批判的思考で客観視点を鍛える

血液型診断って知ってますか?まあ血液型と正確の話は、とくに女性が好きなようなイメージです。そうでなくてもですけど、まあ話としてそれくらいであれば通常対応ですけど、これがガチかと言われるとどうなのってことですね。

で、科学的にはつまり、似非科学ということになるわけで、それはそれでいいと。科学を主張したい人なんてそこまでいないので。ただ否定されると腹が立つので、色々主張するけどってこの流れはお決まりのパターンで、物語のようですね。

その上で、こういう血液型診断がどうとかでなく、そもそもある考えや概念をそのまま受け入れちゃ駄目ですよね、ってことをリスクや裏や深み読みでもいいんですけど、「批判」って大事なんですね。批判=否定というのでなく、それはどうなのというツッコミ=批判って感じですね。否定はただそれだけなので、ベクトルというか熱量が消える感じです。まあ、批判するな=私は正しいのだ=この考えは全てにつうじるのだであれば布教ですけど(笑)批判するなっていうなら、まあ新しい考えとか、違う考えも抹殺されるわけで、なんともな社会ですよね。

というわけで、この批判的に考えるってことについてちょっと考えてみたいと思います。

血液型診断の話

少し調べたら出てきたのは、その血液型診断を支持するデータでした。「え、血液型診断ってイケテルの?」って思ったんですが、そのデータから分かるのは、A型っぽい性格だと思っていることがただ出ただけなんですね。僕の感覚だと、A型が几帳面みたいなのって言われるわけですけどこれ単なる誰かの説でしかなく、いや考え方くらいですかね、性格に紐付けるからおかしくなると。

A型の人は鶏肉が好きですみたいなのでもいいと思うんですけど、「A型の人は鶏肉が好きと答えた率が高い」、じゃあB型、O型、AB型に対してもそれぞれ、豚肉、牛肉、羊肉とかにしてみますよね。それぞれ好きな割合が高い。

それをもって、A型が鶏肉が好きであるなんて言えなくて、その原因というのは、ある種の刷り込みであり、「几帳面だからね、A型は」みたいなことでそう被験者が思っているだけ。なんですね。実際にそうなんでしょう。血液型と性格の話が好きな人が多いだけというか、それだけなんですね。単にネタって感じですね。

それ以上でも以下でもないので、「A型だから几帳面なんだよね」っていうのでなく、「僕は几帳面なんだよね」でいいじゃないですか。いいじゃないですかっていうのは、血液型を入れる意味がないってことですね。

笑ったのはその主張としても、そもそもですけど、血液型でどうこうする意図がないなら、つまり血液型を用いて何かするわけでもないなら、要らないというか、特段ルールでも何でもないというか。なんで似非となるというわけですね。そりゃそうだなと。

と、昔心理学で心理テストみたいなものは違いますよねってことで終わった話でもあるんですけど、信じている人はいるのかなと。で、別にそれを信じているから駄目とか思わないですけど、「科学ではない」ってだけですね。

で、これを言い出すと科学だから全て解決とか思ってないというか情緒的になることが多いですよね。むしろ逆で、科学的である人ほど冷静に議論するし、そうでない人ほど情緒的となるので、これが溝になるんですよね。なかなかむずそうです。

A型だからどうとかって話をコミュニケーションレベルでいうなら別にどうとかはないんですけど、ガチで信じられるとそれは宗教といっていいでしょう。なので違うよってことですね。まあ布教されたことはないですけど、結局宗教っぽくなるのはなんでもあるわけですよ。

長くなりましたが、それで、こういう宗教っぽいことも、批判受け入れるかどうかだけで見えますよねって話です。僕がそれ違ってませんか?っていうのを受け入れるというか、実はこうですとか、話ができる。という心理的安全がないと、「それは違う!君は間違っている!」なんて運動というか、怖いじゃないですか(笑)

ってことを冷静に出来るか、対応できるかが問われる感じです。そのための批判というか、批判的思考っていう感じですね。

批判的に捉えることで、距離を保つ

免疫を作るみたいな感じに近いですね。思考の免疫とかって言葉は良い筋な気がします。ナリワイの伊藤さんのイドコロを作るの本がまさに思考で免疫作ろうみたいな感じの主張が良かったので、ほぼそれと同じ主張です(笑)

それで、これは血液型診断とかだけでなく、あらゆる物事がそうだということです。ある種の考え、ニュース、出来事、発言全てですね。僕が言っている、書いていることが全て真実なんてないですから、また考えも間違っていることもある、知識も不正確である、そういう前提というか読み方ですね。だから「正しいですよねー」なんて読むのではなく「間違っているのではないか」「ここはどうだろうか」ってツッコミつつ、得ていく。それインプットの大事なやり方ですよね。

