世の中やはりお金なのかどうか

僕なりのこの答えは、お金の重要性はだんだん減っていくので、どちらかといえば精神性、人生への満足度などより主観的なものさしが重視される。相対的に。というもの。

お金が大事でないというと、資本主義の否定みたいになってしまうが、仮に否定しても生きていくのは本能レベルであるのでそこはなんとかしたいと。イヤイヤ仕事をするのもまたどうなのかというところで、結果的に「人生は暇つぶし」だという高邁(笑)な思想を掲げてもなんでもいいので、結果的に自分に返ってくる。

よって、自分がどうありたいかは自己満足とかとは全く違うレベルで考えていって満足するようにしつつ、社会にもそれなりに関わっていくのがベター。

というところまでいえば、お金は社会性をつなぐ意味では持ちつつも、それだけではないよねというのがひとまず結論となる。

いくつか考えられるお金との関係性を考えてみます。

仕事はお金なのか

シンプルに年収の見方。ただこの「年収」もサラリーマン的な視点ではある。なぜなら自営であれば、年商でしかないからだ。売上という意味の年商がいくらあっても、経費がかかりすぎれば赤字となる。なお、個人事業においては売上から経費とあるときに、経費に人件費は入ってこない。もちろん、個人事業でも人を雇うケースは別だが、一人でやっているならそこはない。この感覚はサラリーマンでは全く未知ではあると思うので、経験したい人はそれだけの意味でやってもいいと思う。会社を辞めろってことではないけれど。

お金というのは大事だ。ただ、仕事=お金で見ると色々と弊害が出てくる。一つは、金額が低い仕事はすなわち価値がないとなることだ。年収が高いと良い仕事はかなりまずい価値観だと思う。それだけでは測れないからだ。面白いのはおそらくだけど、年収が高い人ほどそのリテラシーは高いはずと思いたいがこれもまあいくらでも反証がありそうなので、仮説くらいにしておいて、その分のリスクを抱えていると思う。

一方で安くてもこき使われることもある。自営的にいえば、なぜか報酬が低い仕事が注文が多いことがある。逆である。世の中とは不思議なので、このあたりの妙というのは、目にして肌にして感じていくのが経験を積むということかもしれない。

お金のみで見ていると、その仕事がお金にならないなら即切り捨てるし、お金になるなら何をやってもいいとなる。おそらくそうはならないのだが、お金のみは非常に危険だということになる。倫理的でもない、反社会的なものとかもやることになる。それはまあないと思いたいが、貧すれば鈍するというように、思考もまずくなることがある。

もし、あなたが仕事はお金だよねという価値観やマインドセットがあれば結構それを覆すのは大変だと思う。もちろんお金に苦労したからというのも分かるというか、そういう理由をいくらいってもいいが、多分結局その直後かしばらくすると、「お金だけでは満たされない」ので、精神的なことや充足など見えないものに求めるのだと思う。もっといえば、稼いでも稼いでも満たされないかもしれない。

幸せの青い鳥ではないし、隣の芝生は青く見えるでもないかもしれないが、あとはコンサルト漁師の寓話かもしれない。それくらい自分の状態とはわからないものだと思う。

その上で、どう折り合いをつけていくか。そこがポイントとなる。

寄付はお金か

この問いかけはややおかしい。ただ金額の多寡かということだ。

これは寄付を受ける側はさすがに多く言えないだろう。ただ大口寄付者にはそれなりにというのもまあ当然ともいえる。ただ寄付額が少ないから無碍に扱うことはできないだろう。

当然1000万円払う人は素晴らしいと思う。一人でだ。しかし、100人で10万円ずつ払えば1000万円なのと、影響という意味では大きくなる。人はネットワークとして社会性があるのでそこから情報が広がったりするし、当然ポジティブなコミュニティも出来たりする。そういう可能性がある、社会性があるのは後者だと思う。

