最近の気付きをばばっと。

アイデアを形にしていく。この過程だけに限らず、面白いなと思うことがいくつかありました。そのあたりをざざっと書いてみたいと思います。

アイデアを形にしたい人とか、アイデアを形にしようとする時に色々出てくる課題みたいなのが共有出来れば何よりです。

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アイデアと企画は異なる

これは書いても書きすぎにならないはずですので、書いておきます。つまり、出てくる思いつき、粗いいける感みたいなざっくりなアイデアがあります。それと企画とは根本的に異なるという話です。

説明すると長くなりますが、いつか書いた「言葉」の使い方もあります。例えば「ビジネスアイデア」というとビジネスのアイデアに過ぎないのですが、ビジネスに疎ければ「ああ、これは形に出来る良いものなんだな」とかハロー効果というか、勝手に良いイメージになるんですね。ハローじゃない気がする(笑)

上の記事とかだと、提案してくるレベル感で異なってくるとか色々書いています。

改めて言えば、そもそもアイデア自体が誰かに出したり見せたりする時点で一方通行なのでそこからフィードバックできるような「会話」がないとまあ駄目ですね。駄目というか、適切な評価が出来ないというか。だから沢山の人から「アイデア」を集めるのが駄目ってことじゃないんですが、人数や提案分コミュニケーションできないと結構損(これは運営側がですね)してるって印象です。

アイデア自体は誰でも出せますが、企画自体も誰でも出来るはずです。この「出来る」って表現が人によってバラバラなはずで、自分が出来たことがあることを「出来る」としか言わない人は閾値が高めですからね。

色々言えますが、アイデアを出しても妄想でもオッケーです。ただそれを実現しようとするとぐっとやる人が減ります。空飛ぶ乗り物が欲しいとか。あるじゃないですか、ってなったときに「いやいや違うんだよ・・・」といって出来るかどうか。出来るとは、実現に何かしら動いていけるか。企画っていうか行動に近いですよね。ここが出来るかどうかなんですね。

とはいえ、プランナーなり企画の仕事ってぶっちゃけこれらの「考えたアイデア」または「企画」自体を全部やれるわけではないでしょう。というか出来ない。だから、企画化できるアイデアが実質お金になるということですね。つまりお客さんが買いたいし欲しいっていうだけというシンプルな話になります。

もちろん、買われないアイデアとか、企画化できないアイデア、またはアイデア以上企画未満、理解されなかった企画とか色々修飾されるわけですけど、これらの価値の判断は出来ないです。お金がつかなかったら価値がないと考える人は文字通り価値なしですが、そう考える人はむしろ稀かなと。なぜなら、タイミングによっても価値は変わる(つまり1年後なら買う人が出てくるかも)からですね。

連絡ができるという価値

いきなり話が飛びますがそこまで飛んでないです。

例えばアイデアを出した、それに対して意見を求められたりするとします。そこで連絡がつくかどうか。またはそこまで考えてないと表明するとかなんでもいいんです。

この手の「連絡できる」という話は、普段から「連絡が出来る」のが普通だったり、当たり前の人にとっては「そんな人がいるのか」と思うのですが、実際にわりかしいます。

とくに誰かがということはないのですが、例えば自分のこと中心である人は(哲学的には人ってそうなんですけど)、自分が気持ちよくあればいいだけで人のことはスルーです。よって、自分が連絡を返すとか、相手が困っているとか思っていたとしても、構わずです。もちろん、環境や性格や色々あるんでしょうが、そこは一切考慮せずというところで。

これはシゴトづくりにおいて致命的な話です。致命的というのは、あなたが仕事をつくっていきたいという人なら連絡は普通に出来るしするというのが必須というところです。そうでないできてる人にとっては関係ないかというと、逆で「そういう相手」がいることを考慮というか思っていると楽ですね。

