自分の当たり前だけど、他人に当たり前ではない(わざわざ感)がシゴトの価値

今回はシゴトづくりのヒントというか考え方を少し書いてみます。
目次
自分の当たり前だけど、他人のそれではないポイント

図解すると上のような感じです。
まず、上部が当たり前、つまり自分にとっての当たり前です。ここで四角で囲っている「アイデアを出す」「AIツールを使う」「簡単に仕上げる」「反応を伺う」とは、僕がやっている「AIでプロトタイピングを作ってあそぶ」という行為、プロジェクトを指しています。(厳密にここに4つやれることを書く意義はなく、それぞれの行為がいかに他人から突っ込めるかということを書きたいがためです)
これは遊びといってるので、現時点でシゴト化されていませんが(シゴト化しようとしています)まあ普通にやっているわけです。少なくとも苦痛ではなく、単に面白いからやっていると。だから人からみれば「趣味」なんでしょう。
一方で、他人から見ると、これらは、それぞれにツッコミができます。例えば、アイデアを出す。そもそもこれは平日毎日1個作っているのですが、なんでそのアイデアがあるのか?でてくるか?不思議な人もいるはずです(と僕は客観的に思っている)。そういう時に、「いや、普通にでますよ」というのが僕で、不思議だと思った人は「え、すごいな」と思うのかなと。これは想定です。
そういうギャップが大きければそこに価値が生まれる。大きければより価値なんでしょう。厳密に大きければお金を払うかというとまた別かもですが、少なくとも可能性は上がるのかなというところです。
基本はここを攻めるというか、目指せばいいわけです。つまり、ズレですね。
自分が継続できることは当たり前のことしかない
自分が継続できることって当たり前のことしかないというのはちょっと説明不足なのですが、結局楽しいとか面白い、学びになるようなことでないとしんどいです。仕事とは苦労することをやるのだ、というのを否定しないのですが、「それだけ」だと辛いんじゃないかと。そういう考え方は誰が言ったかどうか、そこを疑うべきかなと。僕からはそれくらいにしつつ。
継続できるから良いとか悪いとかもないです。ただ、自分が価値を出せるものをやっていったほうがいいし、それで自分が楽しいことをしていったほうがいい。そのうえでそういうものが、他人に役立つならそれでさらにいい。
ここで注意は趣味の取り扱いです。あなたが「趣味」で普段から現実逃避気味にそこにやすらぎを持つなら、「趣味」を仕事にしないほうがいいはずです。これはタイプによるのと、趣味の数とか質?とか、結局人による価値観次第なので、正解はないです。バッドケースは、趣味を仕事にしたらやすらぎがなくなりつまらなくなったです。これはありえますが、僕は趣味という概念はあまりなく、プロジェクトとか学びとかって読んでます。
そして多分それは人からみると「趣味」なのですが、趣味という認識がない(笑)面倒くさいわけでなく、それくらい認識のズレが有るということでしょう。(だから、趣味認識がなければ良いわけではないですよ。考え方としてまさに僕がしているということです)
それによって、趣味とか関係なく、「こうしたらいいんじゃない?」といえるし、むしろ枠を作らなくていい。枠がないのでそこはストレスフリーでいえるし考えられるわけですね。
他人が価値を感じるにはコミュニケーションをするしかない
よくあるのが、では自分の当たり前をどう出すか、そして他人に認めてもらう、価値として認識してもらうところです。これって、別に手法が一杯あるわけではなく(アイデアとしては無限にありえますが)、端的にまとめれば、その自分の当たり前を出す。それしかないかなと。
つまり、見せるですね、説明する、伝える、話す。そんなところです。誰でもできるし、そういうものでしかないです。特殊なことをやるわけではない。特殊なことを僕はやっているわけではないですよ。アイデアとして磨けば変わったことになるかもしれないですけどね。
伝えてなんぼです。伝えずに誰かが認めてくれるはまずないですね。当然人の付き合いから紹介されたりとか色々あるかもしれない。そこはもうやっていった人の手柄といえる気がします。
シゴトづくりは業界トップとかそういうのではない
選手権とか競技大会みたいなのがあって、No.1とかオンリー1とかそういう人だけが価値という世界ではないです。
例えば、僕の話をしましょう。
アイデア出しであれば僕より優れた人はごまんといるはずです。まさにマスに積んで測るではないですけどね。そして同時に優れてない人もいる。でも、まあこれはキリがない。というか何でそれを測るのか?お客さんである他人がですよね。難しいですよね。
だから、資格だとか実績だとかがある。それは否定しないのですが、ここでも競う心理は実は事業者、提供者視点でものを見ています。と思いませんか?
