負けず嫌いは成長したい源泉かもしれない
軽い精神的な話です。
最近、親しい人とゲームをした時負けた時に悔しいかどうか、そのあたりで色々とそういえば・・・ということに気づいたのでメモしておきます。
目次
負けず嫌いってなんだ?
僕自身は負けず嫌いであるということで、負けるのが嫌いです。負けるのが嫌いってどういうことかといえば、勝ちたいわけです。
例えばゲーム、それはどんなものでも構いません。それこそ、鬼ごっこのような外で遊ぶものから、将棋のようなeスポーツ!から、コンピュータやスマホゲームのようなもの、なんでもいいんですね。
それらで負けるということは非常に悔しいわけです。
さて、この悔しさなんなんだろうかと考えていってある一つの考えが浮かびました。
自分が成長したいだけじゃないの?
そう、それは「成長をしたい」という欲求です。学びといってもいいし、気付きといってもいい。
例えば、今日なんだかんだいって生きているわけですけど(笑)その中で何か発見がしたい。発見とは発明とかじゃなくて、今までと違ったり、違和感だったり、こうなんじゃないか、ニュースでもなんでもいいんですね。それをしたい。ただただしたい(笑)
その気づきがあればわりと生きていける気がしました。逆にいえば、この小さな小さな気付きがなければとてもじゃないが、生きる意味が薄いとすら思うわけです。極端ですがこれくらい強い欲です。
もっといえば、お金がなければ生活はできないんですけど、一方で1兆円のキャッシュがあって(別に預金でもなんでもいいんですが)、それを使いたい放題で一生で多分使い切れない時でも、毎日が全く気づきがないものなら、1兆円要らないわけです。不要です。
これって、自分が問われる感覚があります。別にお金が大事か、要らないかという二択じゃなくて、何と代替できるか、または代替できないか。
負けるとは成長しないことではないか?いや、違う
負けず嫌いとは、負けることが嫌いなわけです。ですが、負けるって何かと考えると、成長してないことなんじゃないかと思いました。
つまり、負ける=成長していない、NO成長だからこそ、負けたくない。上で気づきたいのだという欲求を考えてもらえれば合点がいきます。
でもまってください。負ける=成長しないんだっけ?というと、実は違うはずです。負けず嫌いでなく、まず「成長しない嫌い」が多分正しい。そして、「気付き好き」とか「気づきたい人」といってもいい。
いつの間にか「負け=成長しない」と思い込んでしまっていました。最近ということでなく、社会の固定概念なのか、非常に根強い気がします。
例えば、これに近いのが失敗です。
失敗=負けるという感じが近い。でも実際は似て非なるものではないか。負けても勝ってもそれこそ成長とは別軸。失敗も成功も成長とは実は別軸。
それぞれ別軸かもしれないけれど、なぜか、負け=失敗=成長しないというまとまりがあって、勝ち=成功=成長というまとまりがある。けど、これ本当かな?と思ったわけです。
負けても勝っても成長する
ゲームで負けたくないのは、相手に負けたという気持ちが悔しさとなります。でも、そのレベル差や相手との技量に負けただけでそこまで悔しいかというと、実はそうではないはずです。
例えば僕のリトマス試験紙として「大したことないですよねチェック」というのがあります。なんでもいいので、「あなたの○○、大したことないですよね」と否定されたりした場合、どう思いますか?
僕の場合は「あなたのアイデア、大したことないですよね」と言われたら、むっとするどころか、何糞!と思うわけです(笑)これが「あなたのゲーム、大したことないですよね」といわれても、そこまでむっとしないわけです。
この違い分かりますか?つまり、自分がそこまで心からやってないとか、思い入れがないなら「否定」されてもスルーできるんですよ。もちろん、スルーできねーよ!という人もいるんでしょうけど、僕の場合はです。
怒りというか悔しさとは、自分が思い入れや見込みというか、できそうだとか期待の裏返しともいえます。怒られるとかが悪い意味でなく、関心があるからまだ怒るっていいますし、無関心だと何も言いませんからね。そっちのほうが実は怖いわけですよね。
ここまで考えると、ゲームで負けて悔しいのは確かにある。でも、それは成長出来る余地とかもっといけるみたいな可能性があるんだけど、それに対して自分が「ここまでだったのか」という天井や壁を感じることなんじゃないかと思います。とはいえ、いい年をすれば(笑)天井というか、自分がなんでもできるなんて思わないはずです(例外あり)。
だからこそ、成長ってどこまでいけるかなんですが、おそらく成長なんて制限はないです。だから、どういう勝負をいつまで、やり続けるかっていうかなりシンプルな話になります。いやあ本当かな?と思いながら書いてますけど。まあ自分との問いとしてはそんなところです。
だからこそ、負けようが勝とうが、成長をしてないなら、勝ち続けても怖いというか駄目で、負けても成長として、例えば気づけるならいいってことです。気づけるならどっちでもいい。
失敗も成功も、結局気づきがあるかになる
同様に、失敗したら駄目だとか、恥ずかしいとかあまりないです。少しはありますけど、それって「失敗を恥ずかしいとかやっちゃだめだ」という人に対してはそうなりますが、そうでないなら「失敗?いい学びだよね」くらいでオッケーです。
