分散と集中の話を考えてみる

ふとしたメモで、気づいたのですが、この分散と集中を人は繰り返すのだろうということです。大事なのはどっちかがいいのでなく、どっちも繰り返すので繰り返す数が多い方が良いのではないか。ここでの良いとはアイデアが出やすいとか、集中したり広げたりが出来るのではってことです。

人は集中と分散を繰り返す

左から過分散、分散、ニュートラル、集中、過集中とあります。イメージでは、過が付けばやりすぎなので壊れガチってことです。そうなったら駄目ということでなくそういう状態はやりすぎなのではってことですね。

具体的に、過分散だと散らかりすぎてしまっています。統合の失敗と緑で書いたのはそのとおりで、散らかりすぎて部屋がもうどこから手を付けていいか分からないってありませんか?またはやることを書き出したのはいいけど多すぎてこれ終わらないとか。大体深夜まで働いて何かみたいな時ってそもそも自分ひとりでやることではないパターンですから、その時こそ客観視して状態を認識したいですよね。まあそれができないからきついんですけどね。それはおいておいて。

逆を見ましょう。過集中もアウトです。これはストレスフルと書いちゃいましたけど、集中はパワーがいるんですね。分散はどっちかと言うと集中ほどいらない。つまりパワーをかけすぎて疲れる。単に脳内物質が減るのかもしれませんが、疲れます。これによって他のことはできないはずです。ゲーム開発とかしている人で過集中してない人はいないのではないくらいな感じですが、まあゲームに限らずなんでもやりすぎは色々と壊れますよね。

だからどちらにせよ、過はやりすぎで色々と壊れます。過分散だと散らかって苦しいし、過集中だと疲れて終わるという感じです。

ニュートラルゾーンにいることがいいわけでもない

ここで正解や解を出そうとしているわけではないです。むしろ、バランス理論を提唱していて、状態を意識するといいかもくらいです。例えば分散寄りなら集中しようとか、集中しすぎなら分散しようとかってことです。

本来であれば、このバランスは自然に取れているように思えます。出来ないとどっちかに偏るか、極度に往復しても疲れそうですからね。出来ないと、意識したほうがいいかもですが、「普通」は取れているのではないかなということです。ここでいう普通は自分の過ごしやすい感じのことであって、絶対的平均的ななにかではないです。そこは誤解なきよう。

では、ニュートラルゾーンとして真ん中にあるのがいいかというと、実はニュートラルでいても結局はどっちかに偏るはずです。ぴたっと中立ってありえないので、ニュートラルっぽくても、集中よりとか分散よりとかがあるかなと。

その上で、僕の中で色々やりたいって分散モードがあって、ここはこれに集中したほうがいいっていう集中モードみたいなものがあります。このモードは左なら分散まで、右なら集中までって感じですね。今どちらにいるかが大事だと思っていて、あえて違う状態に無理にやろうとすると疲れますよね。

例えば集中しているのに、分散で広げるとか辛いですし、分散しているのに強制的に集中とかは辛いです。もちろんいきなり分散から集中とか、集中から分散するわけでもないのでそれこそグラデーション的になっているわけです。

またこんなキレイに分かれているわけはないと思っていて、分散だと思ったら集中とか、ニュートラルなんてないとかって人は結構疲れるかもですね(笑)

なんにせよ、ニュートラルだからいいとかでなく、結局分散と集中を行き来する感じが伝わればOKです。

分散と集中の特徴

分散は視点拡大と水平思考

視野が広がるというのは分散が多いと思います。抽象と具体でいえば抽象に近いと思っています。まあ捉え方によっては分散する各対象が具体であるとか色々理屈は言えるのですがそこはおいておきます。

視点数が多くなるのが分散です。例えば事業アイデアでいえば、あるアイデアだけを考えるより、テーマが違うことを考える方が広がりやすいです。これは対象のことを知らなくても別のことからアナロジーなり色々補えることから明確です。色々な経験をしている人の方がアイデアは出ます。

水平思考も同様です。一点、社会課題として就労問題を捉える人よりも、就労とは言わないけどそもそも勤めている人でも大変な人もいますよね?というほうが思考は広いと思います。もっともそれで解決できるかはおいておいて、結局深堀りは集中で必要ですから。

