こころの鎧を外してみよう

仕事をしていて気づいたネタをアウトプットします。それは、友人の話をふと思い出したからです。

簡単にいえば、僕もですが、自分の中には二人の自分がいるのではないかと。一人は強い自分で、もう一人は弱い自分。弱い自分は鎧をつけている。強い自分は強いから裸だったりします。鎧とは比喩であり例えなので、物質的な鎧をつけているのでなくメンタルとしての精神的な鎧というくらいの意味合いです。

ポイントは、強い自分は、強さを見せることであり、裸だったりするので、それが素であり、本音であり、自分だと思っていたりします。しかし、弱い自分は鎧をつけて隠れていて、保護されていますが、本音はこっちも持っていたりします。

カウンター的に弱い自分がしっかりと出す弱音、本音、不安、恐怖、どうしたらいいのかというのは強い自分にしっかり効きます。つまり、強い自分で振る舞っても消えない。まるで醒めない夢のごとく。

今回はそんなところでどうしていけばいいか。ややスピリチュアル的かもしれないですが、興味あればどうぞです。

弱い自分と向き合う必要がある

鎧をきて保護していると、実態は見えないです。しかし、強い自分で居続けたりそれでうまくいかなくなることがあるわけで、そういうバッドというかうまくいかない何かにならない限り出てこないとも言えます。その時、相対的に弱い自分が出てくる。それが弱い自分であり、心の鎧を着ていることに気づく瞬間です。

うまくいかないのではないか、これは駄目なのではないか。いわゆる不安は誰でもありますが、以前書いたように不安は消えないのは確かだけど、問題はこういう自分を抑え込んで見せないということですね。まるでなかったかのように振る舞う。これはある種のカッコよさというのも分かりますし、強がりとかプライドとか非常に分かるんです。

でも、その弱い自分や出来ない、情けない、うまくいってないところって意外に向き合わない人も多いわけです。驚くことに、これは挫折をした経験があるとかないとかよりも、何か自分のやり方なり決まったやり方が常に正しいことである、変わらないことであると思いこんでいる場合に起こるのかなと。そしてその発生確率はわりと高いです。こうすれば絶対大丈夫だとか、何かは絶対間違っているという絶対を連呼していると相当危険です。僕はその意味では「絶対」という言葉は使わなくしたくらいです。そんなのないですからね(笑)

弱さを見せない、ある種のジェンダーとしてだと思うわけですが、男性であれば人前で泣かないみたいな強さ、弱音を吐かない、駄目とか不可能と言わない、みたいなものもあるでしょう。という意味でジェンダーといっていいかもしれません。

弱さを抑え込むことでこの弱い自分はないものとして扱われる。出しちゃだめだ、そんなのは社会にも誰にも受け入れられないのだと。明らめに似た、それは「あなたの役割や振る舞いや立ち位置ではない」というのは、実際問題あるわけです。

しかし現実にうまくいかない状態を見る時、強い自分で駄目ならやり方を変える必要があります。弱い自分の意見が全て正しいわけではありません。しかし、どちらも自分であることを見ていく必要があるのではないかという提起です。

自分の心の鎧を外してみる

弱い自分のよろいを少し外す、たまには取ってみるというススメです。

あなたの本音はなんだろうか?心から思ったことを言えるのはおかしいのだろうか?自分が思ったことをいったら相手が嫌がったからもう言うのを辞めた?色々あるかもしれないのですが、本音を言えないことでストレスやそれらはどこかに跳ね返えってきます。これは多分「絶対」なんですけど、多分そうなんじゃないかくらいに押さえておきます(笑)

強い自分が弱くなるかもしれないし、現状を認めないことでのギャップから何か違うストレス解消行動に出てしまうかもしれません。うさを晴らすというやつですけどね。

このような弱い自分を受け入れられない状態になったらどうすればいいのかについて考えてみます。

主で話していた友人がアドバイスしていたことは忘れてしまったのですが、簡単にいえば、弱い自分を認めるということでしょう。もちろん、全てをオープンにしてみたいな原理的なことをする必要はないです。少しでいいのかなと。

認めるとは、「弱い自分も認めないとなあ」と思える感覚のことを言うわけです。しかも思考なので、自分の頭の中、概念、脳内、誰かと話して気づくということでしか出来ないんですね。専門家、コーチングやカウンセリングなどの話に近いとも思います。

自分を受け入れる、認めてあげる。強い自分という分かりやすい、可視化されているもの。それは便利かもしれないです。ある種分かりやすさが自己を作っている面は否定できないのですね。私はこういうものだと分かりやすいほうがいい。しかし、それだけではないのが人間です。

うまくいっている自分を示すことが確かに人にはポジティブにうつるけれど、妬みも買うわけです。同様にうまくいっているだけの人はいなくて失敗や不安を抱えているのが人間です。弱みを見せられるのが限られるこそ、関係性が増すというのもあります。弱みだけを出し続けてもまたどうかとは思うのでバランスはあるのですが。

