マーケティングに対する意識
マーケティングへの意識についてだらだらと書いてみます。
あまりまとまってないので、流す感じでどうぞ。
目次
マーケティングとは
マーケティングとは、定義は色々ありそうですが、僕が考えるものは「どうすれば人が動き、人が喜び、価値を見出すか。それについての仕組みづくり」だと考えています。
単発アイデアを高めていくと企画となり、骨太な土台となります。さらに、その企画が仕組み化されて一定の売上や規模になれば「事業」と考えられます。
単発アイデアを実行するかどうかは仕組みを気にせずいけますが、とはいえ企画などで集客を意識するときに、単発で集められるかというとまず無理でしょう。仕組みを作り、人が来てもらう仕掛けがないと厳しいと考えます。そこで必要な視点や考え方がマーケティングです。仕組み自体=マーケティングとは言わないと思いますが、とはいえ限りなく仕組みよりの概念だと思っています。
事業においてはマーケティングが既に入っているというか、中にあるからこそ事業足り得ると考えています。
そもそも仕組みづくりは潜在的
世の中にあるマーケティングというのもですが、マーケティングに限らず、ビジネスはこのようにやればうまくいくという情報は限りなく怪しいと考えています。全てウソということでなく、「その情報を自分で考えてどうかを判断する」という前提があります。だから、その前提がないなら、何をやっても一緒です。
人に言われたようにやらないと成功しないというのは、同時に「自分で考えない」ということもできます。これはビジネス的成功の話にかかわらず全てそうで、とくにいえるのは「何かを学ぶ時、知らないものを学ぶ」時は一定程度の素直さ(相手が言ってることをまずは受け入れてみる)が必要ですが、それ以降は疑いありきだと思います。
つまり、最初の導入は素直でいて、あとは自分で考えていくということだけです。自分で考える=人を疑うわけではないんですが、乱暴にいって、自分で考えない=誰かが答えを持ってるとなりやすい(そもそも人は楽を勝手にする方向に行く。そういう意味では考えるとはリソースを使うし、考える自体が快でなく、その先にある整理や知見が見えることが快かなと)からです。
こうすればうまくいくというのを、マーケティングという言葉で味付けしなおしても結果的に「釣り」でしかないため、なかなか微妙なんでしょう。それによってマーケティング汚染ではないですが、しっかりと練られたものは唸るほど素敵ですが、そうでないと吹けば飛ぶものかもしれません。
そして、潜在的といってる「マーケティング」とは、常に矛盾を秘めています。つまり、こうすれば仕組みができるというのは、成功バイアスであって結果論かもしれないです。潜在的なものを「無理に」出したところで、顕在化に失敗しているということもありえます。つまり実行者がうまく成功要因を取り出せてないというケースです。
色々なことを考えていくと、結果的に自分で考えてどうかを判断していくしかないと、ごく当たり前のことになってしまいますし、そこを信じる起点とするしかないかなと思います。
マーケティングに関するイメージ
ざっとどういうイメージかを僕が紙に書き出してみました。
- 0から1
- 簡単と思われてない(難しい概念)
- 試す人が少ない(多くは概念レベルの知識のみ)
- 粘って学ばない(すぐ明らめる)
- 結果と紐付くことをしっかりとやらない
- 有用なツールとか、便利なツールを全てと思い込んでしまう(例えばMAツールを使えば解決みたいなのは多分誰もが思いそう。自分ですら)
- 怪しさや検証不足や良くわからないものが跋扈するまさに水滸伝の誰を信じたらいいのか時代みたいな印象(笑)(僕も分かってない)
- アナログやデジタルなどの違いはあれど、いかようにもで学び方はありそう
ざっくりいえば、世の中には色々情報があるし、加工すれば面白くなるけど、「こうしたら面白いのではないか」「多分こうなるのではないか」という時、またはそれがほぼ確実に成功するレベルでも「やらない」人が多いんですよね。
マーケティングは人気がないのか
人気というと消費に値する感じなので、違和感があるフレーズですが、あえて書いてみました。
本ブログというかなり偏ったデータだけど、一次データとして使えるので参考にして考えてみました。
例えば、自分のWebサービスへ集客する仕組みの作り方(Web集めの例を用いて)という記事はほとんど見られていません。記事やSEO的な問題はここではスルーするとして、マーケよりの記事です。
つまり、この記事では運営するサービスで新規投稿というものが放置していてもあるというのは(広告をほぼしてない)そもそもニーズがニッチだけどある+シゴクリからのアクセスがあるという2点を明かしています。
記事で書かれいてたまとめ記事は僕が狙っていたわけではなく、あくまでまとめ記事を作って同じことを考える人がいるだろうという「ナビゲート」的な意味でしかやってません。そういう低い意識はおいておいて、結果的にやったから、書いたからこそできた結果でした。
