内なる声みたいなのってめちゃくちゃ大事なんですよね。休憩とかもですね。

おわりに

勉強法を知りたいとかではなく、学び方の本というところでかなり面白かったです。やはり上にメモしたように、アイデアと紐づけながらいくと、考えることとか、書くこと、教訓を得るとか、抽象化ですよね。そういうところが面白かったです。

数学がどーとかたまに僕が言っていますが、うまくハマるととても楽しめそうなので、ここは長期的に抽象化を磨くみたいな意味で数学で遊ぶ(数学でストレスを受けるとかでなくて(笑))みたいなところでさらにやりたいなあと思ったりしました。別に受験したり、数学コンテストに出たいとかそういうのはなくて。純粋に抽象化された式や概念で遊ぶとかって僕は思ったより嫌いじゃないはずかなと思い始めています。

勉強の仕方が分からんみたいな人も純粋に参考になるかと。学びの理解を深めたい人も読めば何かヒントになるはずです。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は400超。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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