実際は弱い部分を受け入れる必要がある。なぜなら、それらが自分だからです。弱い自分もあなただし、強い自分もあなただ。あなたは強くて弱いし、弱くて強い。どっちかだけで最強の男とか、最弱の男とかそういうのはないんですね。そういう最強の何かとか、絶対なんとかみたいな思考の人は多分ここを読んでないはずです(笑)

受け入れる、受け入れられる世界はかなりフラット

受け入れるとは、かなりフラットな世界だと僕は思ってます。世界というか感覚なんですが。

面白そうなことをしていたら僕も混ぜてといって一緒に遊べる感覚に近い。その時その人を知っているとか知らないとかはいい、音楽のセッションみたいに、良い音楽だね、いい歌声だね、いいダンスだね、良いトークだねなどなど。

アートや芸術、創造、パフォーマンスの論理や理屈ではないところと相性がいい気がします。それは感性、感覚、自分が、あなたが、自然のままに、「あなたはすばらしい」「じぶんのこれはだめかもしれない」と受け入れられることです。または受け入れてもらえることともリンクしてきます。

これって特殊な話やどこぞの偶然や奇跡の創作でなく現実です。心理的安全という言葉がそこそこ見かけるようになりましたが、自分が発言したり、何かすることで「何を言ってるんだ!」と怒鳴られるところではまあこんなことは言えないですよね。間違っていることもなるほどと受け入れられる場がこの世にあること、そしてそういう場でないことにいることを認知したとき、また違う世界が、一歩ずつ見えるのだと僕は思っています。

といってる僕自身が自分を認めるているのかどうかです。プライドが高ければ、自分が理想なことを描く力があればあるほどそのギャップが苦しいからですね。僕自身は自分では受け入れている方だと思っています。とはいえ、これもまだまだで、実は頑固な部分もありますし、考えを変えてない(笑)部分もありますから、程度なんでしょうね。

そんな自分にでも、またはうまく心の鎧を外せない人も大丈夫だと思います。その根拠は、少しずつ変えることは人間ならできるからです。

自分を少しでも笑えたり、これではだめだなあと客観視できたり、弱い自分いるかもなあ、ちょっと対話してみるかみたいに、そういう自分の素や本音、心からというものは必ず出てくるわけです。ニュートラルといっていい。エモいというか、感覚のままあることがないと、やはりとてもつまらないのかなと思う。性格などもあるんでしょうけど、得手不得手とかも、でもできるはずと。

心の鎧が外れるとき、世界が変わるかもしれない

自分のこだわりというか、見せなかった自分のことを話すこと。これはいわゆる語りに近いです。語るということは、自分の考えをぶつけてみてどうかというところです。慣れてないとめちゃくちゃ怖い。相手に批判されたり、無視されたり、聞いてくれなかったり、なにそれって言われてしまったりもあり得るからですね。

くどいですが全てオープンに何もかも話せとか語れってことじゃないです。自分が閉じているかもしれないとか、鎧で守ってるなあというところがあればそれを壊してみようということですね。逆に自分はそこまで鎧はないかもという人はそのままでいきましょう。

鎧があるってどう気づくかは、かなり自分次第です。自分はもしかしたら鎧で守っていて安全な場所でただ言っているだけだなあとか、自分も似たような経験したのに外から見ているだけで中に入ってないよなとか、一瞬でもいいからそういう経験があると「もやもや」したりします。その時、もしかしたら、ちょっとやってみたら、みたいなのって実際に何も起きないことも多いです。多いんですけど、そこでやるとか、考えるとかで鎧は少しずつ壊れたり、変わります。

そういう弱い自分をオープンにしつつ、強い自分だけではないよね、というところがハイブリッドとまでは言わないですが、人間味があるのではないかなと思ったりします。いわゆるギャップであり、またはうまくいかないことを冷静に見られるのだなというところです。僕はその客観視はわりと厳しいとは思ってないのですが、淡々とやれるようにしてきました。それは痛みかもしれないですが、事実は事実だなあと、そういう意味で事実を見ないわけでなく見つつどうするかと、事実を見ないで目を塞ぐのは違うのかなと。

もちろん社会問題から紛争から、事件まで様々な見たくないことも起きています。一方でそれ以上に素晴らしい人や行為もある。目を塞ぐことはどちらも見なくなることになりかねません。鎧もそうでしょう。鎧自体を否定しているわけではないんです。鎧は例えば偏見もそれで守ることやコミュニティで同調してという機会にもなりますよね。でもそれが本質的かというと、おかしなことはおかしいといえることが実は鎧を外せる人でしょう。

強い自分にも弱い自分にも、それぞれ一長一短あるのですから、どちらも受け入れて、自分は弱くも強くもないのだといえる感じがニュートラルかもしれないです。それはバランスであって、弱さを演じるとか、弱いままでいるのがいいとか、強くありたいとか強いままでいいとかそういうことではない。

やや精神的な話でしたが、もしかして何かうまくいかないなーとか、ちょっともたついてるなとかいうときこそ、そういう弱い自分の鎧、心のバリアをぜひ意識してみてください。実は意外に厄介なのが自分のそういう部分だったりします。可能な限り否定でなく、そういう自分を愛する、愛おしむことで受け入れてください。そうするとどう転んでも倒れない、体幹が鍛えられる精神になるような気がします(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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