事業企画書を埋めたら事業ができるわけではない

タイトルそのままなのですが、それを考えてみました。

実際に事業企画書を書く機会が多いのですが、事業企画書があれば事業ができると思い込んでいるのでは?という方がいます。

まさかそんなことはないと思う方はスルーでいいので、「え、そうじゃないの?」と思った方はぜひ読んでみてください。

事業企画書を埋めると事業企画書が出来る

馬鹿にしているのでなく、そのままです。事業企画書とは、簡単にいえば、事業をする上でのリソースや意図、収益計画や戦略、強み弱みとか、まあ色々書くんですけど書いて頭の整理は企画者がしつつも、結局それを伝えると投資家なりお金を融資する人とか、関係者が動くってことを言います。

計画と企画の違いも色々ありますが、計画はスケジュールでしかなく、起こす意図は弱いはずです。指示といってもいい。またはタイムラインを組んだといってもいい。もっともそれをそのままやれるのはまた調整なりの力がいるし、計画と実行は違うとはいえ、実行できない計画もまたなんともです。とはいえ、だから計画書の意味がないわけではない。

それで事業企画書の項目に色々と入れていくじゃないですか。入れていって書いていってそれで出来るとします。はいできたと。

それで事業が出来るかというと、それは別です。事業企画書が出来るだけといったほうが正確です。

事業をやるとは一体どういうことか

これはかなり難しい問いかけですが、あえていえば、事業をやるとは、どんな規模であれ、やり方がどうであれ、未来への投資となります。投資とは、お金や時間や考えを検証するということです。よって、それが成功する保証はないです。精度を上げることは大事ですが、やらない場合は精度の検証も出来ません。だから絶対やったほうがいいとかってことでもないですよ(笑)

つまり、未来に対する行動であって、そもそも論理的ではないんですね。起業する時は非論理でないといけないと思っています。この時の論理とは、企画が適当でいいとか、計画もずさんでいいとかってことではないです。やるという行為が非論理で情熱ややる気がないとできないのと、あと維持できないです。

もっといえば、適当に考えた事業企画が出来たり儲かったりはまずないです。仮にあると悲劇です。宝くじで大金を得て使いみちに困ってしまうのと同様で、それで右往左往するだけで終わるならいいですが、それで大金があるから使う生活となり戻せなくなり借金生活となるのはやはりありえるわけですから。そのようにラッキーは身を滅ぼすことすらあるので、怖いわけです。というわけで、適当なものは適当だからこそ失敗したほうがいいとすら考えています。

そして事業をやるとは、結局人が使うならその人が喜んでくれて、そしてお金を出してくれるというのが大きな設計となります。あなたがペットが大好きだったけれど病気になって大変だった。もちろん世話はしたのだけど、そういう気持ちを味わったとします。それを解決することってできないか?は事業アイデアとなりますよね。当然ペット病院や獣医ですよね、そういうところでは出来ない問題であったり、できなかったからこそ課題となったというところがあなたなりの課題の発見であり解決が見えるわけです。

というような端的にいえば企画者や発案者の課題や解決がいまいち弱いものは、コンセプトレベルで超弱いです。土台がないといってもいい。土俵がないといってもいい。だから、それで作ったところで、意味がないんですね。

これについては、難しいのは意味がないということが「分からない」ケースもあります。事業自体が事業企画として何かペーパーがあれば出来ると思い込んだり、自分の事業は間違いなく推進するという思い込みだったり、どちらかといえばこれは人、つまりやる人の心理の話です。

どれだけ完璧な計画や企画でも、やる人がいてどうかです。なぜかやる人、自分を過大評価してしまうわけですけど、そういうのが人間です。評価していって出来ればいいのですが、出来ないからこそ問題となります。原因は自分だったりするのですが、そこに気づけないのは僕もままるわけですが(笑)結局そういう弱い、人間って弱いぞということを受容してない場合はとても傲慢で企画も乱暴な感じがしますね。

