社会に対する解像度を上げる

教養みたいなことって他者への想像力を上げると解釈する人が確かいて、その通りだなと思ったことがあります。

実際に僕は社会という見えないものに対して解像度を上げたいと考えています。これ多分昔からで、今始まったことではないですね。言葉でいえばそうまとめられるみたいなことです。

色々な人がいるので人を知るのもいいし、芸術でも、ビジネスでもなんでもいいと思ってます。本も色々知れるのでいいですよね。知ることで広がる、深まることで社会が見えてくるってことですね。

同時に動かないことや動くことなど、つまり変わらない本質や変わっていくけどある程度無視してもいいことってまあ色々あるのかなと。そういうのが見極められる=正解はないですけど、そういう見極めが好きなのかもしれないですね。

今回は社会に対する解像度を上げるということについて書いてみます。やや自分語りで(笑)

結論はあまりないですが、社会に対する解像度を上げていくとやっぱ楽しいかなという感じです。

まず社会を知るという意識は学生時代で就活とかだったと思う

学生時代に就活をする前に、大人をどれだけ知っているか。合っているかってことですけど、わりとやった気がします。それによって、例えば世の中にフリーランスという仕事があるんだなとか、サラリーマンでも色々な仕事があるんだな、社長も様々だなとか、企業知らないところ多いなという一個ずつ獲得していくわけですね。

そういったプロセスを経ていって、何が残るかですが、正解がないというところになります。つまり見える部分が見えるだけであって、見えない部分は見えない。完全に見えることもないというある種の悟りです(笑)

社会を知るという時の、社会ってめちゃくちゃ漠然としているわけですけど、漠然としているが故に知っていることだけで蹴りをつけがちです。

例えば、大手企業が本当にいいのか?というとまあ人によるわけですけど、そういう疑いなしに「大手企業は間違いがない」と考えている人はわんさかいるわけですね。それには閉口するわけですね。

社会にいる人が誰か。これは一人ひとりを知ることはほぼ無理ですが、とはいえ同じ社会に属しているというところでは、人間はある程度コミュニケーション出来るという前提がある。故にそうならないときに悲しくなるんですね。

同じ考え方なんてまずいないので、それこそいろいろな考えがあるんだなというところで学べるわけですね。社会を知るとは、その社会に対する構成員、文化、習慣、考え方など様々なものを通して理解を深めるということです。

このプロセスや経験が少ないとかなりふわっとした、それこそ自分で揉んでない情報や考えとなるので、「自分で選んだ」とは言えないし、誰かが選んだ感覚がつよくて辛いと。最もそれでうまくいくパターンもありますけど、なかなかそれはないですよね。少なくとも自分で主体的に動くには社会に対してどういう位置や関わり方をしたいかは考える必要があるのでそこを手抜いてはきついと。

会社に入ると社会人になるが、それはそれで閉鎖的である

結局ある種の集団に属すると思考がそこに標準化されます。そのために、面白いうちはいいのですがそのうち「なんか刺激がないな」となってくる。その当たり前というのは全然当たり前でなかったりするわけですよね。

考え方としてそこで面白ければいいのですがそれってなかなかやれない。個人が面白いという感覚と組織や会社は違うのだという簡単に潰しにかかることもできる(笑)個人の小ささを感じますよね。

ある種の恐怖政治でもあるのが、そういう思想を許さないとか、または「してもいいよ、死ぬよ」みたいな(笑)カジュアルな脅迫こそ、味方と思っているものが敵であるくらいに恐ろしいんですね。

社会に出て働くことでそれっぽい社会人ということになるのですが、働くことでそこまで学べるか問題もあると思っています。最も働くことの価値が高すぎる社会では、働いてないと未だに「はれもの」となるわけですが、そういう期間や状態も認めるくらいの度量が社会にないという証明でもありますよね。そこに突っ込んでいってもなんか浮いた存在になるので、そういう存在になりたくない人こそ黙っているんですよね。これこそがサイレントマジョリティーかもしれません。

そうやってある種の幻想として、社会人として働くことを考えると、実はとても窮屈な思考に陥っていることがあります。というか陥りがちです。オープンな会社ってなかなか難しくてそれは政治であっても、集団としても色々あるので、結構そのオープン感を保つことが面倒で手間だと。官僚主義ではないですがルールを作り制度を作り、前例を踏襲することで守る。もはや何を守っているか不明ですが、不明なくらいでいい、くらいでいいと。守るという対象を保護でなく、守ることによる団結や効率性があるかもしれないからですね。

全ての会社が官僚化するとは思えないですが、とはいえなってくと。自然に賢くなる組織なんてなくて、大体サボるし、怠けるので怠惰になって滅びると。滅びるというのは売上が落ちるでもいいし、人が離れるでもいいですよね。そこを無理に直すと崩壊する可能性もある。

会社組織自体をサラリーマンが考える事自体がメタ認知といえます。ただここでのポイントは他を知らないと、情報を得たり外はこうだぞって比較しないと永遠に見えません。知らない幸福か知っている幸福か、あえていうなら知っている幸福がいいかなと。二択するものでもないんですけどね。その上で選んでいる実感が欲しいというところですね。

