人は生まれつき優れた人と劣った人がいるという違和感

マインドセット本では、硬直したマインドセットの人は「その」ように考えるらしい。

つまり、本記事タイトルにある「人は生まれつき優れた人と劣った人がいる」という前提だ。これは色々な人の考え方があるが、多分そうではない。もちろん先天的になにか、今では遺伝子とかDNAとか違いは分からんけども、まああると。とはいえ、多くは後天的、つまりオギャーと生まれてから学習や今あまり言われない「努力」で能力は身につけられるのだと。

もちろんそれだけではないのだが、そこを軽んじてしまうと、まさに硬直したマインドセットで、今時点知力が足りないと言われた人はそのままであるという考え方になる。これは非常におごった考え方だと僕は思うが、そうでない人もいるようだ。

面白いのはマインドセット自体はメタ認知的というか、メタ的だ。自分がどう振る舞うかという具体的なこともだけど、その振る舞うのはなぜか?という姿勢はメタ的であり抽象的だからだ。メタ度が高ければこのマインドセットは多分扱っている人が多いと思う。低ければ言わずもがなで理解がなかなか難しいかもしれない。

今回は、違和感というところで思い出したことがあるので書いてみたい。

イベント企画での指摘に感じた違和感

僕が以前ある企画で行った、20代であったがその時のイベント時に、大人たち(10以上年齢が上の人達の意味)に言われたことを思い出したのだ。多くはそこの参加者である。正確には特定の人となりそうだが、あえてぼかしておこう(笑)

そこで言われたのは論旨はこうだ。例えば人によっては役割があって、それに甘んじるというか適性がある。だからその適性に応じた運営をすべきだというような話だ。

適性論はまあ妥当だと思うので、例えば苦手なことをやらせる、またはやるよりも自分が得意な方を伸ばしたほうがいいと思う。一方でそれだけではないのも実際だろう。

ただこれは「言い得て妙」だなと思えるのと違和感としてあったのは、それは上の話に戻すが、「人はその能力が固定化されている」というニュアンスがあったことだ。つまり、AさんはB的なことをやらせればいいというある種の管理、または支配的な考えて、固定的、つまり上でいう「硬直したマインドセット」だったのだ。多分その発言者こそが「硬直したマインドセット」の持ち主だから、その考えが悪いとか合ってないことは認められないのだろう。僕は違和感を感じたので結局その通りしなかった。とくに企画運営に支障はなかったからだ。

振り返ればかなり前になってしまうが、その違和感は正しいというか、なるほどなあと思った。硬直した感覚が硬直性を再生産するといってもいい。そして、僕が違和感を感じたのは「しなやかなマインドセット」があったからといってもいい、その証明となる。しなやかであれば許されるとは思わないが、少なくともその時点で「人は今ある状態の力でしかない」という決めつけがとても嫌いだ。

経済成長は宗教といってもいいかもしれないが、人間の成長はある種のマインドセットなのかもしれない。もっとできるとか、もっとやれるというのは当然ブラック環境においてはありえないが、そうでないならばとても良いことだと思う。そういう感覚がない、またはそれがない前提で「決めつける」のが嫌いだったのだと思う。

大学のレポートを貸してくれてせがむ同級生

さらにいえば、これは大学でレポートを丸コピさせて(といってないが実質そうなのだろう)といってきた同級生にもそう思ったのだ。青臭いかもしれないが、未だに考えは変わってないのだ(笑)「なんで、自分で考えて書く(だけ)で終わりじゃん」「いや参考にしたいんだよね」じゃねーよという話だが、確か渡すことはなかったと思う(笑)こういうと友達思いではないとなるが、そもそも同級生=友達ではないので、認識が異なっていた。そもそも論として、なんで大学来てるのかを小一時間問い詰めたいわけだが、問い詰めたところで相手がどうとか分かるってことでもない。

僕はお節介ながらもここでも「相手にしなやかさ」を求めていたとなる。けど、彼はそうでなく悪く言えば自分はその学習能力がない、または不足しているので、君のレポートで補う=単位が欲しいとなるわけだ。要領がいいと言えるしそれをどう評価するかは人次第だが、少なくとも「しなやかさ」とは、要領でなく、自分が学習して成長すること、平たく言えば勉強せいなのだけど、それを求めていたのだと思う。

でも彼は「硬直したマインドセット」を持っており、自分で勉強して高めるということは全く感じられなかった。ので仲が良くなかったのだろうし、話があうわけでもなかった。という同級生はいくらでもいるわけだが、まあそれはおいておいて、そのようなマインドセットの問題だったのだなと非常にというか、とても理解が出来た。

まあマインドセットというと小難しいが、学びに対するとか人生に対する精神性に近い。どう生きるかといってもいいし、姿勢といってもいい。その言葉は色々だがとても納得がいったわけだ。

他にもこういった違和感はあるかもしれない

こうやって事例を出してみたが、「成長前提」であることはもちろんない。皆がそういう思想や信条ではないと思っている。ただ、なるべくそうやって高め合うという関係性を構築していくのがいいと思っている。自分もしなやかでありたいからだ。それだけなのだが、わりと阻害したり環境破壊(自然環境ではなく)をしてくるケースもあるのが厄介だ。

高めあえるという関係性はここにおいて、ある種の成長を共有しているといえる。経済成長を個人に変えて、例えば年収を上げていくみたいな短絡的な考えがあったとしよう。では年収が上がらなかった仲間や友人がいるとしてそれは友達ではないのか、学び合えないのだろうか?

おそらく硬直したマインドセットの人は「友達ではない」というだろう。それか「私の仲間=配下として使えないやつは切り捨てる」ということだろう。恐ろしい考えだと思うがわりとこれをやってしまうかやっている人もいそうだ。恐怖政治といえば分かりやすいだろうか。

つまり、成長といっても僕と友人のレベルは違っている。もっともずれまくっていたり、良くわからないことが多すぎると話はかみ合わないのでそこはある。そういう点はある程度カバーしつつも、とはいえうまくいかなかくなったから友人でなくなるとかそういうことはまずない。それが信頼というものなのだから。

僕がしなやかさを保つためになにかしているということは意外にない。ただそのようにありたいという願いこそが、希望だが、ポジティブさや失敗に対する寛容であるともいえる。個人的には文字通りそこまで思いつめてもないしニュートラルのだが、僕が「受け入れられない」と思う人は相当の人という話もあるので文字通りそうなのだろうと思う。なんでも万能完全な人はいないのだから。

ここでいうマインドセット自体はどうなのか。先天的では当然ない。だからこそ学び成長することが大事なのだなと改めて思ったという話だ。むしろその感覚があれば文字通りいつでも人は変われるし成長できるのは可能性といってもいいし、僕はそう考えた。そういう余地や余白があるからこそ、もちろんうまくいかないとか不安になることは「完全に消える」ことはないのだけど、焦点を当てずにいい感じで集中するは多分訓練である程度出来るというわりと救いのある話でもある。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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