ちょっと振り返ると、基本的な連絡が出来ないだけで終わったというか、心象が悪いため次はないということがいくつかありました。これって小さいことなんですけど、基本いい感じのことが多いですから、逆に印象に残っちゃうんですね。二度とないとは、そんな基本的なことができないようでは信頼関係が生まれようがないという致命的な話です。これは相手がそう思ったかは別ですが、丁重にお断りというところですね。

だからこそ、ちゃんと連絡する、または返事をする。マナーとかそういうのでなく、自分がそうされたらどうかみたいなことですかね。まあ気にしないって人もいるので話はずれますが、マメにやって損はないという感じで着地しています。

たまーにこんな話題を見ますが、実際にちゃんとコミュニケーションが出来ることが素晴らしいという話でもあります。先回書いた自分がそこまで苦労してないというかリソース使わずに出来るのはコミュニケーションっぽいことなんですね。まあそればっかりなら疲れますけど(笑)

この記事に書いたように、自分が得意なこと探しとかよりも、既にやっていてなんかお礼を言われるものを参考にしつつ、それをめちゃくちゃ高いレベルでやるとかってあまり高めなくても、自ずと高めるわけですから、そういうのがいいんでしょうね、仕事にするのって。

アイデアマンのアイデアの根源は似てくる

これはクリエイターのインプットや思考がどうしてもOSというかその人が産み出す何かということで似てくるという話と同様です。漫画だったらあのひとの作品だなとか、タッチを似せるとかもあるんでしょうし、タッチ自体がブランドというか。

音楽なら音楽メロディが似ている、歌詞が似ているとか。なかなかがらっと変えても表現としてどうなのかとかもある。結果的に似てくる。

これってこういったクリエイティブなアウトプット、表現の領域かと思っていたんですね。でもそうではなかった。

アイデアや企画や起業やビジネスというところ、これってクリエイティブっていわれづらいんですがやってることは0から1に限ればアートっぽいという感じです。その表現もやはり似てくるなあと。

つまりある人が考えた事業は次の事業は似てくるというか。それは成功したからその考え方ってのもありますよね。同時にその人の生活環境然り、周りの仲間や仕事とか、考えのパターンがそこまで変わらないので。もっといえば、「毎回パターンを変える」パターンみたいな感じくらいまでカバーします(笑)

これは結構僕にとっては発見でした。あなたはどうですか?5年とか昔に考えたアイデア、今もやろうとしてませんか?僕はしてます(笑)

僕も同じで、アイデアまたはビジネスアイデアに対して重視しがちでかつそれらがビジネスとして大成功みたいな方向よりも、形になっていく過程やそれが形になることのほうを面白いと感じています。

そういう意味でうまくいかなかったアイデアプラットフォームサービスも全然諦めてないですし、どうすればいけるかって感じですね。仕組み自体や考え方を展開させたり「アイデア」自体を扱い方を変えればいかようにでもなりますからね。

他にはより本質だったり、コンセプト的なものを求めます。そういう意味では、どうすれば人が来るかって根本的なところを確認したり考えないと、まあ集客なんて出来ないよなあと思ったりします。このあたりは思考の癖もあるんでしょうね。

似てくるってのは悪い意味でなく、むしろポジティブです。人はそう簡単に変わらないし、だからこそ普段の中でどういうものを得てどういうものを出すか。この工夫はどんな状況でも出来るんじゃないかってポジティブに考えています。

当然学習したり学んだりで変わることはあるし、自身の心境から変わることもあるんですが、それも結構稀でそこまで急に変わることはないはずですね。

企画書とはアイデアを収束すること

異論はあるかもですが、企画書自体は実現化に向けての考え方や筋道であって、アイデアという二次元の立体化です。であれば、現実化できるようなものになります。

そういう意味で企画書自体は、生まれたアイデアの収束になります。発散じゃないです。企画書自体を作ることは実は「テンプレート」に書き込めば出来ます。これも「出来る」につきまとう話ですが、企画書が作れるから企画が実行出来る、つまり企画化できるかとは別問題です。