解像度は僕は減じる、つまり低くなると思います。個別のリソースが増えるわけではないので、例えば每日3時間英語学習をする人は日本語に詳しくなるかは怪しいですよね。学習の仕方もありますが、国語辞典を調べて文章を每日1時間書いて、2時間は英語勉強した人のほうが解像度は薄くなると。でも、水平思考はできそうです。和製英語をより知ったりとか、日本語の深さを改めて知るとかは、分散ならではです。

集中を否定しているわけではなく、ということですから、次は集中を見ましょう。

簡単にいえば、広げるには分散がいるというかそういう状態やモードでないと広がり得ないということです。

集中は垂直思考でパワーがいる

集中は視点は拡大せずパワーを使って掘り下げる形です。よって、垂直思考といえます。英語についてかなり詳しく学べるけど日本語はそこまでとなります。

パワーがいるとは、分散もパワーがいりそうですが、興味によって得られることなので、そこまで散らからないならパワーはそこまでかなと思います。

純粋に比較しづらいですが、色々なものが取りまとめせず秩序なく広がるのはパワーは要らないと思うからです。まとめるほうが力がいるのですが、これはアイデアでいえば、発散と収束でいえば、収束のほうが力がいります。アイデアをだす発散に力は要りそうですけど、実際にアイデアを出してそのままならそのままですから力はいらないんですね。力とはエネルギーや体力に近いです。アイデア力とかそういうのではないです。

解像度は上がります。英語に関しての専門性が身につくとかそういうことですね。

くどいですが、集中がいいわけでもなくて、分散がないと頭が固く、応用が効かないです。失敗すると、過集中ですからやっているのに何も成果がでないとかになります。

バランスを取っていく

本ブログは結局この話を常にしていますが、バランスを取るしかないなと。自分の状態を認識する上でこの集中と分散は優れていると思います。

分散しっぱなしだと疲れるのでまとめて集中していくのがポイントです。逆に色々集中して疲れると今度は分散の旅に出るという感じです。

広げて深めるというのは、結局どちらかをその時は選んでいることになります。例えば論文作成においては、まずテーマをどうするかは分散に近いですが、ある時はテーマにまとめるので集中がいります。書いていく上で試行錯誤があるわけですがやはりアイデアとして同じことを考え続けても集中しても見えることはなかったりします。しかし分散的に違うことをする、別のことを考えることで見えることがあります。

このアイデアのつくり方とまさに連動しますが、集中→分散→集中の繰り返しでアイデアが出る感じですよね。

バランスを取るとは、集中しすぎであれば過集中になるのでそうならないように、分散しすぎでは過分散でとりまとめられず終わるのでそうならないようにとなります。

なのですが、「しないように」というのは否定形であり脳はうまく処理しづらいと思います。つまり、分散したら集中とか、集中したら分散とか、そういうメリハリやバランスをつけるのがいいかなくらいです。というかそれしかいえないです。

今色々得たいなーというなら分散ですし、今はこれをやっていきたいなら集中です。で、この時集中したいのに分散させられるのはストレスですし、分散したいのに集中させられるのもそうです。

社会に生きる上ではこのバランスをどう自分でコントロールするか、取り戻しつつ生きるかが問われるのかなと思ったりします。

意識せずに出来る人はそのままでいいし、かなり流される人は意識して環境構築したほうがいいとは言えそうですね。

分散時の選択感

例えば分散している時に、2,3色々やることがあるとします。優先順位をつけるなどのライフハック的なことは色々あるわけですが、優先順位があるうちはまだいいです。

明らかにやる意味がないなら辞めてしまえばいいかなと。その時何が起きるかですよね。

実際に1個に集中するとどうなるか。今まであったものが2個なくなるとします。そうすると、集中できますよね。2個を頭に入れることも、予定に入れなくてもいいので。すると集中がよりできます。

問題は集中してもその垂直思考や深堀りに耐えられるかです。例えば飽きるとか、ネタがないとか、そこまで関心がないなんてざらです。僕でいえばアイデアというものに飽きはないですが、飽きる人は多そうです。なぜならそこまでやっても魅力だと思えないって、なんでもあるからですね。ある人にとってはスポーツでもいいし、ビジネスでも、クリエイティブなことでもなんでもいいんです。

それ集中したら出来るわけでなく、結果的にエネルギーを投下してもそこまで好きでない、耐えられないってありがちです。

だから、分散から集中する際は、単に減らせばいいわけでもないかなと。上の反動で、今度は足りないから分散して集めることになりますよね。これがバランスしているということです。

ここで、集中したもので固執してしまったり、分散しすぎて散らかりすぎてしまえば結局行動しづらくなります。

これをさらに詰めていけばどうなるか?