お客さんからすればシンプルです。「アイデアに困っている」ので「アイデアを考えてくれる」人がいれば、基本誰でもいい。ただ誰でもいいとは、信頼が出来たり、のぞみや課題を解決してくれそうな人や企業を選ぶ。またはアクセスやコミュニケーションができるというところになる。すると、評判とかになる。
ここで広告というのが意味があるのですが、認知してもらえるのでチャンスが増える。でも、これって広告が増えれば結局どれがいいの?となるので万能では全然ないんですが、だけども他の方法がないか、ライバル(事業者)にやられるよりはいいからやる。みたいな心理戦でしかないんですよね。多分ですけどね。
また、僕はアイデア王みたいなものになるという気はほぼないです。というか、そんなものないでしょと(笑)そして、もっと小さい(という比較がおかしいのですがたとえとして)話で、目の前の人に対して「アイデアを出すことでなんかよくなれば」というところしかない。これが基本動作です。
だから、上の図会では、AIでプロトタイプするためのアイデアが得意なんてことはなくて、それもやるけどそれは一部であって、基本アイデアや工夫をするのが好きだし、そうしているんですね。会話のアイデアでも、人に笑ってもらうアイデアでも、誰かが好きそうな役立ちそうなことを考えるのが好きであるといっていい。そういうアイデアを出していくと。
それが僕にとっては当たり前であり、普通なんですね。そういう感覚がない人からみれば、めちゃくちゃすごく感じるかもしれない。そうでないと思う人もいるかもしれない(とくにアイデアを出せる人にとってはこれが普通ですからね)。それはいいので、じゃあお客さんとして価値を見出してくれる確率が高い人は・・・?そうですね。
シンプルに、「アイデアに困っていて」「だけど、自分では出せない」(考える習慣があまりない)という人にとってはこういう人(僕です)に頼みたいとなるわけです。
これってトップとか関係ないと思いませんか?むしろ、ものさしはめちゃくちゃあると。既定路線みたいなものでなくて、自分が困った、お客さんが困ったシーンもめちゃくちゃあるわけで。そういうシーンや細かいイメージから想像してみるといい。何に目をつけるか、着目するかだけで、「ものさし」がめちゃくちゃある。それだけです。
このものさしの数が多様性ともいえる。またはシゴトづくりにおいては、「色々なシゴトが作れる余地」があるといっていい。だからシゴトづくりも面白いのですね。
逆にいえば、このものさしが一つしかない、または数個の決まったものから選ぶだと僕はやらないし、関与しないです。少なくとも人の数程度に色々なやり方がある。その人にあったやり方は当然違うやり方もあるかもしれないし、それは考えて創っていける。
そういう予感や期待があるからやっているわけですね。
何度も書いていますが、比較自体があまり意味がないんですね。それがお客さんから見たら必要ならいいですが、事業者同士比較とかってあまり意味がない(お客さんからみて比較したいならありですが、多分比較よりも、納得や感覚のほうが大きいんですね。多くは)。
これらを踏まえた上で、倫理がいると。ちょろまかせてごまかせばいいとか、ごまかせるって話では全くないわけです。
当たり前が価値になる??
よくありそうな質問というところでは、例えば「自分の当たり前だから価値がなさそう。それを価値をつけて、お金にするのが抵抗がある」というのがありそうです。分かります。
ただ僕にとってのアイデア出しが当たり前でも、人にとって違うのだから「非日常であり、または特別なこと」ならば、それはそれでいいでしょう。例えば、ケーキ屋さんはケーキを当たり前に創っています。ケーキをつくるのに修行で3年かかるかもしれないが、3年1日目からケーキを当たり前に作ると。伝わってますか?
毎日ケーキは作ると。では当たり前だから無料となりますか?ならないですよね?
