アイデアがあればいいというわけじゃない

アイデアがあればいい。例えばすぐ儲かるアイデア。すぐ人に評価がもらえるもの。すぐ売上が上がるもの。

お金が欲しい、人に評価されたい、もっと俗に言えば「金だ!」「モテたい!」みたいなものです。それを否定する仙人的境地は切り開けそうにないですし、否定するつもりもありません。

ただ、短期的なものやすぐに出来るものって、結果的にごまかし感が強くなりがちです。正確にいえば、短期がダメなのでなく、長期を求める人に短期的なものはごまかしであると。一方短期を求める人には短期的な受けるものがいいのですが、中毒のように摂取し続けるしかなくなります。本来体が健康であれば中毒的に薬を飲むとかはなく(持病でしょうがないとか例外はおいておいて)、やはり薬は不要となるわけです。乗り切ったりすればですね。

人生が3日くらいしかないとかならいいのですが、どうも今後人生は100年位ありえます。日本がどんなに人口が減っても寿命は長いかもしれませんしね。

そういう中で、アイデアがあれば全てうまくいくなんて思想が僕には全くありませんし、アイデアマンだからなんでもアイデアを出せるわけでもない。

そういうアイデアの利便性や求められるものについてちょっと書いてみます。

アイデアというものについて理解を深めたい人向けです。

アイデアが取引(売買)されるとそれは商品になる

商品というと目に見えるものをイメージしますが、ここでは商品よりもサービスといったほうがいいでしょう。ただサービスという言葉はなぜか「無料」という意味合いも日本語では強く分かりづらいので、商品としておきます。

例えば、アイデアが欲しいから出してという依頼は仕事になりえます。その場合の仕事は出すアイデアが商品となるわけです。最もコンペならクライアントが良しとしたものでないと商品にすらなりません。

最近たまに書いていると思っていますが「クライアントが求めるアイデアが適切なアイデアなのか」というと結構微妙です。明らかに「それはアイデアを出せ」というレベルでなく外しているのではないかと思ったり、依頼が整理出来てないから多分仮にアイデアがあっても使い切れないだろうなあと感じるのものもあります。全部ではありませんが、そういうものもあるということです。

一方でアイデアに限らず人に相談や依頼する人が整理を十分できていれば専門家は不要ですし、また依頼の適切さが相談した専門家に合致しているかが分かればこれもまた専門家が不要かもしれません。ですが、依頼者の勉強しない言い訳として「専門家がいるから大丈夫」なのは最悪です。つまり、自分は勉強していない、考えてないけれど、然るべき専門家がいるから大丈夫だという考え方です。

もちろん、Googleで調べられることを全部記憶する意義は薄いですし、コンピュータに記憶では勝てません。ただ、同時に人間の脳にインプットするものがなにもないとか、いくつかのインプットしたことから考えることをしなければ、極論言いなりになります。言いなりでもいいじゃないかというと話が終わりですが、そんな人生は僕は嫌ですし、少なくとも自分で考えて生きているということはしたいわけです。またもっと言えば考えてないお客さんを手取り足取り教えてーみたいなことは全く望んでなく、そもそも考えないからハマるし、見てないのではないか、ということをさらっと指摘する、またはこちらで読み取って少し先回りしてみる。そういう形が良いと考えています。

商品となったアイデアは、例えばチョコレートにたとえてみます。苦いチョコが欲しい人は甘いチョコは不要です。甘いチョコが欲しい人は苦いチョコは不要です。

同様に、すぐ受けるアイデアが欲しい人は、本質的なアイデアは不要です。もっと本質的なアイデアが欲しい人は、すぐ受けるアイデアは不要です。

もちろん、すぐ受けるから薄っぺらいわけではないかもしれませんが、なかなか同時に満たすものは、甘くて苦いチョコがなかなかないように存在しづらいです。大体は「言葉」でしか存在しないでしょう。

すぐ受けるアイデアとは、やはりそのままでその場で終わります。危惧するのはそういうアイデアがすぐに使えるかは実は分からないのですが、やはりその場はいいけれど例えば1週間後試したアイデアの次はないわけで、やはり沼が見えてないなら沼にはまります。沼が見えてないからアイデアにすがったとも言えるし、沼にはまっているからアイデアというヘルプをしたかもしれませんが、アイデア自体は何でもない「考え」であり、本質的な考えがやはりなければほとんど価値がないのではないかとすら思います。

アイデアを出すのはリスクから逃げたいだけか?

