最近考えていることを乱れ打つ

アウトプットをガンガンやっていくと見えてくるものが本当に色々出てきます。これは既に分かっていることなのですが、意識的にやって体感出来ると病みつきになりますね(笑)

今回は乱れ打ち的な考えてることメモです。

最近考えてること乱れ打ち

単なる逃避より上手い逃避を

シビアな対人恐怖症とか、本当にコミュニケーションが苦手でということを除きます。で、まあ一般的に「逃げいている」とすると、その逃げって単なる逃避かそうじゃないかが問われます。

問われるというのは、誰かが言ってくれる可能性もありますが、いい年齢になったりするとまず言われません(笑)

単なる逃避とは、ただ逃げるだけで嫌だから逃げるだけです。うまい逃避というものがあるとして、その上手い逃避とは、苦手なところは逃げるけど、でも得意とか別面でカバーする。ということです。

例えば人と話すのが苦手ですいません。でも、言葉ではちゃんと書いて伝えられるのでそっちでカバーとか。みたいな話です。

僕自身は小学校くらいはわりと「話す」ところと「書く」ギャップがあってですね、しゃべらない子ではなかったんですが「脳内イメージ」→「言語化」→「話す」ってそのまましづらいなと思っていた方です。そういう方いませんかね?

で、どうするかというと「脳内イメージ」→「言語化」→「書き言葉」のほうがわりと自分のイメージが伝えられるので、書くのが好きになりました。というのは当時の担任の先生が出来た人でこの人がいなければ僕が「書く」ことを意識するのも遅かったかもなあと思いました。

逆にこの話は文章や書くことが苦手な人には驚くことでしょうし、話すほうが楽でしょう。でも、話すってリアルタイム性で要所要所を飛ばしてポイントだけ伝えていく、伝達に意味があることが多く、いくつも思考をステップしながらというのは超苦手だと思っています。話すということで深める時、メモしたりまとめないと駄目っていうのもあります。

だから僕は今はそこまでないんですけど、話すっていう場、とくに初対面で自分を出すというのは「苦手な方」です。とはいえ、第一印象→その後の印象が劇的に違うこともまあそこまでないものの、比較的社会人若手の時に出会った人はそのギャップを感じる人もいるようです(笑)

なぜかというと、僕は話す時にとくに初対面の場合、そのスイッチというかどこらへんを推していくか見えないので、その捜索コストがやっぱかかる。時間ってことですね。あと、こちらが欲するというかそりゃないよみたいな人とは付き合いたくないのでそこは慎重に見極めつつみたいなところがあります。これは目利きする時にめっちゃ役立つし、大体分かるようになります。ちなみに人と話すのは基本的に好きですね。

で、上手い逃避とはそういう逃げ+その代わり攻めるということをいって、単なる逃避=逃げるだけです。わりとメンタル的な意味で、逃げていいよって単なる逃避かどうかは関係なくて、やばいから逃げろってことになるかなと。だから逃避しろって言う時も、人によって色々ですよね。

で、ここでは、単なる逃避についての批判です(笑)単なる逃避をしても、結局攻めてないので、例えば例えですよ、150cmの高飛びのバーがやっぱ飛び越えられないから、逃げて幅跳びにいく。すると5mの壁を飛び越えられないから、100m走へいく。でもタイムが縮まらないから・・・はやっぱ筋が悪いです。とはいえ試すことは悪くない。ポイントはここです。試しつつ何がどうかを考えてどっかいけるところはないか。攻めるとはそういうことです。それがないなら、高飛び→幅跳び→100m走とただ逃げているだけです。仕事の転職が悪いわけではなく単に逃避だとまずいのは、結局その人の考え方が職場が変わるだけで激変することはなく(ブラック→ホワイトとかなら違いますけど)、その人の考え方の中での仕事が変わるだけなので、単なる逃避系の仕事っぷりなら、やっぱ次の職場も逃避系で終わります。そしてそれって注意されたり、誰かに言われるのか?って、冒頭の話に戻ります(笑)