だから一人の高額寄付者が駄目とかではなく、あったほうがいいのは後者のモデルなのかなってくらいの話だ。

寄付をする側も高額ではなく、気持ちとして気持ちがお金に変換されるのはなかなか面白いのだが、そのような金額の多寡は関係ないだろう。仮にあるとすると、上のように運営側の懐事情みたいなレベルでの話くらいだろう。

お金は使ってなんぼか

おそらくそうだと思う。というのは、もちろん将来を考えたり未来に対して備える貯蓄でもいいし、資産でもいいがそれを持つのは別にいいと思う。ただ、バランスとして使ってない、今我慢をしている、みたいなことが多すぎれば微妙だろう。

例えば、若いうちに旅はしたほうがいい。コロナ禍ではきついが、経験として若いうちのフレッシュな時の旅と、年齢を経たあとの旅はいわゆる経験値が違うので感動も違ってくる。当然感動はするが、ということで年齢はやはり大きい違いだと思う。

理屈では年齢に関係なく柔軟な考えがあれば、70歳でも20歳のように捉えることは可能だろう。が、知っているからというどうしても知っている感が出てしまうのだ。これが年を取るということで、良い悪いはない。

資産を作るとか、色々と稼げるようにするというのはもちろん良いと思うが、それだけでなく、何に使うか。もちろん無理してローンや借金をせよということでなく、ここぞというときには使うとか、価値観とかこれは譲れないものは投資するとか、そういうメリハリがポイントだと思う。

つまり、貯めて終わりはなくて、貯めて使うというサイクルがないと、貯めっぱなしで終わる。お金を使っても減らないとかなら別だが、多くはさすがにそこまではないだろう。貯めるのが趣味という人もありそうだが、貯めて安心しても、結局は使う経験値がないとうまく使えないものだろう。ここもやはりバランスだと思う。

お金を稼ぐ抵抗があるかどうか

自営などではありがちな、お金を稼ぐことに抵抗がある人は多い。自営だからでなく、サラリーマンであったり、ボランティアであったり、なんでもいいが、自分で直接提供した仕事やビジネスでお金を得るということが「もっとやりたい」と思えない人が多いということだ。

悪く言えばこの抵抗が多いと、自分でやることはやりづらいので、自営などには向いてない。当然ビジネスをやることは難しい。一方、抵抗が少ない人は向いている。なぜかこういう抵抗が少ない人は、お金儲けが上手いとか、ビジネスセンスがあると言われるのが、あまり評価を受けないことがある。

なぜかというと、単純に多数と少数かと。つまり、ビジネスをやるとか、事業を興すとか、そういう人が単純に少ない。10人いて一人いればいいなら、9人は「抵抗がある」のだ。そこで語られるなら当然そちらに傾く。それだけかなと思う。

抵抗をなくすには、いきなりなくすのでなく徐々に慣れていくのがいい。少しの仕事というか自分がやったことでバーンアウトしないように、ステップでやっていくのをおすすめしたい。少しやったら少しもらう、次はもっとやったらもっともらう。

分かりやすいのは請求したり、お金の話を、仕事をする時に交渉することだろう。これを嫌だとか、出来ればやりたくない人は結構いると思う。面倒くさかったり、あとは相手に「こいつはお金を取ってくるやつだな」とか変に思われないかと思ってしまうからだ。

これは非常に分かるものの、生活のためとか、色々言い出すとそういうことは文字通り言ってられなくなる。ただこれもプレッシャーで追い込んで出来ることもあれば出来ないこともあるので、自分の性質や性格をうまく考えてハックしていくくらいが丁度良いと思う。例えば、どうしても苦手だけど、サラリーマンは向いてないなら、仲介者を用意するか、営業を誰かにやってもらうことだ。こういうやり方は試行錯誤の上なら結構うまくいくと思う。

