考えるには余地、余裕が必須成分

ちょっと色々とやることが多くてみたいなところですが、実質余裕がなかったのかもしれません(笑)

考えるということは、ある種の余裕や余地、余白、あそびですよね、そういうものが必要なんだと改めて感じています。

例えば、アイデアを出す人が「詰め詰めのスケジュール」で、心に余裕がなく、休むこともできないなら、多分良いアイデアは生まれないかなと。実際にそういう時期があっても、それは必ず一時的でそれを継続する、永続することは困難だからです。例えば、アイデアの質が悪くなるか、身体が拒否反応を示すか、ストレスで不調になるとか、色々と不具合が出ると思っています。

少しそのあたりの物事を考える余地について書いてみます。

余裕や余地を甘く見てはいけない

例えばありがちなのは、スケジュールを120%で組んでしまうという罠です。社会人になって張り切ってとか、初めての仕事だからーみたいなのはありですが、それも最初だけですよね(笑)

よって、多くは継続を込みで考えると、張り切らないくらいの60%くらいで考えて良さそうです。なのですが、実際はなぜか自分の仕事や依頼は120%でやれよみたいなのはあるわけで、このあたりをどう着地させていくかが実は実践なのかなともふと思います。

それはさておき、余裕や余地って何かというと、簡単にいえば遊びです。時間としての余地でもいいし、精神的な解放感でもいいし、追われてない、逆に追うというか(笑)そういう感覚を指します。

例えば、新しいお店へいってこれなんだろう?とか、行列を見てこれなんでだろうとか。トンボが一杯飛んでいるのをみて夏だけど秋だねと感じたり、本を読んで意外すぎる発見をしたり、こういうのって毎日あるわけです。同じことがでなくて、小さな発見が、何個もある。大きな発見なんてないくらいですよね。発見とは小さいものだといってもいい。

そういうものを発見出来るのって実は心、精神的な余地余白がないと出来ないと。心の観点からいえば、小さな発見が出来ること自体が自己充足的ですよね。逆に心に余裕がない人は、トンボも、空も、空気も、音も、何も情緒を感じずに機械的かつ合理的といっていいわけですが、毎日を24時間というデジタルカウントダウンで暮らしているかもしれません。考えただけで息がつまりますね(笑)

このあたりは、おそらくミヒャエル・エンデのモモですよね。灰色の男たちが象徴的ですが、時間を預けるともっと豊かになれるという、今でいえば「投資すれば必ず儲かる」(笑)みたいな、そういう煽りとすら感じますがそういうものが必ず潜んでいます。これは喪黒福造ではないですが、ココロノスキマを埋めたいとかスキマがあると感じていてその満たされない点を突いてくる。そういうのが人間なんですね。むしろその情緒のスキをうまく精神的余裕とすればいいのだけど、失敗して満たそうとすると罠にかかる。本当心理って考え方です。倫理観が問われるなと常に思いますね。

甘く見てはいけないというのは、なんというか、「そんな時間のスキ」とか、つまりは小さな時間ですよね。あとは、「精神の余裕」なんて軽く見がちじゃないですかってことです。僕もそう思ったりするので。1日の5分の休息なんて大したことがないと思いがちですが、意外に大変というか、ちゃんと取ることって忘れたりします。

意識して取らずに、勝手に休んでいるというか、疲れ切っているというか。でも休憩の良い取り方って確か「疲れる前に」休むだったようなというところで、やはり意識して休む、または休める環境がめちゃくちゃ大事だなと言えそうです。

思考するにはゆとりがいる

ゆとり世代って何か悪い言葉になっちゃっていますが、実際にゆとりがあることで生まれることもあると。ゆとりが何にかかるかだけですけど、詰め込んで何か生まれるのかというと、まあないんですよね。

なぜかというと、合理的に詰めて情報で行ければいいんですが、それって既にあることですし、問題発見って完全にゆとりの話ですから。つまり、情緒性とか心の豊かさみたいな話で、その観点は合理的に効率的に詰め込んで生まれるものではない。

その音聞こえてなかった、それ見えてなかった。そんなのばかりなわけですが、その音や事象が見えても「見えてない」こともあるわけでして、そういう実感としてのズレが出てくると危険だと感じたわけです。

例えば、知的生産としてちゃんと考えたつもりが、実は穴だらけだった(笑)なんてあるとちょっとショックですけど、とはいえ自分はこう考えてーといってロジックを組んでも、ポロポロと漏れていると。そうなると色々と「自分を疑う」わけです、信じられないというか。ちゃんと考えた自分はいるし、実態(笑)実感もあるのに、そうでないと。何が起きているのだと。まさに疲れたり、実は早く休めって合図かもしれないですよねと。

ここでのゆとりは、時間といってもいいですが、時間が短くても自分の時間を取ること、自分で考えてみること、とくに書き出してみることをおすすめします。僕は定期的に取って振り返っていてもそれでもなお、詰まってくると不快というか、なんかこれ違うなーとか、予定調和だなとか、コントロールされているなあとか思ってしまうので、そこから色々と見直したりします。そのツッコミを入れるパワーがないと駄目なので、だからこそ60%が適切で、100%以上だとそれだけで終わるという感じです。伝わりますかね?

