誰かを励ますことで自分が励まされる
あるイベントに参加してきました。詳細はどうでもいいのですが、共有するみたいな意味としては、自分として気づいたことが大きく2点あったのでそれについて書いてみます。
1つは、チアアップ=応援する、励ますというアクションについてをもっと深められるかもという点。
もう1つは、気づきを最大化していくと、実はアイデアを出してそれを試せるOSってめちゃ可能性なのではないかってことです。
多少ブレはありますが、鮮度良しで突っ込みます(笑)
目次
チアアップすることで自分に言い聞かせている
懇親会というか立ちながら軽く隣にたまたまいた方としゃべってたんですが、いくつかのパスというか問いかけに対して、失敗してもまだやれるとかならまだまだいけますよと、逆にチアアップされてしまったという(笑)ありがとうございます、という感じでした。
これ何を言っているかというと、アイデア、とくに起業アイデア、ビジネスアイデア、企画アイデア、プロジェクトのアイデア、壁打ちなんでもいいのですが、そのときで出てくるリアルタイムのリレーをしつつ、頭が回転して何かアイデアはないかー!?みたいなことをやってるんですよ、僕は。
その時、こういう視点はどうか、違うことしてみたら、これはなんですかね?なぜそれをしたか。そういえばこんなニュースがあった。色々ぶっこんでいきます。もちろん相手がそれを嫌でなさそうであれば。
それをチアアップと勝手に呼んでます。熱いか冷たいかでいえば、かなり熱量を使いますので熱いです(笑)
そうやって励ますというか言うのも、例えば「こういうアイデアならこうすればいいかも」といっていいながら、僕は自分でそれもいけるんじゃないかってある種客観的に自分を励ましてるんですね。
これは自家発電につながるのはわりとイメージが湧くのではないでしょうか。
薄々気づいていたのですが、自分に言い聞かせるのはある種自分への洗脳です。と、同時に自分も言うくらいならやれよってことでやるわけですね。何かに強制的にトリガーがあるのでなく、あくまで自分→相手があって、それをスタンド(ジョジョ的な)的に見ている感じです。まあ客観的に見えているってことがポイントかもしれないです。
チアアップがマホカンタされる→自分も励まされる
そうやってチアアップすると、その話面白いですねとか、アイデア何かありませんかってことになります。今回なったわけではないんですが、これたまに忘れるのでちゃんとやろうと(笑)
もっといえば、僕に出来ることがどんどん減ってきてというか出来ると思っていた事もできてないというある種自虐的なとは思っていますが、「アイデアで励ます」っていうそれはできるわ。だってアイデアはあるし、なくても会話で生み出せる、それが湿気た(笑)アイデアでも、イケてるのも関係ない、そこでの会話や対話出てきたアイデアは儀式的な意味でなく、ライブ感のある、漁みたいな、ピチピチのアイデア魚だぜ!みたいな。
それはできるわーというのも謙虚すぎかもですが、もっと大きく見せても仕方がないし期待値あげてもしょうがないなと。そういうところで、しれっと、入り込んでアイデアはもちろん出して励ますけどさらにそれを形づくるために頭も手も動かします。でさらにここまではやったという実績(結果や成果)がある。
といえば完璧すぎるなあと。まあそういうきれいなパターンはないんですけどね。とはいえ、そういうことをしたいと。つまり、チアアップからのアイデアを出すというところで認知を作りさらにそこから事業化であったり、プロジェクト・マネジャーであったり、コミュニティが必要ならコミュニティつくるし(生まれるようにする)、そういうの大好物ですと。というかそういうことしかできないなあと思ったんですね。
なぜなら、アウトプットするアイデアを固定化して私は「固定化した何か」が出来るっていうのがもっとも苦手なんですね。苦手というかできないというか。やると嘘ではないけどなんか盛ってる感じになるし、そのまま伝えると「アイデアだけかあ」みたいに評価損みたいになる(笑)このギャップってまさかそういうもっていきかた、とくに、スライドさせるしれっと感がなかったのかなあと。
それはある種見えていたので、どちらかというと「しれっと」はいいけれど、そういう何もないところで色々やってみてどうかっていうところ、これも自家発電と超相性がいいんですけど、それはできると。まあそれできて当たり前みたいな世界も一杯あるんですけど、そういうことをやっていることをみて「チアアップ」になることもあるし、失敗談話すだけで喜んでくれるなら喜んでみたいな。まあ人というか誰でもいいわけじゃないんですけど、そこらへんはよしなに。
