インプット島とアウトプット島の流れ図

最近具体と抽象本を読んだせいか、その余韻から謎図解が生まれました(笑)

とはいえ、この図を描く前から、書きながら整理していたのですが、図で再度整理するとまた発見がありそうです。うまく説明出来ない部分もあるかもしれませんが、アウトプットしてみます。

結論的には、アウトプットを意識することで、インプットも、アウトプット自体もバランスが取れるということになります。インプット無限ってちょっとおかしいのですが、アウトプットと比較すれば無限に近いって感じでしょうか。

インプット→アウトプットの流れ図

インプット島

インプット島には、インプットの要素がたくさんあります。ニュース、ブログ、Webサイト、本、つぶやき、問い、人の話。これは一例であって様々なインプットがあります。

これらは左に書いたように「生きている限り生まれ続ける」と考えました。ぼーとしているとインプットできないのではないか、休んでいる時は?というツッコミがありそうですが、基本的に人は社会的な生き物だから、コミュニケーションしたり、勉強したり、仕事をしたり、遊んだりということで、人と何か関わっています。人とはもっといえばインプットです。

人自体がインプットではないですが、話が面白ければまた話したいし、こちらも面白い話をアウトプットしたくなりますよね。

このインプット島から、水色の部分は海、川、池なんでもいいですが、水みたいな流れでインプットの要素が流れていきます。小さい丸が各要素と考えてください。全てアウトプットにならないのと、途中で忘れたり、消えたり、何かと一緒になったりということになるイメージです。

アウトプット島

インプットから流れてきたものでたどり着いたものがアウトプットというイメージです。

アウトプットは実はブログとか仕事の中でとか、かなり限られます。とはいえ、会話自体がアウトプットになったりすることもあるのですが、ここでは思い切って省きました。インプットでもあることもあるからですね。ただ、仕事の会話で「こんなのありましたよ」ということで役立つなら立派なアウトプットですね。

「意識しないと生まれない」と書きました。

アウトプットは「アウトプットしてくれる自然的なもの」はありません。つまり「自分でアウトプットしよう」とか意識や意志がないとまず生まれません。もちろん、上司とか誰かから「アウトプットしてよ」「説明してよ」「プレゼンしてよ」「資料にまとめてよ」と言われたらからやるのもあるかもしれませんが、仮に言われても「勝手に生まれる」ことはないでしょう。AIが仮にやってくれたとしても、どういうアウトプットが「良い」「ゴール」かを設定しなければ生まれないはずです。

インプットからアウトプットで体積が小さくなる

イメージとして、インプット10とすると、アウトプット1としました。つまりインプットは10倍程度あるというイメージです。そうやってはじめて1のアウトプットが出来ます。

例えば、1分で400文字インプット(読む)できますが、1分で40文字程度(1行くらい)しかアウトプット(書く)できません。読むように書ければいいのですが、例えば音声入力だとしても、思考の整理した流れとはかなり違うはずです。(音声入力をした場合は話すことでアウトプットになりますが、結果的に10話して1アウトプットになるイメージ。ただアウトプット発話みたいに訓練すると別かも)

一方、密度はインプットは薄く、アウトプットは濃いイメージです。正確には10→1に圧縮されたというよりも、色々取りこぼして1になったという感じですね。もちろん整理、圧縮、要約、みたいな面もあるでしょう。

具体と抽象

出ました(笑)

インプットは具体に紐づくかなと思いました。分かりやすいし、見えるし、流れ続けるフローというところです。どんどん生まれてきます。楽というのはインプット自体はどんどん出来てしまうイメージです。もちろんインプットしたから全部記憶できるとかそういうことではないですし、アウトプットしないと定着しません。

アウトプットは抽象です。わかりにくいし、固い。しっかりと聴いて、書いてしか生まれない。苦しいというのは、慣れれば楽しいですし、整理できるからいいのですが、筋トレやトレーニングに近いイメージです。脳に圧をかけている感じです。実際に圧はかかってないとは思いますが(笑)そして、アウトプットはストックです。固いからこそ固まります。

つまり、柔らかいジェル状のものがどろどろと流れてきて、しっかりと固めるには書くなり意識しないとストックにならないということです。

アウトプットが大変というか面倒とか手間なのは慣れもありますが、それがストックになって知見となるとか、メモすることが次につながるということがないからでしょう。実際に「快」になるから、アウトプットしています。不快ならアウトプットはしていません。

