書籍「勝ち続ける意志力」を再読して考えたこと

2018年頃におそらく一度読んでいて、ふと友人の話を刺激にして読みたくなったので再読してみたというところでメモです。

1回目の振り返り

1回目のメモから振り返ってみると、やや読みが浅いかもしれないので、そのあたりをアップデートしてみたい。

勝ちにこだわるのでなく、勝ち「続ける」に焦点

メモでは勝ちにこだわるという点をメモしているが、勝つのは「大事」であり否定しないが、「勝てばいい」とか、「欠点を攻める」「人読みで勝つ」などの価値は推奨していない。もちろん勝ちは勝ちだろうが。

本書は「勝ち」でなく「勝ち続ける」というセットで捉えるべきであり、目先の勝ちでなく、中長期の勝ち。つまり勝って終わりではなく、勝ち続けること。100%の勝ちはないので、アベレージで勝っているというところを意識する。

意志力と本書が命名しているのは、おそらく梅原氏の「ゲーム」を楽しんでやるみたいなことでなく、幼少の頃の葛藤があり、「ゲームしかない」というところが大きい。ゲームでしか頑張れないというところをポジティブに捉えてすーっと上手く行ったわけでは全くない。凸凹の道を通るからこそ得た、自身の哲学(自分で考えていく)が現れているわけだ。

まさに、意志として、勝ち続けるのだというところを端的に示したといえる。

目的と目標の違いを整理

メモではそれが分かりづらいとあった。

だが今回読んで端的に理解できた。

つまり、大会で優勝するとか、多分プロになるとかもそうだが「目的」としてしまうと、大会で優勝したら終わり、プロになったら終わるという理解になる。

目標として大会で優勝するとか、プロになるは別に良い。目標はアップデートできるし、むしろその人の目標設計や設定があるからだ。

目的化しまうとそれが大きな理由になりやすい気がする。

例えば、ダイエットのためにテニスをする。この時ダイエットは痩せるわけだから、目標でもあり目的でもある。テニスは手段となる。目標と目的として、おそらくここで言いたいのは「ために」とすると、それが大きなビジョンや大きなこと化してしまうのではないかと。

ダイエットは目標だろうか?それとも目的だろうか?

言葉の感度によるとしか思えていないが、ダイエットが目標であればテニスでなくてもいいし色々やれると思う。目的となると、もっと狭くなり、「痩せるために」が前提となる。

目標はストレッチしたり色々と変えられるメタ感がある。学習の学習といってもいいかも。目的はそれを設定したらそのために動くというところか。

例えば「何のために?」は目的を導くだろう。「何を目指す?」は目標が導かれるというのが分かりやすいかも。

もっと引いて見てみよう。大会で優勝するとは何のためだろう?優勝するために日々練習するは良さそうだが、それでは優勝したら終わってしまうというわけだ。そこからためにを継続できればいいが、目標設定とはいえるが、目的設定とは意外に言いづらい気がする。

目標として優勝の「ため」でなく、優勝が目標となると、当然目標を達したのでそこで終わる。ただ「ために」は、そのものが大きい、今なかったり、夢だったりということもある。

大分ごちゃっとしてきたが(笑)著者は「成長するために」が目的としている。これは高次化した自己実現ともいえるので、誰もがこれを設定できるかは疑問だと思う。実際に嘘で「成長するために」といっても意味は薄いからだ。本当にそう思っていればいいというわけで。また、成長するためにが絶対解でもなんでもない。あくまで著者の意見だと。

それを短期的な大会の勝ちなどに設定することでそもそもどうしたいかが見えなくなるという話と解釈した。

と書き出してみると、やはり目的と目標の違いは異様に分かりづらい(笑)

努力すれば誰でも勝てる、わけではない

メモではここはミスリードしていないが、肝心なことをメモしていないと思った。つまり、努力すればプロになれるとかは保証できない。意志力もあるからだ。では努力しなくてできるか?というとそれはまずないと。

だから、努力するかしないかでなく、努力するんだけど、そこで得られるのは人の目を気にしない、集中力を得られるというところを明記している。

当然失敗したらやり直せば良い。これらの全てのことに、人の目を気にしない=自分の軸や自分のものさしということになるが、それを高い集中を持ってやってのける。彼が大会でも安定して緊張せずパフォーマンスを出せるのは、ゾーンに入れる=日常もそのようにやっているからだと言えそうだ。

そうやって何か努力をする、うまくいかいなら考えてみる。その繰り返しでしかない。そういう中で、自分の物差しが出てくること、そして集中が得られることは、初読では飛ばしていたがかなり大事なことではないかと感じた。

バンドマンがメジャーデビューできなくても良い

良いというのは誰しもメジャーでやれってことでもない。人のやり方がある。著者もゲームを「適当」にやる人を許せない時期があったようだ。でも、誰しもプロとしてやっているわけではない。人次第だと。