アイデアを出し形にしていくのは、めちゃくちゃ大変です。大変というのは無理ではないけど、時間やお金や知識やスキルあらゆるものが必要ということです。そしてそういうアイデアを形にすることは僕はリスペクトしていますし、自分もアイデアを思いついたらそれをなんとか形にする方だと思っています。

そして、アイデアを出す仕事とは、自分も形にしているけどそれ以上にアイデアを出す脳やブレーンの部分をクラウド的に使ってくれと、悩んだり、突破口のヒントという意味でということでしかなく、これに対して自分がリスクを負いたくないから、考えたものをやってないわけじゃないということです。

つまり、自分はアイデアを形にするのは大変だと知っているし、分かっている。その上で、アイデアを出すのは余剰であり、自分には不要だけど人には必要なニーズがある、少なくともアイデアを出して欲しい人はいるからこそやっている仕事です。

もちろん依頼があって出したアイデアに対してリスクは負うことはありませんが、無責任に言いたい放題というわけでなく、どこまでクライアントに対して身を寄せられるか(胡麻をするとかではないですよ)、その一点に尽きます。クライアントが誠実なら誠実にしたいと思うし、そうでないならそうならないし、そもそも仕事として受けません。

リスクとは人によって異なるのですが、少なくともどんどん出てくる面白パワーみたいなのは人に役立てて使ってもらいたいと考えている。ただ仕事なので適正な金額は払ってねというところになります。

無駄にリスクを取れとは言わないけど、やっぱリスクは取らないと色々できない

CETRAという無料ドライブレコーダーアプリの方の話が良かったので紹介します。

【Interview】犯罪の早期解決をめざして! 地域の見守りに貢献する無料ドライブレコーダーアプリ「CETRA」に迫る

この記事の中で、岩井さんはこう述べています。

世の中に何かを本当に出したいのであれば、一番リスクの高い事業化を、自分で負わなければならない、とわかりました。それで、弁理士を辞めて、経営とプログラミングを一から学び、事業化に漕ぎ着けたのです。

リスクを取るということは、今ある安定を捨てること。折れずに続けられたのは、自分の中でビジョンが明確だったからだ、と思います。

(同上より引用、太字は筆者注)

本当にその通りだと思います。ここで本当に出したいものとは、犯罪をなくすためにドライブレコーダーを防犯代わりにするというアイデアです。事業化とはリスクが高いことで、それをアイデアを発案する自分がしなければなかなか出来ないわけです。

そのために岩井さんは、弁理士を辞め、ビジネスとプログラミングを学びチャレンジしたわけです。これは簡単に出来ることはなく、そのために事業化リスクを踏まえて自分が描きたい社会が見えているからこそ出来たといえます。

世の中には、リスクも取らずやりたいことが出来るというようなものが素晴らしいという考え方もあります。そして、リスクなしで出来るからやるべきというのもあります。それがダメとは思わないし、リスクなしで出来るならやったほうがいいとも思うわけです。

しかし一方で、リスクがないからこそ何もチャレンジレベルは低く、すぐ飽きたり辞めてしまう。なぜならやってもやらなくてもとくに現状に変化はないからですし、続ける意味も見えないからですね。

もちろんリスクないけどチャレンジしてうまくいったから続いたケースもあるでしょうが、このパターンやケースって少なくとも、リスクを取ってチャレンジするケースに比べて成功率は低いと思っています。正確にいえば、リスクを取ってチャレンジ出来るなら大体のことはやったほうがいい。それが嫌ならリスクなしパターンでやる。でも、成功率は減るだろうと思いますし、何より迫力がない。

僕が思うのはリスクとはただの危機的なこと、危惧されることということではありません。それを取る姿勢を取ることで、次のアクションが明確になったり、投資すべき時間やお金を整理できたり、ブレない軸チェックともなるとうことです。ただ危ないことをやれ、ハイリターンなことをやれという意味では全くありません。

