AI時代における速さ、早さに対抗するわけではないが、遅さ、時間をかけるでじっくり学ぶが多分生存する意味になるんじゃないか

結局体験とか感覚というか一次情報とか大事みたいな話です。
で、忘れがちなのですが、時間をかけること・・・って今だとなぜか非効率、能率が悪いみたいになりがちですよね。AIを使えとか。でもですね、人が効率化できることって結構限られます。
あと、普通というか、考えると分かるのですが、効率化する=お金がもらえる世界ではないところにいると、効率化=馬車馬となって働くだけ損と考える人がいます。批判というよりも、僕もそういう立場ならそうしますよ、という確認です。
それくらい、効率化って「面構えがはいい」が「実質微妙」ということが多いのですね。というと、「効率をするな!」というアンチ効率ブログ(笑)となりそうですが、全くそれはなくて、出来ることならそうしてるよと。
で、着地としては、そもそも時間を短くしたところで、単にそれ時間が短いだけで、別に価値が上がったわけではない・・・。ということが多いのではないか。
もっといえば、時間をかける価値をそもそも見失ってないか、というところで考えてみたいと思います。
AI検索からのゼロクリック検索が普通となる
僕もなりつつあるのでもっとしている人も多いはずです。
つまり、Google検索等で検索するのだけど、GoogleだとGeminiですよね、AIがまとめちゃって概要を上げてくる。それを信じるというか、その以前に出してくる、検討以前にプレスしてくる感じですよね、でそれで決めたりまたは情報を得たことになる。
実際は、AIのまとめ方がミスったり、ソースがミスっていることもあるので確認したほうがいいくらいの推奨具合をAI開発側も言っているんですね。でも、まあ結構適当ですよね。そういえばいいくらいな。保険ってやつです。
実際はそれを信じた人、それを見て判断した人が悪いというかそういう捉え方というのがあるのがなんともですよね。まあ自分が検索エンジンを作って提供する側ならそうなるんでしょうが、なんともですが。
で、今まさに、このブログもですが、良いのか悪いのか、是非はおいておいて、AIが猛烈に検索をかけてキャッシュというか、こういう考えがあるぞみたいな、まあAIクローラーですよね、昔は単にクローラーと言ってただけでしょうが、出てくると。これは悪いとは言えないですよね。
ただ、そこで学習されるとか、参照されるとかでお互い恩恵があればいいのですが、どうもそうでもなさそうな感じがしますよね、多分(笑)で、そりゃコンテンツプロダイバー、つまりコンテンツを作ったり出す側は大変なわけですね。このブログもそこまでの意識はないですが、タダで全部引っ張ってかれるというかAIの養分のために生きてるわけではないですからね。本当それは誰もが思うのではないかと。
ですが、そういう状況があるんですね。それを踏まえていくのがまず最初です。
時間をかけてやることに価値はある
AIが時間を短くそれこそアプリやツールを創る、ゲームでもですが、画像も動画も、AI動画も人っぽくなって気持ち悪いですが、でもでてくるわけですよ。これらをどうするか。
ここにある流れはシンプルです。AIは速く何事もやる、または人より速いが価値です。モデルなどもLLMですが、速くなって、かつ安い、また速いだけでなく性能が良い(質が高い)わけですね。分かりやすい。
でも、そういう速くて安くて性能が良いって、どこか限界がありますよね。Saasではないですが、どこかがそれを提供しきったら終わりで、一人の勝者のみで、あとは敗者みたいな世界線がある。嫌なんですが、そうなってますよね。
限界はどこでくるかは分からないです。ただ、真逆の考えがあって、それは時間をかけるです。
そして、人はこちらのほうが相性が良い。速くやれ!効率よくやれ!安くやれ!でも質を下げるな!って言われながらやるのって面白いですか?つまんないですよね。僕は少なくともヤです(笑)
逆なんですよ。時間をかけていい、ゆっくり検討していい。本質は時間をかけることではないのですが、とはいえ時間をかけなくて出来ることなんてたかが知れている。って話です。話はそれだけです。
例えば、人間の学習です。人はすぐ何かが出来ることはまずないんですよね。仮に出来るように見えたらその人が違うところでめちゃくちゃ具体的経験をしたり、再構成しまくっているから出来る。そんな人、そんないないですよ。1日で3ついって、1つ出来たら御の字では?って僕は思います。当然その人への期待、見込みもあるし、どこまでやってほしいかもあるんでしょうけど。でもそんなものというか。お金が山程積まれているならまた違うのでしょうが、大体そんな沢山もらってやる状況ではないはずです(つまり、それほどもらってない、むしろ安いのにやっている人が多いはずです)。