仕事だけでなく、恋愛や人生、働き方、子育て、地域活動、スポーツ、趣味なんでもいいんですけど、逃げ切れることはないなあと思います。最もよくあるのは、ダメっぷりがだれでもあって当然だけど、それだからこそ踏ん張れるみたいなところです。典型的なイメージとして、会社の愚痴を言う、酒を飲む、明日も頑張れる(笑)のはもはや大分消えたと思いますが、まだ残り香はあるかなと思います。そうやって生きられる人は生きればいいというところで批判ではないんですが、そういうスタイルでさえも、うまく逃避+でも攻めるみたいなことがあるから機能するんだろうと思っています。

逃避がダメとか、立ち向かえってことではないんです。単なる逃避だけはやっぱダメだろうなと。上手い逃避をしていこうってことです。単なる逃避をして、気づくところで、いつか?なのか分かりませんが、その時自分が問われます。というか、問わずに生きることはものすごく実態がなく、僕は嫌だなあと思います。痛みを感じるのがいいわけではないのですが、痛みがあるから心地よさもある。つまり、逃げるのも攻めるから逃げるのだと。攻めて無い逃げって、逃げという認識でなく、ただ避けただけで、避け続けては一生ボスは倒せないみたいなところです。

これは積極的攻撃をしようということでなく、消極的攻撃(回避すると相手にダメージを少し与えられるみたいな(笑))って感じです。少なくとも、積極的逃避ではないし、逃避オンリーではない。

逃げてもいいけど、逃げ続けてもどうかって感じですね。結局止まるし、戻るという感じがありますね。

コミュニティをつくるのは難しい

コミュニティというのが大事だなとよく感じます。一方でコミュニティの作り方というと途端にハードな感じを覚えます。実際に今まで色々な人と関わって何かをやるとき、結局続くというか一人の人をある業務ややるべきことに集中してもらうってめちゃくちゃ難しいってことです。

コミュニティであればそれらも自由。出入り自由だったりするので余計難しいかなと。

だから、SNSマーケティングみたいな言葉がなんか違うぞと思えるのは、意図的にゆるくやりましょうくらいはいいけれど、やっぱSNS=個人や自由度が高く規制しづらいわけで、それをマーケティング=意図を仕込むみたいな感じであると真逆じゃないかって。

もちろんマーケティング自体は売るのでなく売れるみたいな話なのですけど、売れるっていってるのは生活者が買う、買いたくなるだけで、結局売ることは0ではないですよねってことで、1mmでもあればやっぱ売るじゃん(笑)となって、SNSマーケティングって言葉の違和感を覚えます。

たいていSNSマーケティングという言葉を使う人は、多分本質を理解している人はそういう言葉を使っても違和感があると思ってるのですが、SNS向け広告をすればいいとか、Facebookでグループやページを作ればコミュニティが勝手に生まれるみたいな幻想があったり、楽にできると思ってるのかなと思います。生活者というか人を舐めてはいけないし、そう甘くないだけですけどね。

思想としてそもそも人はコントロールできたりするみたいなのが気に入らないだけかなあと思ったりします(笑)仮にそうであっても、心理学とかやITもそうですけど、悪さするんですよね人って。詐欺の手口も発達していて、無駄な才能というか、なぜそっちに使うんだってこと一杯あるじゃないですか。でも詐欺っていうと「ダメ」ですけど、仕事(さぎ)っていえばそれは仕事だよねと。詐欺をして人を騙してお金を取るとは流石に言えない。だけど、それを仕事をしてお金を得たとは言える。言葉の恐ろしさを感じています。

そういえばネット初期みたいな黎明期ですか、ネチケットとかありましたけど、最近消えましたね。死語になったのはいいけれど、結局若い人だけでなく、SNSマナーみたいなのがあるとしたら、それって見たくないものも見えたりしつつ、リアルの境目がない、またはそれを出してくるのが恐ろしい点もあります。一方で良く使えば個人の意見を最適に届けられるとかもあるし、これも道具の使い方次第だよねと思いますね。