そういう苦手なところでやりたいわけでないけど、どうもそうなっていくぞと。アイデアっていうと実現したいが概念になるから、実現度が問われるぞと。まあそうなんですよねーって感じで思考が止まっていたのかもしれないです。
どういうことか?もっとそのチアアップするところで、相手を無理にではなく、促進したり、応援する仕組みを作っていくってことなんですよね。これはやり方次第でいくらでも出来る、アイデア出しの場ってそういうイメージなんですけどどうもアイデア出しとか楽しめる場みたいな感じがちょっと軽い感じになってるかもなあという印象です。まあこれも魅力として語っていってやってますよ、誰もいないですけど入ります?で入る人くらいがちょうどいいので焦ってないです。とはいえ、そういう仕組を作って出来るのでもっとやらないとね、という刺激になったなあと。
そういうのはもっとやりたいので純粋にやっていけばいいと。それこそ色々な人を応援出来るので、しかも応援したら怒られることはそこまでないはず(笑)なので、メンタル弱い自分にとってはいい感じです。もちろん否定もたまにはあってもいいですが、基本やったり色々わかんねって人も多いのでそこを励ましていくと。いいんじゃないかって今すごく思ってます(笑)
アドラーマンの到来
ある経営者と知り合いというかなんでしょう、正確には斜め上のパイセンみたいな(笑)新規事業というか新規企画をやろうってことでご一緒したんですよね。まあ頓挫というかすぐ終わってしまったのですけど、その時ミスったのは(ああこれも失敗談だ!)、相手に降りていかずに上からになっちゃってたのかなと。そこまでひどくはないんですけど、勇気を与えるみたいなのってちょっとかなり過酷だったりやばい状況もあるのでカウンセリングに近いというか。そこまではできないし、プロに見てもらったほうがいいわけですし。
アドラーマンと名付けた企画であり名称のプロジェクトをかなり前ですが、思い出したんですね。まさに自分にアドラーマンが乗り移ってるって(笑)そのパイセンはSさんっていうんですけど、Sさんそのものではないけど、近いなあと。
僕が成功しているわけでも、むしろ失敗していると思っていますが、人生でなくビジネスなりキャリアなり仕事って意味でですね、でもかなり生きててよかったと思ってるし、そうやって人に支えられたというのはマジ感謝です(笑)だからこそ、そうやって得てきたパワーをどーんと、いけるいけるってぶつけていく。それならこうだ、乗りこえようぜって声かけていく。ある種体育会系ですが、その乗りはないので(笑)そこは静かに熱く。
そうやって割り切ってしまうととてもスッキリしたんですね。そういう意味でデトックス効果があるイベントでもありました。勝手に僕が気づいたというか、思っただけなので狙いはそういうイベントではないです(笑)
もっとできるのではないかという伸びしろしかない
そうやってチアアップ、または自分を励ます、またはそこで今までの経験から励ます。これめちゃくちゃ価値があるんじゃないかって。少なくともやりきってああ成功者っすとか、そんなの当たり前じゃんって人には価値は低いかないですよ(笑)
でも、これから何かやる人、いや0から1とかやってる人はかなり不安で孤独です。だってやってみないと分からないことを繰り返すのですからね。これは正直わかり味しかないんですね。僕もそんな感じで生きているので(笑)
そういう中で上で出てきた話で、失敗してもまだやれるならもっといけるということがリンクします。まだまだ全然やれるなあと。やりきった感覚も正直ないですし、余裕でやりたいわけでもなく、とはいえバーンアウトみたいになって体壊してとかも違うので(笑)そうでなく、多分自分のやり方としてエンジンかかった時のハックぶりをうまいところコントロールすればいけるんじゃないかって。ワンチャンあるってのをもっとフラットにかつ、全然駄目な時にさらっといえて「やったことは意味があるじゃん」というところでフォローしつつ、まだまだいけるいけるというのがいいと。
