2021年は生きる

今年も明けましたね。今年初ブログということで、軽く抱負的なことを書いてみます。とはいえ、ざっくりですが。

今年の目標

ずばり生きるです(笑)

目標を立ててこれをやるというスタイルは分かりやすいのですが、人生の満足度という意味では、例えばある30年を切り取って30回目標を達成した、というのはいいんですよね。いいというのはそれをしたいならすればいいという意味です。そこに価値を見いださないなら、「他人のやり方をやっている」ので、満足度は低いでしょということです。

もちろんこれは他人から学ばないなんてことではないので、あくまで自分で解釈してどうかということが大事になります。

生きるという目標や他人からみたこの目標?スローガンみたいなものって価値は低いはずです。ですが、僕の中ではとても大事で高いというか、丁寧に生きるにはまさに「生きる」ということですね。

より良く生きるでもいいし、健康に生きるでもいいし、アウトプットして生きるとかまあ生き方は色々です。

2020年は凪だった

実際に2020年は嵐だったかもしれないし、何も状況が変わってないかもしれませんが。僕の中ではほとんど変わってないように人からは見えても劇的に変わってるんですね。そこがポイントです。具体的には夏頃からより鋭くなってきたと言えます。

もちろん今年は凪ではないとかそうではないとかも言えないのですが、より丁寧に、本質的といってもいいですし、抽象的といってもいいですが、価値を見出すことはとことんやりたいなあと。逆に「これ人が価値あるとかいうけどそうでもないのでは?」なら、もういいやみたいな感じで捨てるというか、スルーでいいのだなというところでした。失敗すればこれらは学ばないことになるし、傲慢にもなります。逆に成功すると、集中して自分に集中出来ることになります。絶対はないので、うまくいかないことも折込つつ、踏ん張っていくところですね。

静かな凪に見えて実は嵐だったとか、そういうギャップや矛盾がとても大事な気がしています。

基本的に仕事で人に役立てる

シゴトクリエイターとしても大橋個人としてもですが、基本的な姿勢は変わらないです。得意や長所とすることで何らか役立てる、役立てるようなことを人様にしていく。総じてこれは社会貢献みたいなイメージなんですけど、多分一般的な漠然とした「社会貢献」でなくて、もう誰でもいいから喜ばれたらいいじゃん、それがお金があろうがどうかはおいておいて、って感じです。これは別にボランティアがどうとか、仕事やビジネスがどうということでなく、何にせよ役立つ、立つ瀬とかいってもいいですし、その人に寄り添うといってもいい。

そういう役立つパターンややり方は色々あるよね、ということでそこを丁寧にやっていこうと考えています。昨年は応援励ますみたいなことを意識したんですが、ある種それはすべての仕事に入っちゃっているので取り立てていうのでもないなあと。もちろんブランディングみたいなところで言うのもありですが、あんまり言うとぼやけるし、妙な期待値も上がってズレるよねということでそこまで言わないくらいがいいのかなという着地です。

よくありませんか?仕事なり家族なり、平和で暮らせればいいとか。まあ現実に紛争なりもありますし、平和ではないことも多いですよね。一方で平和になっているところではそれを素直に受け止めて感謝すると。感謝って社会とかって言葉よりも、関わっている人とかに地味というか懇ろっていうのが合ってますかね、感謝していくのがいいって感じです。

そういうのって、実は青い鳥みたいにどこかにあるのでなく、まさに気づくことしかないんですよね。

そうやって考えると、既にある、かなり精神的な話ですけど、あると思うからこそあるので、そこから「育む」のが近いですよね。見出すとか。持つとか見つけたというと、性質とか努力の結果みたいな分かりやすい形や言語化をしがちです。でも違っていてこれらはわりとふわふわと空気のようで、オーラのように近くにあるが、自分所属でもないという、これも精神的かつ分かりづらいですが共有物に近いのではないかと。水とか、空気とか、って感じです。伝わりますかね。

そうなると、水があるとかないとかのでなく、あるんですけど、水あるよなあって意識した人は水を使えるし感謝できるみたいな。でも、水ないよね(あるんですけどね)て思ってる人はないし、他の人の水も奪うというか(笑)

これらってかなり概念としては、足るを知るみたいな感じで、初歩的なことかもしれないのですが、小さいだろうが大きいだろうがどんなこともそんな小さいことからはじまるし、小さいことの組み合わせでしかないのではないかって感じてるんですね。

そういう精神の動きがある時、仕事もかなり形としてはある一つの人生における行為にしか過ぎないので、こういうと何を仕事にしたいかとかっていう人には怒られるわけですけど「なんでもいい」んですね。適当とかって意味ではないんですけど、何でも良いとは何でもいけるわけで、ダム工事をして社会貢献してもいいし、街の美化として落ち葉を掃除するボランティアでもいいし、その大きさや見栄えは違うんですけど、それが「見栄」でやっちゃうのってかなりどうでもいいわけです。

ここでいう見栄とは、落ち葉掃除ボランティアがぱっとしないと勝手に思って、ダム工事をしたいんだという感じです。お金、時間、スキル。それらが多ければ多いほど映えると思いがちですが、というかそう思っている人はこのブログを読んでないのですが(笑)そうじゃないよねと。小さいものでも価値があるものはあるし、大きそうで実は映えしかない=盛りすぎというのもあるわけですね。真実は何かはわりとあなた、つまり見る人次第なので、迷宮入りしそうです。

