指示を出すとは自分の仕事を可視化して書き出せること

無印本と勝手に読んでいる、たまたま見つけた本が結構面白かったので、軽くメモしておきます。

読んだ本はこちら。

ざっくりした内容

本読んでくださいとなるのですが、まあ簡単かつ乱暴にいえば、無印良品を立て直した経営者の考え方として、ムジグラムという無印良品の仕事術を紹介しています。でそれを共有するので役立ててねということになります。

もっといえば、ムジグラムというのはマニュアルの塊で、それ自体はどんどん更新されていって、実際に新しい人が入ってきてもそれによって教育出来るのはもちろん、可視化されることによって「仕事の目指す方向やズレがなくなり、共有しやすくなる」ということなどが書かれています。効率化とはこうするのだというお手本みたいなイメージですかね。

僕が買った理由

効率化というとか、ライフハックとかのビジネス書はたくさんあるのであえてこれを選んだ理由ですが、どちらかといえばマニュアルとかよりも、ちょうど仕事で「人に指示を出す」みたいなことを意識していたので、その流れで買ったと思います。

そういう意味では、人への指示が出来るとは当然かもしれないですが、

  • 何をやるかが明確になっている(紙に書ける)
  • 人がどの程度の理解をしているかを把握している(レベル感の確認)
  • 闇雲に伝えるのでなく論理的、整理して伝える(これやって、あれやってでなはない)
  • 可能なら、前後の文脈として「なぜやるか」「こうなると良い」などの情報を伝える(人のモチベによるが、やる気が出るかどうかもある)

くらいかなあとか思っていました。実際に可視化したり、手順化したり、自分だけで回さない=仕組みというのが意識されるかどうかで大分違うかなと。

例えば、仕組みとは見えないことが多いので、あなたの仕事が結果的にこうなってああなってこうなります、どうですか?というところですよね。レンガ職人の話みたいなものです。ここで仕組みとはやったことがそうなっていくんだという想像とかに結びついて、ということは逆に今はこうなっていないといけないのかな?という逆算にもなりえると。仕組みとはそういう意味で全体とも言えるかも知れません。

上の考えていたことがわりかし補強されたし、じゃあマニュアル作ればオッケーみたいなことではなくて、適切な可視化はやはり効率化に貢献するって感じでしょうか。

読んで感じたこと

これはざっくばらんにメモしておきます。実際に何か本を読むときはなんとなく読むことはかなり減って、こういうの役立つかなあああああとかそういう「ふわっと」した意識を置き(脳内に一瞬でもイメージしたらいいくらい)ながら読んでます。可能なら意識を高めるために書き出したほうがグッドでしょう。ただ、この意識をやりすぎると「自分の欲しい情報として一対一で、一問一答みたいな答えがない探し」になって逆に受け入れキャパが減るということもあるかなと思っています。

だから「置き」なんですね。このあたりは人によりけりですが、僕は置きくらいでちょうどよくて、これを規定しまくってシビアにすると「著者の意見」が「違うぞ」とかになって面白くないです。そういう意見もあるのかくらいでそこはいいよね、そこはどうかな?くらいな感じで読むには、置きかなと。

一問一答みたいな感じにしちゃうと、アリバイづくりみたいになってまあ本が面白くないですよね。まるで何か引用するだけの素材集みたいになるというか。そう読むとインクだけ見ているというか(笑)著者の考えというところにたどり着けない感じがします。かなり感覚的ですけどね。

自分の仕事がなくなると人は怯え恐怖を感じる

ちょっと長いですが、メモとしては以下。

・今やっていることが、店長が品出しレイアウトや受発注考えて、わっしょいみたいなことがあったとして、それが店長のシゴトだと考えている
・でも、実はそれはかなりマニュアル化できて、例えばある商品はこうだすといいからそうしてください、と考えるリソースを削減して「マニュアルから考えられる」ようになる。
・すると店長は仕事と思っていた、つまり「仕事が減る」ので、他のことができる。
・ただ、本来やってきた仕事がなくなるから「怖く」なる。自分は要らないのではないかと。
・実際に組織においてその人がいないと駄目状態は、組織的にNGといえる。代替があって、しかもかつその人がいなくてもまわるのが組織というか仕組みがあるってことだから。

