アイデアを売るだけでない、アイデアの価値への気付き

コンセプトというか根底の考えにアイデアを何かしら生成しそれ自体でも、それを変化またはアウトプットして形にすることで「役立てる」ということが僕の中にあります。

これが大きく変わることはないのですが、10年前だと全然見えなくて、アイデアなにそれ?だったのですが、アイデアで試行錯誤していくと自分が形にしたほうが喜ばれやすいものと、不得意だったりなんか他に向いている人がもっといそうとか、そういうアタリみたいなのが分かってきます。アタリって正解とかでなく、あくまで僕が主観として感じる世界でしかないです。

ではそういうアイデア売却というモデルはわりといけるのかどうか、そこからさらにアイデアで役立てるということを改めて考えてみたいと思います。

ビジネスアイデア自体や単体の価値は分かる人には分かる

この話は試行錯誤から一つの記事にまとめていて、ビジネスアイデアはいくらで売れるのか?で書いています。ただこれって「いくら」というのが、お金でしかないんですよね。

売る、買ってくれるという点では商品とかサービスとかの価値と同様ですからまあそうなりますよね。

ところでこの売買のサイズというか、どういうところで売れるかというともうわかりやすい場所はないですよね。ないというか、そもそもの信頼がないと話にならないですし。

あくまで記事ではいくらかという目安でした。でも僕は今でもアイデア自体の価値はお金で換算するものではないという思いがありますし、この記事自体は実践からの話なのでそれ以上でも以下でもないんです。

結論的には、分かる人には分かるというところで、元も子もなくて、しかも分かった人がお金を持っててかつだそうとならないと成立しない。狭き狭き話なんですね。

となると、アイデアで固執する、アイデアという概念にしてしまうことで点か線くらいでしかないんですね。実際はそのアイデアが面でも立体でもなるということが魅力なんですが、それを評価する側が見いだせないならそれで終わりです。シビアというか実際はなんでもそうです。自分が立体化できるものを点でしかないんといわれたら「何を!」となって、形にしてもいいわけですよね。というか起業ってそういうパターンもわりかしありそうです。

ただここではアイデア単体にこだわることで、幅を狭くしてないかという感覚です。実際にアイデアを出すことはいいとしてそれができればわりとよくて、それを売ることにこだわりはないんですね。これはわりと一貫性があって、アイデア出しとして仕事をするのもその傾向です。実際にやってみたらどうだったかというところが大きいです。

スタートアップ的な世界ではありえるかも

スタートアップ的なものはまあ僕は向いてない感が満載ですし、聴いただけで胃が駄目になりそうですからやらないんですけど、出来る人はやるんですよね。とはいえ確率的には多くはできないです。できるってのは資金調達がまずできないし、そもそもサービスが続かないです。仮にいっても売れるところまでいかないですしね。というデータがあるわけです。

一方で少し前でクイズ買取サイトというサービスをやっている方の記事が面白くてこれはDMMに事業譲渡したという話です。興味深くてこのやり方がいいとかというよりも、選択肢を示すのはいいなあと。クイズ買取サイト「AQUIZ」がDMMに1円で事業譲渡、代表の飯野氏が目指す“新しいバイアウト”とは

とはいえこれは投資家とか見込みがあるからなわけですし、かなりのプレッシャーにもなりえますよね。これはきついとはいえ、選択肢としてあるか、例外かはおいておいてそういうのもあると。

そんなイメージであったのがcreww studioへの参加でした。実際に形にはできなかったので失敗とはなりますが、振り返りはばばっとcreww studioのアイデア起案者としてプロジェクトを振り返るで書いています。一つの期待ではありましたが、アイデア起案者と執行者が分かれるスタイルをこれだけでは弱いとは思いつつも、やはりきつかったんだろうということでした。実際に起案者としては、改めて感じた切り口または着眼点としてのコンセプトは伝わっていなかったかもしれないと感じています。ただ当時のチームが駄目ということは全然なくて、これが限界かなあというところでした。結果は結果というところで。

というのは、僕が感じたありがとう的なものって僕だけが感じているのではないはずという仮説があったのですが、その検証って難しいのですね。内面や心理ですし、あと問題はそれを可視化して形にして「お礼を言う」ことをチップにするというのが今では短絡的とさえ感じます。では今やるなら?といっても意外に良いアイデアがないんですね。アナログですが「その店に通う」がわりと最適解ですし、むしろ価値の単位としてそこは分解できないのではないかとすら感じています。分解できないって強みでもありますよね。