学習は、すぐ具体を経験して出来るものではない。しかもですよ、そこで失敗もある。成功が少ない。10個やって1個みたいな世界だとして、それって10回やって9回失敗を許容できるかどうかなんですよ。1回その間に出てこない可能性もある。やっと10回目で成功するかもくらいですからね。確率で10%といっても、90回目まで全く成功がない、でもそこから91回目から10回連続成功して100回目までいくこともある。いや、まじでそういうものだと思ってます。
見たり聞いたりして学ぶっていうと、すぐ学んで血肉になりそうですがそれはないですね。僕はそう考えています。何度もミスって、何度も同じことをやり直して、血肉としていくしかない。となると、それってかなり時間がかかることなんですね。その感覚が学ぶことというものに、骨身というか、しっかり把握できているかですよね。
自転車初めて見て、乗れって言われて乗れないですよね。まあたまにデキる人もいるのでしょうが、例外です。例外を見てそれが普通と思ってはいけない。で、乗れないので練習するしかない。少しずつでしかないですよ。運動だとそういうのが分かりやすいですが、考える行為でも、起業でもシゴクリでも、仕事でもなんでも一緒というのが僕の考えです。
やれば上手くなる。ってことです。
しかし、やれば上手くなるそのうまさレベルというか、レベルの上がり方は人それぞれです。うまくすぐ上がっていく人もいれば、いや多くの人はそう簡単に上がらない、凪です。プラトーで、全然やっているのにうまくいかない。そんなところでイライラしたり、おかしいなと思ったりする。そんなものですよね。
学び方として、言われているのがそうやって繰り返すうちに少しずつだけうまくなっていく。そして文字通りブレークスルーが起きて、「あ、もしかしてこういうことか、一気に分かった!」がでてくるんですね。これが学びの面白さです。
ここで気づく人もいると思いますが、これが学びの時間のかかり方とイコールなわけです。
つまり、学びには時間がかかるってことです。
教育、学び、学習、何かを得てそれを活かすことなんでもいいのですが、それは人がやると時間がかかる。AIなら・・・というのはあまり意味がないんですね。AIは学習するかというと、多分そういう人の学習みたいなのは出来なくて、今あるもので判断というか。判断はできないか、人に委ねるしかないというか。一応立て付けはそうですよね。
ここで、時間をかけてやること=学びなのですが、極論ですが学びくらいしか人ができることがない。感覚で気づいたことを言葉にしたり、ゲームで表現したりでもいいけど、そういうことは多分人しかできない。それがエモいというか面白いと僕は思っています。
効率化の社会で、時間がかかることへの価値が見直される
そうなって欲しいという願いもあります。僕のですね。
例えば、先に書いたAI検索でさくっと調べるのもいいのですが、でも本当にそうかね?といって調べていくのもやってほしいというか。あってほしいというか。
一つの分からない言葉があるとするじゃないですか。「ドパガキ」(笑)みたいなちょっとジャンキーな言葉でも。別に知らなくても良いし、使わなくても良い。なんだろうね、「ガキ」ってオコチャマということとか、本当に子どもなのか、みたいな考えていくと面白い。ドパってなんだろ?って分からないなりに考える。
調べたら意味がでますよ、ということで効率化するのでなく、あえて調べない。調べなくても生きられるというか、ああ、分からなくても生きられるというか。逆に使った人に「どういう意味ですか」と聞いても良い。まともな答えがでてくるかはおいておいて、適当に使っている人もいて面白いじゃないですか。それを論破するとかが目的ではなくて。
言葉の意味一つとってもそういうことがいえると。だから、時間をかけていいというか、かけるのがいいまであるんですね。
それは端的にいえば、速い世界ではない、遅い世界でAIがアクセスできないところにある。もっといえば、リアルや感覚や体験というのと学びが遅いってことです。遅いを悪い捉えてしまうと、何でも速い方がいいという価値観だと一生得られないところではあるんですが、そこは踏ん張ってみるというか。
なんだろう。例えば旅行がありますよね。好きな人も多い趣味というか活動です。でも、新幹線で2時間くらいで行った場所と、普通電車で6時間くらいかけて行ったら、なんだろう思い出には後者が残りやすいんじゃないかと。そもそも出張や頻繁に行く人はそこでの思い出なんてないんですよ。旅行でないから尚更ですが。あえて時間をかけろというくらいで今だともしかしたらバランスが取れるまであるというか。
時間をかけるというと、時間がないって話になるんですが、時間をかけているものがミスっていることがありますよね。分かりやすくいえばSNSとか。分かるんですが、ほどほどですよね。SNS撲滅しなくてもいいのですが、それで生活が乱れるならやはりそれは違うわけですね。
