サイゼリヤ本からの気付きメモ

サイゼリヤ本(サイゼリアって発音しちゃってる気がしますがそこは気にせず)を読んでのメモです。

ネットで話題という感じで面白かったので文庫本を注文して読んでみました。気づきは多く学びになりますね。

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気づきメモ

以下のページ数は目安です。

自分のアイデアは大したことがないと思え

P.8にかかれていた、「自分の店の料理はうまいと思ってはいけない」というのは売れない理由をお客が悪いとか、景気のせいにしてしまうからという話です。

面白い考え方ですね。確かに誰かのせいと他者、社会を言い訳にするということになりやすいなら、「自分の店の料理はうまいのは絶対だ。来ないのが客が悪いのだ」と考えちゃうんですね。

飲食店経営についてどうこうはないのですが、ここからメモしたのは、アイデアも一緒じゃないかということです。つまり、優れたアイデアやビジネスアイデアを出せると僕は決して思ってなくて、それは目の付け所とか、組み合わせ方、同じものを見続けたみたいなある種の状況特定突破みたいなニッチであり瞬間芸みたいなものだということです。

アイデア自体で非凡になり、特殊になり個性を出すみたいなことをもしかしたら考える人はいるかもです。それを目指すのはいいのですが、僕は全くおすすめしていません。

なぜならアイデアという粒度やその概念で他と違う何かにするのは難しいからですね。ITや時代が進化することで、想像したことも結構簡単に形にしやすくなりました。またそれが進化していくと、形にするスピードすらさらに早まってしまいます。

そうなると、小さい、とりとめもない概念で戦うよりも、もう少し長い目で見て形にしていく過程であったり、作り方であったり、何が特徴かをじっくり考えるほうが価値となりそうです。逆に言えば一発芸でありすぐ短期に何かアイデアを訴求するのがミスジャッジであって、長い目で粘っていけば突破口が見える、別アイデアや形に結びつけるのではないか、むしろそれが王道なのではないかとすらと思っています。

自分のアイデアの平凡さに気づくとそこで落胆する人もいるかもしれません。実際に非凡な人はいるかもしれませんから。ただ、良いアイデアというのはそれだけでは評価しづらく、誰が使うのか、誰が評価するのか、どのタイミングで使うのかなどが考慮されないといけません。

だからこそ、自分がアイデアに対して良いと思うのはとりあえずどっかにぶん投げてしまって良くて、誰かの役に立ったか、幸せにしたか、ためになったりヒントになったかどうか。そこから転じて、その他者利益が増えれば増えるほど、実はアイデアの価値は高まるということですね。

自分が奢らないためにも、ちょっと結果や成果を出しても、もっといえばすごい結果を出しても奢らない人はいると思いますが、そうやって見るべき測るべき基準を自分がどうでなく、人がどう思ったかにしているのかなと感じました。もちろんこれは人がどう思うかに左右されて生きているのでなく、あくまで内製プロセスは自分が収集したり気づいたネタを集めていき、そのアウトプットは別物で出てきたもので勝負、あとは顧客の判断という流れです。

最初は自分が産み出すが、生まれたものは自分が評価するのではないというわけです。これはある種作品もそうでしょう。クリエイターが作る作品は自分が世に出した瞬間に自分のものではなくなる感覚と同様かもしれません。

この自分が作るもの、仕事に対してこだわりを持つのはいいけれど、その評価は実は自分でいいとか悪いとか思ってもいいけれど、実際に手にする、評価する人次第であるというのは、結構慣れないと分からないのかもしれません。少なくとも自分が絶対うまくいくというもので、全くうまくいかない経験がないと得られないのかもしれませんね。

自分で仮説を立てて考える。正解はないので、自分で「考える」のがめちゃくちゃ大事

P.42 学べる店舗を見て仮説立てて自分で考える。この時、考えることが大事で店舗とかに仮説が正しいかを確認することはない。

これはめっちゃポイントかなと感じました。そもそも正解があると思ってる人は多いと感じているので。そんな正解があることって稀だと思っているほうが色々と考えるきっかけになるというか。疑ってかかるくらいでいいのかなと。

上の話では、飲食店で競合店を見る話だったと思いますが、そのときにこれってどうなのか、何が起きているのか、面白い点や感心した点、工夫したり改善する点などを見て観察して考えることということですね。