そうなんです。これを詰めれば、分散→集中→分散ということになって、結局は良いところにたどり着くみたいな感じになります(笑)人によって違うと思います。

WILL、CAN、MUSTみたいな円を3つ書いてそれでまとめても良いと思います。でも、それぞれが重なるものなんて探すというよりは、色々な試行錯誤で結果的に見つかるくらいですから、これを本気でやろうっていうのはちょっと違うかなと。何を言っているかというと、合理的に重なるところなんて「ない」んですよね。なぜかというと、人によって違うのと、主観であるので、僕がアイデアとして求めていることや見える世界はあなたがそうであるかは全く違うはずです。それこそがアイデアに対する解像度の違いであり、あなたとの違いです。

平たくいえば、集中と分散を繰り返していく中で、それこそ好きなものの見極めややったほうがいいことの感覚やバランスも磨かれるんじゃないかって感じですね。結果的にまとめられればいいだけであって、まとめてそれに突き進んでいくって戦略的ですけど、結構経験値得ないとまとめるものがない状態なのでズレそうですね。少なくとも合理に感覚を持ってかれるのは僕は好きじゃないってだけですね。

自分の感覚を大事にしたいので、あきらかに反するなという時、合理や理屈で押すとまあ辛いんですよね。例えば分散感覚なのに集中合理みたいな、これ辛いですね。まあ学習とかそういうズレもありますけど、やれないやり方こそ辛いですから(笑)そこは一旦捨てたり別のやり方でやっていいんじゃないかと。

効率性がいいけど使えない武器より、効率性は微妙だけど使いやすいもので戦う方が良いってことです。で、そこで甘んじずに少しずつアップグレードしていこうのほうがいいんじゃないかと。人は嘘をつけるし自分も騙せますよね。が、なぜか感覚でいう本音や本気みたいなのって、自分の世界なので人を騙しても自分は騙せないという本質となります(笑)

これに向き合うのが辛いというか体調が悪ければやめたほうがいいですけど、慣れてないと一発で弾け飛ぶのではないかって思ったりします。それくらいヘビーかもしれませんが、慣れればそこまでもないと。自分を騙すとつらいな痛いなって人は同じことをしないはずです。やっちゃって何度もやるとなると、色々と見直したほうが良い気がしますよね。

自分を信じていく

結局自分がどの状態であれ、そこを楽しんだり面白がっていないとまあ良くないかなと。

集中だから駄目とかいいとか、分散だからどうとかでもないってことですから。

例えば今は感覚的に分散したいなら大いにしたほうが良いと思います。合理的には集中したほうがいいとかでも。まあやる気とかとも連動しますけど、やりたくないことをやっているとストレスです。ストレスは適度にはいいですけどこれも人それぞれで耐性が高い人が高いストレスならいけるけど、そうでない耐性が低い人が高ストレスなら一発で消えますよね・・・。

じゃあストレスに強い体をつくるってなんともマッチョ的でしんどいので、環境を変えたりダメージを軽減する仕組みを作っていく。それが仕事づくりでできるならそうしたほうがいい、人間関係の調整でできるならそうすると。

結局自分への信頼が問われます。今では駄目なんだだけで突っ走れる人もいるかもしれませんが、しんどい否定なので、自分を受容しつつ、どうやったらより面白くなるかとかのほうが幸せな考えだなと思ったりしますよ(笑)

というわけで、分散しまくっている人は集中してもいいかもというところと、集中しまくった人は分散してみてはどうかというところのお話でした。

自分の状態やモードを考えていくと色々と発見があるかもしれませんね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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