落ち葉掃除ボランティアでいいというか、がいいというか、それで役立つのだと思ってやる人が立派であって、ただそれだけという感じです。という評価を出来るかどうかみたいなのがあって、かつ人には欲があって、なかなかものさしを自分用とか自分オリジナルにしづらいんですよね。人の意見に左右されたりしますしね。そういうのを受け入れつつも、最終的にはダム工事も落ち葉掃除も別に本質的に変わらないですよねって感じ。そこに達すれば色々と仕事の形状ってどうでもよくて、「で、それでお客さんは喜んでくれてるんですよね」「すばらしいですね」となるわけです。

ということを僕も意識していこうというところでした。実際にはまあ色々あるわけですが、役立つために、役立ちたいからやっている。そういうのが基本好きなので、あとはどうやっていくかはもう僕次第って感じのターンですね。

何をすると満足する?

自分が何をすると満足するか。まあ人の言う通りになにかやるのはストレスがたまってしまうのでそこを出来れば避けたい。とはいえ、それなら自分が何か言えるとか、指示までいかなくても一定の見解がなきゃ駄目ですよね。

なんでも何かをしたくないとは、その代わりにしたいところにフォーカスできる、するということとセットです。したくないだけとかやりたくないだけで終わることってほぼなくて、仮にそれをして何もしないと活力は得られなさそうです(笑)

満足ポイントって人によってめちゃくちゃ違うはずです。先のダムと掃除でいえば、ダムやらないと生きた気がしないならそれでいと。掃除しないと駄目ならそれでいいと。どっちもいいと。たまたま2つですけど、これが無限にあると思っています。

僕でいえば、ITもですけどアイデアで役に立てればそれでいい、という感じです。それでいいというと「なんでも良い」感がありますけど、何でもというか、たまたまそこに集まる集めていく力やそこから見える景色が心地よいからに過ぎません。例えば、アイデアを出すとか考えるとかまあやっているとそれでお客さんが喜んでくれるわけですよ。感謝されて嬉しいしもっとやろうと思うと。そしてまた新しい方との出会いもある。世の中ってめちゃくちゃポジティブにこんな状況でも考える人がいるし、それは一人でもないなあと。そうやって色々踏まえた上で動く人を応援したいと。

そういうことをやっていくと、これも精神的ですが「気」がめちゃくちゃ良くなります。良い運気といってもいいし、流れも出てくる。僕はたまたま、アイデアを考えるの好きであって、ITもですがちょっとどころではないんですがオモシロイと思っていて、かつコミュニケーションも好きで、かつ論理や感情もまあ自分でいうと手前味噌なんですけど、それなりに冷静に捉えられると。そこがバランス良く入っていくと、発する言葉からいろいろな可能性が出てくるわけですね。あれもいえる、だからこれもあれもやってもいいし、これだけやってもいい。色々やろう。

これどこかで見たことがあるなあと思ったら、勇気づけるとか、元気づけるとかってそのものなんですね。そこを絶対やらないといけない、なんて思わなくて、そこを意識するし、根底は「役立ち」なので、まあ出ちゃうって感じです。そういうストレスはないんですね。趣味みたいなものというところといえばいいのでしょうか。ひどい人じゃないならまあ励ますというか。もちろんそれはカウンセリングみたいなものではないですよ(笑)

なので、僕の満足点は常に仕事でもいいし、役立ちがあれば相当満足しています。これ仕事が変わっても一緒だなあと。特段大きな違いがないので、どちらかといえば、僕のコントロールの問題が多くて、あんま綺麗に仕組み化しないほうがいいかもなあくらいです。泥臭いくらいがいいのかもしれないですが、結果的に仕組み化されていきそうですね。仕組み化したくなくてもなっていくという感じです。

アウトプット感

アウトプットをしていくぞというところはまあ変わらずで、結局気づけばなんか書いたりメモしています。世の中や社会には面白いことがいっぱいありますし、うまく咀嚼して届けられればというところです。

選択と集中みたいなものも、集中感があまければぐだつきますし、沢山ありすぎても何もできない感がありますし、まあかなり人それぞれです。

僕にとってアウトプットは多分あまり構えることない感じで、こんなのどうかなというやはりおすそ分けに近いです。それを価値として感じるところにはより丁寧に届ける、それが仕事ですね、そうでないところではまあそれなりに(笑)というところでいいのかなという感じです。

アウトプットも量がとか質がとかはまあかなりどうでもいいところなので、例えば人に役立つという意味で誰かに一人でも役立てば十分でしょうと。それもTPOといいますか、見せ方やり方で全く異なりますから、アイデアや可能性やアウトプット自体を低く評価することなく、価値が最大化かつ高くなるところはどこかしら、くらいで構えておけばいいと。無理に評価しなくてもいいってことですね。

そんな感じで生きるということで、今年もわっしょいと楽しんでいきたいと思います。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

違和感で発想のやり方が学べます

日常生活で感じる違和感を用いて、アイデアを出すやり方が学べます。「違和感発想法」は誰でも気軽に出来るサービスです。

LINE公式アカウント登録で無料で学べます。気になる方はチェックしてみて下さい。