そこでずれていれば学習をして紐付けるしかないですよね。アウトプットするとなんかいいぞということを。

インプット・アウトプットに関すること

インプットは無限

健康上無理とか何かない限り、自然に生きていても気づくし、刺激があるからインプット自体は無限としました。あとは体験できる範囲や生き方とかフィルタリングの問題です。

一方で意識としてアウトプットを考えると、インプットした時点で、どこにアウトプットできるかを意識します。ものすごく感覚的ですが、1,2割は明確なアウトプットになり、残り8割は潜在的、つまり役に立たなさそうな、無駄なようなものばかりです。生産性を意識すると、この割合をいじりたくなるのですが、8割は役立つ:2割は遊びとすると、インプット自体が相当フィルタリングしていて(この時点でアウトプットしている)、うまい流れが作れないのではないかと感じました。

つまり、インプットの流れは止められないし、あまり交通整理できない。仮にやるとインプットが「規定」されるので、窮屈となり、やりづらいかなというところです。人によっては、二段階にしたり、インプットを整理しているかもしれませんが、そのインプット整理=アウトプットでもあるので分かりづらいというかややこしいです(笑)

インプットからアウトプットへの流れが自然であるとすると、こういうサイクルや流れを上手く使う方がいい。少なくとも僕は自然の摂理と感じられるのでそのまま使おうというところです。

アウトプットは有限

一方アウトプットは無限ではないです。圧をかけて意識する。そのため集中力、創造力、想像力などで疲れます。整理するとは疲れることで、ストックとは疲れた結果かもしれません。ただアウトプット自体はインプットをそのまま出すのでなく、考えた上でのものです。

行動というのはどちらでも必須

インプットでの行動は知識を増やしたり、体験を得ることでしょう。アウトプットでは学んだことを整理したり、ビジネスを試すことなどでしょう。

行動というのはインプットでもアウトプットでも不可欠です。

だから、行動リソースというもの(時間やお金)があるのであれば、それらを消費します。資格の勉強をするのはインプット行動で時間やお金を使います。一方資格で仕事をするとアウトプット行動で時間は使いますがお金を得ます。ビジネス的なことをさらに得た資格から応用させると、時間をあまり使わずにお金が得られるというアウトプットになります。

結局何をしても行動するので、リソースを使います。だからこそ、インプットは無限とはいえ量がどんどん出てくる。でも、アウトプットしないと島が巨大化して、アウトプット島が発展しない。だからアウトプット島にもどんどん流していかないといけないという感じです。発展しなくてもいいとなると終わりです(笑)

アウトプットせずにインプットだけだと、頭のメモリが一杯になって壊れるかなと思います。つまりインプットは無限にできるけど、適したアウトプットをして流さないと「インプット島」がすぐ一杯になるってことですね。だからこそ、意識すべきはアウトプットとなります。

インプットがなければ何も生まれない

これは断言しておきます。

面白いアイデアも、いけそうなビジネスも、仕事をブラッシュアップするのも、全てインプットが必須です。だから意識的にインプットするというよりも、意識しなくてもアウトプットすれば、アウトプット島が小さくなるのでまた元に戻ろうとします(島の恒常性理論(笑)、今作りました)

そうするとインプットが足りないということで、インプットが勝手に始まります。面白いアイデアはどこか、いけそうなビジネスはなんだろうか、もちろんこれらはインプットしてコピーしたのでなく、アウトプット島に流れる中で考えて磨かれるという意味です。

稀にインプットなくても行けるパターンは、突出した体験やサバイバルや稀な経験が濃すぎる(抽象化されている)ために、ストックが多いというイメージです。普通の人、僕も含めて、はインプットをアウトプットしていくことで、考えていくしかないし、見せるしかないんですね。

10個の面白いことを考えたりインプットをしても、1個形にできるかどうかくらいでしょう。なぜならアウトプットになるかはそれくらいの割合だからです。

インプットを増やせばアウトプットが増えるか?

大量の情報を浴びればアウトプットが増えると考えたいのですが、単純に流れとしてフローがよくなるけれど、ストックであるアウトプットがボトルネックになります。

つまり、意識を高めてアウトプット島を拡大すれば増えるわけです。

だから、インプットを増やしただけでなく、考えたり、アウトプット島を意識的に増やさないと駄目なのかなと思います。

アウトプットを意識すればインプットは増える?

アウトプットを意識して高くすることで、インプットは増える気がします。インプットのストレッチに応じて、インプットも増える感じです。または増えなくても取りこぼしが減る感じです。

インプット→アウトプット→次は?

インプットしてアウトプットして、フローがストックになった。次は?

全く別のインプット→アウトプットであったり、アウトプットしたことでインプットにちょっと戻る、また第二、第三のインプット島、アウトプット島が生まれるイメージです(笑)

こんな形で、また島が生まれます。

全てのアウトプットであるストックを覚えているか?は、まさか覚えているわけがありません。インプットメモも重要ですが、アウトプットメモこそ大事かもしれません。

インプットしてアウトプットを作り、そこから生まれる抽象は、他の具体的インプットにつながったり、他のアウトプットにつながるというまさにネットワーク構造になりそうです。

結局これらはインプットを止めずに続けていくことで、アウトプットが生まれ続け、またそれがインプットになっていく。

結局はバランスの話になります。

インプットは止められないのか?

