なにか決めて動く、振り返る、そしてまた状態を見直すということを繰り返して人生は決めていくのだと思う。

何かをやりたい起業したい、ビジネスを作りたい。こういう仕事をしたい。めちゃくちゃ良いのですが、その時に結果的にですよ、あまり絞りすぎると選択肢がなくなるし、広げすぎるとふわふわする、みたいなことが起きるのではないかと。
あまりカチっとまとまってないのですが、これありそうだなと思いまして書いておきます。
目次
何をしていたら楽しいか、面白いか、満足するのか?

ちょっと描きながら考えたやつなので汚いです。ごめんなさい(笑)
論点としては、
- 自分が関わるジャンルの抽象度(または具体度)
- 自分が作業ややることの抽象度(または具体度)
という2点です。その2点を意識してみると、意外に考えやすくなるのではないか。考えやすいとは、仕事とか働くとか、起業とかやりたいこととか。色々なことを決める上で、ということです。
関わるジャンルの抽象度
上でいえば、食って大きいですよね?そうでもない?もっと大きなものでもいいですし、食べるもの、といってもいい。まあそこらへんは適当ですが、ジャンルが大きいとぶっちゃけなんでもできるわけですよ。
食べ物を作りたいのか、食べ物を提供したいのか、食べ物に関する本を書きたいのか、食べ物の研究をしたいのか。食べ物、食べること、食だからどれもいけますよね?実際はそこまで広い人はいないはずです。
ただ「食に関することなら」なんでも仕事にできたらいい。「スポーツに関すること」「言葉に関すること」なんでもいいですが、そうやって決めたら別にそういうものって多くないですか?
僕はアイデアを出す仕事をしていますが「言葉」に関するともいえるんですね。アイデアは言葉でまとめています。こうやってブログ運営しかり、たまには文章執筆なんて仕事もしていますから。そういう意味では関わっている。または「IT」「プログラミング」に関しても全く消えてなくて、その論理性や考え方は今でも基本は変わらないと思っています。新卒の頃の感覚とは違うものの、原理原則は変わらないということです。「企画」「アイデア」に関することも似ています。アイデアを考えるのもいいし、アイデアを実行するのでもいい。色々ですよね。少なくとも何か決められたことをやるだけの仕事ってだけだと発狂するので裁量や余地としての企画があるんじゃないかと思っています。
ジャンルが具体的であれば、それはそれでいいかもしれません。食でなく、ハンバーガー屋さんとか、パン屋とかでもいい。漢方とか挙げてますがなんでもいい。具体的なジャンルを決めてそこでいけるか?ってことです。
例えばハンバーガー屋さんで働きたい人は何でそこなんですかね?では、食べるなら、ポテト屋さんでも、パン屋でもいいわけで。となるわけです。魚屋でもいいですよね。何にこだわってますか?またはこだわらないですか?そこが明確になってくると思います。なんとなくでも良いと思います。
ここで、当然ながら、食に関するーなどという方が選択肢は広いわけです。色々選べる。ただ、それぞれ提示された具体的なハンバーガー屋さんに対してこだわれないともいえる。逆にハンバーガー屋で働きたいのだという人はそこで熱量がでる(はず)なのでそこでやれるかもしれない。しかし、パン屋ではあまり働きたくないので選択肢は狭くなる。
どちらがいいというよりも、選択するとはそういうことであり、どちらもメリット・デメリットがあるというか。だから、最適なものなんてなく、その時で自分が考えて決めるしかないんですね。でも、特性というか、状態というか、抽象的な関することーと言っているのに、具体的に熱量を期待するのはナンセンスという感じです。また、具体的に決めているのに他のことができないというのも同様です。無理じゃないですかね?というか。無理じゃないようにするアイデアがあれば考えるのは全然良いのですけどね。
作業などやることの抽象度
今度はやることです。営業でいえば、営業をするのはいいけど、不動産業界でやるのか、製造業でやるのか。営業ができるなら何でもいい人は、フリーランス営業とかできそうですよね。いますよね。でも僕はそういう人に直接知り合ったことはあまりないです。知らないだけかもしれませんが。
例えば、プログラマとしてシステム開発はするけど、マネジメントはやりたくないって人はある程度いそうです。それは作業ややることを狭めているともいえる。一方でコダワリや特定をしているのでそこでやっているともいえる。良い悪いではなくて、そういう状態ということですね。
その時それで満足してそれでいいのだならいいのですが、100歳までプログラマはなかなか難しい。もちろんやれる人もいるかもしれないが、それは色々とやり方を変えていくしかない。例えば自分がやらずに考えて作ってもらうのはありですよね。でも、プログラマ、プログラミングとは自分で考えて手を動かしてコーディングをすること、という定義があれば(定義とはあなたの考えということ)それは受け入れがたいわけですね(笑)であればプログラマはできないとなる。そこをどうするか?
