遊びは観察か介入で始まり、変化を受け取るということか

遊びとは何か?これは結構難しそうだが、自分なりに考えてみた。

遊びとは、観察と介入どちらかから始まる

多分それ以外もありそうだがそこは網羅できていない。

しかも、観察と介入と言い切ったが、観察と介入は独立しているわけでなく同時にもありえそうだ。つまり、観察したから介入できたとか、介入して観察したとか。まあごちゃごちゃ言わずに一枚絵で示すと以下となる。

観察の遊び方

左が観察のイメージだ。最初は観察する。世界とは、文字通り社会であり、視界でもいいし、聞こえる音でもいし、そのものだ。人がいっぱいいてそれを眺めるでもいい。例えばカフェで朝活をしている人は、出勤する人を眺めているみたいに。一方で出勤する人は朝活をしている人を見ていることも忘れてはいけないかもしれない。

次に変化を見つける。見た瞬間に変化は気づきづらい。動きがないからだ。間違い探しでもない。テーマを設けてもいいし、気になっていることでもいい。例えば自分が道に迷ったら人が良さそうな人を必死に探すだろうし、聞ける場所を探すだろう。その時の世界からは切り取るように、人や地図とか何かそういったものを探しているはずだ。そこでは小さな変化に気付けるはずだ。

遊びなので、例を挙げた。草だけがある原っぱでも遊べる。草が成長するからだし、色々な花があれば色当てみたいな遊びでもいい。草を集めてもいいが、形だけなら見るだけでも良いわけだ。

介入の遊び方

介入のほうがインタラクティブというか相互的だと思う。

まず世界に介入する。介入とは、飛び込むという意味合いで使っている。その飛び込んだ結果、何かが動く。当然動かないこともある。自分がジャンプしても何も起きないなどだ。

次に変化を受け取る。こちらも例を挙げると、影絵を挙げてみた。

自分の身体を動かす。例えばぐるぐると腕を回してみたら影も回る。平面的なので面白くはないかもだが、左右に動かすほうが分かりやすいだろう。影は日光に物体である身体が当たることで、日光が当たらない部分が生成される。そんな解説は不要だと思うが、影が出来る。

その影は自分が動かした、腕や体を動かした介入の成果だ。マネキンのように固まっていては動きは分からない。それはそれで面白いのだけど。

変化は受け取れないと分からないというか、手ごたえやフィードバックを得られないことになる。ここでは影として、その影が変わる、大きさや形が変わることが変化を受け取れたこととなる。

ジャンプしてみたが影は変わるだろうが、単に自分がジャンプしても何も変わらないなら遊びにならない。ただ、ジャンプすると見えている柵であるとか、木の上の一部が見えたりするかもしれない。それも遊びだ。変化だ。見えるものが変わるだけでも遊べるからだ。

変化を見つけるか、変化を起こすか

上の話で明確なのは、変化自体を見つけるか、変化自体を自分で起こさないと遊べないということだ。逆にいえば、遊びとは、変化を見つけることができれば遊べるし、変化を起こせるなら遊べるのだ。

例えば、都会のマンションに住んでいる社会人としてあなたがいたとしよう。休日の何気ない時間帯として、遊びができるだろうか?

例えば間取りによっては敷居などレールだったり、段差が存在する。全てフラットということはないだろう。例えば玄関などは段差があるだろう。その段差を何気なく歩けば何も気づかないが、「低いところ」「高いところ」という変化があるのは確かだ。

これが観察だ。もっと分かりやすく、階段というのがあるとすれば階段も変化だ。上下だけではない。左右でも良い。例えばふすまなどがあり、左から開けるのか、右から開けるのかということでこれも違いが生まれる。

違いや変化というと難しそうだが、正直なところ全く同じ世界はない。社会もない。部屋にいてじっとしている変化はないという人もいそうだが、それでもある。変化はあるのに気づけていないというのが正しい気がする。変化があっても閾値的に超えないから「変化していない」という具合だ。それはそれで「変化しない」という状態を慣性の法則よろしく、恒常性としての機能としては正しい気がするが、それでは遊べないというだけだ。

次に変化を起こす方だ。観察はじっと見る感じがするが、別に動いて観察してもいい。そんな細かいルールはないからだ。

それで、変化を起こすとは、例えば部屋の中でも「あーー」と声を出してみる。壁に向かって発すれば跳ね返ってくる気がする。それを面白いかはおいておいて、変化を受け取ったわけだ。または耳を塞いで声を出す。自分の声が聞こえる。いつもと違う感じの声だ。このギャップを感じるかどうかだけでも変化だ。自分が声を出す、耳を塞ぐという変化をした。それで聞こえる音が変わった。それがまさに世界への介入とその結果となる。

例えばそこで高い声を出したらどうなるか。違いがなくなるのか?それとも?低い声なら?早口言葉なら?そんなことをやるのが遊びだと思う。

あと、ルールをつくるとか、競うとかもあるのだろうけど、それは後付でいいし、上のことをやっていたら勝手にそうなる気がする。

仕事においても遊びが要ると感じる

仕事はもっと真面目にやるものだと思っている人がいるかもしれない。僕はそうは思わない。仕事も遊びでいいというか、遊びを仕事にするならとても良いという感じがする。好きを仕事にとは大分毛色が異なることは明記しておきたい。

変化を見つけるとは、提案をしたり、仕事を高めることに近い。気づかなければ「そのまま」だからだ。そして気づくことを全部言えとはいっていない。気付けないと言えないだけだ。この違いはかなり大事だ。そうすると、信頼が生まれる。

ルール的なものは、結果的に生まれるわけだが、コミュニケーションでもいいし、前提でもいい。共通言語でもいい。そして、勝ち負けではないが、仕事を達成する、求められることをやるとか、より良くしていくとか、そういうのが仕事の成果ではないか。それも明確になっていく。

変化への介入、自分で関わることで何か生み出すこと。これは仕事自体をすれば最初と違ったものが、最後に生まれる。最初感じた違和感とか疑問が、そのまま残っていることがあるとすれば、成長を全くしていないことになる。つまり、ある一日を切り取り、最初やったことと、同じことを最後にやった時に印象が変わるか、疑問が変わるか、分かったことが変わるか、なんでもいいがその変化となる。介入とは、やってみたり、考えてみたり、作業をしてみることそれ自体ともいえる。ぼーっと何もせずやっているわけではないだろうから。

そう考えると、遊びも仕事もほぼ同じというか、遊ぶように仕事をしている人はこんな感じではないかと思う。世界を観察するとか、世界に介入するとか、そして変化を受け取るということでは同じではないかと、抽象化できるわけだ。

逆に、遊びも仕事も違うという人もいると思う。その場合の遊びは全く違う定義なのだろう。例えば分かりやすく消費行動として、Amazonプライムなどを見るなどがある。それをするなとか悪いとか、「遊び」ではないということではない。映画やアニメを見るとして、そこに観察して違いを見つけたり面白いと思えることに気づくということでは全く同様だと思う。映像をみて、そこから変化を見いだせるかが主なものになると思うけれども。介入はしづらい。

介入という意味では、クリエイティブとか、アニメや映像をつくるというような、作る行為をしなければそっちにはいけない。だから作れということではないのだけど、裁量や範疇が狭まるということにはなるだろう。ただし、見るからこそ楽しめるし、言えることもある。そこは考え方次第なんだろうとは思う。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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