それでコミュニティ自体は難しいけれど作れなくはない。ただ作れるとか生まれるとかは結構大変。だから、ここでのギャップはものすごく価値があって、少なくとも簡単に出来るよーみたいな感じではない。ただ出来なくはない。その理解がある人がコミュニティをつくると大体成功する感じですね。それないと「うまくいかないからやめる」なのかなと。まあコミュニティに限らずですね。

LTVも長くなる

顧客生涯価値みたいな言葉です、確か。このLTVって簡単に言うんですけど、人生80年が、100年に本当になろうとしていて、もちろん年齢やライフスタイルが変わるので、30歳でツタヤの客だった人が90歳でツタヤ借りるか、そもそも60年続いているかどうかもありますが、そういう感じです。まあサービスというかビジネスライフ自体が短くなるとまずLTV自体の概念も、その企業の全てのサービスにおいて算出するみたいなことになり、かつ伸びるのか、短くなるのかみたいなことにもなります。

文脈としては一人の顧客が商品をどれくらい買ってくれるかの長期で見ましょうくらいでいいのだと思っています。ただ、長期で見たいけれど、ビジネス寿命自体が短くなればそんな悠長なことは言ってられない。だから短期短期となっていく。でも、人生は長くなる(笑)

こういう反比例な動きというのが出てくると、どっちかに修正するのではないかと。つまり長く愛用したい商品やサービスみたいな長期思考(今まで5年だったのが10年使うとか)になったり、余白が出て来るんじゃないかって思うんですがどうでしょう。短期短期に合わせると、せわしない感じもして心休まらないですよね。

生涯学習とかも似ていて、生涯の期間が長くなるなら一生勉強ですし、それはまあその通りなんですけど本当に勉強です。80歳くらいの時に、20歳の若者に教えを請えるかどうか。恥ずかしいとか聞けないってやっぱここで命取りですね。人それぞれ知らないことにフォーカスを当てればみんな色々知らないので、そんな気にしなくてもいいよなあというところです。

人生が長くなるとは一方で、安楽死や尊厳死みたいなこともやっぱ議論しまくることはあるわけですけど、これも法制度でやってもまあ悪用はあるでしょう。日本の社会は、リスクは有るけどそれ以上のメリットがあるみたいな、企業の営業コストをかけた以上に売上があがるからいいみたいな、投資っぽい考え方が超苦手ですよね。お金じゃないみたいな人が多いと思うので投資が出来ると思いつつも、そもそも「投資的考え」=お金だからダメみたいな、投資って言葉が「教育投資」といえば何でもするっぽいのにものすごい偏ってる感じがします。

まあ、このあたりも少しずつ変わってきて、効果的に「投資」する感覚も出てきてハイブリッドになっていくはずだと、希望を持ってます。

専門家視点のアウトプットを意識すると

最近Webサービス専門家ということをとりわけ言ってるというか言い始めたわけですが、やはり違ってきます。

友人らからはいいじゃないですか!と良い反応が得られたので、間違ってないというか自分の中では応援されていて嬉しいです。本当に。そういう意味で、もっと深めていこうとするなら、Webサービスもメジャーなものとか、成功したものとかよりも、ニッチなもの、さらにそんなのあるの?みたいなところがより面白いと。

もっといえば、Webサービスアイデアでもニッチ系に強いところで行くのがもっと面白いなあと。そういうサービス応援したいし、勉強したいとか思ったりしますから。もちろんニッチってメジャーがあるから成立するとは思うのでメジャーがダメとは思ってませんよ。ただ自分はメジャーで戦えるとは全く思ってませんという明らめ(逃げ)であり、攻めでもあります。これは先程の上手い逃避ってことの事例です(笑)

これから始まるサービスを上手く捉えてどうかというのは多分出来るだろうし、今までもアウトプットしてきました。さらに出来そうな気がします。なぜならWebサービスアイデアの専門家ですからね。