なんでも一緒だと思いますが、考えるのが大事で、さらにいえば、小さいポイントでもいいのでそこを自分で見つけたり「もしかしてこういうことなんじゃないか」って自分で気づくことが大きな学び、超感覚的には「脳のシナプスが何かと結合してバッチバチと音がする」(笑)感じです。それくらいの脊髄にガンガンくる気づきってあると思うので。

ナガシマパイナポーさんの記事で書かれてた気づきともリンクするのかなと思ったり。「変化=仮説」であって、「変化を与える=仮説の検証」になりえるという気づきのことです。自分で考える、思ったことをどううまく取り出して発言する、行動するなりして、それを検証するのがかなり大事ということですね。

プロゲーマー梅原さんのメンタル指導と技術指導とはで書かれているのは、自分のプレイが上手く行かない、上達していないことに関する考察です。簡単にいえば、上達できないのは「コントローラーが悪い」と考え、ゲームパッドでなくアーケードコントローラーのほうが上手くプレイできると思ったと。しかし、練習したらアケコンは使いづらくて上手く使えず。その後パッドに戻したら、「コントローラーが悪い」という雑念が消え集中ができ、慣れているから使いやすいというややポジティブな感覚にもなったという話。

この時、コントローラーが悪いという話は一つの例に過ぎず、パッドが悪い→アケコンが良いならそれを試して「変化をさせてみる」ことで、気づきを得ることが出来ているんですね。もちろんここでは変えたことで何が変わるかを検証する視点が大事なわけです。

街を歩いていて犬がへばって地面に伏せていれば余計暑いのではないかと思うかもしれないが、実はひんやりして冷たい場所なのかもしれない。行動全てに理由があると考えてもいいし、全く気まぐれな動きをする人がいるかもしれない。

傘をささずに雨に打たれる人が多ければ、それが夕立や突発的な雨でなくても、「それは夕立」だと考えることができる。あえて傘をささないエリアがあるのかもしれないし、小ぶりだから差していないだけかもしれない。

ここで大事なのは正解がないということで、正解を求めるのは意味がないということですね。つまり、考えて何がどうなっているか、こうすると次はこうなるかもしれないと考えること。そうすると、得られる情報や見られる立体的というか色艶がもっと増える気がしました。

そしてもっと大事なのは、同じものを見ていても誰も同じ感覚であるわけではないので、学べる人は何でも学べるし、そうでない人は気づけないという真理ですかね。これはトレーニング次第だと思うので才能とかではないのは言うまでもないです。

普段日常と非日常の使い分けは大事

P.53 大商圏と小商圏の話。日常使いで安くというところかなあみたいな点。

日常使いや普段遣いと、非日常のそれは違ってくる。どういう頻度やレベルでやるかという意味で、例えば毎日うなぎはつらいけど、たまには食べたいみたいな感じで。一方で毎日味噌汁はいいけど、たまに味噌汁のも辛いというか。

普段やっていることは小さいことであっても、それがたまにドンと大きな塊となったり、毎日の積み重ねって小さいから上手く成立するのかも。毎日大きくは消化不良みたいな感じで捉えてみた。

ビジネスは楽との闘い

p.122 ある意味ビジネスは心を磨く修行の場のようなもの。楽との闘い。哲学者や宗教家になってく感じ。

倫理とかそうかもしれない。楽したいってのは自動化的な効率化的な意味でなく、単なるサボりとかって感じの意味で。

ビジネス=金儲けのみだと倫理を置いてけぼりにすると、詐欺とか反社会的なこととかやりたい放題になるわけだなあと。当然なんだけど無自覚でいたら終わると。

一方的な搾取構造みたいなものも、ブラッキーな企業とかも同じ感じがする。倫理って学ばないと無理なところか。

逆にいえば、小なりな倫理でもあればそれがスタンダードでない人には神様に見える。当然こういう心理を知っていたりするのはいいんだけど、悪用しちゃ駄目なんですよね。

楽と闘ってそれを乗り越えるというか、その先に何家があるかもしれないし、全くないかもしれない(笑)見てみないと分からないですね。

ビジネスに正解はないし、というか多くのものに正解っていう決まった何かはないということに気づけるだけでも良書かと。

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