対話的コミュニケーションは幻想か

答えというのは、もちろん幻想でないってこと、対話的コミュニケーションがあるってことですね。

とはいえこれが正しい世界地図とか、認識で絶対合ってるみたいなことではな当然ないです。僕がそう感じたので、そう見えているということを踏まえつつ、複眼思考でお楽しみください。

仕事の発注者と受けるワーカーのコミュニケーション

まずは仕事として業務委託というのはこの構造です。雇用もそうですけど、まあここは業務委託を見てみましょう。

クラウドソーシングについてはワーカーの立場も分かるのですが、発注側の立場もよく分かります。ちなみにちょっと前に発注サイドでの発注のコツという記事も書いていたりしますのでよければどうぞ。クラウドソーシングでクライアント側への発注アドバイス

この立場が異なる2者で対話とは何かとなりますが、基本的にワーカーはクライアントの望むものが何かを探っていってそこにたどり着くことにおいて、クライアントとコミュニケーションすることです。逆に、クライアントは仕事をして欲しいのだけど、「道具」「私とそれ」みたいな関係にしないということですね。つまり、私とあなたということです。

悪い例としては、あなたがワーカーだとします。仕事が欲しいとします。こういう立場の人は懇願という形で「私は仕事がありませんから、仕事をください」と直接的に言ったりしますが、これクライアントからすると慈悲や同情です。対等な関係はきついですよね。そんなことをする人がいるのか?と思われるかもしれませんが、わりと観察されます。仮にそのように「仕事が欲しい」のであっても、わりと徹底したほうがいいのは「その仕事を私がやれる理由」を客観的、主観的に述べることです。

おっと、ここで客観的とは資格がありますとか、大手企業で勤めたので大丈夫ですみたいなことでなく、あくまで発注者が望む仕事に対してですから、そこを読み解けないと話が始まりません。実際に読み解いたところで、クライアント側の矛盾が露呈して終わることもあるので、これはもはや対話以前の問題ですね。

僕が思っているのは、クライアントで仕事を与えるから偉いとか、ワーカーを道具として見ている人とは仕事はしないほうがまずいいということです。あなたは道具ではないですよね?逆もそうです。ワーカーはクライアントを仕事を与えてくれる機械(自動販売機みたいな(笑))ものだとしていればこれもきついです。僕もそういう人とは仕事をしたくないですから。

対話の仕方みたいな実践的なことを求めている人は多そうですが、これテクニックやワザがあるとしても、そのワザを使えるかと、どこで使えるかなども別なので、そういうのに飛びつく人はかなりまずい気がします。当然ながら対話コミュニケーションができない人と仕事がうまく展開することはほぼないです。そもそも仕事もそうですがその内容に入っていけないことが多いですね。

このあたりは期待値が高すぎるとか、費用感と合わない、無茶な要求であるとか、「そんな優れた方法があればとっくに・・・」みたいなこともありますから、これも人によって解釈とキャパシティと度量(笑)もあります。ですので、そのあたりをどう捉えていくかで社会地図や世界地図は変わりそうです。当然狭ければ小さい地図になりますよね。

組織における雇い主と雇用される側の関係

組織によるとはいいつつも、上司と部下ってまあ関係性がありますよね。この時、上司視点で物事を考えるのは部下の仕事ではないなんて主張もありますが、実際においては、0か1ではないので、人間らしさの定義も難しいですが、遊びや余地があるかどうかですかね。

例えば何かをやりたいときに部下が自分がやりたいだけなら上司も動けないはずです。会社的な方針や方向性とずれていればそれは個人でやってくれというわけですから。この時面白いのは、反射的に何かが出来ないのはそこにいる人、つまり上司のせいという捉え方です。