そういう中で、デビューできない=不幸なのかというと、そういうことでもない。むしろ、ここでは音楽に向き合う、ゲームに向き合っていること、そういうことがとても大事で、コンサマトリーな印象を受ける。それで自己充足しているからこそ幸せであり豊かなのだと。

当然メジャーになりたい人はそれを目指せばいい。プロを目指したいならそれを目指せばいい。先の話と同様で、誰しもプロになれるわけではない。努力をすればなれるわけでもない。しかし、何もせず努力もせずできるほど甘くはない。

それを自らが体感し経験しその上で考え日々成長していくこと。幸せとはそういう向き合い中の中でいくらでも見いだせるよなと改めて感じた。

自らの哲学を打ち込んだ言は説得力がある

著者にとっては、ゲーム→麻雀→介護→ゲームという変遷があり、世界一を取ってもプロに近いレベルの麻雀が打てても、介護に勝負のない世界を見出してもそれでもやはり「うまくいかなかった」のだ。

プロになれたのは再度ゲームに戻って勝てたからと見えるが、実際は今までの蓄積が功を奏したという理解が良いのではないかと思う。それくらいの取り組みをやってきたからこそ、「成長」というコンサマトリーな設定ができるのだと思う。それをせず、つまりいきなり成長のためのゲームもできない。

麻雀という違う勝負世界にあったからこそ見えたのも大きく、1年半だったと思うが介護で仕事をした世界観も地味に効いている。

世界一を取ってもプロゲーマーにはなれなかったし、ゲームで何か世界が変わるとか認められてそれが仕事なりなれることはなかったのだ。それはとても大きな挫折とも言える。楽しめなくなったゲームと向き合えないからこその違う世界を探した彼なりの模索が最終的に密度を濃くして、その溜めといえるとおもうが 、2010年からのプロゲーマー梅原大吾になったと考えるととても感慨深い。

著者は40歳を超えプロ活動も13年となるわけだが、衰えは感じられないし、また新たな開拓を辞めていない。いつまでやれるのかというところは純粋にあるが、ポテンシャルを常に開拓し広げているという点に学ぶべき点が非常に多い。

再読で得たこと

変化しているか?成長しているか?

自身に自己啓発的に問いたい。変化していなければそれは停滞であると。成長していないなら、1mmでも成長しよう。これは僕自身へのメッセージとして受け止めたい。

このままでいいとか、こうしていれば安牌であるというようなことは、ここ10年単位で感じたことは光栄なのか全くない。日々成長というか、発見というのが近い。そうやって積み重ねていくことは怠らない。

当然サボっても良い。けど中長期的に「続ける」(ここでは勝負ではないので勝つとかはない)というところをマインドとしてインストール出来るといいし、そういうのを上手く伝えられないかなとも思ったりした。

やれば絶対に成果が出るわけではないが、人の目を気にしない集中力が得られる

これは先に書いた。ここで自分軸といっていいと思う。あと集中力もそう。

これらを得るには、逆にいえば、やらないと得られない。そしてそれで成果が出る保証がないところで、つまりリスクを取ってやること。

正確にいえば「リスクを取れば必ず得られるわけではない」という状況でまさに「動いていてみてそこで自分軸として得られるようなことを学んでいく」ということになる。

そうすると自分軸が磨かれ、集中していけるともいえる。

集中できてなかったり、なんか自分がないなと思う人は、もしかしたら、やっていることがそもそもないか、または「やるならそれになれる保証」を期待しているかもしれない。そんなものはないというわけだ。

勝ち続けることで成長し続ける

ゲーム自体が成長のためになっている梅原氏であるとすると、もはや題名の「意志力」さえ関係ないというか、無意識化出来るレベルとも感じた。

大会で勝つのでなく、自分で成長し続ける。それがまさに勝ち続けることとなる。

自分に置き換えてみると、アイデアを出すのでなく、アイデアを出し続ける方が大事だと考えていることからも明らか。

一回の動作や数回の行動は再現性が著しく低い。そうではない。それを何千回や何万回など「身体に落とし込んでいく」感覚を感じる。そういう状態があって「続ける」という感覚が何も感じなくなる。

呼吸するようにやる。というのがしっくり来るわけだ。

時間という量でなく発見という質を大事にする

量と質の話は今回注目出来た点だと思う。先回はスルーしていた。

1日15時間練習して発見がないのでなく、1日3時間でもいいので発見がある。そういうのが良いというのが本書の主張だ。

ここで量とは練習量=練習時間数ということになる。しかし、量ではなく、質として発見できたか。何か今までと違うことを見つけたか。何か調べることや気になった動きはなかったか。

そういうことを「調べ物」と俗にゲームの世界でもプロ間で言われている。気づきがなければ、その時間は無駄とも言える。

逆にいえば、気づくような練習をすること。例えば本番の緊張感にしたらミスが多発するなどに気づけばそれは良い気づきと言えるだろう。例えば対人で相手から癖を指摘されたらそれをどう捉えるかもあるがそれも良い発見かもしれない(自分で気づけないなら)。

また新しい攻撃方法が見つかったり、あえて違うことを試してみたら見つかった連携や戦法も自分なりに宝だ。

違う観点では、15時間も練習していれば食べ物や睡眠に影響があるので、パフォーマンスが出せない。著者はそういう追い込みをして勝てなかった経験があるからこそ、咎めているということもある。

健康でなければ継続できないのだ。食べていないならパワーは出ないのだ。継続=続けるということはまさにそういうこととなる。

うまくいかなくてもやりますか?

