自分なりのしっくり来ることを大事にしていく

ちょっと前のTAKUYAさんの記事が面白かったので読み返してみました。

アプリの売上目標を立てるのをやめました

非常に面白いのでシゴクリ読者とも相性が良いはずです、多分。読みながら感じたことなど書いてみます。

昔、会社作った時も同じ考えだった

既に畳んでいて実態もないですがある会社を作ったことがあります。友人と作ったもので既に消えています。その時に立てたという行動方針だけがわりとまだまだ残っていて、僕の中でということですね。

人があり、仕事があり、そしてお金になるということであるから、人との関係性がなければ仕事は生まれない。よってそこからお金となることもない。

by 自分

この人→仕事→お金というのは鉄則としていました。だから、お金が目標であったら、人がいて仕事があるのが前提です。順序が逆になることはない。例えばお金が欲しいから人を無視して仕事だけみてお金を得る。虚しいですよね。もちろん「人がお金に見える」のはやばいのでちょっと違います。

もっと丁寧に言えば、人との関係性があって何か仕事っぽい物が出てくる。それでそこからビジネスなり仕事の報酬がいただける。これです。非常にシンプルです。

上の記事では目標としての売上を達成してしまった著者が次を例えば1,000人課金ユーザーがいるから2,000人にするとかってなんだか違和感みたいな話があります。だからこそお金は短期的なモチベーションにしかならないという話にもなっています。

10年前ですが僕が感じた稼ぐだとか、仕事を作って何かお金を得る、生計を立てる。著者のように作ったわけではないので説得力はないものの、これはあくまで僕が人に言う場合にです。一方で僕が僕に説明する時、妙に納得してしまいました。具体的な目標みたいなものが、とくに短期的なものだったり、具体的な何かが違和感を感じていたのかなと。

これは目標設定自体が駄目とかでなく、自分の感覚や状況で変わるということです。逆にいえば常に売上を高めにしてそれを達成することに快を感じる人もいるでしょう。でも、それってお金でなくてもいい気がしていますが、それはもはや価値観ということでしょう。それは人それぞれです。

僕は生計が立てられてちょっとした贅沢ができれば、豪華、人が羨む成功みたいなのはあまり興味がないです。例えばお金を稼ぎだして何かブランドものを身につけるみたいなのがあるわけですが、車で家でも、不動産投資でもいい、それはお金があるからやる=お金を持っている状態なわけです。それはいいのですが、見せびらかすみたいな人はそういうお金の使い方であり思想でしょう。清貧みたいな言葉も一瞬流行ったのでしょうが、貧しいということでなくというところですね。

欲は尽きるところがないので限りがあります。また僕の考えとしても、お金でできることよりも、アイデアでそれを実現するほうが価値があるとも考えています。これも10年前にも同じことを言ってた気がします。変わってないんですよね(笑)良い意味で。

チアアップ、何かを生み出すことが面白い

もっといえば、食いっぱぐれない限り、その中で、誰かを応援する、自分が応援したい人ということですけど、そして何かアイデアから生み出すことをしたい。それはぶっちゃけなんでもいい。倫理、社会的に自分が良いと思うならばということですね。

社会課題を解決するものでもいいし、まっとうなものづくりで対価を頂くのもいい、知識や知恵から生み出したアイデアで貢献するのもいい。言葉で誰かを感動させてもいい。本当に色々できるわけですね。というか、そういうところで一々感動というか、いいなあ、エモいなあと思っちゃう方です。満足や幸せの閾値(いきち)が低いといってもいい。低めたほうが楽しいんですよね。高い人から見るとそんなので幸せとはいいよねなんてイヤミが飛んできそうですがスルーです(笑)

そうやって応援や生み出すことをやっていると幸せだなあーとしみじみ思うのと一方で、もっとそれを数をこなすのもいいなあと思います。経験値が増えることでより面白い仕組みが出来るかもしれないという意味でです。それで稼ぎを増やしてもいい。というところで、増やせ増やせとなってお金がとなりやすいのですが、そのお金も結果的に取れる=支払うお客さんありきであるので、そのバランスも大事です。自分が使えない金額をもらう意味もないわけですしね。

このあたり欲を知る、まさに足るを知るということですが、知っていれば知ってしまえば、著者のように「開き直れる」のだなとも言えます。もういいやというか、明らめではないんですが、もういいや、これでいくわみたいな清々しい感じです。追い込みというよりも、今のこれでいいし、いいよって感じです。これ気持ちいいと思うんですけどね(笑)

なぜなら誰かの評価とかでもないし、自分がそう考えたので、無理してそうしているストレスもない。うん、これでいいのだよって納得している。もちろんその考えが変わることもあるでしょう。しかし、基本路線としてOSレベルなので豹変したり、何か相当なことがないと変わらないでしょう。だからこそ、これで僕は行くのだ、といえる。

好きなことをやり続けたいみたいな好きなことって正直何か分からないです。もちろん、文章、プログラミング、アイデアを形にする、チアアップもね。ただそれってわりと今もやれていて、実はそれで無理して稼ぐ=お金にするということをすると崩壊するのではないかなとか思っていました。いわゆる欲がありすぎではないかみたいな。でも、これって客観的に見て欲がないくらいなんですよね、多分。もっと貪欲な人は一杯いる(笑)でもですよ、そういう欲比べこそ意味がないので、僕がこれでいい、という受け入れがあって、そうやっていこうと。そんな感じがしています。