メタ認知が出来る人は限られるのと、仮にしていても「うちはそうじゃない」と実行を明らめたり、いわゆるもやもやを火消しにかかる人もいるわけです。そうなると人によってはメンタルをやられるか、そういう過酷な状態(残業過多、ハラスメント等)が普通だと思ったり。でもそれってある種のカルトかなと思うので、判断は難しいもののやはり何か違うのではないか?ってアンテナは大事にしたいですね。

いずれにせよ、批判的に見たりということをパワーを失っていくと、キラキラしていた人がまるで種火を失ったかのように消えていくんですね。これはもう単純に社会の損失だなと考えています。

働き方は最適解があるかもしれないが

あるかもしれないが、ないかもしれない。トートロジーです(笑)意味はないです。

働き方を選ぶことである種バラ色というのを見せようとしても結構そんな簡単じゃないです、よね。というのは、別に働き方を選べるのはいいけど、働き方が問題でなく、そもそも本質は自分を認めてくれたり、仕事を受容してくれたり、楽しいとか面白いとか素敵な人と仕事をしたり、または関係を築けたり、要するにストレスがなく人間として生きていければいいと(笑)

そういうことを望む人が多いわけで、それ憲法でもあるレベルであって、健康で文化的な最低限度の生活ってやつですけど、そこじゃないかと。そこをやれることがいいのであって、働き方でそれを選択してバランスするのは結構罠かもしれないあとすら思っています。

実際はおいておいて、それこそが、幼稚な話と笑う人もいると思いますが、フリーランスや独立すれば自由であるみたいな本質を見失っている話。Webなんちゃらをやれば稼げるといって飛びついてしまって扇動されてしまっている話(笑)バカバカしいとは思いつつも、結局人間の本質は変わらなく、不安やストレスに弱い、疲れれば集中力がなくなるし判断できない、確率は間違えるし、同調の圧力をやはり受ける。不安定なものなんですよね。

だからこそ、確固たる何か正解っぽいことを示したり間違わないんですという人はやはり危険というか、その時点で怪しいと思う批判的態度の方がいいんじゃないかと。これこそ批判的態度であれば正解でもないんですけど、そっちのほうがまだましくらいです。とはいえ、正解がないので、結局揺り戻されたりするわけですけどね。

社会の解像度を上げていっても実は分からないこと知らないことが多い。というか理解できなかったり、しようとしても結構難しいことも多い。でもですね、そこで明らめずになんでだろうかくらい留める。つまり、分からないから敵だーとか、知らないからないことにするとかってこと、その想像力こそが、社会の解像度に対する担保というか、余地というか余裕な感じがします。

そもそも、解像度を上げたいなんて思う人が少ないかもしれないし、知ってどうするというツッコミがあるんですね。リベラルアーツみたいに知っているとどうなるか。話ができるための雑談でなく、実際には相手や他の人や文化を知る態度から、コミュニケーションしやすくなる、ということだと思ってます。それこそがまさに社会を知ると僕は考えています。

社会を知らないと駄目とかそういう乱暴なことでなく、そもそも他人への興味、知らないことへの興味、なぜそうなっているかという原理であったり、または人間の弱さ。そういうものを知っていくとやはり簡単に決められないし、分からないし、色々決めつけることができない。と僕は感じるわけですし、そうなっていくんじゃないかと。

そういう様々なものへの態度が固まらないというか、色々あって色々いいみたいなこと、その上でこれがいいかもというのが教養だったりするわけです。哲学でもいいし、宗教でもいいし、文化でもいいし、そういうのってまあ知っていて役に立つかというと・・・まあ役に立たないんですよね。

立たないから要らないわけではない。役立つものしかないことがそもそもなくて、役に立つ立たないのバランスは常に変わります。役立つことを集めれば役に立たないものランキングが作れるでしょうし、役に立たないもでそれをやれば役に立つものランキングも作れる。で、それに意味があるかですよね。

思わぬ気付きや長期的なヒントというのは実は「役立たない」というような視点に実は潜んでいたり、ノーマークだけど「ある」ということは何か大事なものなんじゃないかという方が僕は好きですね。少なくとも、役立つ=論理的でそれっぽいんですが大体それ誰かの評価込みなので、それも役立たない話と同様で「それで?」となると。結局それで感もですけどキリがない。

だからこそ、他社への想像力だったり、社会への感覚って忘れるというか磨いていくほうがいいんじゃないか。と純粋というかそう思っています。全部を知れないけれど、知っている世界を広げる方がワクワクして楽しい。そういう感覚がある人こそ学びを辞めないし、多少あれ?と思っても学び続けるのだろうと。

まさにその態度こそが社会への解像度を上げ続けていく態度だと思っています。

ざっと書いてみましたが、社会は楽しいし、知らないことを知るのは面白いし、どんどん学んでいきたいなあという話でした(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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