心理面を入れた企画は強い

心理面とは人の弱さといってもいいです。

つまり、自分が悲しかったり怒ったりでもいいし、そういうのは一時的なこともありますが、やはり残っていたりします。また自分だけではないです。関わる人、つまりユーザーの心の動きであったり、パートナーである企業の感覚が分かるとか、そういうのは強いですよね。

これってなんでしょうか?実際にはアンケートデータや市場調査で定量的なもので証明すればいいと思いがちですが、こういうデータってもう適当にでもできちゃうんですよね。都合の良いものを集めて来ればそれっぽいものになる。けれど、それって根底や潜在的には弱いデータです。データを出汁にしているだけで、じゃあ一人でもそういう困った人にアプローチしたのか?それともせずに想像だけなのか?

当然想像だけは超弱いってだけです。だけなんですけどだから屋台骨もできない、土台もできない、そもそも企画となっていない。想像の塊はかなり辛いです。

そうならないためにも、一個でもメスを入れて検証すればいいんですね。本当にこれ使いますかね?いや・・・使わないですね。で終わらせるというか、ちゃんとけじめを取るのがいいのかなと。そうやって終わらせると、考えたことが無駄でも試行錯誤が意味がないわけでもなく、次に活かせばいいだけのことですから。

また心理とは、結局色々な人を考慮することになります。つまり関わる全ての人に細かく考えていくことができる、解像度が高いってことですけどそういう企画は熱量も解像度も高いので、絵が見えてきます。つまり、「ああ、この企画はこんなことをして、未来を思い描いてるだね」ということが分かるわけです。

これが伝わらない企画書はどこかで、ごまかしたり、想像がたくましすぎたり、検証がほとんどされてなかったり、「こんなんでいいでしょ!」みたいなことや、計画書となっていたりかなと思います。

事業企画通りになることはほぼない

ということを前提で考えてではどうしていけばいいかと考える材料や土台となるのが僕が考える事業企画書の存在です。ないなら話も進まないし、見えてこないからです。

逆に企画書があってもどう実行していって、何をしたらいいか。見えないのであればやはりそれはまだまだとなります。予定通りにならないからこそ楽しいとか、どうすればイメージに近づけるのかを整理していく。

整理された時とされてない時ではかなりの違いがあるのですが、それを侮るとこれも痛い目を合います。

社会は自分も他人も色々なものが変わってくるので、ある時点の企画書はタイムラグが出てきます。うまくいくと思っただけではいかないのが実際です。

こうなると事業なんてほぼ成功しないと思うわけですが、いやいやそうでもないと。ある種のチャレンジがあってそれは確かにうまくいかないわけですけど(失敗と捉えない)、どんどんそこからラーニングしていけばうまくいく(成功とも言わない)確率は増えます。これは芸事といっていもいい。やっていて考える人はやはり事業が上手い。それだけです。やってないなら上手くない。ギターが上手い下手みたいな話ほどシンプルではないけれど、似たようなものだと思います。

考えたら絶対成功するわけでもないですから、このあたりがとても不確実性があって僕が好むところです。誰もが出来たり直ぐにできることに僕は価値を見いださないので、あまり人がやらないことをやったほうが楽しいと思っちゃうだけかもしれませんが。

よって、うまくいかないのではないか?という不安でなく、そのツッコミで精度を上げていくことは多くは「よくぞ言ってくれた」という称賛が多いという肌感があります。そうでないこともあるかもしれませんが、そういう穴だらけの場合やはりどうあがいてもきつい場合はきついって僕は言いますね。意地でも出来ないと言わないのもある種の信条ですけど、物事は適度やほどほどだったり、無理なものは無理だったりします。

この正解はないですから、事業も楽しんでワクワク出来るものをやったほうが当然いいのでそのようになれないものは色々と問題があるんだろうな、というところでした。

そして、くどいですが、事業企画書があれば事業が出来るわけではないので、事業企画書を書いているけど事業を何もしたことがないならなんでもいいからさっさとやってそこで得た知見を生かしてさらにというほうがいいですよね。規模は関係ないです。自分で小さい仕事をしてもいいし、何か売買してもいいし、なんでもですね。事業となると、それが再現性や仕組みがある程度あればグッドというくらいで。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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