分からなくもないし、実際にそういうこともありそうですが、実際にはその上司が動けない理由を踏まえたり把握した上でそれを取っ払ってやる、ことで動けることが多いでしょう。それをやりたくないなら、そこまでの熱意はないので諦めるというのも得策です。ものすごくやりたいことでないと、そもそもそこまで入り込んで対話に持っていけない感じもします。

対話を全てにおいてフルスロットルでやるというのも辛いわけで、人の気持がわかりすぎて動けないみたいな状態もあるのかなと。これはこれで辛そうです。

一方で雇用主と雇用された側の関係も対等であるべきといえそうですが、これもなぜか雇っているから偉いのであるという権力性がどうしてもあるわけでして。では、言われたことへは従うのか、無理難題もそのままやって心を壊すかというとそれは違いますよね。

一応ルールが合ったりやり方が規定されていてもそんなの関係ないとか思っちゃう人もいますが、ルールはルールでそのルール性は軽視しないほうがいいよねと僕は考えています。ルールを無視する時って、単に色々なプロセスが面倒だからっていう結構主観なことが多いです。それが間違っているケースもありますが、絶対とは言い切れないですよね。

というわけで、ブラック企業は大げさですが、ホワイト企業とまた持ち上げすぎるのもどうかなというところです。結局同じ仕事でも合う合わないがあるわけですし、組織もまた然りです。関係性も依存性があるので、強い立場の人に従う方が楽なんてのもありそうです。僕は嫌ですが、そういうところに自分がいるから「対話なんてない」というのはやはり幻想であり思い込みとなります。

環境がいかに自分の思考に影響を与えるか、そこがポイントですね。

対話なんて出来ること自体が奇跡?

実は語り的な場ではそれが普通だと思っています。一方で語ればいいのだ、本音を言ったからそれでいいだろうという支配的な場や捉え方は全く別ですので、そもそもふわっとして得体のしれないところに身を委ねるのが怖い人は向いてないのかもしれないですよね。実際に着地は見えてないところで「会話」が始まり、「なるほど」と理解していく過程を共有するのが対話とも言えるので、相手をけなしたり、揺るがしたりするような交渉みたいなのと違うと考えています。

作法や品やルールというか分かりませんが、そもそも自己主張をしたところで、全て否定されたら、そりゃ「対話」どころではないので、さっさと場を変えるしかないですね。

対話自体が奇跡かもしれないというのは面白い視点ですが、奇跡じゃなくて、実際に普通にあるわけですね。

例えばお店の店員に対してぶっきらぼうに振る舞う人は一定数いそうですが、これはなにかといえば、単に言葉や心理を知らないだけなら未経験者(未成年等)であればまだいいのですが、そうでない良い大人であろう年齢だとちょっとつらいですよね。これって、自分は客であり絶対的に偉いという誤解があるからなんですね。

そこで威張る、偉ぶるという状況自体が滑稽ですが、そうでないとそういう関係性を作れないと偉くできない寂しさでもあるわけですね。と言っておきながらそういう客が来た店員はたまったものではないですし、そういう態度をしている人をみるだけで空気としてこちらも不快になります。おっと、クレームとしてそもそもサービスが悪いということはまた別なので、とはいえ言い方もあるので、そこですよね。

対話はこうすればできるというのはなかなか言えないぞというのが僕の感覚です。少なくとも全然違う人と話して比較したり、何か違うぞこの感覚という違和感を覚えて殺さない・キープしていくことであったり、言語化や相手のことを知ることなど色々な視点と経験がいるからです。少なくとも、一朝一夕で出来ることではない、というだけはわかっています。

とはいえ、それはすぐ得られないから学べないから幻想というのはいささか短絡的です。というわけでどっしりと大きな船に乗ったつもりで構えていき、やりとりを楽しむというところかもしれません。それは達人みたいな心境でなく、相手を理解しようとしていくことで、その中で相手の不正的なものがなければわりといけるんじゃないか。まあ最も専門性や技術で分からなければそれをどう捉えるかもあるので、ごっちゃになって難しいのですけどね。

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