自分の価値を見極める

アメリカでの狭小住宅に住んだ人たちが充実しているという記事がありました。

狭小住宅に移り住んだ人たちが語る「本当の幸せ」

この手の記事は側面として、狭小住宅=狭い家は「幸せではない」という文脈や通念がどこかにあるので、それに対してタイトルがキャッチーに「幸せ」や「語る」と入っているのでしょう。

よって、批判的に見たほうがいいわけですが、この記事に限らずですが、その上でやはり自分の価値は「これだな」と思って生きる方が、それを「得られる」ようとするし、いいなあという話です。

ちょっとそのあたり考えてみましょう。

大きい家=広い家が良いという価値観

記事冒頭にある長期ローンで家を買って借金を返すために働く。これ日本でなく、アメリカの話です。アメリカの方が奨学金返済がきついみたいな話も聞きますよね。こういう話は結局先進国なら共通課題ということであるわけで、日本だと終身雇用とか年功序列みたいなものが流行った時期があるわけですが、その時の制度や認識が残っているときついですね。さすがに賃貸VS分譲みたいな観点はまだ分かるのですが、そうでないのに長期ローンは僕はかなり無謀だと考える方です。

大きい家が幸せというのが本当に自分がそう思うならいいんですよね。話はそれで終わりです(笑)

ただ、多くは僕もですけど、社会に生成された、誰かが言った、浸透しているものが「主流」と考えがちです。例えば仕事をするとかもそういう価値の一つでしょう。まあ働くことはいいのですが、それは例えば細かく言って「勤める」「自分で起業する」の選択肢はあるわけで、勤めるも正規雇用から非正規雇用まで様々です。「非正規」っていう言葉がとても印象が悪いと思いますが、非正規雇用で稼ぎつつ何かやりたいことをやるって新しいことでもなく昔からありますよね。

フリーターという言葉は実は昔はとても良いイメージで言われたはずですが、完膚なきまでに叩かれた(笑)という気がします。草食男子なども良い言葉だったのですが(笑)言葉って意図よりも、社会で勝手に使われるのでなかなかってことですよね。

仕事とかもそうですが、そういう意味で住むもめちゃくちゃ大事な価値です。どうやって住むか、どういうところに住むか。

大きい家でなくてもいいのですが、例えば家は買うものだという価値がある人には、借りることは受け入れがたいはずです。そういう価値を大事にしているならそれで終わりです(笑)

くどいですが、そういう価値を自分で生成したものでなく、誰かがいった、社会ではこうなっているからそれに「従う」ことはどうなのか?という、少なくとも「抗う」とまでいかなくても「どうなのか?」くらいのクエスチョンが欲しいと僕は思います。そういう疑問や批判がないと、まあなんでもいいやってなります。

なんでもいいやで楽するも全然いいんですよ。ただ、面白いことに、なんでもいいや楽でいいやということで、従う人に限って不満が多い(笑)これが問題なんですよね。納得してる人は多少不満や愚痴があれどそれ以上にどうしていくかで動いていける。

マインドセットみたいなものですけど、この観点が常にあると。今回の話はそれがたまたま家、小さい家というだけなんですね。

仕事も家もお金も比例して良いということはない

資本主義は資本を拡大させる性質があると考えると話が早いです。仕事も大きいことをやろう、家も大きいものに、お金もたくさん稼ごう。とても良いと思いつつも、キリがないんですよね。

上の記事で、

「どれだけ豪華な家に住むかで、人間の価値が決まるわけじゃない。古びたRVに住んでいても、人格が素晴らしい人たちはたくさんいる。家は所詮、家に過ぎない。豪邸に住んでいても、ひどい人間もいるし」とマネーさん。

https://toyokeizai.net/articles/-/452146?page=2

お金を持ってない人が素晴らしいというわけでもないし、お金を持っているから素晴らしいわけでもない。

家もそうですし、仕事もそうでしょう。まあ多くの人はお金を持ってないので、お金を持っている人に対する悪いイメージを作ったほうが「金の亡者」(笑)みたいなレッテルを貼って批判するほうが気持ちいいのだろうと思います。ただそれってただのやっかみなので、お金とその人の性質は切り分けて考えたほうがいい。まあある側面だけで色々断定するのはとても乱暴ということですね。

