AIを使うなら問いや仮説を持ったほうがいい。持てないならそれこそ使うべきではない・・・。

ポッドキャストでも話したのですが、改めて書いておきたいと思います。

AIを使う話で、AIは別に使ってもいいんですよ。ただ、AIを使う前に、または使っている間に、人が考えている状態があるか。すなわち、問いや仮説や「こうなるかな」という予測があるか。そういうのが考えるとしたとき、それらがない状態で使わない方が良いのではないか。

仮に仮説や問いがない状態で使うと、頭を使ってない、考えてないので、それでまかり通るようなことがあれば(おそらくそれほどないので、心配していないのですが)、その人は考えずに済んでいく。

では、考えずに済んでそのまま人生を過ごすか?ですが、それは多分ないだろうと。

考えると言うと大げさかもですが、考える行為は、かなりの部分にあるんですね。習慣とか、なんとなくというのも含めると。

反論として、いや考えて何かをやることが少ないので問題はそれほどないのでは?はありえるのですが、そうやって済んでいたことが、AIで作業的なことが消えると、作業というパイの奪い合いになり、そこから、人は質を高める、または作業ではないことをやるしかないんですね。これはそうなるはずですが、仮にそうならないと、思ったよりAIを作業に使わないか、AIの作業に致命的な不具合があるとか、色々と問題があってできないというわけですが、そのあたりは見えてこないですね。

では、そんな感じで、そのあたりを少し書いておきます。

車とか、計算機とかで比較すると目的や意図を決めるのが大事

車なら徒歩の代わりに移動できます。その場合、取引先にいくとか、旅行するとか、目的があるはずです。なんとなくドライブというのも意図です。

計算機、電卓は、計算が難しいから任せたというわけですが、それも計算させたいわけです。

AIで、学生がレポートを楽したいからテーマを投げて書いてもらう。楽したいという意図がありますが、楽できますよね。ただ、これは意図ではあるのですが、思考をしないので、結果を得ても学びにはならないと。

いやそれは徒歩を車にした、暗算を電卓にした、それこそ漢字を覚えなくてキーボードで打つのと変わらないのでは?と思う人もいると思うんですね。わかります。ただ、これは、楽したいはかろうじて意図であっても、その意図の中に「考える」「学びたい」があれば、AIのアウトプットを本質的に理解しようとするはずです。それが考えるでもある。またそこから自分の考えはこうだというある種壁打ち的にもなるはずです。

そういうのがないならば、結局考えてないといい切れます。例えばAIに投げてその結果をコピペしたときに、何をしたか?ということです。嘘をついて「レポートを書いた」ということはできますが、本来の意味でレポートを書くとは「自分でテーマを考えて主張や学んだことを示す」わけです。それだけです。それをやる意図に反しているので、駄目なんですね。くどいですが、AIを使うなというわけでなく、使うならそのあたりを考えて使おうってことですね。

逆にそのあたりの考えるということが分かっていないならその教育や学びがないので、使わない方がいいです。そういう意味ではAI自体免許制というのは笑い話でなく、本当にあってもいいかなとも思います。未成年に対しては特にですね。覚えなくてもいいとか、でなくて学ばなくてもいいとなりすぎるというか。伝わりますかね?

意図として、ある種考えるということをせずに何かを得るというのがおかしいのですね。ズルをしているということでなく、ズルの意味がないんですね。では、そのズルをした人はどこで回収するかというと、誤魔化し続けるしかない。それだけです。嘘をつかずに悪びれずAIを使ったと豪語してもいいのですが、それはAIを使って誰でもできることをしたのであれば意味がない。例えば、AIで良いアウトプットを出すために思考したならそれは価値があるのですが、メタ的ですね。多くはそこまでいかないのでしょう。

AIに丸投げをすると、おそらく学べない

人が、AIに指示をするわけですが、指示というと「意図」をもって打ち込んでいると思うわけです。しかしこれを「誰かに言われたこと」をコピペして、貼り付けたら?これは考えてないですよね。

そして、それを丸投げとすると、AIに丸投げとなる。では、その出てきたものを?どうする?というと、そのまま使うんですね。出てきたものを「判断」するなら、まだましですよね。ここでいえば、出てきたものを判断することは、実際にはできないはずです。できないから、丸投げしているともいえる。

最終的にこうなります。

AIに丸投げをすると、人は考えてないので、考えないままループする。例えばそこで「いや、AIを使ってもいいが、ちゃんと考えてから」と怒られたとしますよね。けど、「ちゃんと考える」とは?となって、それを教えたり学んだりがなければ厳しいですよね。

だから、丸投げになる、なりそうならば、シンプルに問えばいいとなります。これどうなるかなとか、こうしてみたいとか。意図や疑問、仮説があればいい。それがあれば、AIを使って、丸投げに近い場合でも、その問いや仮説が地図になるというか。判断できるですね。

