どういう自分でありたいかを思考する

ある本を読んでいてそういえばどういうアイデアマン、アイデアセッター、新規事業をつくる人、企画屋さん、0→1の人、なんでもいいのですがそういうイメージは大事だなと感じました。

具体的にいえばアイデアをどうしたいか、アイデアの解像度はどうか、どういう論点や粒度で話せるかみたいなところです。例えばアイデア出しといっても色々あるわけで、話しているアイデアがどのレベルかはめちゃくちゃ大事です。(実現したいならばです)

そういうところで、少し自分の内省ではないですが、ざっとどういうアイデアマンになりたいかであったり、どういう方向性がいいのかとか、そこらへんがーっと書いてみました。まさに思考メモって感じですね。そういうのが好きな方はぜひぜひ。

アイデアに対する姿勢は、出し続けて叶えていくスタイルでいく

これ何かを否定するよりも自分はこっちがいいですみたいな話です。

例えば、ある起業本にはアイデアはそんな要らないよとまあ乱暴にいえばそうなるんですが、確かに要らないなあと。筋の良いところを通すというか粘っていくほうが現実的ですから、沢山は要らないですよね。起業家でさえも。ただ起業家が実現するアイデアというのは、一個事業になっただけであって、その事業は複数のアイデアやそれぞれの局面でアイデアをもっと突破していると僕は考えてしまいます。ので、そうなるとアイデアが複数要らないってのは違和感になります。

つまり、単発のアイデアで良いアイデアがあってそれを形にできればいいみたいな、もっといえばアイデアはさくっとでいいから行動でカバーしていくみたいなほうがわりと現実的な印象があります。これがどこまで現実的かは不明なんですけどね(笑)ただそういう印象があり、そういう「アイデアに対する姿勢」の人は多い気がします。

では僕はどうかということですが、一方で仕事として、アイデアを量産し続けてかつそれを提案していくので、10のアイデアがあたりなわけでなく、1当たれば良いかも知れない。もちろんそれは全部当てたいけどもという意識です。だからそもそもアイデアの姿勢というか、アイデアを出していってそこでそれを自分が実現する以上に人に実現して欲しいというマインドセットというか、考え方があります。利他という人もいますが、利他というよりも、なんか一緒にやれたほうがいいし、関われたほうがいいかなくらいでかなりフラットな感覚です。ここに関して意識を割いているわけではないのが実際です。これは何度も書いているアイデアが近いという話ですね。

だからアベレージつまり確率として平均的に、3割も当てればすごいと思ったりします。1割でもあてていくなら。100個やって1個でも1%でもいいじゃんと思うし、それってもう当たり、成功、ヒットの定義次第ですから、もっといえば「何かを考えてこうしたらいいって自分で生み出したアイデアを形にしようとしている」行為自体が尊く感じたりします。人間ってすげえなと。これ企画っていうんですけどね(笑)

そうやって断片的になろうがなんだろうがアイデアを上げる、トスする、セットしていくことで少しでも具現化されるであろうところにパスする。それが僕のアイデアに対する立ち位置であり姿勢です。これが等身大、身の丈といってもいい。だから無理して経営なり、起業なり、仕組みを作ると失敗するでしょうし、そこは焦らずやろうと。小さくまとまりたいとか、大きくなりたくないとかでなく、適正なサイズであるほうがいい=まさに身の丈というところですね。

以上のところで、単発であったり良いアイデアを行動でカバーするという考え方の人は行動重視派といえるかもしれないです。こういう考えが悪いとは言わないですが、そういう人から僕のようなアイデア重視派(行動を軽視するつもりもないのですが)に対してはあまり良い評価になりづらいです。なぜなら、行動してないように思えるし、アイデアは過剰になるから価値が薄れるんですね。

一方で僕のようなアイデア重視派から見ると、アイデアはもっと必要でそれそもそも行動しているところに「ない」からこそ、入れなきゃいけないのではないかとか、必要としている人はいるのだと感じます。むしろあっても実現できない行動量とか行動でなく、アイデアで解決できることってもっとあって「アイデア社会」になってないな(新しい言葉(笑))とすら感じています。

なんとか派として二項対立を促すつもりもないので、姿勢や価値観が異なるという認知をしつつ、僕はどっちになりたいかといえば、アイデア重視派です。行動もいいけど、アイデアに重きを置きたい。行動でカバーできるものとアイデアとを比較すると、アイデアのほうが可能性を感じたりします。精神論になりやすいのが行動で、アイデアはそうなりづらいくらいの意味でしかないかもしれません。実際に行動するって思考するとかも行動のはずですが、A地点からB地点へいくとか、人に合って話すみたいなこと、勉強するみたいなこととか、そういうまとまった話や分かりやすいものが「行動」となります。わかり易さいことが悪くはないけれど、「わかり易さ」の罠もあると思うのでどうなんだろうなあくらいで、ちょうどいいいかもしれません。