そういう期待があったのですが、やはりきついと。ここでもアイデアをどこまでMVPとか名前はどうでもいいのですが、買う側がいけるぞと思って何を会社的にも市場的にも見るかだけなんですよね。という意味で「アイデア自体」を売るのとは違うのですが、とはいえ出てくる形をどの程度にするか、どこまで形にできたかどうかは僕からいえばわりと誤差でしかなく(実際は大変ですけど、開発や検証は時間かかりますし、コンセプト固めてもニーズないなんてザラじゃないですかというところです)結局ありえそうで、ズレているというところでした。つまり、成立しないわけではないけど確率的にはきついということです。どれくらいかといえば、100あって1あるかどうか。ちなみにその100結構な思いがあってやっていけるアイデアがあってのレベルですから、体感として1%でなく、0コンマみたいな世界かなと。

これってなんだろうと思ったんですね。別に確率が低いからやらないとかではなくて、行きたい方向かどうかということでした。あくまで起案と執行が別というのは、確率が高まると思ったんですがそれもどうかという話ですね。正解はないのですが、多分それで出来るケースは稀だろうと。少なくとも僕がやれるかというと怪しいよなというのがここでの結論です。

これは、SWINGみたいな新規事業コンテストへの応募もしたのですが、アイデアだけ投げてとかってまあ出来ないよなあと。熱量がないとかそういうことでなく、執行者がいてもちゃんとバトンを受け取れるかとなるときつくなって、結局渡す側が会社であれなんであれ出来るかどうかって現実に適応していくと色々ズレるのできついんですね。これは純粋に自分が何か十分な予算や人材がいて実行しても一緒だろうと考えると、この状況=アイデアを提案するということが課題ではないと考えました。

ここでの結論、スタートアップや限定される場ではありえるかもしれないが、それでもがんばってアイデア自体でなく企画性、実行性が問われるよなあというごく当たり前の結論です。

「アイデアで役に立つ」を捨てないこと

それでも僕がアイデアで役立つということを捨てきれてないというか捨ててないのは、そもそもの仮説として「アイデア自体」でというところを棄却して、そもそも「アイデアで」というのがいつのまにか「アイデア自体」にすり替わっただけではないかとも言えます。実際には大きな違いはないものの、アウトプットや形を変えていくと見えない、わかりにくくなります。

例えば企画書を創るのはアイデアがいるのですが、アイデアを売っているといってYESというかNOというかは人次第です。ただ僕はアイデアを売っている感じがしていて、それであればオッケーなんです。プログラミングでやればできそうだというときのアイデアは経験と実践からやれるとして、その自動化のアイデアやプログラムも「アイデア」なんですよね。アイデアで役立っていると言えます。

もっといえば、人の相談でアイデアで返して喜んでもらったらそれで満足だったりします。ここまでのアイデアで役に立つというのはとても小さい話で、小さいから駄目とか思ってなくて、これで十分なんですよね。もっと細かくいえば、やる気がでないときに少し皿洗いをしたらなんか切り替わってやれた、ならそれも立派なアイデアです。これは自分にアイデアを使ってます。例えばネットで見かけた誰かで知らない人だけど応援コメントをするのもアイデアです。その人がどこまで伝わったかの判断は難しいけれどそれも一つのアイデアだなあと。メタ化すれば、そういう仕組みで応援できるのもありだな、と得られるわけですし、かつそれで応援された側が元気になれば嬉しい。

こういう小さい感じで十分なんですよね。これスケールがどうこうはどうでもよくて、僕が心からそう思っているのだ、で終わりなんですね。そう気づいたのでそうなのですが、話は非常にシンプルになってきます。

つまり、アイデアということでわかりやすいことを想定していたんですが、わかりにくくていいと。分かりにくさで人を集客するわけでもないです。別にそれで怪しいことをやるわけでもないので(笑)

伝えようとすることを放棄するわけでもなく、とはいえ無理に分かりやすくしても失われるだけです(ここではアイデアで役に立つを、無理にビジネスアイデアなどわかりやすいものにしたこととかです。これはこれで一つ仕事にはなりますが、逆に「アイデアを売ってそれでどうか」ということは消えてないんですね。これで満足ならそれで終わるのですが、アイデアを売って満足とかはなくて、やはり形にして企画していくことやそういうところで役立ちたいと考えるわけです。これってアイデアを売るだけで考えていると到達しづらい話ですよね)。