これ年齢とか世代とか、たまたま今ってこともなくて、そうやって生きたいなあと思ってました。常に挑戦って文字にするとよく分からないんですが、何か興味をもってやってみることをずっとしていたい。ただそれだけなんですけど、それだけを砂場みたいにできることってないですよね。それがシゴトづくりみたいになっていっただけ。非常に僕の中で腑に落ちまくるところでした。
だからこそ、ガンガンやるっていう場合、無理してなにかやるんじゃなくて、いい感じでぐるぐる回せる、ある主の水の流れが上から下に流れるように、重力の力を使いながら、うまく作用点を見つけてテコの原理みたいにすっと力を抜いても動かせるみたいな、または切り株の切れ目にすっと入れて切るみたいな、会話の流れを壊さずしれっと自分の主張を入れていくみたいな(アサーションでしたっけ)そういう感じです。柳の葉とかいいっすね(笑)
要はもっとできると。
学びの自家発電、気付きの自家発電が当たり前でもない
少し視点を変えつつ、学びの自家発電とかってことも思いましたね。要はイベントでもいいですけど、人の会話でもいいんですけど、そこで何が学べるか。ラーニングはどこにあったか、振り返りで何を意識してどう自分は参加前と参加後で変わったか。ここがなければもちろん寝てるとかは駄目ですけど(笑)、聞いてて何も降りてこないなら、まあそのイベントが駄目とはいわないけど、実りがなかったという結果になりますよね。
これは相互性の話で、イベント自体もですが、参加者も参加することで得たいものが弱いならやはり駄目だと。だからこそ、企画側も参加者も最大の学びを得られる工夫をそれぞれするってのがある種あり方としては正しい。
そういう意味で企画側が仕掛ける何かも良かったと思うんですけど、それ以上に自分での学びの最大化をできたというのは大きいのかなと。もちろん意識高くとかでなく、最初はそこまで期待してなく緩さでその場を楽しむ感じで、と思ったらわりと熱いイベントというかゲストだった。客観的に見れば無名な人です、無名っていうと失礼なんですけど、ぶっちゃけ僕もその無名の一部でしかないと。著名でないってことくらいの意味です。
そこで語られたことや具体的なことはぶっちゃけ忘れても、忘れかけてるんですけど、パッションを持ったり、自分が何をしたいかを何か魔法があるわけでなく、地味にやると。それってかなりマッチョな話なんですけど、でもそういうのってマッチョというよりも、ごくごく自分の場合は自然に出来るし、というかやってきたと思ったんですね。例えばアイデアでのチアアップって最近言ってるだけで、知り合った人に対してその場でこんなのあったから使えるかもってわりと普通にやります。これは特殊なことではない、僕にとってはですが、そういうフィードバックやレスポンスがなかったけど欲しかった人にとっては神の御加護みたいなものなのかなと。言い過ぎかもしれないけど、それくらいでいいのかなと。刺さる人に刺さるまでやれみたいな(笑)
そこをもっと自分は、僕は信じていい。そう信じる事ができるのは上でいう、アイデアで励ますことくらいしか出来ない、というところからスタートしているし、それでやって難しいことをせずに、まずそれでどんどん撒いていけばいい。これだなあって。
じゃあこうやってある種のラーニングを最大化出来るのって僕の特殊能力でもないと。同じような学びや気づきをそれぞれ得たり交流したりで得た人もいると思います。だからそこは誰でも持てるだろうと。一方で僕は僕なりの学びを得ていて、それがここで書いているような気付きだったと。
もちろん、毎回何かイベントやセミナーで気付けるのが濃い何かではないですよ。ただ今回気づけたことをアウトプットすることで、何か自分の中でもひらめきやアイデアが降ってきたりする気がするので書いています。
かなり直感的ですが、そういう学びを自家発電していてそれこそブログでアウトプットする、こんなの役立つかもとおすそ分けする、それによって励ます、役立つ、喜んでもらう、その上で何か生まれたり自分に戻ってきたり、ということを繰り返しているからこそ、たまたま今そうなった、気づいただけなのかなと。やってないなら気づけなかったわけですね(笑)そういう意味でやっててよかったなあと。
エモい文章になってしまったかもしれませんが、僕は元気です。さあ、やろう!
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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