リスクを考えすぎても何も出来ないけれど、引き受けて人から見ればリスクがある。けど自分から見ればリスクは結構回避出来そうだ。そういうものが多分適切なんだろうなと直観的に思います。

もちろんこれを読んだあなたが、サラリーマンという安定した身分を捨ててすぐ起業しろなんてアドバイスをしたいわけではないし、そうは思いません。サラリーマンであっても、コントロール出来る部分があるわけです。その時間や趣味やお金をどう割り当てるか。例えばブログを書くなんて軽くいうわけですけど(このブログでも(笑))、結構時間がかかります。同時に、それは時間を他に当てないという判断結果でもあるわけです(例えばゴロゴロしたいとか)。

ゴロゴロせずにブログ書いてる俺かっこいいみたいな意識の高さを自慢するわけでなく、そんなの微塵も思ってませんし、そもそも意味がないのですが、こうなったらいいのではないか、自分はこう考えている、調べたことで役に立てないだろうか、仕事のアイデアやヒントはないだろうか、色々な視点から得られるものがあるので、費やした時間とそれにおける収益だけで価値判断はナンセンスだと考えています(学ぶことはお金の価値に換算しづらいですが、概ね学ぶことで仕事が生まれるし、またそれは大きな価値になりやすいと僕は思います)。

今の安定とは何だろうか。リスクは大きく取れというわけでもない。ただリスクを考え、動いていく。それをせずしては、失うであろう時間やお金ばかり考えていては前には進めないのは確かです。そこには考えが必要で、考えてなければこれらはほとんど抽象論過ぎて使えないし、具体的に言ってよとなります(具体論は即効性がるけれど、限定的な時しか使えないためやはり使えないものになりやすいです)。

そのアイデア結局どうなった?

僕の最近の課題はこれです。出したアイデアがどうなった?これが相当見えていません。長くお付き合いがあればそこから見えるものがありますが、なかなかそうはいきません。

例えばコンペなどで、事業アイデアなどは非常に価値がある部分ですが、その後は不明だと。以前アイデアシェアというコンペサービスで感じた課題と同様のことを思い出しました。つまり、そのアイデアがどうなったのか。まさにそれが違う視点から重なったわけです。

コンペという枠で、アイデア枠で仕事をした。でもそれだけでしかない。これはコンペという形式を重視したかったわけでなく、そういう仕事が多かったからチャレンジしていたと思っていました。実際にチャレンジはしている方だと僕は思っています。ただその仕組や構造においては、この「そのアイデア結局どうなった?」という問いに答えられません。主導権はクライアントにあり、結果的に下請けとは言わないが、アイデアをもらうから対価を払うわけで、こちらは対価をもらうからアイデアを出すわけで、そこで取引が終わってしまうんですね。

そのアイデアどうなったんだろう。これはまさにアイデアの種が仕事や企画やビジネスになっていったことが分かる瞬間でありお金をかけてもいいから、例えばクライアントに「こちらがお金を出すから逆にこのアイデアがどうなったか教えてくれないか」ということを言ってもいいのではないかとすら思っています。もちろんアイデアが気に入った場合に限るわけですが(笑)

でもこのクライアントに追跡で聞いたとしても、その後どうしたかというと実はアイデアレベルで動かなかったり、その後結局頓挫したり、次のステップに行こうとしたらなんか終わってしまったみたいな方が多いのではないかなと予測しています。つまりこれが「アイデアはアイデア単体だけで乗り回せない」のであって、「アイデアを出した熱があったり、別視点の人がツンツン突いてくる方が多分回る」、「人は適度な監視があったほうがいい」という考え方です。もちろん自律的でなんでも決めたら出来る人は不要なんですけどね。

だから今の僕は、アイデアは出すのいいけど本当に使うんだろうか?またはそもそも出してもクライアントの成功の絵が見えない、多分アイデアを求めているがあまり「振り回される」か「使い切れない」から、やはりうまくいかないのだろうと思ったらアイデアを出しません。出すなら使って欲しいですしね。