抵抗がないならそのままGOなだけで、とくに問題はないだろう。ただ稼げる=偉い=天狗になるというケースも見られると思う。どちらかといえば、悪くなった、うまく行かない時に、どうするかのほうが人は本性が出やすい。うまく言っている時は友達同士の起業でも全然いいのだが、悪い時に責任を取りたくない、俺は仕事を取ってきてるのにあいつが駄目だとかそういうレベルの低い話になるだろう。状況がまずい時こそ試される。

あなたがうまくいってないみたいな時こそ、実は試されているときかもと思えば、結構面白いと思う(笑)もちろん本当にまずいならヘルプを呼ぶべきだが、これは自己啓発的な程度で。

お金から逃げられる世界はバラ色かどうか

経済成長しない世界において安定性があり、かつ仕事という概念がより自己充足や他者貢献となっていくと、スポーツや趣味のようなものになる。もちろんこれはスポーツがプロではないという意味でだ。

ついつい自分がやってしまうもの、山口さんなどはこれを確か高原社会だとか、コンサマトリー(自己充足的な)といっていたはずで、そういう感覚になれば、お金の不安からは消えている。

これが資本家だけとかビジネスで成功した人だけの「高み」ではなく、別に誰もが持てうる世界はわりと理想ともいえる。当然、人は欲が出るので、何か違う問題も出てくるだろう。例えば恨みや嫉妬で育った人はそのように振る舞うがそれはやはり持続出来ないだろう。多くは経済成長をするとか、売上や数字を出すことが楽しい人にとってはこういう世界観は結構しんどいかもしれない。ただ価値基準が変わるとはそういうことになる=変化となるので、ある程度最強最適といえるのは、柔軟な考え方OSを持っているということなのかなとも言える。

不安になるからお金に貪欲になれるは一見良さそうにもみえるし、それを確実に否定するわけではないが、それによって振り回されたりバランスが悪くなったりは正直きつい。一方でここまで考えれば結局人、あなたがということでもあるが、なんで生きているかという哲学になる。その哲学として決まった答えはないのだけど、ある程度他者貢献や自分が楽しいということをやったほうが「いい」わけで、そういうふうになっていくと、結果的に自己充足的な(自己満足ではないので注意)ものになっていくのだろうと。

仕事を何かしら目的としてやっていない、人生も何か目的があるとかではない。それってとてもふわふわしてそうだが、実際はそこまで「こうなりたい」「ああなりたい」が要るのかというと、そうでもないような気がする。なぜなら希望や目標を掲げればそれを意識せざるを得ない(口だけでは意味がないが)ので、そこに向かっていく。その理屈は分かるし、夢ややりたいことがあるのは大いに結構だと思う。一方で、それを掲げなければ生きてはいけないはまた筋が悪いものだなと。

もちろんなんでも自己充足であれば何をしていいって話でもない。このあたりのバランスが難しいところだが、意識として目的が顕在的にあるのもありだし、潜在的に充足していく内省的なものがあるバランスがあるとする。すると、今後は内省的なものが相対的にだが強まっていくのではないかなと。

当然社会的にそういう認知が増えそういう思考をする人が増えないと変わらない印象だが、まあこれは自分の生き方と社会を照合していけばいいだけで、中長期的な話ではある。

そして、お金のことを考えなくていいは、食いっぱぐれない、死なないから幸せともいえる。だがしかし、そういう実現をした人にはそれで幸せかは別だろう。幸せは常に相対的だからだ。次の何かが満たされないと意味がない。だから、自己充足というのは強力なことというのがここでは言っておきたい。バラ色なんてのものは実はない。あなたが満足するかどうか、僕が満足するかは全く別の次元なので、比較というのがナンセンスになるともいえる。それをなんとくなくだが、多くの人は怖いのではないかと考えている。

見える価値や分かりやすいなにかを求めてしまうからだ。多くは見えないし、わからないし、知り得ない。なんでも知っている人はいないからこそ、このあたりの認識がとても大事といえそうだ。

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