自分で考えて自分最強の礎をつくろう

僕は儲かるとか儲けるとか稼ぐとかって言葉が苦手なんですけど、それって使う人や使い方が失敗というか、プロトコルエラーでミスっているなんだろうと。

例えば、お金を得ることが悪いとかは全く思ってないんですが、なぜか「儲ける」話は怪しい話という「形容詞」みたいになってますし、「稼ぐ」なんとかも「稼げないことをごまかしている」感じもします。たまたまそういう印象を僕が受けているのかなとも一瞬思ったのですが多分そうではないのかなと思い、ちょっと書いてみました。

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簡単に何か解決する魔法がないというだけのこと

話としては、自分の課題や悩みやお金儲けなどもそうで、それらを簡単に解決するものはないということ。もちろんただ消費側として使うだけで何もしないならいいが、自分で何かを生み出す側なら、それはまずい。

何かの価値を出すこと(アイデアを含む)でその対価が得られるのだから。その価値を生み出すことに対してパッケージとして全てあるとかはない。絶対儲かる副業もないし、ビジネスもない。その言い回しが出来てしまう言葉のアヤみたいなものもあるわけで、実際は愚直な検証とワクワクを大事にするということしかできないのだという結論。当然僕がそう考えているだけで、世の中のルールでもないし、生き方でもない。

僕がそれをできないから、世の中を否定するとかという話でなくて、自分はこう考えていく方がまあエモいし楽しいのでそうするという話なだけだ。

自分で解釈して何が残るか

精神論っぽいんですけど、まあ手を動かしてあーだこーだやると違うんじゃないかと。

アイデアの期待値の高さとずれはまあいいとしよう。既にあるのものだから。

今回のアウトプットの肝は、自分で検証してない=試してない部分が多すぎれば土台や骨格とならないのでやはり弱いということになる。つまり、崩れやすい。

例えば良いアイデアや良い考えや良い人や良い何かを入れても土台が弱ければうまく活用できない。重さで崩れるだけ。

自分のやり方がうまくいかないから人から学ぶのはいいしそれはごく自然だと思う。とはいえ「人」から学ぶとは、自分がどう解釈したか、つまり人→自分の解釈→自分であって、人と自分は違うからこそ学べるものだ。また自分の解釈がない、人→その人の解釈→自分は無理だ。解釈を自分でしてないものは、きれいに何も使えない。まさに人のものでしかない。

土台がない、つまり検証や行動がないとこれが起こりやすい。明示的に1000時間やれとかそういうのはない。多分1時間で全部マスターとかはないのだけど、何時間でマスターとかそもそもない。あってもその人でしかないという感じがする。

土台なきところでは、全て注いだ養分は流れていく

さて、その土台がない状態で、いかに人や人の解釈を入れても、自分の解釈がなければ学べない。つまり、土台がないということは行動や検証をしてないということなのだけど、そうなっているのは、学び方として成長の仕方として「人の解釈」で生きていることになる。

自分の解釈を入れないと自分に入ってくるものはひどく薄いからだ。試すとかやってみるは自分の解釈ありきだ。人にいわれたからやってみてそれがうまくいくことは万一あるのだけど、それはあなたの行動にみえてそうではない、というだけだ。

仮に万一うまくいっても再現性は低い。仮にあるとしても、自分から出来ないのでそういう人とチームやパートナーと組んだりそれをちゃんと仕組み化しないといけない。その仕組み化自体が解釈なので、そういう意味で解釈できているともいえる。

土台がない、自分の解釈がないとどうなるか。例えば、儲かる話よろしく、楽に稼げる、何かうまいビジネスや投資話などとなる。そもそもこの話を社長がしだしたらやばい。本業(メインの事業という意味もあるが、どちらかといえば自分のもっとも近い事業)をやっていないというか、集中できてないからだ。

違う言い方では、本業でどうやるか、違うアイデアでどう発展させるかなど、本業について考えることをしてないサインといえる。本業が衰退産業であっても考えられるので、もちろん辞めるなら辞めるでありだ。

