具体的経験を軽んぜす地道にやっていくのがいい。近道はない。その先には抽象化という美味しい蜜があるんじゃないかな。

前も同じことを書いたかもですが(笑)再度書いていきます。
学びや経験においてですが、それを習得したと言える話です。
学びは、具体から入り、会得は抽象化で得られる
まず経験や体験は具体的に起きます。初めてやってみたとかもそうですし、分からないことがある。これが具体的な経験になります。
次にそれを解決しようとしたりなにかします。そして解決できたできなかった、うまくいったいかなかった。その質は最初はひどいものかもしれない。だけど、それが上手くなっていく。
うまくなるとは、ある程度具体的なことがまとまって、抽象化されたといえる。つまり、ある程度の具体的なことがまとまって、ひとまとめとか一括りでいえるってことになる。
そういう循環を繰り返していくしかないんですね。って思っていて、この時まさに、抽象化からいきなり入れないし、具体化だけで回るわけでもない。この具体と抽象を繰り返すしかない。
それがないのに、ノウハウ(具体なのか抽象なのかはその人次第、多くは具体的なノウハウと言われやすいので、具体に寄る気がします)を得ても、すぐできることはない。正確には、ノウハウを得てそれを実際に試して失敗する、成功する?なりして、抽象化して初めて会得できたといえるわけですね。
逆も然りで、抽象化された手順というか、注意することとか、それこそ自己啓発的なことでもいいのですが「やる前にちゃんとチェックする」みたいな。そういうのも、それだけでは機能しないんですね。シンプルに、「具体的にこうするよね」がある人には意味がある。またはそういう経験がないならほとんど役に立たないというか。
具体的な経験がないのに、会得はできない
同じことの繰り返しですが、具体的な体験、経験がないのに、何か会得というか、得た、できるということはないんですね。
自転車に乗るで説明すれば、自転車に乗ったことがない、乗る練習といったほうがいいでしょうか、いくら自転車の乗り方という本、記事、動画を見ても「乗れる」気分にはなりますが、乗れないですよね。それくらいシンプルです。
具体的な経験とは、ここでは自転車にまたがるとか、足で地面を蹴って動いてみるとか、そういう動作を含む。それってつまらないか、面白いかはおいておいて、至って地味ですよね。という意味で世の中の具体的、基礎的といったほうがいいですが多くはめちゃくちゃ地味だと。そこが派手ってことは、色々見失っているとすら思えるほどかもしれないですね。
なのに、順番を間違えて、動画を見て乗れる気分になって、乗れたと思っていたりする。気分になるくらいは全然エンタメとしてもいいし。そもそもそんなことはありますよね。野球観戦する人が「時速150kmで球を投げられる」人ではない、素人であることが殆どですよね。そしてそうでないと見てはいけない、なんてルールもないですし。
ここでは、自分が会得、体得、得たい、学びたいということに関して言っています。そういうものは、ものすごく地味な、具体的な、基礎的な、退屈な・・・かもしれないですがそこから入ると。それが退屈ではないってことは・・・ものすごく相性が良いか、そもそもそれらを体得というか既に知っていたり分かっていたり、学んでいることかもしれないですよね。色々考えてみると面白そうです。
抽象化するか、できることが学びとなる
そういう具体的な経験を経て、あくまで自転車に乗ろうとして、やはり自転車に乗れた、といえる。そこで例えば言語化が上手さは関係なく、「こうやったら乗れるぞ」みたいなのがあれば十分で。それが抽象化です。
自転車に乗れた人は、その説明が出来る「可能性」があるといえる。しかし、乗れない人は、その説明はできないし、できてもそれは偽りに近い。その人がやってないので、具体的経験がないのに言えないはずだからですね。嘘ってやつですね。なんで自転車に乗れないのに、乗れるという嘘を付くのかはまた別ですが。
乗れた、乗っている、そういう経験があれば、その経験を持ち運べる。説明が出来る人なら、コツは「走ってしまうとバランスが取れる」けど、「走らずに、漕がずにバランスを取ろうとしても取れないよね」みたいなコツがでてくるかもしれない。確かに安定すればちょっとやそっとではコケないですよね。
学んだとか、学べたとは、そこで具体的な経験があってそれを繰り返し、結果的にできることが増える。その増えたものに対してラベル的に「自転車乗れる」みたいなことをつけたような感覚です。
当然忘れるし、やってないならできなくなることもあるかもしれないのだけど、上書きとかもありますしね。ですが、そうやって「自転車乗れる」と言える時、具体的な経験を持って、乗ったところまでいけば、学んだといえると。
逆に、具体的経験がいくらあっても乗れてないなら、乗れてないと。ただ乗れてないから学びにならないわけでなく、乗れてないという学びになる。難しかったも学びですよね?なんでもやろうとしても、できるわけではないので、こっちのやってみて難しかったが、ということのほうが実は多いかもしれないなと。
具体的、地味的なことを飛ばしすぎる
今、今のまさに時代は、コスパやタイパとなっていて、地道なことを侮るというか、軽んじてしまうと。でもですね、教育や学びってやはりそう簡単に「爆速」にならないんですよ。殆ど変わってない。人間の脳が変わるとか、環境が劇的に変わらないと難しいだろうなと。
直感的には、簿記に1年かかって合格しなくても、1か月で合格できたり、3日でオッケーなんて人もいるかもしれない。ですが、3日で受かったとして、1か月かからないので27日を何するか?みたいなほうが今は問題というか、課題となる。何しますか?
短くしても、結果的にそれは脳に負荷をかけて丸暗記になっていたりするから、忘れますよね。そういうのでいいならいいのですが、そうでなく定着させたいならそういうやり方ではきついんですよね。
もちろん時間をかけていけばなんでもいいというわけでもない。そこが答えがないので面白いところですが、少なくとも時間をかけることを悪というのはやりすぎだろうなと。時間をかけなさすぎってのがここでの主張ですね。もっと時間をかけてみたら?そうすると、焦らずゆっくりできるんじゃないかと。
ゆっくりいきましょう。
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