明確にやらないほうがなんか良さそう(注意点はある)

友人と話していて思ったのもあるのですが、僕もですが他人と比較しちゃいがちなわけです。他人と比較するのは実は大変なことで、まだAさんみたいになれてないからなろうって。この成長モデルはまあある程度はオッケーだけど、全然万能ではないんですよね。

1つはそのモデルが万能ではないため、あくまでそのような見本があるなくらいで留めることが望ましいということです。近しい人にそういう人がいなければ羨ましいかもしれませんけど、またそれは別問題ということで。

もう1つはそもそも比較するのって何を比較するかですよね。年収とか背の高さとかっていかにもですが(笑)そうでなくても自分にないものを他人がもっていて、それを欲しいと思うとき、そういう気持ちになるかもしれません。あれば要らないですしね。ないものをみてそれはいいですねって肯定するだけで、羨ましがるわけではないくらいのこと。うーん難しい(笑)

それで他人と比較する中で出てくるのは、明確になにかやるほうが分かりやすいってことです。が、これ危険性でもあるのは、分かりやすいが故に分かりやすさで当て込めると、はめ込むと、まあ自分を失う可能性もあるってことです。具体的にはAっていうことをやりたいわけではないけど、分かりやすいからって理由でAと掲げる。すると、AをやりたかったかどうかもAをやっていくと分かるわけですけど、実はAはそれほどやりたくないので、Aをいくらやっても見えてこない。隣の人はAをやれというし、Aでうまくいった人もいるから無下にもしづらい。

経験則になりますがこういうときって焦って決めずにあえて「明確にせず、ふわっとした、曖昧を楽しむ、わからんぞ、決まらんぞ」をキープする。そういうほうがいいのかなと思ったりします。

ここで話が変わりそうなのですが、企画ってどっちかというとそういう人が向いているのではないかと友人を見て感じたんですね。つまり、これやりたいからみんなやろうってことでなく、「話していたらそういう方向になったからそっちでやってみるか」と。それでアイデアが生まれていて行動もしているので立派な企画なんですね。もっといえば、企画の仕方が違うといってもいい。一直線のモデルとか、右肩上がりとかの直線性を意識する人ほど分からない世界という感じもします。これってぐちゃぐちゃで、進んでいるか戻っているかも分かりづらい方になりますから。

僕もどっちかというと友人と似ていて、曖昧で分かりづらいことなんだろうなと。それがいいとも思ってないのですが、分かりやすい目標を掲げて何かするって出来ないなあと。それって興味や好奇心や自発ベースになりづらく、ある種リスクがあるというのは、そういう興味を縛ることで殺してしまうんですね。むしろ内発的動機づけを殺すにはお金をそれに与えるくらいウィットに富んでいて、興味でやってるのにお金にされるとお金がもらえなくなると興味も消えると。恐ろしいですけどそんなことが普通にあるかもしれないですね。

何かを決めてやるわけではないっていうと、特定のスキルや仕事ができないみたいになるんですけど、そもそもの仕事って特定のスキルだけで成立することは稀です。むしろある特定の何かだけでできることって相当の分業制であり、決められた枠なのでかなり潰しがきかないはずです。ジェネラリストになれとかってことでなく、ある種の未知感、あそびや幅があるからこそ面白いと思うのですが、そこを楽しめるかどうか、仕事とは何かもありそうで話が終わらないのでそこらへんはスルーしておきます。

ここでいいたいのは、何かを明確にやることだけが企画でも成長でもないなあという感覚です。もちろんこっちにいきたいならそうすればいいけれど、実は違っていたり、もしかして足元にあるケースもよくありますから、柔軟に変えられるほうが多分今の時代は動きやすいとすら感じます。時代によりけりってことですね。そして明確でないからこそ、曖昧さやあそびがあるので人をつなげるとか、概念的な感覚的なものでも会話ができるというか。

気づくとそういうのはわりと高度だったりして、決められてない枠で、創造的にもしかしてこれかもしれない、違うかもしれないけれど、動いていけるんですね。めちゃくちゃクリエイティブなわけですが、これ明確に決めちゃったら出来ない。少なくとも不明な点や分からない点が嫌とか、正解がないのが駄目とかではなくて、そういう曖昧な状態がプラスに機能する。それこそが企画や人をつなぐとか、コミュニティであるとか、創発であるとか、面白い環境づくりとか、ミッションベースみたいな感じだなあと。

僕は多分ですがそれをやり続けたいのだなあと深く感じました。少なくともアウトプット詐欺(笑)とか、それっぽいチーム生成とか、なんかCSR的な何かでごまかすとかめちゃくちゃ嫌というかやらないです。ごまかすって要領がいいことで評価もされますが、それって本質じゃないですよねって話がどこまでできるか。そこなんじゃないかと。本質的にいくと本音が出ますし、それで話さないとまあ何もまとまらないし、演じて終わりですから、幕が下りれば終わるというなんとも悲しい感じで終わるんでしょうね。