一方でマネジメントもやれるというかやりたい、やってもいいなら、広がります。しかし、マネジメントをやるとプログラマ的ではなくなる。それがいいかはおいておいて、そうやってやることの広がりがあれば、色々できる可能性も増える。一方で決めた、やりたい、特定のことができなくなる可能性もある。
やることを具体化したから幸せになれるわけでもなく、抽象化すれば幸せという簡単な話でもないんですね。
カフェが好きだからカフェで働くのか?
旅行が好きな人がいて旅行会社で働くは安易ですよね。短絡的です。なぜかというと、旅行自体は好きなのはまあ楽しいからですよね。でも毎日旅してたら飽きるだろうと僕は思ったりします。非日常になるのは、日常があるからです。ある程度日常は安定しているというのがあるから面白いのですね。
旅行自体は好きでいいのですが、旅行会社とは旅行をあなたがするのでなく、お客さんにしてもらう。企画や提案、あとは営業、あとは添乗員などプレイヤーとしておもてなしをするみたいな感じですよね。添乗員としてもどこかいけたらいいのかもしれない。でも、お客はわがままで景色も楽しくないかもしれない。どうします?
カフェが好きな人は多そうですが、そういう人がカフェがやれるかは別ですよね。少なくともお客としてそりゃ好きなのはいいわけで、否定しないです。一方でそれを仕事としてカフェ空間を作りとなると、それは趣味ではないですから、お客の要望にこたえる、あとは満足してもらうためにしていかないといけない。感じが悪くないようにしないといけない。それ当たり前ですが、そういうことが求められますよね。
好きだからやるはあってもいいけど、きっかけ程度なのが無難です。それで興味を持つアンテナや好奇心となる。それだけです。実際に働いてみたら違ったなんて山程ないですか?そこですよね。そうやって経験してズレを修正したり、イメージを蓄えていくのがいいのではないかと。
好きとこだわりは似ていますが、こだわりはもっと強いというか。こだわるからそこから動かないとか、広げないというのもあるわけですね。
何かを決めてやってもいいが、常に余地や余白を残す
矛盾はするのですが、特定のジャンルでこれをしたいはある程度やっていくと見えるのかなと。決めないと動けないのもありますからね。
一方で、それをやればいいのだで終わらないというか、他の余地を残しておく必要があるのかなと。余白がないとしんどくて、それだけやってたら終わりってなんか虚しい気がします。少なくとも僕はそうですね。
ということは、ふわっとしますが、
- 何かを決めてやる、これいいな、違うなを得る
- 次に似たようなことをやる、または違うことをやる、または全然違うということをやる、そういう余地を残しておく
- 抽象化ではないが、やってきたことをまとめて、再度考える、振り返る
- また繰り返す。決めてやる、振り返る、拡げる。
みたいなことを繰り返すしかないんですね。その量と回数な気がします。ループ数というか。
それらをやっている人は多くは幅が広くかつ色々やっているので知っているような気がします。それが出来てない人は、特定のことにこだわるが色々知らなかったり、応用が効きづらいのかもしれない。それが駄目ではないです。
ただ、多くのことって、単純に何かできる→実際にできる、というわけではないような。例えば、ライターなども文章がかける→書けたなんて話でなく、コミュニケーションから、言葉への興味、人への興味関心、今までやってきたことなどが当たり前ように掛け算されるんですね。それは短期戦ならわからないのですが、長期戦になると見えてくる話です。
長期戦が人生の基本ですから、マラソンですよね。すぐ終わるなんてない。だから焦って何かするというよりは、数年単位以上で見ていった時にどうなっていくか。という意味ではすぐどうこうするのでなく、ゆっくり考える時にふわっとでもぼんやりとでも、今回のネタがヒントになれば嬉しいです。
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