成功も怪しいものです。何をもって成功かが決まってないけどこの「成功」という言葉ばかり出てきて意味のないビッグワードになってしまったかもしれません。失敗はうまくいかなかったことなら、成功はうまくいったことということで、相当の成功があるような気がしますが、それらの成功認知が低すぎるだけって感じもします。
どちらにせよ、成功しても失敗しても気づきがなければ、やっている意味あるんだっけ?と僕の場合はなりそうです。成功していても、なんだか気づきが足りないならそんなものは投げ捨ててしまえって感じですよね。
全てを成長の機会が1%以上あると捉える
失敗や負け、勝ちや成功などの話は強力に人に効いてきます。成功したいだろ?みたいなのは「いいえ」といいづらい(笑)いいえというと変態扱いされるか、欲がない扱いされる。これは滑稽というかなぜそうなるかは非常に分からないわけです。
一方で、「はい」といっても、その成功が典型的にお金持ちというのもなんだか笑えます。笑えるというのはそのパターンすら固定概念だからです。成功なんて色々な形があるので、毎日気づきがあればいいという僕がいて、その僕が「毎日気づけていて成功している」といえば、もうこれらの成功失敗呪縛から解放されています(笑)
勝手な仮説ではお金が欲しいという人は多いですけどそういう人にお金を与えるとこんなのじゃないといいそうって思考実験をしています(笑)そもそもお金で幸せになるんじゃなくて、お金をどう使うかだけなので、お金を何に使いたいかと言う時、そのお金の使い方が大したことでないならやっぱ思い描く何かには9割方ならないでしょう。
なんだか大した話ではないのですが、大方この程度というか、こんな些細な気付きで世界は回っている気がしました。
不安とか他の人がどうとかそういうのが気になる時ってあります。こういう時って、大体自分のことができてないとか、あまり自分がうまくいってない時が多いです(笑)まず自分のことをやってみると、不思議なことに周りのノイズは消えます。不思議ですが。
ここまで考えれば、成功とか失敗とか、勝ち負けは些細な話になります。負けず嫌いから話が始まりましたけど、負けるのが嫌いというよりも、自分に対して成長や気付きの機会が減るのではないか、気づけてないのではないかということを思いがちだからこそ、自分は負けたくないと思っていたんだと思います。
負けても評価するというのはなかなかしづらい場面が多いです。なぜ負けたかが他人からは分からないことが多いのもあり、また自分と向き合っても分からないことも多い。失敗のほうがいいでしょうか。失敗をしたとき、なぜ失敗したか分かる人がどれくらいいるか。結構難しいです。
失敗を論理的、合理的に捉えたり、仮説を立てて検証したり、保留してあとで考えるとか、やっていたらいつか気づくとか、結構検討方法が見えないんですね。自分がなぜ失敗したか分かるまでじっとしているわけにもいかない。だから気づくために何かしていかないといけない。焦ってはいけない、とはいえ諦めてはいけない(笑)
なんだかいそがしくなる話ですが、まあこの話に結論はありません。自分が負けず嫌い要素に対して成長の要素という視点があればわりとカバーできるという気付きの話ですから。
そしてどんなことでもなんとか「気づけるトリガー」にならないかと考えると、大体のことは面白いです。無理なこともあるけど大体のことはいける。人との話もつまらないと思えばそれまでだけど、面白いところないかと考えればわりといける。これは強力に僕に気づきを与えてくれるメソッドにもなっているわけです。逆に僕を精神的に殺すには(笑)「気づけない毎日を送らせるようにすること」です。もちろん全力で対抗しますよ。されてことはないですけど(笑)
おわりに
あなたにとって成長ってどんな位置づけでしょうか。大したことではないかもしれませんが、毎日発見をしたり気づけると面白いんじゃないかと思います。気づくレベルはなんだっていいんですね。
そうすると毎日がポジティブというか、楽しい以外の選択肢がなくなってくる。気づくと自分が賢くなったり、社会を知ったり、または知らないことを痛感したり、他人に優しくなれるという効用があるはずです。少なくとも傲慢になるようにも、謙虚になりかつ自信を自分に持てるようになるのではないかなと思いました。
負けず嫌いな方は僕と気が合いそうですね(笑)
そして、もっとシンプルにいえば「自分に負けたくない」ということです。ゲームとかでも相手がいて負けると腹が立つわけですけど、でも「相手に負けた自分に腹が立つ」方が強い気がします。
言葉でいえば「自分の力はこんなものか」という感じですよね。「相手にいらつく」よりも「相手に負けたということを通して、一瞬で自分の弱さを認知し、かつ自分がそこまで可能性を高めていない、または前と同じで成長していないならもっと自分に苛立つ」というところでしょう。だから、成長という名の宗教と言われても全然オッケーですが、成長したいし、毎日何か気づきたいって感じですね。
そうはいってもぼーっとしていることもあるので、そこらへんはバランスでどうぞ。
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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