無理しなくてもなるようになるという精神といえばいいのでしょうか。

そう考えていくと、あるアイデアをMVPだとかいって、固めてそれを売れそうな人に持っていくとかは僕がやりたいことではないとなります。とはいえこれは狭義の話で、広義でいえば、アイデアを考えてどうするかはおいておいて、何か役に立つようにする。というだけです。それが冒頭で書いたものにつながってきます。

もっといえば、アイデア出しをやっていくことで、とくにビジネスアイデアという具現化された(実際はそのアイデアでは何も形にはないのですが)具体アイデアがあった。それはそれでいいのですが、それで仕事になることで本来の役立つという視点が疎かになったと言えるでしょう。実際にはアイデア出し自体は適当にやってるわけでもないですし(笑)そこで役立って喜んでもらった事実はあります。ただそれが本来やりたい方向性かというと、今はなんかズレてるなというところです。

アイデアを出して役立つも一つです。しかしそれは僕のやれることややっていることの一部でしかない。そうであれば広げていって、無理に広げてないのですが、自然にアイデアと自分が解釈を出来る領域でやればいいと。それは企画書作成も文章を書くのも、相談に乗るのも一緒だなと。それこそはまさにシゴトクリエイターにふさわしい捉え方であり、かなりストンと腑に落ちた感じがしました。

お金ではないアイデアの価値

ビジネスというとどうしてもお金的、つまり売上額とか稼いだ額とかが出ます。それはもちろんそうなのですが、100万稼いだのと1000万稼いだのでもいいですし、売上が1000万なのか1億なのか、これって10倍違うので10倍の価値が常に後者にあるってことになりますよね。でも本当にそうなのか?と。

実際はそうじゃないんですよね。小さい店舗なら1000万とかはざらのはずで、そういうスモールビジネスでも生きていけるのでそれをやると。その店が生鮮食品でお肉屋さんで地域の人から確実に来てもらっている、赤字ではないがーみたいなことってあると思うんですよね。いわゆる小さいお店ですよね。小さい会社も同様です。それらの小さいものが「良い」とかでなくて、そういう場合、10倍稼いでいる店舗や会社があったとしたとき、比較する意味があるかどうかなんですよね。

比較できるのがそもそも「売上」額とかの数値でしかできないでしょう。地域に貢献している、お客さんが喜んでくれる価値って定性的なものですから、比較しづらいですよね。だから自社の価値を考えるのは意味がないとかでなくて、そもそも比較する意味があるかって話なんですよね。比較をしたいならすればいいけれど、自分で自社や店舗基準ですか?ってことですね。そうならいいけど、そうでないなら他人基準に乗せられているので一生なんか違うなで終わるわけです。

つまり、上でビジネスアイデアとして提示することでお金を頂く。これは立派な仕事だと僕は考えています。また続けていくのは確かなのですが、これってお金に変えるだけではないし、価値ってもっと高いのではないかということです。つまり、焦って「換金」するからこそ、その目の前のお金しか得られてないという仮説です。もちろん生活の余裕とか色々なものがないと「目の前のこと」だけになりますから、それは分かります。

一方でそれでいいのかというと良くないので、ではアイデアを即換金みたいなことをせずに、違うものにしたり、丁寧に発酵というか、ゆっくり長期で時間をかけていけばいいのではないか。これって前書いた代理販売ビジネスの話と似ています。短期でみれば成り立つのはつらいし、短距離走として一気にスプリントみたいに駆け抜けるのの繰り返し。これは僕の性にもあってません。しかしそれを長期というレンジを長くすることで、もっとゆっくりと関わっていって創っていくという流れが出来ます。焦りは禁物です。

もちろん、ビジネスとして短期でやるとか、ビジネス寿命が短くなるとかってのは一理あるのですが、それって大きなビジネスとか、人の関わる数が多いとかで、スケール前提が違っているので一旦無視してます。その影響がないとは言えないが、そもそもそんなビジネスや仕事をやりたいのだっけ?ということです。そんなビジネスとは、スケールが大きいとか、誰もが知っているようになるとかです。そもそも僕の思いはそうではなく、10年前も1回目の起業は「社会を面白くする」とか、社会に対してどうかでしかなかったんですよね。アイデアとかやれることって限られるので申し訳ないというか。会社に所属するのが駄目とかよりも、うまく既存の仕事に収まってやるということができなかったし、これからも立ち回りとしては変わらないのだろうなと。ある種の悟りです。