時間をかけて自分が得たものとか、かけて考えたことって、もちろんそれを人と比較して遅いとか早いとかってあるんだろうと。でもそういうことではないというか。比較が意味がないんですね。自分が得たいものを得るところが意味があるのであって、その速さを競って競争しているわけではない。そういうゲームをしているわけではない。勝手にそういうゲームに参加させられて、気づかずにそうなっている可能性もあるので注意ですが、なかなかそこから離脱するのが難しいゲームというメタっぽい構造もありそうですけどね。
文章を書くのもそうです。AIで書かせたら早いですよね。僕より絶対早い。1分100文字くらいが僕の限界です。書くならですが。しゃべるともっと速くなるんですが、これあまり意味がなくて、冗長なことになるし、頭が動いてないんですよね。同じことを良いながら、違うことをいいながら考えているというか。無駄が多い。そういう感じですね。
だから、ゆっくりというか自分のスピードで書いてみる。それが意味があるんですね。そういうことを取り戻さないといけないまではいわないんですが、気づいた人はそれをやっているという感覚があります。気づいたらなんだ、それは単なるAIだとか、効率化だの呪縛でしかなかった。呪い、縛り、怖いですが、そういうのに捉えられるとなんか逃げづらいというか。周りもやっているからそれでいいというか。好きですよね、周りがやっている、みんなやっているからそれでいいというの。いや、それは違うよと。
リアル、遅い、感覚で時間をかけろ
そういう早い世界線にいるという気がするなら、それで乗っかってやりきれる人なら余計なお世話な話なんですよ。今言っていることは。
でも、そんな世界スピード?に乗っかっていけるサーファーみたいな人って、まあほぼいないですよね。多くは落ちます。あと、それがレールとか波だと思ってというだけで、誰かが言っていたよ!であって、自分で考えてこれだなと思ってないんじゃないかと。そう、自分で決めてないんですね。考えてないというか。それであれば脆いですよね。
多くはスローでいいというか、遅くなくてもいいのですが、速くなくてもいいというか。もっとゆったりでいいんですよ。
だから、コミュニティだとか、人と交流するとか、近くに与太話というかくだらないことを話せる人とか、なんでもいいんですよ、マジで。セミがまだ鳴いてたでもいいし、もうセミは鳴いてないでもいい。小さなことでいい。あなたが、今日、見た何かでいいし、感じたことでいい。それがいいし、それでいいというか。それだけですよ。
それが出来ればなんだろう。このAI社会でもう幸せというか、あなたはあなたを維持できているし、それがあなたなんだと。AIではないってことですよね。今まさにAIとの違いを出せずに苦労というか、どうしたらいいって人が山程生まれてきていて、それってこういう遅さを悪だとか、効率が全てみたいな感じになるから、いや彼ら彼女らも被害者?なのかわかりませんが、なっていることなんですよね。
分かりやすいのがSNSとかスマホとか、デジタルのデトックスですかね。それをやるだけでも大分違う。で、僕みたいに謎にブログを立ち上げて発信もいいのですよね。自分のペースでやれるし、コメントとか切っているのでそれらのやりとりもない。別に切らなくてもいいのですが、それは使い分ければいいじゃないですか。noteもコメント受け付けないとかもできますしね。確か。
なんでこんな事を言っているかというと、自分の体験や経験は宝なんですね。それを僕も含めて価値がないと思っていたりする(笑)でもそれは違うんですね。AIでまとめられたり、仮にこの「良い話」(笑)が取られて切り取られてもですよ、その切り取った人が使いこなすには同様の体験か考察がないとまあきついわけですよ。引用かどうかってのはそこで自分の考えを入れられるかですけどね。それはおいておいて、それってまさに「時間を使った」ことがその人の体験や経験となるってことの証拠なわけです。
もっといえば、自分が使った時間や投じたものが価値といえる。その人にとってですよ。当然その価値を誰もが認めるわけではない。例えばクソゲーみたいなのをやって面白がれる人がいたとします。そのクソゲー時間を楽しいならそれでいいじゃないですか。僕はやらないですけど。ただ、そういうクソゲーを楽しんでいる人がいて、見た人が「あれ、それ楽しいのではないか」と勘違いする(笑)でも、そういう見せ方や楽しみ方、巻き込み方あってあるんですよ。
例えば僕ならアイデアを出すとか、仕事を創るとかってことです。めっちゃ楽しいんですけど、全然それが伝わってない。おかしいな?お金になってないとそこは全然なんですかね?それ以上のものがあるはずですが。んー両方あるからやったほうがいいというのがいいのか?