タイニーハウスは37平米というわけで、日本でいえばワンルームでまあそこそこの大きさと言えます(笑)日本の住居事情が狭いだけとも言えますが、タイニーではないですよね(笑)ただ向こう基準では6分の1だそうですので、まあ狭いですよね。

こういう大きくするみたいなことを批判すると、少なくていいのかという反論がありがちです。清貧みたいなものは僕はスルーしていますが、そもそもサイズやスケールが人によって違うと。そういう意味では憲法で保障している生活がまあ最低限あって、その上でどうかという感じですね。

お金持ち批判くらいに妥当な感じなのは、それほど多くを望む人はいないってことですね。僕もそうです。どちらかといえば、タイニーハウスみたいに自分が求めていたり人が求めているものを適切に提供して、ビジネスにしたり、形にしていくことに充足感を覚える人は多いはずです。僕もそうです(笑)

なので、本質としては、自分がこれいいじゃないか!ならそれをやればいいということです。で多くはそれをやるのが怖いとか不安とか、まあ分かるのですが色々と問題が出てくる。そういう心理戦や精神の話が多くで、モノとか見えるものってまあ最後というか形になった後という感じですよね。

自分のものさしを見出す

じゃあ自分のものさしって簡単に見つかるかというと、簡単とか難しいって言葉はちょっと違ってるんですね。そもそもそれらの難易度も人によるからです。

例えば、Aさんは自分のことを色々考える癖がある。内省ってやつですね。だから自分が何に強いか弱いかもある程度分かっている。そういうAさんにとってのものさしはまあすでにあるものなですよね。

例えば、Bさんは今まで流されてとくにこれということはなかった。そもそも自分で何をどうしたらいいかということを決めてこなかった。でもそうやっても生きられたし、これからも特に大きなやり方の変化をしないとも思っている。こういうBさんにはまあものさしってちょっとしんどいんじゃないかと。

Bさんが駄目でAさんがいいなんて話でもないです。そもそも今の時代にはAさんのほうが適用する気がします。なんですけど、Bさんがそうなりたいか、つまりものさしで生きたいかなんですよね。ものさしってまあ0から生成なんてないわけですよ。僕もそうですが、色々な人を見て「ああこういう人もいるのだな」ということを学んでいく。だから「色々な人」がいなければ、やはりしんどいわけです。真似というか学ぶ対象がいないからってことですね。

Bさんがしかも変わる気はないなら、そういうものさしで生きたほうがいいわけです。ここはめちゃくちゃ大事ですが、自分のものさしという時、自分のブレない軸みたいなハードボイルドな感じを思い起こす人もいると思います。

なんですけど、実際はハードに生きてもソフトに生きても、どっちもそれなりにあるし、結局自分がいいなあて思える感じを最大化したほうが多分いいです。その時ものさしがはっきりあるならそれで判断すればいいと、それはAさんですよね。Bさんならどうするか。ある程度流されていっていいので、むしろ自分のものさしでなく人のものさしで最大化するほうがいいと。これどういうことかというと「自分がない」のではなくて「人の視点で考えられる」ということです。

商売とかビジネスならこれが必須ですから、そういう意味でBさんはめちゃくちゃビジネス向きかもしれないんですね。ただ、人のことを叶えいてくことをやると、自分が何をしたいんだろうってポッカリ穴があいた感じにもなるんです。だから、たまには内省すると。

人との関係をたくさんもっていたりつなぐ的な人はBさんっぽくなるのかなと思っています。絶対そうではないですけどね。逆にAさんだとクリエイターとか職人気質なことが向いている、要は一人作業系ですよね。

もちろん、一人かチームかとか、ものさしがあるかないかとか、自分か他人かみたいな感じで二択ではないですよ。どっちも好きだしとか両方イケる人もいるはずですから。

ポイントはどちらであろうがなかろうが、自分のものさしっていうものは結局あるってことですね。判断した結果みたいなものが、薄くても必ずあると。それが自分の価値だろうと。多分こういうのって誰かに言語化されるとぐっと楽になる感じでですよね。自分で見つけなきゃとかって焦るのでなく、見つかっていくし、見えてくるみたいな方が多分現実的です。