つまり、曖昧であり、まとまってない、何か分からない状態を開拓していってそれが0とするなら、1になるにはこうしていったらいいかも、組織や団体を横串でさすことで一気通貫した何かを見出すこと、環境づくり場作り的に、振る舞いをぐっと高めていくこと。まあ学びと成長みたいなことなんですけど、クリエイティブとか社会的といってもいい。そういう感じの場をもっと作ればいいじゃんと思ったのでそうしていきたいなと考えています。

それで注意点は曖昧さがいいとかってことで決めないことが価値とかって頑固にいってるわけでなく、やるといったらやるとかある程度のアクセルとブレーキは必須です。つまり、何も決めない=何もしないではないので、何かやるんだけど決めないので決めるほうが楽かもしれないとすら思います。でも人によって違うなと思うのは、そういう曖昧なところを整理していくのが楽しい人もいれば、整理したことで何かしていくほうが面白い人もいて、まあ違いってことでいいのかなと。

ここで違っていていいと言えるのは、自分が面白いって感じるところでやらないと持続しないし、パフォーマンスも出ないし、誰にとっても不幸ってことですね。ええ。

お金と面白さはトレードオフなのか

仕事を自分で作れる立場、それは経営や起業家、フリーランスであればそうなわけですが、お金を得られる仕事と面白い仕事は別のことが多いかもしれません。総じてお金を得られる仕事は面白みが少ないが、面白い仕事はお金が得られにくいと。

本当にそうなのかと疑いつつも、なぜそうなりやすいかというと、単に案件や仕事として自由度が低いとか、企画ができないとか自分の中の面白いポイントが規定されるかないかというところなんでしょう。むしろそれを個性とするなら個性を殺されるという感覚でしょう。ベルトコンベアにAというものを置いてと言われるのをやる。でもBを置いたら面白いかもといってBをおけば面白いといって評価されることはない。Aにしてね。これはつまらないですよね(笑)

面白い仕事はBをおいたら評価される。もっとやろう。Cもやろうとなる。実はクリエイティブはこういう感覚のはずなんですが、どうもそれは自由であり決まってないからなのか、面白そうとか楽しそうだからこそお金にならないみたいなレッテルが貼られがちです。実はこれは罠だと思っていて陰謀論みたいですけど(笑)面白いことをさせないある種の妬みの塊というか、もっといえば面白いとか情緒的なことを考えさせないというか、感じさせないために、辛いこと、つまらないことが仕事であるという感覚ではないかとすら思っているほどです。

それを疑い面白いけどお金になる。これって理想や夢ではない。ちゃんと設計して、少なくとも仕事が作れるならそれを誰かから聞いたわけでもなく、自分でやっている純度が100%近いかたちだからこそできるんじゃないか。と思い始めてきました。

そもそも、仕事自体が学習や成長、面白さや気付きがあるから楽しいわけですけど、というかそういうものが仕事という前提です。仮につまらないと思うなら面白くすればいいというだけで、制約があるかもしれない中で、どう楽しめるようにするか。自己啓発でなく、目の前の仕事としてやっていることが、今まさにどうするといいか、を考えること。起業も実はそうで、どうすれば今まさに手元にある何か自分のスキルややり方で価値を生み出せるか、それを誰が買うか、興味を持つかを考えること。をしていくことです。こういう説明の仕方をする人は結構稀だと思っています。それくらい形式的な起業とか何かはあれど、実は自分なりに仕事は作れるはずで、かつその意味合いや価値も自分で決められるのだとなると、多くの人は自分でコントロールしてやっていきたいんじゃないかと。

それを自由だ、お金だ、何かで煽るとかは下品だと思うのでしないですし、もっと地味なところで楽しい方がずっと楽しいはずです。この感じは伝えづらいのですが、毎日がちょっとずつほぼ楽しいのか、苦しい毎日で一瞬生きている1日だけ楽しいかどっちか。まあ圧倒的に前者かなと。後者って苦しい中で下手すれば健康を害するリスクも高いですからね、それを認識してやる人もいますけどね(笑)それは価値観の違いでしょう。

とはいえでは全部やりたい仕事かといえばそうではないわけです。でもコントロールしていって「その依頼はさすがにNGです」というのもあるので断るわけです。これがまさにコントロールです。断ればいいとか、受ければいいとかそういうことでなく考えてやりましょうってことです。状況で全然違うので、そこを研ぎ澄ましていくのが学びや気付きとなりそうです。断る話は先回書きました。コントロール感が強くなりそれで出来ていればまあかなり満足度は高くなる。そうすると満たされるのでより成長や気付きが得られる。そうやっていると依頼も質があがり、良いパートナーや良い仕事というのが得られる。ある種の好循環が生まれると。