みたいな自問自答はあるんですよ。でも、楽しそうとか、なんか考えるの良さそうとか、なんでもいい。そういうパトスというか情熱はなんか伝わったらいい。伝わらなかったらごめんなさいですけど。そういうのがまあAIには無理だよねと。また、AIがどうとか関係なくて、人としてみたら、そういう人の方が面白そうだよね。器用よりも、不器用な人のほうがなんか味があるというか。僕はまあ不器用かなと思ってますが(笑)
というわけで、自分が時間をかけてそれ、自分が興味があることをなんでもいいからやろう。それに全振りしなくてもいいですが、例えば仕事を辞めてとかはやりすぎです(笑)けど、でもそれくらいの意識でもいいのかなと思ったりします。でないと、マジで時間が使えないからですね。
時間はあるはずなんです。その時間を自分に投じるというか、自分が体験するとか、学ぶとか、楽しいとか面白いとかにもっと投じたらいい。それが最大のAI時代における生存戦略じゃないかと。これはまあ僕なりの考えであって、正解ではないですよ。投じてミスったから責任とれとかは流石にヤバいと思いますが、あしからず。
おわりに
というわけで、時間をかけろってことを書いてみました。
一朝一夕(いっちょういっせき)で簡単に出来ることなんてないです。例えばAIでゲームでもアプリでもすぐ作れるんですけど、それを面白いと思う程度に仕上げるのは結局時間がかかります。って自分で作っているからそう言えるんですね。やってないなら言えない。あと、仮にそれが簡単なら簡単っていうんですが、そうでもないんですよ(笑)つまり、作れるけど、作ったものがどうかは別。まあ当たり前でしょ?って思いますよね。
でも、それを体験して自分でやっているか、体感としてやっていけるかというところなんだろうなと思いますよね。
時間をかけてというところでは、分かり易いのはハンドメイドとかです。手書きとか、時間がかかることです。なんでもいい。手先が苦手なら別に無理しなくてもいい。例えば写真撮影とかAIがなんていう人もいそうです。でも、自分でカメラを持って被写体を見つけて撮る。それって簡単に意図通り取れなくないですか?それをやれるようにしていくのが学びです。
語学学習とかでもいいですよ。本でもいい。その書いた人の考え、または単なる翻訳ではないもの、AI翻訳か、それはそれでいいんですよ。でも、ニュアンスとか、感情ってそれでは伝わらないわけじゃないですか。便利なのを否定しないですよ。それだけではなんともってことかなと。いや、本当に。時間がかかってもいいってことです。時間をかけた分だけ、骨身にしみつつ、学びになるし、それは一生の宝になる。
というわけで、時間をかけてみるという話でした。
理想は分からないですが、自分が勝手に時間をかけてしまうもので、それを大事にしていたり、自分の感覚や考えと合致するみたいな感じですかね。いや、まあそれっていわゆる自分にとって大事でやりたいことですみたいになると大きくなるんですが、そんな大きくしなくていいです。自分がやりたい、体験したい、やってみたい、好奇心でまずはどーんとやってみる。
僕はそういう人でいたいし、そういう人を応援したいです。そういう人間でいきたいという話でした。
筆者プロフィール

- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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