人のためになるから価値となる。その後にお金となる。

人のためになっているものでなければ価値にはならない。価値となったからといって全てお金になるとは限らない。ということもいえる。

簡単にいえば、ボランティアは人のためになっているが、お金にはなってない。もちろん金銭的報酬という意味でしかない。

またビジネスは人のためになり、かつお金になるという枠組みといえる。

シンプルにボランティアはしたいがビジネスはしたくない人は結構いると思う。また仕事はしたいがビジネスはしたくないという人もいる。このニュアンスは仕事はなにか労働的なことをしてお金を得たいが、自分でなにか生み出してということはしたくない程度の意味だ。

ただ、これは視野の範囲で、会社にいけば仕事があってそれをやるとお金がもらえるのは「そのとおり」だが、そもそもなぜ仕事があるのか、あその仕事に誰かがお金を払っているので売上となっているに過ぎない。そこを見ずしてこれらのことを考えるのはなかなかきつい。だからこそ、その顧客→お金を払う→会社→働いている人に支払われるでしかないのだが、これがなぜか働くとか仕事をするという従業員の立場でしか見ないと (その顧客→お金を払う→)会社→働いている人に支払われる と括弧書きになり見えないわけだ。

これはもう仕方がなくて立場や違うことをやるしかなさそうとも思う。別に悪いわけではない。例えば複業でもいいので自分でなにか仕事をしてみれば一発で分かる。一回でもいいのでやれば分かる世界というだけだ。

人のためになることとはなにか

哲学的ではなく、単純に役立ったと顧客や対象者が言ってくれればいい。嘘をつくケースももちろんあるだろうが、本音だとすればそのとおりだ。というよりもその嘘かどうかというシーンはそれほどないわけで、道に困った人を道案内すれば「人のために」なるだろう。

では、その道案内を仕事にできるかどうか。

警察なり交番にいれば道案内も仕事だろうが、ただこれは「道案内」の仕事をするためにいるわけではない。市民サービスというか市民を守る一環でしかないはずだ。その中の一つに過ぎない。実際に警察は税金で賄われるわけで、市民はある種お客様となる。

道案内を仕事にすることは本当にできないのか?例えば、旅行やガイドなどはそれに近いだろう。道案内の範囲や場所ややり方を変えればいいのだ。

またなんにせよそれを望む人がニッチであれなんであれ、確実にいることが求められる。これはリリースしようが営業しようがなんでもよくて、その人がいなければ成立しない。つまり「道案内を求めている人」だ。それがあれば価値の提供としては成立する。

ただ面倒くさいというか分かりづらいのは、「道案内を求めている」のだけど、実は大体場所は分かっていて細かい点が分からないのか、不安だから話したいだけということもある。これが人間の分かりづらさだ。合理的ではないのだ。だからきちんと調べていく必要がある。社会を理解し、人を理解しないといけないとなるわけだ。

価値はどうお金になるか

これも哲学的なことではない。

先の道案内をした人から通常社会通念(笑)としてはお金を請求するとまあ嫌がられるだろう。ガイドを頼んだら旅行先で普通はお金を請求されるだろう。ボランティアガイドというのもあるかもしれないがそれはスルーする。

いくつかがあるが、まず上の話でも分かるが、お金を払う状況だったり、文脈として払うのが適切かというのがある。ここで払うとか文脈といっているのは当然習慣みたいなものあるし、文化もあるだろう。

道案内という役務といったほうがいいが、同じことをしたのに、警察は別でお金をもらっているわけだし、道案内をただしただけの人は良い人でしかないだろう。また旅行ガイドの道案内はここでは旅行ガイドとしての道案内であるとして業務範疇かどうかはあれど目的地や観光地でなにかするならまあお金はもらえるというか仕事としてやるだろう。イメージは人力車のお兄さんなどにお金を払うわけではないが、道案内はもちろん聞いたところで爽やかに教えてくれるだろうくらいだ。

つまり、役務として提供する仕事が同一でも状況で変わる。これは誰しも消費者として体感しているはずだが、なぜかサービスやビジネスサイドになると忘れてしまうのだ。おそらくこれはビジネスサイド側に立った上でそのビジネス経験が少ないからと思えるが、人はそう合理的に動かないというのもあるだろう。