インプットは実際に何もせずぼーっとして寝て、会話もしない、最低限のご飯を食べるとかであればインプットはないですが、さすがにこの生活はまずいでしょう。

健康的な生活をすると、インプットは必ずあります。多分ですが、無意識でもインプットしたものを捨てる、忘れる、大したことでないと感じる、話すに値しないと感じるなどで消えているのではないかなと思います。

そういうインプットが多いから止めることはできません。正確にはアウトプットしないと、勝手にインプットは消える感じです。だから止める必要がないんですね。

そういう意味でインプットはフローでいじれないから、アウトプットで調整するイメージです。

もちろんXについて学ぶからインプットするというのは意識的です。ただ、それも結論的には「アウトプット」することがなければどんどん消えるはずです。だからインプットを意識的にしても、意識すべきはアウトプットではないかなと言えそうです。

この図で説明できないものや疑問点

書いていて色々不明点があることに気づきました。

アウトプットも分かりやすくないか?

ブログで書いている文章=アウトプットとする時、この言葉達は分かりづらさはあれどまあ伝わるとします。そうでなくてもアウトプット自体は分かりやすく伝えないと、アウトプット足り得ないのかなと。

そういう意味で抽象とあるのはやりすぎかなあと感じました。とはいえ、整理やまとめるという意味で、抽象に近いかなと。

例えば抽象的な指摘をされたらそれはインプットです。そういう時はどう考える?ということですね。

おそらくですが、個別の具体的か抽象的かということでなく、インプットするフロー的なものは具体的で分かりやすいものという程度の意味です。抽象的なインプットがないわけではない。仮に抽象的なものをインプットしてもそれは頭で考えて咀嚼して具体的なインプットにしなければインプットになりえないからいいのかなと。

アウトプットは抽象的なものということでなく、整理されたり、抽象化しやすい概念ではないかというくらいです。

考えるのはインプットなの?アウトプットなの?

考えるというのはインプットをアウトプット化するメソッドな気がします。もっといえば、書くこともメソッドでしょう。話して考えるのもありですが、メモとか書くのは低コストで整理がきっちりできる高リターンなメソッドでありツールだと僕は考えています。

一方で図解は分かったつもりになるというか、図解という抽象を具体的にインプットして噛み砕くのは結構難しいです。なぜなら抽象→具体は慣れてないと「脳が拒否して、何これ?」となるからですね。

だからインプット自体は入り口で、考えることでアウトプットになる。アウトプットまでできていれば考えていることになるでしょう。またインプットの中で、アウトプットの中で個別に考えることもあるでしょうが、そうなると、「インプットとアウトプット」を分けて考えづらいかなというところです。だから、あえて島を分けています。

多分実際はインプットの瞬間にアウトプットすれば、島は同じで、島内の中でぐるぐるするイメージでしょう。とくにこれらはイメージ、分離しているとか、考えるがどこにあるかはこだわりはありません。

ここでいいたいのは、インプットというフローがあり、アウトプットになっていくという自然の流れみたいなのをきちっと己定義してみたいというのがあったからです。

おわりに

最後に思ったのは、アウトプットとして僕は書いているこの記事も、読者にはインプットになりえます。つまり自分のアウトプット=人のインプットになる。これがもしかして、人とコミュニケーションすること、伝えることなのかもしれないなと思いました。

アウトプットしたものが抽象的だと(上の図を出されると逃げ出される(笑))駄目かもしれないけれど、一個ずつたとえと一緒に話せば逃げないで聴いてくれるかもしれません。

今回は自分メモに近いですが、最も大事なのは、インプットありきのアウトプットです。そしてここだけ切り取らずに、そのままアウトプットがインプットになったり、インプットがそのままアウトプットでなく考えた上で生成されるという点です。

この流れをイメージした時、

  • アウトプットを意識すればインプットはいくらでも入るので処理できる。ストックをするからこそフローが活かせる。
  • アウトプットを意識しないと、インプットしたものが消えるか、うまくまとまりません。ストックをしないので、フローをつかまえられない
  • インプットを意識する(しなくてもある)と、よりアウトプットの距離が近づいてもしかして効率化できるかも(考える精度が増すとか、アウトプットの切れ味が良いとか?)
  • インプットを意識しなくても、フローは生まれる(普通に生きていれば)。ただアウトプットのストックを意識してなければ、それらをうまくまとまらない。

インプットだろうがアウトプットだろうが、どっちから入っても結局、ストック=アウトプットを確立しないといかんかなという話です。

とりあえず、インプットとアウトプットを書きすぎてゲシュタルト崩壊しました(笑)

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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