悩むと考えるの違いは「どうすればいいか?」の次が異なる
悩むと考えるって違うんですが、自分が考えてますといってもそれは悩んでいるのではないか。または悩んでいるのに、考えているというケースもありえます。
多分ですが、前者のパターン、考えてるつもりだけど悩んでいたことが多いのではないかと推測して、何が違うか。それにはまらないために、どちらかといえば考える方向に持っていくためにそれらの違いについて考えてみます。
目次
どうすればいいだろうか?から始まる
企画なんかでも全く同じことが言えます。
まず問題や課題ややってみたいことがあるのだけど、多くはその考えたり、思ったりという「イメージ」通りにはまずいきません。
そこで出て来るのが、
どうすればいいだろうか?
という疑問であり、感覚であり、切り口、悩みというと違うかもしれませんが、ひとまずそういう概念がでてきます。文字通り「どうしたらいいのだろうか」です。
僕が考えたのは、このどうすればいいだろうか?に対して方向付け、もっといえば、行くところが変わると悩みか考えるかで大分変わります。
悩むとは、「したい」で止まること
企画を成功させたい、ビジネスをうまくやりたい、人に喜んでもらいたい。そんなしたいがあるとします。僕もあります。
そしてそれらの「したい」は純粋に良いと思うのですが、一方で「したい」とは「していない」「やれたらいいな」という願望希望で終わることにもなりかねません。
もちろん「したい」から「やるのだ」という習慣づけやトレーニングがしっかりと出来上がってる人は「したいからやるのだよ」ということで突っ走れるので、「願望」と「行動」の違いがあまりでません。もちろん100したいことが100しているとはならないのでしょうが、概ね出来る状態に持っていくのではないかなと思います。
ここで「行動」と出ましたが、行動こそが「考える」方向となります。
どうすればいいか?というスタートがあって、そこから「したい」で終わる場合、「したい」ということはいいのだけど、そこで終わる場合はやはり悩みとなります。
例えばこうでしょうか。
企画を成功させたい→うまくいってない→どうすればいいだろうか?→企画を成功したいんだ→悩み
厳密には物事の最初は「したい」から始まるのでややこしいですが、そこは飛ばして、「どうすればいいだろうか」がスタートとして考えています。
でも、結局は何かしら行動が入っているわけではないし、解決的な何かがないので「企画を成功したい」という最初の願望からとくに変化がありません。
つまり、当初の願望や希望に対して「どうすればいいだろうか」と考えているか思っているは分かりませんが「そういう言葉を口にしようがどうしようが」結果的に出てくるのが「企画を成功したい」のだという当初の願望に近いものが出ている限り、それは悩みだという話です。
こう説明すると分かりづらいかもしれませんが、再度整理すると、
- 当初やりたいことがある
- どうすればいいだろうか?という振り返り的なことをしている
- しかし結果が「当初やりたいことである」という変化がない
これが悩みだと思います。
また悩みは思うと近いと思っていて、思うのと考えるのはやはり違います。思うだけなら、いくらでも出来るのですが、考えるとなると結構大変です。もちろん考えている風を装うこともできますが、本当に考えてなければ一貫性や論理性がないので脆くも崩れます。
よくあるのは、悩む時は大体は、
「こうしたいのだけど、できない」という一種の完結したループ、悪い意味でですが、そこをぐるぐるしていることになります。
勘違いしてしまうと危険だと思うのは、このぐるぐるループを考えていると思うことです。
企画を成功させたいけど、どうすればいいか。分からないけど、企画を成功させたい。
これは悩みでしょう。多くの人がどうするかは分かりませんが、誰かに聞いてアドバイスをもらうのもいいでしょうし、違う視点から考えられないかも有効でしょう。ただこれを一人でやっていると、強固な悩みとなり、とくに進展はありません。
よくあるのは、そういう悩みも結局解決せず忘れてしまったり、何かしら自分の考え方とリンクしていて「世の中はそういうものだ」と割り切ったり、または自分には無理なんだと明らめたり、解決ではないですが消えていくこともあります。あと根底の中でコンプレックスみたいにあって消えないケースもありますので一概にどうかは言えません。
あくまでここでは悩みとはそういう状態ではないかという定義をしています。
考えるとは、行動に結びつくこと
どうすればいいか?で始まったものが、「したい」ではなく、行動する方向にいくのが考えるだと思います。
企画を成功させたい→うまくいってない→どうすればいいだろうか?→分からない→誰かにアドバイスをもらう→企画を成功させたいでなく細分化して見つめ直す
先程の悩みパターンと大きな違いは、分からない、または「したい」で終わらずに具体的な行動になっているということです。
具体的には、「誰かにアドバイスをもらう」ことが行動です。もちろんそう「思う」だけでは駄目なので、やります。やった結果としてアドバイスをもらいました。そこで分かったのは「企画を成功するというのは曖昧すぎてどうすればいいかそれこそ分からないので、もう少しこれが成功だという定義を仮にでもいいので決めてみたら」ということでした。と、仮の話ですがそんな流れです。
例えば、企画の成功といっても、集客数なのか、イベント的成功なのか、次につながるビジネスなのか、それとも自分の企画の精度を試したいのか、実績作りなのか、認知度アップなのか、色々あるわけですね。
このように考えるという言葉は「頭で考えて行動しない」というネガティブな意味合いもありますけど、ここではポジティブに悩みとは違い行動する、アクティブな意味合いで捉えています。
考えてない場合は、悩みに近い感じだと思います。行動しなければ始まらないというのは「行動すれば成功する」ということではなく、行動があって悩みとか思うでなく、考えることになり、結果的にやりたい願望や希望が、実現性の高いようなやっていきたいことなどに変化するのだと思います。
例えば、企画を成功させたいといっていた人はやはり言語的表現スキルが低いかどうかは関係なく曖昧さがあるのだと僕は考えています。それが「明確な定義は集客数であり、どのように集客数を上げるかかが大事となります」といえば、今度はそこに絞って考えればいいわけです。悩むわけではありません。
そうやって考えると、あなたの感覚は分からないのですが、大分異なるというか概念として全く違うものとなりそうな気がしませんか?