これが出来ないと、ある人の考えで一部でも気に入らないと受け入れないなんてことになります。これはある種子どもっぽいとも言えますが、実際に全部嫌いな人もいないし、全部好きな人もまあいないわけです。ここはいいけどここはどうだろなんて普通にある。でも、好きとかってやつは、大体そういう論理的に分析して「良い点が10点ある、悪い点が7点だから、10-7=3点で好き」なんてどうです?まあ気持ち悪いですよね(笑)直感なんですよね。好きだな、好きだなで終わる(笑)友達の数で幸せ度を比較するとか不毛なことはやめてくださいね。

本来というか実際はその考えや意見は異なるなあとか、そう考えるだって感じで捉えられるかどうかなんですよね。捉えられる人は批判的に考えられる人で、捉えられない、または混乱しちゃうと結構きついですね、批判的思考ではないかなと思います。

人を見極める

たまに書いているのですが、例えば人を見極めるのもある種批判的、客観的な思考の賜物かと思います。僕はそれを意識してきたし、人ってブレるよなあということを自分についても思います(笑)ブレブレってこともあるし、そうでないこともある。気分の生き物なんだけどでもそれだけでもないみたいなところです。伝わりますか?

そして、人を見極めるということは、僕も同時に見抜かれるということなんですよね。嘘が絶対悪なんて思わないですが、嘘を一回付くとまあその嘘の辻褄で世界が構成されるので、ここでは少なくともあなたと嘘をついた人との間ってことですね、かなり面倒臭くなります。

僕はそういうのは苦手なので、正直に言っちゃいますね。この戦略?(笑)のいいところは、そのまま言っちゃうので、楽です。辻褄とかどうでもいいです。ただ、人によってはそれ言っちゃうんだとかになるかもですが、まあそういう人とは付き合わなければいいとかで終わるし、あとは調整しとくくらいですよね。仮に面倒になりそうなら、距離を取るのはここでも有効です。

人を見極める意義は、一緒に仕事をする人でも、クライアントの見極めでも、やばそうな人かどうか、それは会社とかでも全部言えることです。非常に大事なスキル、対人スキルってやつかもしれませんが、これも場数な感じもあります。あえて痛い目に合うとかはおすすめしませんが、場馴れすることで見えてくることは多いです。精神論で1000人に会え!とかは言わないですが、結果的にそれくらい人に会えば(結果的にですよ)慣れてきてパターン化されたり、色々と見えることも多いかなと。

そういう時に血液型診断なんてまあ要らないですし、その人がどういう人かを考えればいいし、対話すればいいだけなので、不要なんですよね。というわけで、見極められるとは別に切り捨てるとかってことでなく、その人をちゃんと適切に理解するという話です。

客観的に見ていれば冷静と情熱を保てると思う

僕の主張はここです。客観性=冷静で終わるみたいなことになりがちですが、単に情熱=感情で動くことをしないことはなくて、その率が低いか、またはブレるのを嫌がるからくらいの人が多いのかなと。アップダウンが大きいとロスが大きくてカロリー消費が多いみたいなことです。それより平坦な道を走る方が平均的にペースを保っていけますよね?ってことです。

再度書くと、客観性を主張しすぎると、なんか論理的になったり、曖昧になったりしてどうも共感を得づらいと(笑)とはいえ、それは無駄でもなく整理されるし、冷静になれるからいいんですよね。これが客観性の強みってだけですし、弱みももあると。

具体性とか情緒でいくと、熱量が上がるけど、やっぱ盲目になってしまってそっちじゃないよねとか、全然違う方向になることもある。これも強みと弱みがあると。

だから、情熱で行きつつも同時にこれはどこかで整理しましょうとか、冷静に見つつも判断しつつもこれはどっかで共感したいので熱量入れましょうとかってバランスがいると思います。それがないと、偏るとどうもちぐはぐになるんじゃないか。そしてそのバランスは50:50とかでなくて、20:80とか時々で変わるのではないかって説です。

先に書いたお金の話もそうで、お金お金モードでお金ものさしモードではまあ情熱が0で、ただお金を得たいというロジックだけで100(笑)なので、きついですよね。でもアイデアや創造でワクワク情熱が100で、お金にならなくてもいいやだとお金ものさしが0になるのでこれも辛いと。

0か1ではないので、どっちも両方いるよと。ただものさしの使い方に慣れてないと、二者択一というかどっちかしか駄目ってなるんです。実際には両方のものさしを同時に使ってもいいし、重ねてもいいし、それは自由ですって言ってあげたり、考えないと出来ないんですよね。なので、両方同時に使ってOKですし、重ねてもいいと。お金になるんだけど全然おもしろくないものあるでしょうし、面白いけどお金にならないものもあるし、ちょっとお金になって面白いとか、面白さは最高でお金にもなるし、もしかしてお金にもなりつつ面白いものもあるかもしれない。それこそがアイデアかなって思うわけです。

なので、100%情熱です!情緒です!みたいなのはやはり怖いですし、冷静になればという感じです。また、100%ロジックです!客観性です!計画です!みたいな感じも怖く、この場合ももうちょっと熱量入れとく?となるわけです。100%ってのは気持ち悪い形でして、どちらも両方混ざっているのが健全だろうなっていう話でした。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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