むしろそこで勤めるとか、勤めている人を責めてないんですよ。別に関係ないというか、人次第ですし、やり方次第ですから。純粋に組織で上手く自分を活かして組織もWINとなるほうがいいに決まってるくらいですよね。良い企業であればそれもできるし、そんな話にならない企業もあるでしょうし、本当企業次第ですよね。

つまり、ここでの結論は、アイデアを焦って換金しないという、ある種の気づきといっていいでしょう。それが結論です。つまり長期でアイデアを持って役立てていくという路線や方針は変わらないし、そうやっていくのだろうということです。

着地点は明確では当然ないのですが、アイデアが生まれたり作れたり考えられたり、かつそれで役立ったりそして、その関係性が良いものであり、良いお客さんであり評価もフェアであるとき、僕は幸せを感じます。これは理想っぽいかもしれないですが、既にいくつかの仕事でこれを感じています。全部満たすというよりも、やはり10年前に掲げたのですが「人→仕事→お金」という順番がある種の方程式です。人ありきで、逆はないなあということです。お金になるからその仕事をやるはありそうですが、だからといって人がひどいと継続は辛いんですね。それわりとストレスや葛藤で抱えている人はいると思いますが、ある日突然解消されることはないでしょう。そもそも人が変わることはなかなかないですし、お金→仕事である時点で何か失われています。

もっといえば信頼できるか、心から話せるのか、違和感がありすぎではないか、その仕事をやって何になるのか、見える景色や状況を共有して、応援したいか、または応援されたいか。これって気持ちよさでもあるのですが、人の魅力ですよね。一言でいえば。魅力がある人と仕事をしたいだけであって、またこちらに魅力を感じてくれればそれを提供すると。そういう人でつながれば、仕事やお金は枝葉となるという理屈です。もっともその場合に人でつながったのに、仕事は超きついとか、お金がぜんぜん見合わないってまずないはずです。あれば搾取ですよね。搾取というと言葉がきついですけど、それは人で魅了した詐欺といってもおかしくないです。

なぜそう言えるかというと、人でつながるところで、その人が分かる時、ある程度見える時に、そもそも相手を思いやるとか、想像するということが出来るからです。こちらが想像すると同時に相手も想像できるので、言語化したかどうかは別です。つまり、人で見たところで、悪いことになりようがないってことです。もちろん騙す人もいるのでしょうが、騙す人はやはり常に騙すか、騙し続けるしかないので、必ず分かるということでしょう。仮にそういうだましがあっても、ダークサイド(笑)に落ちる理由にはならなくて、それこそダークサイド側に貢献することになります。やさしい世界というイメージですが、それってあるんですね。これは宗教や思想の話かもしれませんが、やさしい世界を信じられるかは経験や環境が大きいです。

その環境イメージが曖昧でも見えるからこそ、そう言ってるんですね。全く見えてないのにさすがに青写真は描けないのでというところです。

長くなりましたが、お金にすぐしないことで得られる価値はもっとあるということです。

いくらで売れるかという記事を書いたときは全くそういう気付きはなくて、むしろさらに高くするには事業化しかないと思っていたところでした。これは間違ってはないと思いますが、一方で事業化というと、また話やスケールが違ってきて、コンセプトに戻って「アイデアで役立つ」ところを追求しないと、仮に儲かっても、うまくいっても、なんでこんなことしてるんだ?ということになるからです。軸がズレていると結果的に全ズレってことですね。

社会に役立つことを前提としていきたい

社会起業家みたいなものになりたいわけでもなく、シンプルに他人や他者が喜んでくれることをやっていきます。仕事って本来そうですし、人が求めるからこそやるんですよね。もちろん時期やタイミング様々な要因があるので、一概には言えないんですけどね。

そうやって考えていくと見えるのは、自分が押し付けたいアイデアとかはもちろんなくて、あなたが必要としているのはなにか。それあれば僕で良ければやりますよ、手伝えそうなら。ということです。これを愚直にやっていくしかないなという気づきです。

これこそまさに社会に役立つということで、その影響力は正直どうでもよくて、まずその求める人や関わる人からスタートです。その人が喜んでくれない限り波及も何もないからですね。そしてそれでそれは良いアイデアだよとか、それはもっとやったほうがいいとなって、僕が動くというよりも、そのアイデアが事業やプロジェクトとなったり、関わる人が勝手に動き出す。それは熱ですけど、そういうあり方が自然なんですよね。