解像度が高いプランナーや企画を仕事をしている人には当たり前の話ですが、これが経験値または学習が全然ない、または想像できないと全く伝わらないかもしれません。まあ解像度が低いとそうなります。僕も一緒です。

それで、企画書にするときに、アイデアがあるとします。あるアイデアを企画書にまとめるという時、解像度が低い人は(低いからこそ)、アイデア自体の収束というよりも、発散または精査を期待していたりします。

わかりにくいですか?もっといえば、収束される企画書に発散を求めていると。これは筋違いです。チャーハンを頼んだら、米が生で出てきたみたいな(笑)違和感です。もっとも解像度が高い人なら分かる話ですが、低いと同じに見えるのでしょう。両方「米」ですが、「炒めた米」+「出汁で味付け」等されたものということで食べたことがあれば一発で違いがわかるからですね。

そういう意味で、企画書作成とはアイデアが求められるのでなく、まとめる仕事です。が、まとめるとはアイデアの収束であるならばかなり専門的だと考えています。しかし、解像度が低い人にとってはこれは「無価値」です(笑)ここを多くのプランナーは分かっているからこそ、綺麗な資料やデザインされたもの(整理整頓された、分かりやすさ、共有しやすさ)、根拠となるデータや資料、リサーチなど人力をかけたもの、考察や切り口や視点、頭の回転の速さ・・・等々でカバーしているのかとすら思っています。もっともできる人は軽々やってそうですが(笑)

この話はプログラマならお客さん(お金を出して依頼する人)が、コーディングの価値を感じてないとか、仕事を理解してないから報酬が低いとか見積もりがどうとかという話と同様です。一方でこれらは専門家=解像度が高いから分かることで、低い=一般の人にはわからないんですね。だから低いから駄目という高い目線は微妙というか、建設的じゃないですよね。

だから、どうすれば伝わるか、上でいえば資料作成であってアイデアや企画じゃないですよねと言えるか。それはこういうことだからです。「企画書」という書類を作るならお断りですと言えるかどうか。もちろんこれはプランナーなりの考え方や仕事のとり方然りであって正解はないです。またここで言葉を尽くしたところで「伝わらない」場合もあるし、むしろ説明損といってそれこそ「連絡しない」人もいるかもしれませんからなんとも言えないですね。

ただ一つだけいるのは、解像度が低いお客さんは自分の解像度が高くなれば相対的に増えるか、または分かるようになります。そういう人と仕事をしたいとか、していくか、絞り込むかって結果的に依頼が殺到してる状態でないと「わがまま」であってきつい感じなんですけどね。そこの塩梅が面白いというか、手腕が問われるところですよね、あなたやあなたの事業がってことですよ。

考え方はいろいろあります。解像度が高い人と仕事をしていくとか、低い人とコミュニケーションがうまい人とチームを組むとか、低い人と仕事をする時のメニューを作るとか、仕事を限定的にするとか、見せ方を工夫するだけでもしかしたらうまくいくかもしれません。期待値を下げるのもありですが、あまりそればっかりやっても身を削るのでほどほどにですかね。

自分のアイデアに付け足す状態はあんまりうまくいかないかも

販促コンペネタを考えていて色々面白い記事があったのを覚えています。自分のアイデアの唯一性というか絶対行ける!いいアイデア!みたいに思い込むのはあまり筋が良くないって話です。いいって思うのは人間だし、自分が考えたから「自分すげー」でいいんですけどね。

ただそのままでは駄目で、その状態で「アイデア」を肉付けしても、骨子は変わらないですから。骨子が変わらないなら、肉付けしても変わらないというか。つまり「自分すげー」っしょというアイデアを出すことになる。これは見えてない点が多くて、おそらく微妙になるかなと。おそらくですけどね。