アイデアは無形ですから材料がないと思われますが、基本的にインプットが必須です。それを考える必要がある。だからそのインプットのためのお金がかかる、またはお金でなくても時間がかかっています。それだけです。いちごとかスポンジとか小麦とか卵とか、砂糖と一緒です。原材料があるってことです。
当たり前が無料でいいという人もいますが、それはシゴトにはならないです。ボランティアといったほうがいい。当然最初は自信がないから無料かもしれない。でもそれは一時的な、時限的なものと考えればいいし、僕はそうしてくださいというところです。下手をすると不当に安くなる、業界時代が安くなってしまうことにもなりますしね(当然これは一定数あるので、そこはそれと割り切るしかないのでしょうが)。
少なくとも、シゴトをつくりたい人が、不当に安く、無料にし「続ける」ことはしないほうがいいし、僕はしていないってことですね。そうやって価値をがあることを確認していくわけです。
価値とは何か?そうあなたが思う価値が世界の真実でないって理解でもあります。あなたと他人は違うのだと。あなたと他人が違う前提なら、もっとすんなり理解できるはずです。あなたが興味があるものと他人のそれは違いますよね?スキルもやれることも、生き方も違う。
だからこそ、価値交換が生まれる。それが生き方というか、人生戦略みたいなものだといってもいいかなと感じています。
おわりに
自分の価値とか、自分のスキルやシゴトの価値とかって難しく考えがちですが、シゴトづくりにおいては、このギャップかなと。ギャップが有る時に、自分が普通なんだけど人から感謝されるところ。そこを狙うのがいいかなと。
逆にこの要素というか重なりが薄いと何が起きるか?
- がんばってやっているのだけど、報われない(がんばっている時点でズレている可能性が高い、正確にはミートしていないし、無駄がある。力の使い方の無駄って意味です)
- がんばったことが褒められる(がんばったことを褒めるは普通であって、というかがんばった姿勢を褒められるのはその結果や得た成果や表現を褒めてないわけです。そこを見極めるべきです)
- 自分が面白くない、つまらない。楽しめてない(自分が面白くないことをやるとは、当たり前ではないことをやることと言えますよね。当然いきなり最初から100%面白いはないのでここはバランスです。ただずっと面白くないはちょっと異常というか、ずれてます)
- 継続できない(自分が面白いと思えないのでできないですよね)
- 他人に伝わらない(これはコミュニケーションなので、伝えたくないとか勝手に伝わることはないので、何か方法を考えてやるしかないです。意外でもなく盲点もあるし、泥臭さしかないですね。スマートにやるとか考えるところですでに逸脱している)
ということが起きます。どれも、やっているのだけど報われないみたいな感じです。分かるのですが、報われるためにやるわけでもないですよね?
当然、お客さんに届けて価値を感じてはそのとおりですが、最初に「私は報われたい」からスタートでなく、最初は「私はこれを習慣化しているし気にせずできる」ということがある。それをもってして、まず入館証ではないけどそれでコンコンと扉を叩く。すると、「あ、入館証あるんですね。どうぞ」と扉を開けてくれる。これがお客さんとの接触であり、会話であり、興味を持ってもらうところです。いわゆる営業と言われるかもしれない。すると、そこで困っていたので助かりました、とエアコンがこわれたので交換するでもいいし、精神的にまいっていたので相談できてよかったみたいなことかもしれない、そこは人によります。
それがまさに、順序としては同時多発でありどちらでもいいのですが、ただ「報われたい」からだけだとただの「利己」ですからね。利他であったほうがいいけど、利他のみってないわけです。人のために、だけだとパワーが続かない。燃料やパワーや発電がいる。自分が面白いって何で思えているか?人のためになることが楽しいのだ、学びなのだと思えるならそれで回りますよね。それだけではないので、色々とパワー補給ポイントやセーブできる、回復スポットは作っておけばいい。それだけです。
前の記事ですがこれも同じことを言っています。当たり前=無意識の行動というところでしょう。その当たり前を意識してやっていると多分それは「がんばっている」ので、基本的にまだまだといってもいいかもしれない。このあたりは習熟度レベルによるはずです。
ここで「感謝ポイント」を貯めるといっていますが、例えですね。ただこのポイントを貯めてく、そしてこのポイントは見えないのですが、それって信頼や実績も増えます。そういう感謝ポイントが多い人に人は相談するし、「あの人なんかいい」となるわけです。なんかいい人が勝手に生まれないので、見えないポイントを貯めた人が得られるご褒美かもしれない。それは確かじゃないかなと僕は考えて生きています。
まあ、違うかもしれませんが、違ったら違ったで別の仮説でシゴトづくりするだけなので(とはいえその仮説が180度違うとかはないので、微修正するだけなんですけど)全然OKですね(笑)
筆者プロフィール

- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は400超。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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