これは理想ではなく、文字通りできる。だからこそ、トレードオフでどうかという問いかけはある種はまっていて、実は全くトレードでないかもしれないし、むしろトレードしないにはどうするかを考えて実践するほうがクリエイティブかなと考えています。

言葉がないなら作ればいい

例えば新規事業コンサルという言葉は非常に重たいです。新規事業を成功させるって派手な感じもしますし、一方でどこまで何をやったかが問われます。一方で大きな組織でそれをやったのか、単に担当していて実働はそこまでないケースもあるでしょうし、言われてやったのかどうかもあります。また組織内で振る舞えるからできたというのもあります。小さな組織ではそれを全部やるので規模感がでなくても評価されるかもしれません。

ここでは大手がだめとか中小組織がいいとかって話でなく、色々な事業開発ややり方があるはずで、一概にどういうスキルがあるといいか、または昔できたから今もできるとは言えないだろうなってことです。それくらい変わるのではないかと考えています。

例えば新規事業開発でヒット率3割なら10本事業を作って3本成功させられるので、1本を1年でやって回すなら(実際はそう杓子定規にできないと思いますが)、10年かかります。それで3本の成功レベルによりますが、それで3本です。投資的、仕事的にいって、当然10年で投資した金額やリソースをまかない得るものでないと赤字ですよね。だからこそ、リスクが高い案件だけでなく、低いが確実に取れる仕事ということで、既存事業と新規事業のバランスみたいな話になってきます。

ジレンマとしてはそこで、バランスの方程式はなく、かつ新規事業的なことをやらないとまあ何も生まれないってことだけは確かです。また上の3割って確率は相当高いわけで、そもそも何をやると新規事業開発になるか、またはスタートなのか、リサーチを始めた時期なのか、お金をかけてヒアリングしたりプロトタイプを作ったりしたのか、また成功の定義も売上の金額なのか(多くは数年でそんなに売上は作れないでしょう、運もあるでしょう)、影響度数みたいなものを作ってそれを指標とするのか、チームが出来て人員が増えれば成功なのか、粗利とかでなく本当に売上しかみないのかなどなど。

こういうことを考えていくとわけわからんのが実際で、そういうわけわからんで終わらずにやれるところまでやってみるか、自分なりの描くイメージは、言葉としてはアイデアセッター/チアアップというところで、アイデアをどんどん出していって確実に開発するというよりは一個でもヒントになりそれで勇気づける励ます立場で、もちろんできる限り形にしていくというのがしっくりきます。

ここで無理をしない=身の丈がいいというのは、小さいのがいいとか大きいのが駄目とかでなく、あくまでスケール感です。デカイ夢のほうがいい、大きなビジョンをもつ。すごく分かりますが、実際にそれをするよりも、実は小さく励ます方が身の丈=小さいという意味でなく自分のスケールとしてのものさしに合うということ、だなあと。もちろんそれで小さくやりたいというよりも、実はもっとそれが大きく影響を与える可能性があるかもしれないし、実はそれこそが世の中が求めていたことかもしれないなあと思ったりするわけです。無理に作って無理にやる時代はとっくに終わっています。そのスピードややり方を変えられない人ほど苦しいかもしれないし、「なんか物足りないよね!」と言う人ほど、自分の意見ではなかったりする=人の意見ということもあるわけですね(笑)

具体的には何でもいいのですがどんなプロジェクトも具現化するためにあらゆる方法を使って形にしていく。そのためにアイデアを出し考えていく。ある種プロデューサーみたいなイメージでしょうか。それって大きなお金や沢山の人がいるイメージですが多分そうではない。直観的には小さなムーブをその周りの人ができるようにする方が僕には合ってるし、そういうやり方もあるんだろうなと。そっちのイメージを信じて(まさに自信をもって)取り組むのが僕らしいかなと考えました。

こんなことをやってみたい=無理ですねやめましょう、とはいわなくて、なんでそう考えたんですか、やってみましょうか、いいんじゃないですか、ナイストライという方にしていくと。これは小さな僕の立ち位置の変化かもしれないですが、同時にものすごくポテンシャルがあるアイデアであり、ムーブかもしれません。

ということを伝えたくて書いてみました。なんかいいなと思ったらあなたもぜひアウトプットしてみてください。直観で書いたものって後でじわじわくることが多いのでこのエントリもあとでじわじわくるかもしれないですね、自分の中でですけど(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

ビジネスアイデア相談窓口

ビジネスアイデアに関する、アイデアや企画、事業、起業についてカジュアルなご相談はお気軽に壁打ち可能です。

詳細はアイデア相談窓口(お仕事依頼)をご参照ください。