そしてそのためには適当に生きればいいというよりも、ある程度こうなったらいいなでもいいですし、妄想オンリーでなくて、少しでいいので動いてみることになります。この動きがないとやはり始まらないので、妄想との違いってそのちょっとした動きだけという紙一重な感じもします。

記事でもマネーさんは、

「近所の人と張り合って、豪華な家、豪華な車を買って見せびらかすライフスタイルが行き着くのは、借金でがんじがらめになったしんどい人生。自分はそういうタイプではないと、幼い頃からわかっていた。使わない部屋がたくさんある豪華な家も、最新の車も欲しいと思ったことがない。

そのかわり、近所の人とパーティーをしたり助け合ったりする温かい関係の方が欲しかった。 タイニーハウスはひとつのムーブメント。住民たちと自然の中で、経済的不安なく仲良く暮らす方が、自分には合っている」

https://toyokeizai.net/articles/-/452146?page=4

はっきりと述べています。小さい頃から分かっていたというのは面白いですよね。大きさは求めないけどその代わり交流を求めたってことですよね。これは分かりやすい話ですよね。

なにかを明らめるって、ある種辞めることでもあります。ということは逆にその分なにかを得られるって話にもなります。少なくとも時間や休息になりますよね(笑)

こういう自分なりの価値を見いださないと駄目という話ではないです。ただ、ある程度見えているならそっちを磨いた方がいいし、他の動きにまどわされることもないのだろうというわけですね。

もちろん逆に、小さい家に住むのはきついからそれはやだって人はまあ真似しちゃだめですし、求める方向ではないですよね。大きい家でそこで浸れるのがいいのだという人はまず合わないわけです(笑)

選択肢はいくつもあるので少しずつ得ていく

選択肢という意味では二択は分かりやすいです。なのですが実際に二択ってことはあまりなくて、多くは選択肢が見えてなかったか、外して残ったものが二択だったというところでしょうか。

あと二択があって選んでくださいというのも、まあ微妙ですよね。自分が選ばないと意味がないですから(笑)

意識レベルでは二択っぽいなら第三の選択肢がないだろうかと考えてみたり、違うやり方や他の人ならどうだろうかとか、別の視点を動員するだけでも結構世界が違って見えます。思い込むとそれしか見えないというのは、人間心理にあるものですからね。

これでいい!これがいい!みたいなものがどこかに落ちているわけではないです。自分が、あなたが、見出してこれだなって思うこと。心から思わなければ保留とか試してみればいいだけですから。それで「おお、これはいいぞ」と思ったらそれを磨く。とことんやるってのはいいのかなと思います。誰かに強制されてやるのではない、自分がやりたいのだというのはあ、まあストレスでいえば天と地ほど変わるはずです。強制だと生産性も出ないですし、まあストレスも半端ないです。しかし、自分でやりたいなら生産性も上がり、ストレスもほぼなくなる。

そんな上手い話があるわけです(笑)まあいい感じでやりたい方向にもっていくくらいが最適で、好きなことを見つけよう!とか、好きなことで飯を食うみたいな方向にあまり持ってきすぎるとなんというか、即物的になっちゃうんですよね。伝わりますかね?

要するに釣りが好きという人がいたらそれで食えるようになるのが幸せに違いないみたいな。でも、明らかにそれは難しい。釣りで仕事をってどうすればいいのかってなりますからね。もちろんそこでアイデアや形にしていくことを試すのはいいんですよ。ただそこで「釣りで食わねばならぬ」はちょっと怖いというか、心から思っていれば少しはありですが、現実も見ないということです。現実も見つつ、理想も仰ぎつつ、どこで着地するか。ここが腕の見せ所ですよね。

つまり、自分らしい、あなたらしいってこういう「着地点」にある。着地面といってもいいかもしれない。僕は別に好きなことをしないといけない教でもないですね。ニーズがないとまあ悲しいというか、仕事にならないだけですから。そういう意味で仕事になっている時点で、ニーズがあるわけですから、あとはそれをどこまで好きになれるか、楽しくできるかというほうが「やりやすい」というのもあるわけです。