ここで一瞬でも「出せばお金になるからいいや」というのが僕にないわけではありません(笑)ただ、「お金になるから何でもいいや」とか「クライアントが言っているからそれが正解でしょ」というのはある種論理としてはオッケーですが、それで楽しいのか、面白いのか。そして大きなお世話だけど、それってあなたをハッピーにするのか。そういう突っ込みを入れているわけです。ここまで言える人なかなかいないはずですし、思っていても言わないのではないでしょうか。

お金になるから何でもいいやはまずないのですが、クライアントが言っていることが正解は大いに疑うべきと思います。お客さんは神様ではないし、間違ったこともします。そもそもお客様風だけどそれはお客様ではないこともあるし、注意が必要です。またアイデアというフィールドであればこちらのほうが動けるし見えるわけです。そこをとくに卑屈になることもなく、相手の目線とのズレを指摘し、こう考えているけどどうだろうか。と提案する。伝えていく。それがいいんじゃないかと思っています。

1つのパーツとしてのアイデア。売り切って、出し切って終わったアイデア。それがビジネスや企画として形になるプロセスが見えたり、結果的にこうなったのが見えれば超強力なアイデアそのものが見えてきます。出したものこうなったよと言えるし見せられます。そういうダイヤの原石というアイデアを持っているし出せられるということが言えるから、強力なんだと言えます。

とはいえこれは課題なので実現出来ていません。どうすれば出来るか、試行錯誤をしながら、アイデアを実現していく過程、またはアイデア自体をどうなったかを取材したり見える化していくことをうまく提案していく。無理には出来ませんが、クライアントの同意やその中でうまく立ち回りつつ出来ないか。多分出来ると思うので今後ここに力を入れていこうと思っています。

おわりに

アイデアも企画もそうですが、最近近いなあというのは「ブランディング」とかいう言葉です。ブランディングをするというのはものすごくビッグワードです。つまり曖昧です。他にも「戦略を立てる」もかなり曖昧です。

曖昧だから使っていけないとか、言えないとかでなく、何をしたらいいか、どうしたらいいか分からないから考えて下さいという人はなかなかいません。さすがに恥ずかしいからでしょう。しかし「ブランディングしてよ」「企画立ててよ」「戦略練ってよ」とはいえます。それっぽいからですね(笑)

もちろんそういう言葉を使う人が「ちゃんとここまで商品について考えていて・・・それでこういうイメージがある」んだけど、あなたはどう思うか。または私はこう考えているけどどこがまずいだろうか。というならオッケーです。というかそうでないなら、怖くて何もできません。

考えてないという言葉を発するのは僕も嫌です。恥ずかしいからですね。ただ、それを言葉で曖昧にして、結果的には「クライアントは何も考えてないんだな」というところから「こっちが全部考えるのはさすがに無理ですね」となります。考えてない人が考えることは出来ない、これは真理だなと思います。でもそうであれば、恥ずかしさとか無視して「私は分からない」という態度が何かを開くのかなと思います。

考えてないとは分からないとか知らないという話でなく、自分で自分の頭でそれについて知ろうとしないとか、そういうレベルです。そこにアイデアを企画を入れても何も動かないでしょう。動くエンジンがないのに、アイデアというガソリンを入れても動かないわけですね。

逆の視点に立つと分かるかもしれません。クライアント側には難しいですが、なぜ僕が相談に乗るか、またはアイデアを出すか。それって何か面白そうとか、クライアントに対して信頼をしていきたいしという心の変化や姿勢があるからです。少なくとも興味を持てない、怪しいという人と仕事をしたいとは思わないからですね。

ここまで来れば依頼主と作業者の関係って対等でしかないと思っています。例えばお金をやるから黙ってやれとかってやっぱありえないわけですね。また自分が考えてないのを言い訳していれば、本質には迫れないでしょう。

そんなことを考えながら最近はアイデアを考えたりして生きています。ぜひ、考えることは手抜かず、多少うまくいかなかったり、良いアイデアが「すぐ」なくても明らめないで下さい。完全に明らめず今日はこれくらいにしておいてやろうくらいで終わって(笑)、ギリギリで考え続ける。それくらいがビッグアイデアや素敵なアイデアを自分のものとして、アイデアと共に生きられる良いラインなのではないかなと直観で思いましたね。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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