思考していくと、色々と整理されていきます。疑問点が解決されるみたいな気持ちよさだけではなく、むしろ疑問が新たに生まれることで、別の視点を得るとか。そういうことだったのかと気づきがアップデートされたり、知らないことが増えて学びたくなったり、その感覚は大体いつも違うのだけど、大体感覚的に何か足りてないかなーとか、んんん?って感じが近いですかね。

忙しいから考える時間がないと言っていると

この忙しいからどうというのは、1万歩くらい譲ってありだと思うんですよ。実際に時間がないなんて普通ですから。でも、時間がないって本質的にはおかしくて、何かやっていると。その何かを辞めないといけないと。何かを辞めるとは、何かを捨てることと一緒です。

お腹が一杯なのに何か食べることはできないですよね?それと一緒で無情ですが(笑)取捨選択をしないとなと。そういうメッセージなんですよね。実際には抱えすぎているものがあるはずですが、それを捨てない、保持するから一杯となると。

ここで矛盾に気づくはずです。抱えているものが多いのに合理的にも矛盾しているわけです。それなら取れないと。パンを両手に持っているのに、さらに別のパンを取ろうとする。パンをおとしますよね(笑)そういう状態は滑稽ですが、実は「忙しいから」というのは、この状態を肯定しているとも言えるわけです。

つまり、「忙しいから」パンを両手に抱えて、さらに別のパンを取ろうとしても問題ないというか。その状態を良いとしていると。滑稽でないというための素振り、見せ方といってもいい。ただこれは道化といってもいいわけで、それをさらにメタ認知で踏まえつつもやるという人もいそうです。でもですね、感覚的には「そんなの捨ててしまえばいい」とか「そもそもパンなんで抱えてるんだっけ?」というツッコミがいるんですが、それが発動できてない状態って感じですよね。ある種のこじれでもある。

1日24時間、いや1日の時間なんてといってはあれですが、限られますし、そんなの一人ひとり違わないです。当然やっていることで変わるので、平等っていうのも少し違うと。なのですが、忙しいってことで全てかぶせて言い訳として使うオールラウンダー的なマジックワードとしちゃうと、弊害が生まれます。そう上で言う滑稽状態をいかにも正しい、ここでは合理的に問題ないってことです、と理解してしまうことです。脳がですよね。

僕はこれはおかしいと思うので、全部手持ちを捨てろなんて思わないので、ちょっとまずは歩いていたら立ち止まってみる。または座ってみる。パンを置いてみて、実はそれはあとで拾えるとか、一旦キープしてどこかに保管できるんだと知る。人に与えてもいい、調理して工夫してもいい。ほら、なにか見えてきませんか?そのパン実は持ってなくてもいいんだと。

よく比喩として荷物を減らすってありますよね。まさにそれです。荷物を減らすことで、楽になる。荷物多いなら減らしちゃいましょうと。そういう提案でもあります。忙しいから荷物が多いのを肯定せずに、それなりに荷物持っているからそりゃ余裕がないだけって話なわけです。

これはもうキリがないんですね。どういう荷物サイズならいいか。そんなもの答えはないんですよ(笑)だから自分がこれくらいかなーとか考えていくしかない。多いなら減らせばいいし、少ないならもっと持っても良い。全く意味がないアドバイスですよね(笑)でもそうなるので、まあぴったり来るものを導き出すのが人生であり、有意義であり意味を見出すことなんだと思います。くどいですが正解はないわけです。

そして、忙しい忙しいといっていると、心を亡くすのはなるほどと思っていて、そうなると文字通り自分が見えなくなります。なんでそんなに色々やっているのか、それをやりたくてやっているならいいんですよ。でも大概全てのことが「やりたいこと」なんて人は充実していて、「忙しいから出来ない」なんてないんですよ(笑)だからこういう話は「持ちたくないものを持っていて困っているのだけどそれを肯定して動けない意味で、忙しいといって肯定しまってハマっている」ということが概ねだろうってことです。

これをやり続けるとどうなるか?最終的にストレスからうつ病とか、色々な病になったり、あとは少なくともストレスで疲れて睡眠不足とか、何か色々と失う気がしますよね。ということが想像できるのでまあそうなっていたら、まず立ち止まる、パンを見直す。そこで捨てられればまだまだ問題ないですが、重症だとパン自体の重さや荷物を認識出来てないこともあります。僕は専門家ではないのでどうすれば降ろせるかなんてわからないのですが、そこまできたらプロに相談したほうがいいわけですね。

考える至上主義ではないが

考えたら全て解決!みたいに僕が思っているわけではないです。むしろ考えることって、答えがないので、至上主義になりえないんですね。相対化されるわけです。伝わりますかね?