考えるについて整理すると、以下のようになるでしょう。
- 当初やりたいことがある
- どうすればいいだろうか?という振り返り的なことをしている
- 結果として「行動」に結びつくことがある
- 当初やりたいことと異なったやりたいことになっている
悩みと違うのは、やりたいことが変化することでしょう。
逆にいえば、やりたいことが変わってないのは悩んでいるだけかもしれないと言えます。ただ紛らわしいですが、一貫性があることをやり続けることは悩みではなく一貫性なので、なんともですね(笑)
どうすればいいか?の次にどうするか
今回は、この悩みと考えるの違いを意識した時、行動出来る人出来ない人が出てくるわけですが、その違いは何かについて考えてみます。
つまり、やりたいことがないとなると困りますが、こんなことしてみたいがめちゃくちゃ些細なレベルだとしてもあったとして、かつどうすればいいだろうかまでいったとします。
そこで次の行動として「やりたいことをしたい」に戻ると悩みになるし、行動していけると考えるになるというシンプルなことになります。
どうすればいいだろうか?は強力な言葉だと思います。どうすればいいだろうか?と脳に問えば分からないと言わない限り考え続けてくれます。もちろん普段使ってないとか、考えてないならば頭に負担がかかります。慣れれば大したことではありません。
例えば強力に願えば夢は叶うはある種間違っていますがある種正しいと言えます。まず間違っているというのは、願うだけで叶うわけではないということです。
願う→行動が変化する→願うイメージが変わる→具体的なことになる→行動する→形にどんどんなっていく→気づくと叶っている
これを省略すると「願うと叶う」です。そのプロセスが非常に大事ですが、そこを飛ばすととんでもない目にあうと思います。
正しいというのは、
願う→行動に転じる→結果を出す→叶う
ということで、同じことですが、やはり行動になっていくので変わるんですね。結果的に叶うわけです。
ここで大事なのは行動です。行動が全く願う前と後で変わらない場合は、ここは絶対だと思いますが、運以外で変わることはありません。すなわち願いが叶うなんてことはないってことです。
志望する大学に受かりますようにという願いや希望が悪いわけではなく、そうすることで「自分の行動」が変わることになります。願掛けとか縁起とは僕自身は悪くないというか、それ自体が意味はなくて、行動が変わることの投資となるならやるべきとも思います。メンタル的に安心となるのもいいでしょう。ですがそれを過剰に(その人の過剰さが分かりませんが、端的にいって日常生活をきたすとかでしょうか)やればそれはやはり手段的なことに溺れてしまったとなります。常に手段目的化が悪いわけではないのですけどね。
つまり、願うのが意味があるのは、行動変化によって意味となります。むしろ、願うだけなら純粋に誰でも出来る。ただ本当にそうなって欲しいなら行動が必須です。願っていてその通りになればそんな楽なことはないと思いますが、そもそもなぜ「願うことができるか」は、それは人の想像力や頭で考えられる力がすごいのではないかと思っています。出来ないことも出来るといえるし(性格とかはスルーです)、出来てないこともやったと嘘もいえるからですね。
だからこそ、願うとかやりたいとか、希望があれば「次の行動」にフォーカスをあてていくのがいいかなと思います。当初のやりたいことにただ戻ってやりたいと言い続けるのは筋が悪そうです。もっともこれも「やりたいといい続けると良い」と言われるのは、「そうすることで行動が変わる」からであり、それは自分主体でなく他人が「お前がいうからこういうこと考えたけどどうか」というアクションがあったり、環境が変わっていくんですね。それは微妙であり本当に少しずつであってもです。そういう意味で言い続けるのは意味があります。ですが、その時「お前がいうからやろうと思ったよ」というところで、それを無視したり自分は一切行動しないのであれば、何か変わることはまずないと思います。
どうすればいいか?自体は悪くない
少し視点を前に戻して、どうすればいいか?自体についてです。これ自体は悩みの種でも、考える思考の種でもあるといえます。
次の行動があれば考えるに、行動がなければ悩みになりやすいというところでしょうか。
どうすればいいか?に対して行動すればいいのは分かった。しかしその行動ができない。これもよくあるケースだと思います。思えば出来るなら苦労しないからですよね(笑)
この話は深く考えれば、なぜ生きているか、自分の価値ってなんだろうか、なにをしたいのだろうか?という哲学的な問いになります。やりたいことやらなくても生きられるなら別にやりたいことって不要ですから。ただストレスがたまるなら不健康な感じはします。