例外はあります。例外とは、丸投げに近いことをしてしまうのは経験値がないとか、あまり分からないこととかですよね。というかそういうことは投げても「そんなものかな」程度でしかないので、AIのアウトプットを判断できないというレベルのふわっとした扱いになるわけですけどね。

経験が浅い人はだから、具体的な作業や経験自体が価値というかそれを訓練しないといけないのですが、それをできる機会自体が、今後は問題となりそうです。故に新卒を採らないという企業は合理的ですが、それだと会社の存続ができるかは分からないので、どうなるんでしょうね。

完全に具体度、抽象度が合う指示はない

これは要するに、具体的な作業であればそれは面白くないでしょうとなります。これが面白い人もいるかもしれないので、絶対ではないです。少なくとも僕は嫌だなと思うんですね。それ機械みたいだなと。それになりきるのが良いというのはありえるのですが、ちょっと待てよと。それこそAIに変わりますよね。

むしろ、そういう機械、作業っぽいものだけど、実は人が判断したり、技術があったりなら意味があるんですけど、そうではない話ですね。

具体度が高ければその指示はマニュアルっぽくなる。問題はそれAIに替わるわけですね。そこは常に意識したほうがいい。逆にいえば、マニュアルや作業みたいなものだけをしたい人がいたら、それらはAIが敵となるわけですね。分かりやすい。

次に、抽象度が高い指示です。これは売上をあげようとか、意識を高めようとか。そういう正解がない、というか具体的な作業がこれとは決まらないものです。難しい?とは思うのですが、裁量があるというか、決まったことはない。故に何でもやれるし、何でも合っているかもしれないし、なんでも間違っているかもしれないですよね。

AIは作業や具体は得意といえそうです。ただ抽象度が高ければ高いほど、その判断や考える余地、裁量は人が判断するし、考える必要がある。というのが、まさに仮説や問いなんじゃないかなと。

AIを使うと、作業や具体的指示は確かに良いし、AIが得意なはずです。だから、そういう作業をやらせるというのはいいんですね。けど、それって人がやるかどうかはおいておいて、作業、例えばデータ入力を1件5円で、1分で終わるものを、人がやると1時間で300円でしかない。おそらくAIはもっとはやく、しかも月2000円プランなら、1日1時間動かしても100円ですから、それだけで安い。また早いから、厳しい。そこで争うものではないってことですね。争ってもいいけど、結果は見えてますね。

将棋とかがいいのかなと。AI将棋とか、AIで分析が当たり前になってきているけれども、でもそれで将棋って別にAIと戦うとかはないので、AI先生となって考える手段でしかない。しかも、AIが出す、打つ手はAIっぽくて、人が考えるものとは違ってくる。それってなんだろうと。あまり人が考える話と別ですよね。当然そういう「AI打ち手」を刺激にしてプロ棋士が考えるというのはあるわけですが、それってAIに対して仮説とか、こういうネタがあるけどどうかを考えるという意味でとてもツールというか道具的ですよね。

学びの基本は変わらない

初学者やこれからという人はやはり具体を繰り返すしかないので最初は作業っぽいと。それだけみるとAIに替わりそうですが意味が違うのでご安心というか、そこは理解したいところですね。認識として。

そうやって基礎を身につけたら次は応用ですが、いきなりそうならない。それも時間がかかる。そしてそこらへんからやっとAIを使って基礎とか作業を任せてもいい。AIがアウトプットしてきたものを判断できるようになるからですね。

AIが入れば学びも時短できそうな雰囲気はありますが、多分それは学ぶ意欲が高く、AIを道具として先生として使いこなせる人しか無理かなと。なかなか厳しいのかなと。なぜかというと、そこまで学習意欲が高い人を育てるとか、育っている時点でAIではなくて、周りの親、先生、人、社会、が良い人であるからです。そうでないと、そもそも育たないというか、元も子もない話ですけど。

だから、学び方が変化するといっても枝葉でしかなく、本質は変わらない気がします。繰り返すとか、疑問に持つとか、調べるとか。AIがあってそれらを時短するものではないというか、出来てもごく一部だと。

むしろ、その略し方によっては、人が経験するところを奪うまであるかもしれないのでそっちのほうが怖いですよね。

おわりに

AI自体はうまく使えばいいわけですが、うまく使わない、つまりAIを思考の外注みたいなものとか、思考機能を任せるとかは危険ってことですね。

少なくとも訓練として、考えることに慣れてない人は考えられないのは明らかです。本記事のようなものを読んで理解しようとしないとか、そもそも長いとか、つまらないとかはおいておいて(笑)そういうことをしなければ、鍛えられない。すぐ眠たくなくるとか、やりたくなるとかはありそうですね。

訓練としてAIを使うなら、仮説とか問いとかを持つ。それがあるなら思考力が低下はまずなくて、むしろその機会が増えるならば思考力は増すまでもあります。ただ脳への負荷は高いので、それもやりすぎも注意ですかね。ずっとやれば疲れるし、やりすぎれば駄目ですしね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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