自分がいけると思ったアイデアをビジネスとしてやるとかもありますよね。それもいいんですよ。ただ、提案したり、自分がやるとか誰が主体かはおいておいて、結局は、自分がやればミスったり盲点を自分でケアするか明らめるかだけですよね。他人がやるならその他人が納得できるものにならないことになる。それだけですね。

じゃあ客観的に見てもらって万人がとはいわなくても、色々な人に「良い悪い」を判断してもらえればと思う人がいると思います。聞くのはありだけど、その意見をどう解釈するか、判断は自分ですからね。このあたりは感覚値であれですけど、「半々」くらいがいいんじゃないかなと。そもそも理解できないアイデアだったり伝え方だったりもありますし。あと社会的に良いことなら「反対しづらい」ですし、あなたとの関係もあるので「無下にしない」だけのもありますからね。このあたりですよね。

マーケティングとは何だろうか

これ最後にします。

マーケティングって色々言われますけど結構定義が難しいです。僕が考えた定義というか見方をメモしたのですが、

レイヤーが異なる概念や事象を観察し、検証していって、関連や仮説を立て世の中を理解するようとする考え方

自分メモから

というところです。レイヤーとは、切り口ですね。例えば目の前のビジュアル立体というか、面だけで観る人ってなかなかいないはずです。人は動くし、猫は動く。猫がいたかどうかみたいな間違い探しじゃないですけど、猫=かわいいのか可愛くないのかみたいな主観が出てくるかなと思ったり。

例えばモテたいと思ってる男性が女性に何が受けるかを考えて話していたりします。が、逆にそれを意識するがあまりモテナイというケースもあったりで世の中は面白いですよね(笑)

それはともかく、視点が異なると得られるアイデアや現象が異なります。人の違いでもなんでもいいんです。例えばセミナーをやったら講師視点と受講者視点ってあるかと思いますが、それをセミナーっていう言葉や概念から想像できるか。だから経験や体験は宝だなと思います。やってないなら分からないですから。

ここで「観察」と書いたのはその場にいることがポイントです。想像でもいいんですけどね。ただここで検証とあるのは、自分が考えたことや思ったことがどういう形であるか、ズレてないか、他の人はどう思うか、こういうときどうなるか、みたいなことを考えることです。そして、世の中の理解をすること。

長くなりましたが、自分が見聞きしたことでそこから考えて、世の中を理解すること。または理解しようとすること。だから社会や世の中興味ないって人はマーケターではないのかなと。もちろん「我関せず」って感じのポジションも面白いですけど、説得力がないし、実践もどうやってるか分からないので辛い気がします。

具体的に考えてみましょう。例えば、ビジネスとかビジネスアイデアというのもそうなります。これらのアイデアがどこかに落ちているのは確かですが、あくまで元であり、原型であり、ダイヤの原石いやただの石ころであり、もしくは誰かに守られている(笑)かもしれません。それを見つけるというのは結構難しいんですね。

つまり意識としては日常に起きることを観察する。観る、体験する、話す、見ようとする、理解しようとする、体験したことは何だったかを振り返る。そこから社会とは何かを考える。哲学とか研究みたいですけど、ほぼ一緒です。ただ高尚な言葉とか、真面目な研究手法とか要らないかもしれません。データ分析とか統計とかやる人はスルーしつつ。

例えばビジネスっていう時に、優れた起業家が考えたアイデアを実現していくことでお金持ちになること。みたいに考えている人はいるかもしれません。単なるイメージ似すぎなくてもこれらのイメージは強力です。そうすると、ビジネスというのがそうあらねばならないと思ったりします。こう考えるのは自由なんですが、実際に自分でビジネスを興したいとかやりたいとか考える時に、自分のやり方は駄目だとか、違うのではないかと思ったりしがちなんですね。なぜならイメージしているのと違うから。