ただなんにせよ、検証や行動や考えること、解釈を人に委ねてはアウトとなる。アドバイスをもらっても、それを誰が判断するか?当然自分であり、あなただ。それを解釈できないから、うまく外の考えが使えることはない。

くどいのだけど、結局自分で考えて試してどうかというだけなのだけど、そのシンプルなところにいくのが怖いか、怪しいと思うのか、まず自分で見ようという感覚がないとそれを繰り返し続けるのだと思う。

それは投資でなく単なる楽したいだけの発想だ

別の切り口では1円しか払わないけど10円手に入れられる方法を教えて欲しいというのも馬鹿げていることが分かる。そんなものはないのと、確実に10円を手に入れる方法は常に怪しいし胡散臭い。

正確にいえば、常に入るとは品が悪いキャッチコピーとして許容した上で「この方法を自分で考えて解釈することで得られるかもしれない」ならまあいいのではないか。そう売る人はいないだろうが(笑)

1円とか10円とかだと分かりにくいかもしれないが、1万円を出すから10万円を手に入れる方法といえば分かりやすいだろうか。それで騙される人は実は10万円を手に入れる方法を知らないからでもあるし、本質的には「そのような方法が1万円で買えるという心理、または推察、プロセスや考え」が低いということを露呈しているといえる。

この手の話は深読みでなく、例えばあえて「楽に儲かる」ことを教えてくださいといって、関わる人を試すみたいなものもある。のだが、さすがにそれはお遊びおふざけがすぎるとして、またそのような意図は煽りや一時的な騙しから不信になるだけなので現実的ではない。とはいえお涙頂戴的なものがあるかもしれない、注意は必要だ。

つまり考えや解釈が出来てないので教えて下さいとなるが、それこそがカモというか、やられてしまうということだ。一方で常にある反論として、それがあれば誰もが買うので簡単に億万長者になれる(笑)だ。これは正しい反論だと思う。そういう意味で何も生まれない。

楽するという考えやアイデアは全く良いと思う。しかし、楽して何かするのが自分で、自分で考えるならいい。しかしそれを誰かに委ねる、さらにそのリスクであったりコストをかけずに出来るかというとこれこそ何も安全地帯から出てないので出来るわけがないのだ。厳しいというよりも、上の土台の話と解釈の話で終わるのだが、その土台すらを誰かに頼っているのは滑稽でしかない。

時代は変化しても人間の本質は変わらない

不思議なのは時代が進んで変化してもこれらのネタは尽きない。つまり、人は何かにすがりたいし、何かに希望を託したい、自分の環境をすかっと変えてくれるもの、うまくいかないものをうまくいくようにして欲しいのだ。

それは色々なレベルであるのは分かるし、変わらない。しかし、それを自分の解釈をしないとか、考えるのを放棄してしまうのは意味がないし、理解が異なる。

なぜか、考えることを放棄して甘い果実だけ得られると思ってしまうといえばいいのか、そういう人は考えることを嫌っているか、苦手か、それとも何か性質的なことかは分からない。

最終的にビジネスアイデアであるとか、ビジネスの考え方というところや試してみるというところで、泥臭さが残るほうが安心や信頼出来るということになる。

アナログ感があるが、人はデジタル感よりもアナログである直観や感情で動く。信頼できる数値でなく、信頼できそうな数値に動くのだ。だからここでは「倫理」が求められる。詐欺とは、ものすごく行動に組み込まれた何かではないのだ。信頼できそうな数値を倫理がないようにやることがすなわち詐欺だと思う。これは僕の考え方に過ぎないが、その詐欺話が魅力的だと思う人が一定数いるし、それを徹底的に磨けば騙せるしいけるのもあるのだろう。

こういう人がどういう人生を送るかまで考える思考余力はないのだけど、厳しい人生になるだろう。そして僕はそういう人生は普通に嫌であるのでしないだけだ。あえてしたい人もいないのだろうが、それをせざるをえない社会は間違っているのも確かなのでそれは別問題だ。