これは理想ではないんです。そうやってしか人は動かないし、僕も動けないだろうと考えるからです。社会に役立つことを前提というとそうではないことが多いのかなという現状があるからですが、実際は心から役立てようとしている人は行動しますし、アイデアも出しますし、やれるんですね。精神論っぽいですが、わりと試されます。

僕も心からどうかは正直分からなくて直観なんですね。なんかやはり自分が満足したり、良かったなあではもったいないし、世界は広がらないですよね。心からという言葉がやや引っかかる人もいるかもしれません。ただ、口ではなんとでも僕も含めて言えますよね。こうしたいああしたいって。こうなりたいああなりたいって。でも、それって出来ること少なくないですか?少ないというか、そもそもそのやりたいとか、なりたいに対して、無意識かどうかはおいておいて否定してたり、「とはいうけどできないんだろうなあ」とか思っちゃうことがわりと強いんだろうと。

口でどういおうが、嘘はつけるので、心の自分の本音があるわけでして、それが変わらないなら変われないってことです。本音は変わりたくないのに、口では変わりたいっておかしいじゃないですか。でも「変わりたい」という人は変わりたいのかなと思ってしまう(笑)でもそうではないんですよね。面倒くさいですけど、それが人間だったりします。心からとか言っても僕も実は本音でどこまで思っているかはわからないんです。となると、やはり行動したり、何か検証して試すしかないと。そうなるはずです。

自分の中で、社会というとものすごく曖昧で漠然としていたことはないんです。ただ社会のためにというと、全くピンぼけしていて分かりづらいと。分かりづらいのですが、社会って人によって違うじゃないですか。だから明確な規定はできないなあと。家族かもしれないし、職場の人かもしれないし、政治っぽいことかもしれないし、テーマがあってその研究かもしれないし、サークルの仲間かもしれないし、親しい友人かもしれないし、隣さんかもしれない。わからないですよね。

そこまで考えると見えてくるのは、人にとっての社会とかはまずおいておいて、自分が思う社会があると。それこそご縁があった人たちというのが適切でしょうか。そういう人に対して役に立ってもらう、必要としていることを応援する。まずはそこからかなと。それってとても自然です。自然だからこそ、そこを丁寧にやって形にしていくと。それが僕が得たアイデアの価値というのがお金はおいておいて、人に役立つことで価値とするという気づきでした。

これってお金で換金できないし、換算すれば虚しいというか、役立つってそれ自体価値なのに、虚しさが残るんですよね。また人との出会いもお金に換算してしまう(紹介するとお金がもらえるのもあまり良くないですよね。むしろそういう仕組みをやるならそこは何もなくして、違う場や形で仕事にしてそれでお金にしたほうがいいでしょう)。そう、全部お金にしてしまうんですね。お金の価値がないなんてそんなことは全くなくて、そこをお金にしてしまうことで思考がもろくなるし、そもそもお金のために生きているわけではないんですよね(笑)

そもそも生きるというのはなにかとなってくるわけで、それって楽しいこととか、笑いあったり、お互い助けたり、良い人がいたなあーとか、良いことしてもらったなあ、それを僕は循環していくことが良いと考えています。ペイ・フォワード的なやさしい世界は全部無理でも自分が関わる人ではやっていくし、やっていきたいと。もちろん好き嫌いが出るのはしょうがないので、そこはしょうがないとしつつも、それでもお互いにというのは僕がやりたいことなんですよね。そうすると、僕が受けた恩も社会に還元して、その還元を誰かやどこかでキャッチした人がまた別の人に還す。これは素晴らしいなあと。仕事って多分そういうことなんですが、どうも見づらくなってしまった、またはそうなる構造かもしれないですよね。

今後そこらへんを、つまりアイデアをお金にすぐするとかでなく、長期で見てどうかを考えていく。関わりをもって長い時間で役立ってもらう、そういう考えをもってさらに高めていきたいと考えているという話でした。

もちろん、人によっては今お金が欲しければお金になる仕事をやるべきとなりますし、長期でやりたいなら長期でとなります。一ついえるのは状況がどうあれ、お金を追うとお金で切れるので関係って脆いってことです。逆にそうでないつながりなら、お金も生み出せるかもしれなし、仕事も生み出せるかもしれないし、もっと大きく社会やその人を巻き込んでいけるかもしれない。これもやはり視点というべきで、もし目の前のことしか見えてない感があるなら、ぐっと長期で考えてみるのをおすすめしたいというところですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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