常にそこまで言葉通りに動く人は少ない

あるネタを見て、これってアイデアを実現する行為でも言えるだろうなということで、ちょっと深掘りしてみます。

人事あるあるのネタから

採用あるある:「どんな努力も惜しまないので合格したい」という趣旨のアピールを添えてエントリーしてる人が選考課題が出てくると33%くらいの確率で音信不通になります

ネタ元はこちら。このタイトルをそのまま受け取っても面白くないのですが、要するにやや皮肉の意味もこもっていると思いますが「どんな努力もする」ということを言うのだけど、「選考課題」があるというだけで連絡してこないというわけですね。

これ当然事情もあるでしょうが、ここは文化的な意味?として、通常であればそのような連絡をするのが妥当です。ということをしていないとここでは考えて、文字通り、「どんな努力をする」のだけど、選考課題は受けないのね、というような意味合いです。

つまり、口では言うのだけどそこまでやる人はいないよね、という趣旨と僕は理解しました。

この手の話題はいくらでもあるので、人事が該当する事象としてはこうですよね。例えばネガティブな話をすれば、例えばお金を借りた人が「絶対返すからな!」という人に限って返さないとかは概ねあるんじゃないかなと。

これらを共通化すれば、人は嘘を付くといってもいいし、嘘なんか付くわけじゃないですか!と嘘ぶることも出来ると。そういう存在なんですね。

これで信頼が生まれるかといえば、人事的には「なし」ですが、そこは色々な事情がある感じがしますね。そこはネタ元でお楽しみくださいと。

アイデア実現でも同じことが言える

ここで、アイデアを実現することでも同様のことが言えるなと。僕は人の、お客さんも含めてアイデアを考えることを仕事にしています。

ここでアイデアとは、その時点で基本的にですが、お客さんが実現するアイデアって、僕はそのアイデアを実現しない、または基本的にしないという状態になります。これを契約書でコミットしているわけでもないのですが、もっと純粋に「やれない」という感じなんですね。

もっといえば、熱量が足りない。例えばある方が花屋をやりたいと、それをオンラインでやりたいみたいな相談があったとします。その場合、僕が花屋をやるのか?というとそうではない、んですよね。そしてその花屋のアイデアを考えて企画として実現できるまで考えてもそれは、僕が実現することではない。

というような絶対的な実行主体に自分はなり得ないという事実がある。シンプルにいえば「僕はやらないですよ」ということです。物理的にやれないというよりも、僕がやる意味がないといってもいい。それだけなんですよね。

ここでかなりコミットした相談でもこのレベルです。ということは、人によるとは言え、多くのコンペであったり、提案していくところで、アイデアが飛び交うところでも、それを実現したいと思う人は稀ってことです。

もっと言ってしまえば、アイデアを実現するということが稀。それこそあったらいいなという「実現」をどこか遠くに置いている。下手をすれば、実現しなくても「アイデア」で遊んでいるとも言える。良くも悪くもですよね。

僕は信条としてアイデアは実現していったほうがいいと思っているのですが、実際に僕が出すアイデアが実現されることも稀です。そもそも、これは実現する人が稀というそのままのボトルネック?があるので、アイデアがあっても出来ないということになるんですよね。

長くなりましたが、これって「アイデアを実現したいんです」というけど、実際はやらないよね?という深い疑惑でもあるんです。ツッコミといってもいい。

実現度を考えるとものすごくリソースがかかる

事業をどんなものでもいいです、商売も一緒ですが、やったことがある人ならこれは分かる世界です。事業をやるとは、勤めてそこで指示通り動くとかではない。もっと責任があったり、パワフルに自分に跳ね返ってくるものです。例えば、売上を上げないと得られるおカネがない。みたいな状況です。

そうなると人は動きます。本当に動きます。ただ、それで追い込んで常に出来るとかはまた別です。研究とかだとそこを、つまりお金を考えなくていいから没頭出来るというのもあるはずですから。色々とジャンルややり方で異なるとも言えるわけです。

実現度を考えるとですね、実際に人、自分ですよねが動く必要がある。時間もかかる。お金もかかったりする。これなんでやるの?ってなる。そこを乗り越えてこれだからやるんです、または継続しているんですとなる。

そう考えると、本当に一生でいくつかやりたいことが出来れば良いわけで、事業として成功の目安は定義次第ですが、それってなかなか出来るものではないと。仮に簡単に考えてもいいのですが、「簡単に考える」ことが実現のための実行に紐付けばいいという意味ですかね。簡単に考える=実際に簡単だったは別です。

たまに簡単ですよといって楽にやっている人もいるかもしれないですが、ほぼノイズとして、文字通り楽なことはないです。あるのはそこの心理にかこつけた「詐欺」くらいですね。楽っていって、何が良いか。あまりなくてですね、自慢的な意味で自身の能力アピールあとは、そういう商材を売るくらいですかね。

というわけで、実現って結構大変なんですよね。だからこそ、どれでも誰でもどんなことでも出来るわけではない。

ただし、そこを上手く取捨選択してリソースを最適化してみたいなことをやればそりゃできると。その立ち回りくらいしかないので、その上手い下手はあれど、この難易度が劇的に下がる(デバフ?)するようなものって結構ないんじゃないかと、僕は考えてます。

彼ら彼女らは嘘つきなのか?