この記事自体のアクセス数が少ないことからマーケが人気がないのは乱暴なのは承知です、実際にマーケティングメディアとか、マーケ記事で色々とうまくやるケースもあるからです。ただ、そもそもそういうマーケティング視点で考える人が実はめちゃくちゃ少ないのではないかということを感じつつあります。昔はそういうことを思わなかったというか見えなかっただけなんでしょうが。
ここで直観的に感じたのは「そもそも何かを売る」とかそういうことは、仕組みとか合理的な話ではないんじゃないか。気合みたいな超体育会系みたいなことしかないのではないかという考えがまだまだ主流ということではないか。
専門的な世界でおそらく、プロダクトアウト→マーケティングアウト→マーケットイン→それぞれにあった段階的な仕組みづくりみたいな、マーケティング技術が進化してきているはずですが、これは専門家の話とか、業界関係者の見える層である世界です。
一般的には、そもそも売るとか、自分で何か作って稼ぐみたいなことが圧倒的に少ないので、どこかでマーケを忘れてきてしまう。そもそもマーケティング視点なんて分からんからスルーという感じがしてきました。
もっといえば、そういうマーケティング視点を考える人が少ないこと。仮にそれを提示しても怪しさがある(伝え方もあるのでしょうが、希少すぎて理解されない)。そういう数の少なさや未知さを無視しても、そもそも「それで何したいのか」となると、何か起業や事業を起こす、自分でビジネスを持つということは、圧倒的少数ではないか。
だからこそ、マーケより=ビジネスより=経営やビジネス視点よりなど、自分の提供するもの、人が感じる価値を考えてそれらをどう仕組み化するという人が少ないのではないかと考えました。
昔なんで起業家って少ないのかと思ったことがあるんですが、それってみんな起業家なら成立しないって意見があったことを思い出しました。一瞬納得したんですが、一方で別に起業家であっても日用品は買うし、面白いサービスや人気があるものは使うわけで、ちょっと違うなと考えています(笑)
本当に大事なことは公開されてない
当たり前ですが、インターネットで色々と検索すると、情報が出てきます。その真偽はおいておいて、だから情報があると思ってしまいます。ここでは情報自体がそれなりに精度の高いものと考えるわけですが、本当にそうなのかと。
結局これはこのブログもですが、信頼が問われます。信頼とは全てあなたの言う通りとかでなく、一定程度信じてもいいとか、ここは違うけどここは分かるとか、適切な付き合い方が可能という状態でしょうか。このあたりの言語化はかなり困難ですが。
合理的に考えると本当に大事なことは言わなかったりします。一方で本当に言ってしまうこともあります。ただ何かを言うとか、伝える時って相手次第ですから、ここで伝達される情報が色々と分かれます。
本当に価値ある情報の場合
それが本であろうが、人に聞いたことであろうが、ブログに書かれているであろうが、なんでもいいんです。ただ本当に価値ある情報かどうかって、なんでしょうか。誰が判断するのでしょうか?
そう。これは読者とか、見た人が判断でします。だから、今は見かけないというかあるとレアですが「これをやれば儲かるビジネス情報集」みたいなのが昔流行りました。そういうノウハウを果敢に検証する人もいるようですが、仮にそのノウハウが成功して結果を出しても今できるか、購入者ができるかは別問題です。
タイトルに「誰でもできる」とあってもまあ言葉通り捉えた人が・・・負けでしょう。勝ち負けというわけではないですが、次いきましょう。
つまり、読み手が判断します。ノウハウが本当に優れているとか、世紀の大発明というレベルであっても、読み手が分からないなら分かりません。
これは僕がなんでも分かるということでは全くなくて、僕も同様に分からないという表明です。それくらい分かりません。
例はいくらでもありますが、例えば「自分がいけるとおもった価値があるアイデアは全く評価されないが、そうでないものが評価された」ということだけでも十分でしょう。
つまり、提供者と受け手は常に異なっていて、受け取るものが合致するほうが少ないくらいのほうが健全と考えています。
本当に価値がない情報の場合
価値があるかないかも誰が決めるか分かりません。読み手ということは分かりました。
僕が価値がある、ないと判断しても、すぐ別の人がそれは違うということがあります。
価値がない情報と思ったものが誰かの役に立つこともあります。
では、「これ価値がないんだけど、だれかいる?」というように出す人がどれくらいいるか・・・もう分からないですね。
ここまで考えると、大事なことというのも価値です。哲学的になってきましたが、結局、自分が価値があると考えようがなかろうが、全く読者なり、読み手、受け取り側は自由に考えるし見るよねということです。
これは今更感がある話ですが、再度考えてもいい点です。
最近見かけたネタで「検索できれば知識は不要というのはおかしい。そもそも検索する知識がいるし、あと検索結果の吟味も知識がいる」ということで、知識の必要性を感じました。実際その通りで、知識がなければ、行動に値することってやりづらいでしょう。行動して知識を得るパターンもありますが、そういう順番は問題でなく、知識の取得否定はナンセンスかなというところです。