それほど酷いとは思わないが、短絡的にこう考えたいわけだ。例えば、「道案内」をすると喜ばれることを仕事で確認できた。それが警察でも旅行ガイドでもいい。だからそこにはニーズがある。だからこれで起業する。

冷静なあなたはこれが愚かというか、短絡的すぎると思えると思う。でも当本人は分からなかったりするし見えない。逆に「これが分からないなんてなんてこった!」と言われるかも知れない(笑)それはともかく、上の仕事やビジネスは失敗するだろう。成功要因がないからだ。

あくまで上で支払われるのは旅行や警察ということであって、道案内に対して払っているわけではない。道案内という価値は確かにあるし喜ばれるが、それがお金になるかは別問題ということだ。

ではどうすればいいのだろうか?結局価値提供ができるならまずはそこはOKとして、その後の状況や文脈、そうお客さんとなる人が払える状況や払いたい状況、財布の紐がゆるくなるとか、色々なシーンを検討していったほうがいい。これは文字通り場面といってもいいし、心理といってもいいし、買いたくなるといってもいいし、考え方は色々だ。

馬鹿馬鹿しいが、例えば人は機嫌が良いほうが判断は緩みがちだろう。褒め倒して売りつけるわけではないが(笑)接客が思わずニコリとするようなものならやはり「売れやすい」わけだ。もちろんここで誤解してほしくないのは「だから、接客でニコリとさせればいい」とその具体例をそのまま使うケースだ。あくまで例でしかなく、上の考え方があっての「イメージ」に過ぎない。ニコリともしなくても、価値を提供して役立つならいいという客もいるわけだ。そこはもう考え方で正解はない。

習慣というのもある。単にバジェットとか予算とかいってもいい。財布の大きさ(物理的な意味ではない)ということで可処分所得といってもいい。もちろんその分品質にはシビアになるわけだが、そこで払える予算や金額が大きいならそれなりに払えるわけだ。ない予算はないというように、ある予算があるところに行くしかない。端的にいえばお金が払える客を探せということになる。

例えばあなたが教育ビジネスを考えたとしよう。例えば駄菓子屋にくる小学生に勉強を教えればいいと考えたとする。面白いが、小学生はお金を払えないだろう。ではその親が払うかというと、駄菓子屋のお兄さんは面白いが、そこまで塾や先生とはみなさないだろう。いやありえなくはないが単純きつそうだという意味合いだ。ここでいいたいのは小学生にお金を請求するのかということだ。それは難しいので成り立たない。

こんなわかりやすいケースはないと思うかもしれないが、実際に分からない、リサーチ不足、想像で補うことでそこを考えないケースもある。色々考えたアイデアや練りに練ったビジネスプランが実は上のようにお金を持ってない人から取ろうとしてないか、ニーズがないのにあると思い込んでないか、ニーズがありそうだが錯覚で都合の良いように解釈してないか。いずれもあるあるだと思う。

ここでのポイントは、価値を誰かに提供しても、その人がお金を払えるとか、払う状況にないとやはりお金にはなりづらいのだ。ボランティアで必死にゴミを拾ってもゴミ拾いにお金を出してくれる海岸の管理者はいないだろう。もちろん全くかつ絶対にいないわけではないが、仮に請求できるのだろうか。おそらく掃除事業者にお金は払われ掃除はされるかもしれない。この違いはどこにあるのだろうか?

簡単で、プロや仕事としてやっている人にはお金を払うのだ。それだけだ。その認識が海岸管理者にあればそうする。例えばあなたが学生なら学生がやりたいといっているのでボランティアでいいならといったというのはありそうだ。でも、お金を払うからというのはそもそも考えてなかったとかはありそうである。結局その海岸管理者がどう考えるか、感じるか程度でしかない。

くどいがもう一度いうと、役務としての「海岸のゴミ拾い」は学生ボランティアでも、掃除事業者でも一緒なのだ。もちろんプロの掃除とボランティアのそれは違うのだろう。例えば、時間はどれくらいでどれくらいのゴミを拾えるか、ビフォーアフターの写真があるとか、信頼度があるとか、実績があるとかあ。そして何よりやはりその掃除にコミットする(ほぼ必ずキレイになる)点が違うだろう。学生ボランティアなら途中で辞めてしまうこともあるが、プロでお金を払ったらまずそれはないからだ。そういう違いもあるが、やはり役務はほぼ一緒なのだ。