では、冒頭の何でも出来る!努力を惜しまないよ!という人は嘘つきなのでしょうか。おそらくそういうことではないんですよ。どういうことか?

単に心理、人で変わるというだけです。

例えば、彼ら彼女らの心理としては、文字通り「何でもするんだ」と言うし、書くわけです。それは本当にそう思ってると。ただ「何でもする」とはいったが、課題があればそのための努力をするかというとしないと。

ここで人事側で見れば「何でもするなら、課題くらい出来るよね?」となるんですよね。ただ、応募側からすると、「何でもするといったけど、課題があるならそれは対象外」なだけなんだろうと僕は感じました。

つまり、「(自分ルールの制約の中で)何でもする」のであって、カッコがないんですね。もっといえば、これが悪意があるのか?そんなカッコ書きが通じるのか?ってことですよね。通じるかはおいておいて、そういう文脈で使うというルールや習慣があれば特に問題はない。

例えば、ジョブ理論を持ち出さなくてもいいのですが、「煙草吸いに行く」のは「休憩」であって、煙草を吸いたい人もいるけれど、リラックスしたいというだけなんですよね。(だから対等な職場なら、煙草休憩があるならおやつ休憩を認めるはずです。あとは受け入れられるかはその組織の寛容度だけですよね、当然そこにいる人ってことです)。

というわけで、ロジックとしては嘘付きでもなんでもないんです。応募側からすれば、単なるアピールであって、文字通り受け取らないというのもある。ある種の演劇的な振る舞いがあって、それで翻弄されるわけではないが、お互い値踏みしてしまっている。というようなことが見え隠れするほうが僕は面白いと感じます。マッチングアプリとかでもそういうバイアスがかかりそうですけどね。

共通するのは、人は自分をよく見せたいとか、なるべく良い人を取りたいとか、その機会において思惑がどこまで一致するかみたいなことがありそうです。とはいえそれだけではないんでしょうけどね。

というわけで、別に嘘をつきたくて、ついているわけではないのだろうなというのが僕の考え方です。

ここまでは建前です。建前とはロジックであって、理屈であると。実際に僕が人事ならまあ「なんだろうな」って悪態は付きますよ(笑)それはもう立場と仕事ってことでそうなると。

だから応募側に同情するとか、人事側に共感するとかって話ではなくて、あくまでこれらって他にも言えそうだよなというところがポイントなわけですね。

やり続ける人は多分自分を信頼している

いつも同じことを言っている気がしますが(笑)

ここにおいて、やり続ける人、例えば何か実現したい未来や仕事や何かがあるとします。そういう人が明らめることも色々あれど、やはりこれはやりたいんだと思ってある程度実行してキープしてトライしているとします。

これって尊いよなと思うんですね。応援したくなるというか。なかなかそういうことって出来ないですから。そのやることやりたいことって実は何でも良いんです。僕が共感するかは別ですが、人それぞれの共感ポイントが違うのとリーチ出来る人が異なる(所属集団がある程度異なるはず)ので、支持してくれる人はいると。まあ反社会的なやつはスルーしてくださいね。

そうなる時、やはりその人は実現することで、自分を信じているわけですよ。信じないとやってられないし、誰かを信じてやっているわけではない。自分を信じているから、当然嘘=行動と一致しないことなんかも出てくるし、その通りと認めつつも、それでも尚というのがある。そういう葛藤や矛盾を受け入れても尚進む、それをやらんとす、というのがやはりやれる人なんだろうと僕は考えています。

やり続けるとは文字通りやっていることを続けるのですが、それは自信との短期的な戦いではなくて、中長期的な向き合いという精神バトルに近いです。もっとまったりやらないと、もたない長期戦なんですよね。そこを間違えると短期で勝ってどうにかしようとしたり、ごまかしてそれでやりすごそうとすると。

そういう意味での甘さはそこにはないわけです。続けるのはハードだからこそ、または信頼するのが自分というのも結構冷静に考えると「自分をそこまで信じられるくらいに値する何か」がないとやっぱ信じられないんですよね。

僕もそうです。自分が何かをやろうとしてそれがやれるのだという「確からしさ」って何が担保なんだろうと思ったりします。多くはやってきたことで担保しますが、それが明日も、次も出来るとは限らないわけじゃないですか。そこを意外に考えてなくて当然と思ったりしそうですが、実はそうではないよねと僕は考えています。

もちろん続けないと駄目なんて思想ではないです。辞めてもいいんですよ。ただ、続けるってことは、実際は何度もやって辞めるの連続ですから、短期的には何度も辞めているともいえる。中長期的に均すと実は続いていたという「完了形」が感覚としては正しい。

成功者バイアスとして、続けていたから成功した!みたいなのがありますが、それはその通りで、実際は続けていないとそもそも何も生まれないわけですから、それだけではないんですよね。

言葉通りに動かないのが人として、自分として、であれば、少しでもいいので有言実行したらそれですごいじゃないかと。僕は思います。それでいいのでやっていくのがいいんじゃないかと。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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