考えれば考えると、先のパンの例え、荷物なんてどうしたらいいかなんてわからないので、色々試すしかない。それこそ捨てるのもあるし調理するのもあるし、預けるのもあると。そういうことを一個ずつ試す、プロセスを大事にするって感じですよね。

そうすることで、情緒が戻ることがあります。戻るというのは既にあるんだけど、「あ、ここにパンを置いてもいいんだ」でもいいですが、「パンを置こうとしたら実は面白い石を見つけた」とかそういう自然の発見があったり、「パンを整理したら実はそういう経験あるんだ、困った時はお互い様さ」という人に出会って助けてもらった。実際にリアルでそういうことがあるというのでなく比喩に過ぎませんが、旅とすれば道中に色々と助けられるってことですね。その時にまさに、感覚、共感、面白い、楽しい、ワクワクする、違和感があるなど様々な感覚が戻ってくるというわけです。きっとそうですってことですけどね。

相対化されることで、何事も決めつけられないわけで、全てにおいて考えるという面倒くさそうですよね。けれど、そもそも考えることって、面倒だからするとかしないとかでなくて、考える自体がまず自己充足でもあるし、有意義的な意味付け(考えるからこそ意味が与えられる)でもあるし、もっとメタ的なんですよね。だから効率的かどうかだけで考えるを「判断」している時点で、色々と術中にハマっている、まさに灰色の男たちにやられている感じもします(笑)

まあ、もっともこれらの判定を誰かがやるわけではないですし、判定機関があるわけではないですよ(笑)それも相対的ですから、答えを求める人はそれらを永遠と求めちゃうと。でも、そんなのないんだと思えば、相対化もきっと分かるわけです。そんな答えがないからこそ、考えていくというのがある種の答えですけど、それは辛い人もいるわけで、そうなるなら別のことを導けばいいと。これが価値観であるわけですよね。

おわりに

精神的な余裕ってなかなか取るのは大変です。ですが、忙しいから、今やっていることがあるからということで「先送り」すると、実は死ぬ間際にめちゃくちゃ重い荷物(笑)のまま潰れてしまうかもしれません。なんて脅しではないですが、そもそもなんで荷物背負ってるのってことですよね。一人で抱えないでってメッセージは実は一人で抱えている人には全然効果がないわけですよ。なぜなら抱えている感じもないというか、それが普通で、社会人として大人として何か役割として当たり前だと思いこんでいるからですよね。

そこで、疑ってみるOSがあればなんとかなるのかなと。今それでいいのかと一瞬でも思ったら別にそれで判断せずに、一回疑ってみると。それで考えてみると。そうすると世界が終わる、その意味次第ですが、世界なんてくだらないとか、実は想定しているイメージではなかった、このあたり真実は一つ、見方が様々の世界であって、正しい世界観、未来像、認識なんて「描きづらい」ってことかもしれません。当然共通するっぽい何かはあれど、これって決め打ちできるものはない。そんなものです。科学でさえ、万能なんかでもない。非科学だからいいわけでもないですし、このあたりも正解がない。

だからこそ、忙しい状態の荷物を持つこと、これも正解ではないよね、というか、正解とかはないという態度、姿勢ですよね。そういう態度や状態こそが、わりと健全ではないかと僕は考えています。

この状態を色々言えるのですが、ある種人格として「哲学者」をハイアする(雇う)ことで、免疫を付けていって、人単位で見るよりも考える単位、考え方でみたり、色々と訓練できると思うんですね。その感覚こそが、まさに批判的であり、複眼的思考とも言えるし、考えることの本質かなと考えています。

ということを、久しぶりに少し考えることで取り戻したので僕は上機嫌ですが、このあたり考えないですーっと過ごしているとなんじゃらそらって感じになり、有益な役立つ、明日から使えるノウハウ(笑)みたいなものを追う人には「一瞬で消え去る」類ものもなんだろうと感じています。最もそういう人はここまで読まないわけなので、全然OKなわけです。

というわけで、なんか余裕ないなあーとか心のゆとりみたいなのがない人はちょっとだけでいいので、今の状態を疑ってみるとか、何か書き出して整理してみる。とかでいいのでちょっとやってみるといいんじゃないのかなって話でした。僕もそうやってリズムを整えて調子を戻しています。僕も乱れるので(笑)当然整える術を持っていると。それが免疫としてあればいいけど壊れるとやっぱ不調になるわけですからね。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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