地道な検証しか世界を確かめるものはない

小説っぽいかもしれないが、「その手でその足で自らが感じたものが世界」であって、「誰かの体験は一部にはなりえるがやはり感じるとはそういうことではない」のだろうと思う。

つまり、地道に検証をしてこれはどうだろうか、考えて行動していくこと。経験値をためていくことがあって、あとは自分が心からやりたいこと、わくわくすることでないと、まあできない。

一発外から何かアイデアを持ち込んでも持続しないし、そもそも形にできないのだ。やってみてそうではない人がいればそれはかなり特殊だと思う。あとは、自分からやりたくないものもうまく解釈できればいい。がこの解釈も最初の土台と同じで、自分である程度試したとか考えたことがないと脆い。

結局考えれば全ていいわけではないのだけど、行動と考えをその人にとっていい感じで回していくのがポイントになる。

人は一人ではないし一人では出来ないことも多いから、会社みたいな組織でもいいし、ギルドみたいな集団でもいい。それは考え方次第だ。

世界が変わるのはほんの小さいな気づきだ

人に何かをしてもらうのも、それでお金を払う立場が優位な感じがまだまだあるとは思うけれど、どちらかというとそれで動けるのは選択肢が限られたりする場合だ。雇われるというのもある種そうだろう(全てそうではない)。しかし、お金を出すけれどなんか納得できないなら断ればいいのだ。納得の度合いも人による。

そこで世界は文字通り変わる。ここでの世界は以前は「お金を払えば仕事をやってもらえる」という道具っぽい扱いといてもいい、そこまでひどくないかもしれない。しかし世界が変わった後であれば「お金を払っても気に入らないならやらない」と突っぱねることが出来る。ここで仕事が得られないからお金にならないと不安になる人は多いと思う。僕もそのように感じる。しかし、依頼主側が「では他の人で、誰でもいいから」と言うなら、その誰でもいい人がいれば成立する。また誰でもいい仕事という程度であればやはり安売りではないが関係性が上にになっているとも言える。

つまり、依頼主の姿勢の問題だ。そして、それを拒否した上で、納得しやれる仕事となると、そもそも依頼の仕方が変わる。誰でもいいのではなくあなただけにという仕事は幻かもしれないが、とはいえここではそこまでのオリジナル性でなく「あなたとやりたい」みたいな熱でしかない。つまり共感や一緒にやりたいという想いだ。こういう話は理想や妄想でなく実際に僕がそう感じているので、そのようにやっていくだろう。そうすると、ごく一部であれやりたいなと思える人、つまりこの人なら一緒にやってもいいかなと思えないとやらないとなる。これが大事となる。

僕はそういう世界がいいと思うのでそのように生きていきたいし、そのような社会にしていきたいと考えている。もちろんこれは理想であってすぐ出来るわけではないが、実はこのような考え方も今思いついてどうということではない。地味に考えながら試しつつ、ギャップを感じながらやっているから、何度も何度もやるだけだ。当然この考えとは真逆の人は僕のお客さんにならないしなれない。それが社会だと思う。気の合う人=友達との馴れ合いみたいなことではない。関係性も色々あるので100%の理解とかではないのだ。そこらへんのグラデーションがありつつ、さすがにこれはという限度もあるというところが適切な言い方だろうか。

自分が面白いと心から感じることを見つけるのは難しくない

思い出したのはこのエントリだ。いいなあと思う。

世の中は事業のタネで溢れているという件について

多分いいなあと思うのは本質的な価値というところにストレートに触れていてその話が伝わってくる。ドリルの穴然り、天体望遠鏡メーカーの話然り。従来の価値観がひっくり返るような価値というのも首肯しまくりなんだけど、トドメはこれ。