釣りが好きでそれで食いたいならそれは全然いいわけですよね。ただ明らかに難しい場合どうするか。まあ明らめるというのもいいのですが、例えば普通に考えて他の仕事をしつつ釣りを趣味でするのでいいじゃないですかってなるんですね。それが嫌なら、別のアイデアを試す。そもそも、なんで釣りが好きなのか。一人になれるとか、夢中になれるなら、それって釣りでなくてもいいかもしれません。要するに「釣り」という具体的に見えることに引っ張られると見えなくなるわけです。実際には「瞑想」みたいに一人の時間を持てればいいかもしれないですよね。ならば、釣りでなくてもいい。本質は一人になれる時間であったと。ならば、行く先は実は釣りでなく、一人になる時間を大事にしていく活動とか、それを伝えていくことかもしれないですよね。

まあその場合もお金にすぐなるわけではないないでしょうから、じわじわとやる必要がありますけどね(笑)

まあこうやってすぐ得るとか、即物的に好きで仕事をとかって煽るのでなくて、そうならないようにしたほうがいいかなと。そうでなくもっと中長期でこれやっていくと面白いなというところを探っていて少しずつ挑戦して試して得ていくと。そっちのほうが多分いいんじゃないかなと。

上のマネーさんは、記事を読めば書いてありますが、

  • タイニーハウスのホテル事業
  • 土地賃料(タイニーハウス向け)

などが収入源で、タイニーハウスを元々やろうとしてなくて、あくまで最初は土地を買ってRV車など(いわゆるトレーラーハウスですね)で住む土地賃料を得ていたと。そこからタイニーハウスをやってみたらというところになっていくんですね。土地賃料だけではそこまで得られないので、ホテル事業も始めたと。これでタイニーハウスのアピールにもなるし、事業としてシナジー効果が出ていますね。

また10代はマネーさんは石材業ですし、御影石を彫っていたんですかね、あとはキッチンのキャビネット(いわゆる石で出来たものだから高級なんでしょうかね)事業をやったり、いきなり最初からやっているわけではないと。今も完成形ではないのでしょうが、そういう色々やってその上でやるというのがポイントかなと思います。

色々やるとは、結局試行錯誤をするということですね。やってみて経験が蓄積されるから課題が見えてきて次こうしたらいいんじゃないか、もっとこうできるのではないかなということを発見してそれをやると。当然それを発見したりやれるのは、それに対する興味や面白さが一定以上あるからなんですよね。

誤解されるところは、こういう何かやりきったり、やっていて形になっているっぽい人は最初からそういうシナリオがあったみたいな話です。それはないですよね。多くはないというか、ある人はいないのではないかって感じですね。もちろん例外として想定どおりでないと嫌な人もいるのでしょうから(笑)そういう人は分からないです。あと権力、お金も最初から持っている人は適用できないでしょう(笑)

そういう例外はおいておいて、多くはやはりああでもない、こうでもない、もちろん僕もですよ、そうやって試行錯誤してどうなるか。なっていった、いわゆる計画された偶発性ではないですけど、自分でこうやりたいよりも、実は偶然でいい結果になったなんていくらでもあるわけですよね。

そういう偶然性や偶発性に対してオープンで楽しんでいくといいと。結果的にですが、今もこれからも楽しんでいる人は楽しみ続けるわけなので、そういう楽しみながらやっている人はとても「幸せ」だと思います。

ここでも幸せとは、得るものでもなく、やはり自分が色々やっていい感じになっていったプロセスを含めたものですから、誰かの完成形のようにみえたものを真似することで幸せになるわけではないですね(笑)マインドセットもあるわけで、先の話でいえば「自分は大きいな家に住みたいのに、小さい家にいることがストレス」なら、そもそも話にならないわけです。だから自分がいいなと思う価値をだれかと比較するとかでなく、大事にしたほうがいいってことです。その大事にした感が強くなったり、それを意識すること自体が、メタ的ですが、幸せとか豊かとか、余裕とかって感じではないかなと。

これって結局自分が納得しているとか、ああ自分はこれでいいんだなと無理せず言えることでしか言えないですね。まさに余裕ですね(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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