価値を決めるマーケット
ここで大事なことがだんだんと見えてきました。
試行錯誤で見えてきたことですが、ごく当たり前という人もいるでしょう。ただ当たり前と思う人がいてもいいのですが「本当に自分で思っていること」が大事です。そうでない「誰かが言ってたからとか、そう言われている」なら微妙でしょう。
その大事なこととは、提供するものは既に自分からはなれている。つまり、価値は読者が判断する。ということです。
離れているというのもイメージ的に正しいです。僕のアイデアをどう受け取るかは実は相手次第です。だから相手が何を価値として見出すか。マッサージのごとく、ヒアリングして気持ちいい部分を刺激していくイメージです。そのためには、手数をかけて押すとか聞くということが大事ですね。ある程度つかめればそこを押せばいいわけですから。
そしてさらに大事なのは、その読者、お客さんですね、がいるところに提供するということです。
これも当たり前すぎるかもしれませんが、いくら釣りは魚がいるところに釣り糸を垂らすといわれても、最初って絶対どこに魚がいるかなんて分からないです。魚群探知機でやるのか、経験者のノウハウでやるのかは分かりませんが、最初から出来る人(ここに魚がいると分かる人)はいません。
未経験者が出来ることみたいな話でもありますが、どうすればいいか。実はここで情報を得るとか、学ぶということがめちゃくちゃ大事になってきます。というか、0から1って結局この繰り返しだし、何度も何度もこれをやるんですね。
何も分からないけど、ここかな?ちがうかな?とか。これやってみた違った、なぜだーといって次をやる。これだけです。本当にこれだけ。それをやり続けると見えてくるものがあるし、見えるようにやるというのがポイントでしょう。
お客さんがいるところというのはどこなんでしょう。ブログでいえば、キーワード検索がその釣り堀的な話になります。つまり、「検索するキーワード数が少ない」なら、流入する人も減るでしょう。だからそういうキーワードは無視するかどうかとはいってません。少ないキーワードを取れるなら、そこでポジションが取れるとも考えられるからです。(これはSEO的な話というよりも、解釈の話です。もちろんポジションを取ったから何かできるかは別ですし、ビジネス的な話もまた別です)
ランダムにここにいますーとかそういう問題ではありません。今いる場所はもちろん、どこにいるか、常に来続けてもらう仕組みです。つまり、今いるところとか、どこにいるかまでは考えられる人はいるけど、そこから何度もそれを再現できる仕組みとなると、大分レベルが高くなっていると僕は考えています。
マーケットとは、そういうお客さんがいる場所といっていいでしょう。場所とは物理的な場所でなくて、一定数リーチできるとか、そのうち何人が見込み客になるとかそういう確率と数の話です。この話をする時に「面白い」と感じるか、「面白くない」と感じるかは分かれるのではないかと思います。
またマーケットといっても、属性から確度の高い話を想像するのは分かりやすいですが、既に「こういう属性の人はこういう行動をする」はかなり古い印象を覚えます。古いというのは「仕組み化できない」ということです。データが古いのでなく、社会が変化して、気まぐれというか、人の動きが読めないといっていいと思います。それくらい多様化しているからこそ、マーケティングというのも進化しているし、実際には若干遅れて対応している感じかもしれません。
何がマーケティングなのか
結論的には、マーケティングは試行錯誤で確かめていって、高い確率で仕組み化できるものや仕組み化する考え方のことをいってます。それを磨いていくしかないよねという話は変わりません。
マーケティングとはといっても、仕組みづくりといったものの、これは非常に多岐に渡ります。
- 心理学。人が何を考えるか、学問的に証明されているものは使えます。これは証明されてないけどそうなるみたいなものも含むかもしれません。
- 社会学。社会というものをどう捉えるか。国とか社会とか、地域とかの捉え方って結構人によって異なります。
- その他学問。学問的なアプローチは結局人、社会って何、何が起きてるの。文化や技術発展とか、そういう謎を解くものだと考えています。だからこそ、ぶっちゃけなんでも学問的なことは勉強したほうがいいと思ってます。それが使えるかどうかは勉強した人次第だけというスタンスです。
- 経済学とか経営学。マーケティングなんちゃらとかもそうですが、結局これらを学べば何か使えるわけでもないです。が、学んでないと見えない細かさや専門家だからこそ見える(見ようとする)世界があるので面白いわけですね。
- コミュニケーション。その人がどう捉えるかを知らないと話にならないわけです。相手に動いてもらうとか、相手に伝わるにはどうすればいいか。それがうまいか下手かはおいておいて、そこを考えないと誰かが動くことはないでしょう。
キリがないというか、全てマーケティングになります(笑)というか、そもそも「これをやれば全てオッケー」というのはなく、これがいえる限定的な条件は「初学者とかが学ぶ」くらいなのと「時間的に限られるからここだけ」みたいな場合です。あとは、やる人のさじ加減です。