このワクワク感がない事業なんていくつ考えても意味がなくて、自分がワクワクできるまで何度も何度も事業を否定しないといけないと思うんですよね。なぜなら、自分がスタートポイントとなって事業をはじめるということは、協力者(出資者やスタッフ)も消費者も含めて、自分の新しい価値観に共感してもらわなければ、事業が前に進むことはないわけですからね。

世の中は事業のタネで溢れているという件について より引用、太字筆者注(原文では大きめフォント)

ここではスタートアップとか事業とかなんでもいいんですがそういう想定だとしていても、仮にどんなに小さいしょぼい?と思われるようなもので、自分が「わくわくしてない」のだとまあきついんじゃないかってことです。

もっといえば、儲かりそうなビジネスだけどわくわくしない、儲かりそうじゃないけどわくわくする。この場合はどうするかですけど、後者しか生存できないんですね。だってわくわくしないから、伝えられないから、ただお金が儲かりそうだから来る。これってなんかのバブルや投資詐欺みたいな(笑)感じしかないじゃないですかと。

続きに価値が揺さぶれてないという話もありますが、これも結局自分で考えてないってことで言っちゃってもいいのかなというところです。

自分が面白いということを見つけるのはまさにこの話であり、価値、本質的な価値ってなんだろうと考えることになる。ちょっとしたサービスも本質があるからちょっとした形で出来るのだろうし、そうでなければ出来ない。根底に流れるのはなにかということになる。

だから、何か土台がなくて甘い話に動きたくなる人の気持ちもわからなくはない。ただそこの先にはなにもないと思う。そんなどこかの誰かに頼るならば(それにすがらないと生きていけないのはちょっと別の意味で問題だ)、自分が見つけたこれいいな、あれいいな、よかったな、こうなったらいいのになぜできていないんだというまさに「自分が目にしたこと」をベースに考えるだけだ。それが検証と行動をセットにして高めてくれるので、非常に説得力があるし、太い幹になる。まさに土台となる。(これを心が喜ぶことと表現してもいいのだけど、まさに言い得て妙で説明がし難い。スピリチュアルではない)

どこか遠くでうまく何かはない。断じてない。ないんだ。というくらい言い切ってもいい。あると思っている人は「そう見えている」だけで、そう見えてしまう状況や環境に課題があるか、なぜそう考えてしまうかを冷静に見つめて治すほうがポイントになると思う。

成功が保証されるとかもない

こういう話をすると、愚直にやっていれば努力すれば叶うみたいな宗教になるってことです。宗教は言い過ぎですが、信じてやるというのはあると。一方でここに偶像崇拝なり何かはないわけで、その人、つまり僕が見えているビジョン、世界、あったらいい社会みたいなのが見えるだけですよね。それって押し付けられないはずなので、そうなったらよくね?といって仲間(オーバーに言えば信者。ただ何かその人からリターンを得るとかはないので違うし、救われるとかではないので)を増やすしかない。お客さんでもいい。

では保証も何もないところにチャレンジするのは、愚かなのか、かっこいいのか。もはやこれこそが社会の価値観でしょう。前者が圧倒的であればバカバカしいのでしょう。そして後者であればもっと色々と試す人に対していいねっていえるのかなと。

僕は後者のほうがいいかなと思うので、励ますプロジェクトをやっていこうと考えているだけ、なんですね。深い意味はなくて、そうあったらいいなという社会像やイメージがある。そういうイメージを絶対に作らなければならないほどではないんですが、なんか違うなというところで動けるという感覚です。

こうすれば絶対いいとか、保証があるとかって考えが既に内的でなく、外的な何かになっていますから、内的なところからという本論とはずれるのでスルーとなるわけです。そもそも自分最強みたいなのも超内的でありそこから出てくる話で、土台、解釈、自分で試すも全部そうです。

外的なものってそれで動いた結果、自分のコアなところは関係ないので(実際はコアが無いと駄目ですけど)、アウトプットしたものの評価とあなたは別なんですね。だから、生み出し続けてどうかって話になると。

0から仕事をつくる実践記

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