一方で、クリーニング屋さんという地域に必ずあるような地域密着ビジネスがあります。クリーニング屋が儲かるかどうかはおいておいて、クリーニングを頼めばそのビジネスを体験できます。体験できる?と思った人はいるかもしれませんが、体験出来ます。正確には現場でより詳しい情報を得ること、その世界観や体験を増やすこと、想像の幅を広げるまたは現実のデータを増やすって僕は考えています。

つまり、クリーニングする衣服などが店によって異なるし、営業時間も異なるし、チェーン店かどうかもあるし、何人のスタッフがいるかとか、ポイントカードの有無とか、どれくらいで仕上がるか値段はどうか、それらのオペレーションはどうか、という情報が分かるとはいわなくても、色々考えられるわけですね。最初からこれが出来るわけでないので、クリーニング屋を理解しようとするとかそういう話かもしれません。

クリーニング屋の理解→ビジネスの理解となるわけですね。少なくともどういう課題や解決アイデアがあるから、お客さんはクリーニングを出すか。家でドライ洗濯とかしづらいからってことが大きいのと、プロの洗濯価値があるからですね。

このあたりはトレーニングに近いのかなと思いました。つまり、マーケティングといって、世の中の動きがビジネスだけでなく、様々な人の活動や仕事で出来ているとわかっていればこれらは理解が早いです。ではそれってどういうものがあるか。一杯事例があれば理解は楽ですしなければ辛いです。そして、これらの理解をすることが、結果的にこれから考えるビジネスのお客さんだったり、課題を解決したい人の想像や実際の人だったりにつながっていくんですね。

この考え方は遠回りっていう人もいると思うんです。世の中の理解って、学者じゃないんだぞみたいな。分かる一方で、手を動かしたいエネルギーがあれば手を動かしていけばいい。そういう人はどっちかというと実業家とか起業家タイプですかね。マーケターは兼ねる人もいそうですが、もっと理解の感覚が違う印象があります。仕組み的な方が、見えない仕掛けをどう観るかみたいな。もちろん、そういうタイプの起業家もいるとは思いますが。

このマーケティングの考え方なんで書いてるかというと、アイデアを出すのも、企画を考えるのも、実行するのも、何をするでも必須なんですね。なければどうなるかというと、当てずっぽうや粗いアイデアや粗い企画でもっと考えろって言われるような感じですかね、多分ですが。

言い換えれば、世の中を理解しようとしてそして学んでいく姿勢みたいな意識高い話になるんですが、根源とか欲とか色々なモチベーションはあれど、結局はもっと小さいサイズでいえば人の理解です。目の前の人でもいいですしね。その人の理解をすることが結果的に集団や社会、ビジネス自体や既存のビジネスの理解を助けてくれるかなと。

勉強というか学び方が結局は「社会」なので、ぶっちゃけどっからでもなんでもいいんですね。漫画好きなら漫画からマーケティングすればいいわけで。歴史好きならそこからやればいいというか。なぜ好きなところでいくかというと、学びのモチベーションと継続が全然違うし、面白いからですよね。

もっとアウトプット聞きたい方いれば

アウトプット自体は苦ではなく共有としてやっていきたいのですが、一方で時間も限界があると。そういう中で、アイデアが欲しいまたはアイデアを出したいと考える人、そして何か力になれないかというところで、このシゴクリをアイデアが集まる場として、良い形で応援してもられば僕もやりやすいのではないか。

そんな考えからファンクラブ形式の場をつくっています。ビジネスアイデア出しが楽しくなる場です。まだ誰もいないのでのんびりいきますが、人生100年というところを考えると先が長い話ですね(笑)良ければチェックしてみてください。

0から仕事をつくる実践記

クラウドソーシングでアイデア出しをメインにシゴトづくりを3年してきた気づきをまとめました。

企画やアイデアをシゴトにしたい人の一つの参考にしてもらえれば嬉しいです。

アイデア仕事の当選率などのデータもあります。
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