に対して「はい」と言えることが大事だなと。心理状態として自らで心から言えること。まさにリスクを取る状態ともいえるし、その判断が気力を持って取れることといえる。

こういう感覚がないのであれば、無理しているともいえるし、無理しすぎている。当然「うまくいくからやるのだ」という人は成長をしていないかもしれない。課題やトライアルが簡単すぎるかもしれない。

つまり、自分軸で判断するということになる。

他人の評価や他人が言っているから、流行りやそうした方がいいと言われているからは、やはり異なる。

思考がそこで浅ければ浅いだけのリターンやまたは戸惑う事が多くなる。根深く行きたいところであると。

大きめの発見、成長できそうというの話は良い

著者でも大きめの発見で成長できそうだみたいなものは自分の中でしかないけどとても嬉しいという。ご褒美といえる。成長を軸にするからこそ成長できるものは楽しいのだろう。

自分においていえば、色々な概念を言葉に出来たり、上手く通じた時はとても嬉しい。コミュニケーションできたり共有できたというのが嬉しいというところだろうか。

リズムの高低差をつけない

つまり、平日にすごく頑張って休日は休む。それは良さそうだけど、批判として言っているのは「休日で休んだ後の平日がとても大変」といういわゆる努力しないと、そこから踏ん張るのが大変ということだ。

数値でいえば、平日が8頑張った、休日は0とすると、この差である8を埋める感覚になる。上下運動が厳しいというわけだ。

そうではない。平日に5でいいので、休日も例えば5とすると、この差がなくなる。7日間の頑張り具合を数字で表せるかはおいておいて、仮にすると、前者は40、後者は35である。後者はパフォーマンスが悪いかもしれないが、頑張り度は量でしかないとすると、発見度がどれくらいかを見たほうがいいだろう。

それはさておき、ここで前者は休日→平日で8の落差があるためそこで精神を痛める。つまり、そこでフルスロットルとなるので、とても身体にダメージを受ける。そうすると、次第に頑張るとか、努力とかが大変となり、疲れてしまう。緩急さがデカくて沈むというのは、鬱っぽい感じもする。躁鬱みたいなものだろう。

もちろん平日仕事を頑張り休日は休む生活を批判しているわけではない。ただ、月曜日が辛いというのは会社員ではよくあることで、それってなんだろうかというと、この落差ゆえともいえそうだ。

違う視点でいえば、大会前だから頑張るとか、終わったから休むはもちろん上下幅、高低差がそれほどないならありだろう。もちろんこれは毎日仕事をしなければいけないという話でもない。どうすればその差を埋めて、身体に負荷をかけないようにするかというのが論点となる。

再点火はとても疲れる。点火したらなるべくそれを維持するほうが、慣性の法則でもそうだが楽なのだ。やり続ける方が実は楽というのは意外にあるんだろうなとも。

疲れやすい体とはそういう緩急でダメージを与えているケースと言えると思う。逆に疲れにくい体とはそういう緩急さが低いという調整を入れている、工夫を入れているのだと思う。

著者はだから付き合いを断るとかみたいな話でなくて、自分でコントロールするそうだ。飲みであればそれを楽しむ。でもその分自分の練習量や仕事が減るのでは意味がないからこそ、自分でそこを調整するようにするわけだ。時間は有限だからこそ、一人で籠もって人と関係しないというようなスタイルではない。自分を虐めてとあるが、人に対してではなくそこは自分で調整するというのは良い感じがする。

もちろんこれも抱え込みすぎれば崩壊する。そのバランスの旨さが、継続の所以かもしれない。

おわりに

再読して気づきが多かった。梅原さんの哲学というか考えは高度に抽象化されているからこそ、格闘ゲームをしない人でも非常に参考になるというか、学ぶ事はできると思う。僕もそうなので。

そうやって帰納的にゲームとして具体的に得たというよりも、それがたまたまゲームであってそこを考えると抽象化され、これらの知見になる。ある種の哲学者であり、コンサルであり、知的生産みたいな感じを受ける。

とことん突き詰めると人は哲学が生まれるし、考えもとても深くなる。と感じているのは僕だけではないだろう。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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