これはもっと実践的にいえば、無料で仕事をこなす場合は非常に限定的か、意図があってやるべきであって「無料」の仕事が有料になることはない。フリーミアムなどは面白いモデルだが、あれは無料部分に関しては文字通りユーザーは無料捉えるはずだ。僕もそうだ。そのうえで有料部分があってそれに価値を見出す人が有料で払う。違う例をあげれば、有料アプリがあるとして体験はできるとして基本有料なら有料で価値を感じて分かる人がお金を払う。

つまり、無料は例外があるものの、その価格設定として有料であることを提示してそれに対して払えるというある種の意思表示が非常に大事になってくる。無料でやっているのを有料化する時にあるのが、そもそも無料のユーザーは有料化になったらほぼお金を払わないということだ。例外はあれど、それはなぜかというと「無料」だから使っていただけというシンプルなことになる。

役務だけを見てそのサービスだけ、機能だけを見てしまうことがある。でも、それはまあ確かに価値にはなるが、お金を払うか、ビジネスになるかは別となる。だからビジネスをする側の人はそこのポイントを外さないようにピンポイントとかでなくてもいいのだけど、価値提供したけどこれは価値があるかどうかの検証がある。ありそうなら、それにお金を払ってもやりたいかとなる。その金額がある程度取れそうでかつそこそこ人がいればあとは単純に経費、時間などの兼ね合いだ。

そこでプラスになればシンプルな計算で儲かるかどうかは分かる。

おそらく、役務の提供だけで、そのまま終わるというかやりっぱなしであればやはり検証とはいい難い。それがなぜで駄目か。価値はあるといえるがお金になりづらいのか。お金になりやすいシーンや心理はなんだろうかのリサーチが甘かったり、またはそれが出来てもコストとかかけても回収しづらいか、できるのに10年かかるとか(笑)そのあたりもあるだろう。

考えることは多そうだが、おそらくプロセスはわりとシンプルで、これらを満たすものは論理的には成功するといえる。実際には論理的にいかないのと、先のように色々なバイアスや錯覚があるのでそこを楽しめるか、どうすればいいかという人が向いているといえる。そこで明らめてしまったり、もういいやというのがあればやはりそのビジネスやアイデアは実現できないのだと思う。最後は精神論やマインドセットなのだと思う。けれど、その前の論理やロジック、考え方はわりと抽象化すれば一緒で、そこを考えているかどうかは成功の前提というか土台でしかないと思っている。

まとめ

簡単にまとめてみよう。

まず、人のためになることをやると書いた。それはその人が喜ぶこと、喜ばれることといっていい。

では、そのことは全てお金になるかというと、反証としてボランティアを挙げた。では、ボランティアとビジネスの根本的な違いはあるのだろうか?もちろんあって、対価を求める、とくに金銭的報酬を求めることが異なる。

最後に価値の話。価値自体はもちろん役務提供なら道案内もゴミ拾いも一緒。ただ、それにお金を払う習慣や依頼者や取引する人の前提やそもそも有料であることを示すかなどで全く違ってくる。当然ボランティアゴミ拾いをやるのにお金を払う人はいないが、プロ掃除事業者にお金を払わないのはおかしい。みたいなことが言える。

以上から、人のためにやるのは価値になる。ただ、価値をそのまま出せばそのまま文字通りお金になるかというとなることもあるしならないこともある。その匙加減や見せ方も含めて、ここでいうビジネスはお金化するということになるんだけど、そこがめちゃくちゃポイントとなる。

これを考える量や思考量や試行量が少なければ解像度が浅く文字通りアイデアだけになるし、そうでなくめちゃくちゃ考えて試してマーケティングしてみたいなことをやっていればかなりどっしりしたビジネスになりえる。

けれど、これは当然簡単にこれみたいになれる楽なものはないので、試行錯誤しましょうねということにしか過ぎない。

多分そこを飛ばす人は文字通り色々ビジネスをやって分かっているという人がショートカットするのはいい。けれどなんか投資ビジネスみたいに全部がなるのはどうなのかなくらいで(笑)そうでない経験値が浅い人がやるとまあ足元をすくわれるか、そもそも考えてないのでうまくいかないということになるかなと。

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