また0から1という視点に注目して、Webサービスを立ち上げて0から1どうしたのか?ここが最も気になるところですし、これは自分の興味とそのニーズはありそうだと思います。ニーズなくてもこれやるのが実はシゴトクリエイターであり、僕の純粋な興味と研究対象でもあります。それで知見を貯めつつ、自分としては自分でやるのが最もいいし、仕事をつくっていくのが理想であり生き方として落とし込んだと思っています。そのためにやれるためにやれることをやっていくということになりますよね。

これからというものを作るよりも、多分紹介するほうが自分の強みは生きる感じはしています。一方でそれだと言ってるだけだからそれはあかんと。研究者であり実業家みたいなところが、魔法剣士みたいでカッコイイのでそこでいきます。

不機嫌は移るので逃げる

賢い逃避という意味では、不機嫌さはやはり感染します。ネガティブなことを仮に書いても、ダメといってもやっぱフォローはします。ただ殴りつけて書いてスッキリってちょっと後味が悪い。思考メモも書くけど、誰かにぶつけたいというよりも、自問自答で終わってるのでそれでいいと。まあ垂れ流すというと言葉があれなので、綺麗にアウトプットするといっておきましょう(笑)

不機嫌な人に出会った時は、なるべく逃げたほうがいいです。自分も引っ張られます。ごきげんな状態にいつもいるのがいいですが、そうでない時はやっぱ自制して早く寝るとか、好きなことやって整えるのがカッコイイと僕は思います。

人に当たったりしたくなるのも分かります。人間ですから。とはいえ、当たって何かなるものでもないのも多いので、どっしりと受け止めるのがカッコイイですね。そういう度量がでかい人はやっぱ放っておかないし、貴重な人材ですから。逆にそういう評価がないとかであればこれから伸びるので安心してください(笑)

不機嫌な人というところでは、変えてやろうとか思わない方がいいですね。大体不機嫌をコントロール出来るというのはわりと高めのスキルで、それが出来る人が出来ない人という構図になると相当ギャップがあります。「そっかー」くらいでブラウザを閉じるくらいがいいのかなと。

まあ他人はそういう感じなので、自分が調子が悪いなあと思ったらやっぱさっさと寝たり違うことしたほうが大体捗りますよね。

方向性のベクトルは少し違うだけで全然違う

イメージは数学の1次方程式とかでしたっけ。直線のグラフを書く時、係数でしたか、y=2x+1みたいな感じで、2が係数とかだったと思います。

この数字が基本0以上として、1.1xなのか1.2xなのかで全然違います。たかが0.1ですけど、xが年数だとしてyが仕事の量とかとすると、1年後には1.1仕事があるか、1.2仕事があるかどうかで0.1しか変わりません。でも、2年後は、2.2と2.4と0.2も開きます。5年後くらいで、5.5と6と0.5も異なります。伸びの半分くらいまで変わります。

ここでいう傾き0.1の違いってなんとなくここでいってる専門性やニッチや特化するところみたいな「宣言」レベルだと思っていて、それをやるだけで全然違ってきます。そのままでなく、さらに磨かれると、1.5xとかになってまたさらに変わってきます。つまり、直線の変化でなく、自乗の二次曲線に近いかもしれないなあと。そのうちxの二乗とか、どんどん変わってくるんじゃないかと。

その最初またはいつでも変えることで伸びが異なるというのは知っておいたほうがいい気がします。逆に変えずに伸びるとか成長しているのも素敵ですけどね。

おわりに

とくにオチはないのですが、成長を意識していくと、何をすれば学べたら伸びるのか。そうなると自然と新しいことやチャレンジというところに自分が自ずと動いていることに気づきます。

資質や強みとして自分はそこでやっていくのだ。強い覚悟というと言葉が強すぎるのですが「やっぱこれやらないとなんか人生やだなあ」くらいの何かは絶対誰にでもあると思います。「なんだか胸がドキドキして止まらないなんでだろう」みたいな恋する(笑)感覚のごとく、「これやってると楽しいんだよねえ、はは」くらいのものが多分良さげだと思います。

ニュートラルやリラックスな状態で勝手にすすむものぜひ見つけてくださいね!

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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