もうちょっとライトにいけば、どうすればいいかの後に悩むのでなく、行動するところにいけるか。考えると悩むも頭の中でやっていることであり、非常に似ています。そこでライフハックとしては、行動することだけで評価するとか、脳を騙すというところが使えそうです。具体的には、企画を成功させたい時なら、まず成功って何かを考える、というところになるので「ペンを動かす」くらいのところから始めます。これでも動かないなら、動くレベルまで持っていきます。「ペンを手に持つ」とか「布団から起き上がる」とかそういうところからやります。
脳は面白いもので、そういう行動をしても意味がないと思っていても「ペンを取る」時、「あれ何か書きたいんだよな」と思って「ああ、そうだまず成功ってなんだっけを書く」というところになります。
僕もブログを書くとか文章を書くって、もちろん目次に沿って書くとかもありますが、基本的に逸脱というか、自由に書くモードにおいて書く感じのほうが自然にかつ継続して出来ると思います。自分に課すというのはカッコイイんですけど、課されると途端に嫌になるのも事実。だからこそ、結果的に継続していたというほうが自然です。そういう場合、面倒でも毎回脳を騙すことで行動をして結果になる。
そっちのほうが自分をうまくコントロール出来ているのかなと思います。たまにタスクリストがめちゃくちゃ細かい人がいて驚くのですが、やっている人は別に「それができない」のでなく、ルーチンであったりそれをやると準備が整うみたいな感じに近いのだと思います。それがタスクリストであろうがなんだろうがなんでもよくて、準備が出来て捗るならいいのではないかと思うわけですね。
悩みが悪いわけではない
悩みが悪いというように書いているわけではありません。
悩むことって多いです。ですが悩んでいてもしょうがないことも多いのも事実です。ですので、このように考えてはどうでしょうか?
願望や希望に対して自分でぐるぐる回る悩みを原動力にして、それならば少しは変えたり形にして実現していく方向にもっていってみるか。結局どうすればいいか?って考えることは同じですからね。
そうすると、ゲームのRPGみたいにどんどん進んでいけば進むし、敵が強いなら困難だと思えますがきっと攻略法はあると思えばいいのかなと思います。もちろん明日魔法を使えるようになりたいといってなれるわけではないので、これは姿勢の問題です。
フォーカスとして、悩みにフォーカスをしても何も生まれるわけではない。宗教を作って救いたいみたいなら別でしょうが、悩んでいるのは解決策かまたはただ話を聞いて欲しいパターンか、そこまでたくさんのケースはないと思っています。もちろん複雑にいえば「そうやってパターン化するのが腹が立つ」(笑)みたいな人もいるかもしれませんが、まあそれはそれでって感じでしょうか、スルーしましょう。
原動力になるのであれば、悩みもどんどん使いましょう。コンプレックスを克服するのは簡単ではないのであれば、それを活かしたほうが何か面白いかなというところでしょう。
おわりに
どうすればいいか?という問いを立てた時に、願望で終わって行動しないならやはり悩みなんだなと感じました。一方で行動に落とし込んでこうしてみたらどうだろうかといって試すこと。それこそ考えていることなんだろうとなと思いました。
もちろん、考えているけど行動しないこともあるんですが、それは「悩んで行動しない」という表現が正しい気がします。もちろん、論理的に考えるとか、計画は完璧であるという考えるに相当近い行為もあれど、それが結局悩みの定義である「当初やっていることと本質的に変わりがない願望のままである」のであれば、それも悩みでしょう。
考えることってただ「悩むこと」「思うこと」でしょと思われがちですが、やはり思うって悩むに近い感じがしていて、考えるとはもっと違うだろうという点で考えてみたのが今回の話です。
もちろん、悩むと思うも違うのでしょうが、思うは悪いパターンでいえば「自分も思っていたんだ」という後出しジャンケンパターンも多いです。であれば、行動してくれと。そういうのって考えるに近いと、考えても行動できないパターンもありますが、そこまでいくと話が広がりすぎるので、一旦ここで終わりとします。
行動ってそういう意味では非常に不思議ですよね。思うだけでいいなら思うだけで終わるわけです。何か強烈に叶えたいというものも、自分のわがままであっても行動する人もいます。人間って面白いなと思ってもらえればいいんじゃないでしょうか。
それくらいニュートラルになれば、悩みはほぼなく、行動にフォーカス出来る気がします。
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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