とはいえ、一生をかけないと1円しか儲からないとかそういう話ではないし、明日1億稼がないといけないとかそういうドラマティックな話でもないなら、どのようにしていくかは、自分次第です。
学ぶことが多すぎるからどれもマーケティングといってごまかす話でなくて、自分がどうという世界を離れて「人がどう」という世界を見たいかどうかかもしれないと感じました。
他人に対する関心が薄ければ、より自分にこもります。自分がこうありたいというのはクリエイターといっていいのか分かりませんが、そういう考え方が強い気がします。版ラスの問題ですね。デザイナー=クリエイターとしたら、デザインも誰かの要求があって実現されたといえます。それは自分の要求でもいいけれど、本当に自分だけのニーズしかないならアートに近いし、少しだと自己満足になるし、それがより多くの人に伝わるとかなり話が違ってきます。つまり、人の視点から考えられるということになります。
この時点で、少なくともマーケティングというものが「これ」ですという回答はなくて、「人に関心が一定程度あって、その人が動くということに興味がある」人は多分向いている分野や方向性なんだろうなと思いました。
成長は時間がかかる
マーケティングに限らずですが、これを学んだ、勉強したというのは非常に時間がかかります。1年かけて学んだことを例えば1記事にまとめることは可能です。しかし、1記事を1時間で読んだら1年で学んだことを一気に学べるでしょうか?
これは僕は分かってません。多くは結局「読んでもそれを試して実践して分かる場合は、作者と同程度のスキルがあっても最短で1年」くらいだろうということです。つまり、1時間はインストールであって、その後1年かかるという話です。
もちろん、実際は読者の得た経験値が高いならそこまでかからないでしょうし、全く分からなかった場合はもっと時間がかかります。
つまり、自分がアウトプットしたこと=人がインプットするものですが、それってどこまで伝達しているか。100%であっても、そこから人は読みたいように読むから、コントロールすることはまず無理ですし、しようと思ったことはありません(笑)
ただ基本的に良い学びがある情報とは、その濃さです。ただ、濃いがゆえに「そこにたどり着く」には、年数がかかるというところです。
ここまでいくと、一定の学びを得るには年数がかかるし、短期で何か成し遂げようとする考え方が馬鹿らしくなるというか、逆に焦ってもしょうがないかなと思えます。人生をエモくする時に、自分がすぐに何かやりたいことができるのは確かに良いわけです。お金を持っているから出来るとかが象徴的な話です。時間でもいいですね。
でも、世の中は全て平等であるとか、所持金や資産が同じわけではないですよね。だからこそ、知恵を使って、勉強して、学んで成長していくしかないなあと感じるわけです。
おわりに
まとまってませんが、ここらへんで。
マーケティングについて考えていくと、僕の場合は社会の理解→人の理解という感じになります。さらに自分が関われることや出せるものなど、スキルや経験を考えます。そこに仕組みやビジネスを考えます。あとはエモいかどうかです(笑)
そうすると、多くのアイデアはすぐには形にできません。だから全く手を動かさないと何もできないし、何も見られない(手を動かさないから情報すら得られない)という悪循環になります。
だからこそ、手を動かしつつ、学びつつ、試しつつ、結果をアウトプットしつつということになります。ごく当たり前のことですが、マーケティング的な視点でも同じことがいえるという話です。
あと、マーケティング=ビジネスよりの話なので、自分で仕事をつくるという意識の人は非常に学びたいところでしょうが、そうでない人(仕事があったらそれをやれればいい)という人にとってはとっつきづらいところでしょう。そういった仕事ありきの話を否定しているわけではないです。
ただ、突きつめて考えると、自分がお金を得ている仕事は誰かがお金を払っているから得られている事実にたどり着きます。それに対して見てないから、自分の担当でないから、ということはいくらでもいえます。むしろそういう環境はその考え方が「正しい」でしょう。
本当なんだろう?実はこうなのではないか?世の中には不思議なことが一杯ありますし、おそらく調べ尽くすには人生は短すぎます。
だからこそ、これは人生でやっておきたい。または強烈にこれをやりたいはないけど、これがあったらいいなはやりたい。そういう人生というと大きいですけど、毎日の中に少しでも入れることが大事なんじゃないかと考えています。
大分マーケティングと離れたようですが、結局は人がどう考えるかをどこまで追っていきたいか、見続けたいか。それを再現性のある仕組みに持っていけるか。そういうものがツールとか、効率的な道具とかそういうだけのことですから。
踏ん張っていきましょう。
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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