つまり、人→仕事→お金は変わらないし、変えられない。そのように生きる中で、仕事やプロジェクトやビジネスを作りやっていく。これが僕の生き方であると、実は10年前に決まっていたし、それは今も多くは変わらず、増えたのは経験値くらいではないかという、良い状況ではあるんですよね。

そうやって足るを知る人、もちろん僕自身がこの状況が続けばいいということでなくもっと出来るということは感じているのでまだまだです。とはいえ、基本OSや方針は既に固まっていてあとは開き直りを加速っていうのも変ですけど、やっていくと。そこで蓄えるというか鍛えつつ次を開く。そうやって僕のリズムで生きていくと。これはなかなか社会でキープするのも大変かもしれない。けれど、ぶっちゃけていえば媚びて何かやるわけでもなく、仮にそれで得た魚は・・・うまいとかまずいとかでなくただ食べられるだけでいいとなり、求めていた魚ではないということになります。

こういう考えは言葉の端々というか、にじみ出るようで、いや俺はもっと稼ぎたいみたいな人は仲良くならないしなれない(笑)というところで、いい塩梅の関係になるという感じです。それをあえてごまかしたり、嘘をついたり、演じることで何かやる人もいるんだと思うのですがおすすめはしません。結果的に無理になって短期ではいけるが、長期ではしんどいです。

もっといえば開き直ったほうが長期でいい感じになれるが、短期では理解されがたいというところなんでしょう。もっとも理解され難いとはそういう状態でも理解をしてくれる人が一人でもいると思うのですけど、そういう人は多分一生の友人であり、良いパートナーだと思います。そういう人をまず大事にしてそこからって感じなんですよね。

浮足立って遠くにあるものを見ちゃうと、この近くにある、とくに自分がもっている、ある状態、いる状態がおろそかになると。あ、自分に言い聞かせながらですよ、もちろん(笑)

人のつながり云々は前に書いたエモい記事でも思っていて、結局、つながりが沢山あるほうがいいけれど、そのやり方や潤沢さは誇るものでもなく、必要十分であればいいというところかなと。とはいえ、人ありきは首肯を1万回以上できるところなので(笑)丁寧にそれはやっていくというところですね。

仕事を生み出すとはなんだろうか?

シゴクリのテーマでもある、シゴトづくりとはなにか。これは人とのあり方です。自分がこうありたい、人がこうしたい、こんなことで困っているでもいい。それ解決できないか。関係がないとかなりお節介ですし、ドライなお金と役務の提供みたいになっちゃいますよね。色々なパターンがあるとはいえ、やはりある程度価値観、または考えを理解したり共有できるほうが多分いい。

そういう中で、じゃあ今度こんなことやるけどやる?みたいなお誘い。またはこちらが誘う。誘う誘われる関係みたいなものって理想というか、まああるわけですよね。友人とは違うけれど、コアや考え方でつながっていればまあミスることはないと。細かい部分では違ってもねということです。

仕事が生まれる瞬間ってそういう話の中で、僕はこういうことをしているから手伝えそう「だなあ」とか、それならこうしてみたらいいんじゃない「かな」とか。逆にそういえばこんな人いたけど話してみたらいいの「かも」とか。「だなあ、かな、かも」というふわっとした、ゆるっとしたものが仕事の円滑剤なり、接着するきっかけになる。それは人、概念、スキル、仕事、人みたいな感じでゆるーくつながっていく。

丁寧にいえば、相談したらそれが仕事に絶対になるみたいな0か1でなく、相談することで、何か見えるかもしれない。または相談されることでヒントを提示できるかもしれない。または思わぬヒントから別の話が生まれるかもしれない。そういう「こうなるかもしれない」という期待を過度に持たずに、とはいえ何か生まれるかもなあくらいの程度でやっていく。それはある種の人にすればとても弱いんだろうけど、それはかなりゆるく弱いからこそ強いのかなと。何度も何度もできるし、一回あたりの熱量も少ないのでいきなり消えることもない。長期かつ持続型で結果的に短期の爆発的な熱量を総量でも超える気がしています。

そして仕事づくり自体がクリエイティブだなあと思っていて、何もないところからでも、ありもので作るのでもいい。それこそまさにクリエイティブで楽しい!ってことで、やり続けられる。そうやって楽しんでいると、「あ、僕も教えて欲しいです。」「同じ考えかもしれないです。一緒にやりませんか」「そのバランス感覚似てる」みたいなファンなり応援なり、いいよねそれとなっていくと僕は信じています。それは小さいことであっても、多分小さいことがここではめちゃくちゃ大事だなと。

最初の一歩とか、はじめの一歩とか、次の一歩、小さい小さいこと。いや小さいというか、アクション自体は誰も全て一個は小さいんですよね。だけど、何かやってる人って「大きくみえる」んですよね。行動なりアクションが。でも、冷静に見るととても小さいことをやって回数積んで経験やノウハウということになっている、結果があるだけですよね。そうならないならそうならないだけで。非常にシンプルです。

だからこそ手抜かず小さい体験、瞬間を大事にしていく。それが人とつながることでもあるだろうし、または一人になることかもしれないし。都度自分の感覚に合わせてやっていくだけとなると。

誰かに見せつけるとか、誇るとかもなく、凪の状態で静かな水面があり、そういうシーンとした状況において、僕はやりますよといって虚勢をはるでもなく、背伸びするでもなく、シンプルになる。あるがままみたいなもので、それをやっていたら、それが読者やお客さん、関わる人の価値になる。それはいけるような気がしています。まさにニュートラル思考みたいな感じで、大好きな状態ですね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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