(自分メモから引用)

例えば仕事ということで、店長業務みたいなのがあります。店長って何やるかというと別に偉そうに指示出して終わり(笑)でなくて、店の売上管理から、スタッフの配置、店に対して全責任を負うといっていいでしょう。そういう人が例えば、商品の品出しをしてレイアウトを考えてこれが「売れるレイアウトだ」みたいなことをやるのは駄目ではない。

しかし、それが仮に店長の仕事としてあるとして、それってマニュアルによって減らせる、少なくとも1時間やらなくても、マニュアルと10分くらいで出来る。店長でなくてもしかも出来るようになる。

こうなると店長のレイアウト仕事が消えるよねということです。そうなると、多分怖いんですよね。店長は。私の仕事がなくなるのかと。

あなたはどうでしょうか?自分がやっている仕事がなくなる、やらなくていいよといわれたら?多くの人は「仕事やらなくていい=やっている人の否定=人格または存在の否定=自己否定=要らない=社会的に無価値」くらいいっちゃいそうです。とくにプライドが高い人ほどこうなるでしょう。真面目な人も危険です(真面目な人は自分のことを真面目とは思ってない人が多いです。僕は人から真面目と言われるのが嫌だったので言われないように振る舞うくらいです(笑))

そうなると人は反抗します。私の仕事は価値がないわけではない。レイアウトをすることで売上がキープ出来ている、スタッフも喜んでくれている。残酷なと書くのが適切ですが、仮にこれをマニュアル+新人10分でやったとして、A/Bテストをやった上でどうか?みたいなことを考えられればまだましです(それを現場である店長が受け入れない、妨害する(笑)のは多分ありえます、もちろんそうでないところもあるでしょうが)。仮にA/Bテストを受け入れたとして、店長がやるケースとマニュアルでやるケースでほぼ結果に差異がないとしたら、店長にとどめを指すことになります。

だからこそ、心理的安全というか、店長がやる仕事ってなんでしたっけ?という問いを出していって、仕組みづくり、良い環境で働くという裏方であり、補佐でありサポートであり、水面下で動くみたいなことで、どーんとやる感じではないのではないかと。つまり、店長も間違えてもいいし、失敗すると。そしてそもそも「スタッフがやれることを代理でやる」のでなく(ヘルプ必須なら仕方がないですが)、そうならないような仕組みを整える、制度やフォローの仕方、スタッフ間のコミュニケーション、気持ちよく動いてもらうことを考えるための時間を「浮いた時間」でやるというのが本筋ではないか。

というところなんですよね。ここまで行くのに多分時間がかかるのではないかと思いませんか?だからこそ無印も単純にムジグラムぶっこんで終わりとかではなく、少し時間がかかっています。数年規模だったかなと。当然ぼーっとみているのでなくやりながらもですよね。人が変わるのは時間がかかりますから、結果的に組織が変わるのも時間がかかります。

最後のメモは、店長=自分がいないと駄目という、先程仕事が属人化していることに価値を見出す話です。友人的にいえば属人化していない組織なんてないというのは確かにと思いつつも、強固に立場や仕事にこだわる=仕事を渡さないとか自分だけしかできないと世界が狭くなるとやばいでしょう。組織とは店長Aがいなくても回る、他の店長がやるから、現場スタッフでも回せるというのが組織なんですよね。この時、組織と個人の違いを考えるとよく分かります。個人はその人が、その人しかですが、組織はその組織なら一定の期待値が保てるしやってくれるということに他なりません。

ちなみにこの私でないとやだ、とか私らしい仕事をしたいという人は、組織では属人化をよりしやすいと言えますし、個人でやるなら個性を出しやすいとなります。ただ私らしさ、自分らしさみたいなのってかなり怪しいというか、結局作られたものを混ぜ込んだものくらいに僕は思っています。だから僕はオリジナルであるとかって言葉は使わなくなりました。とくにアイデア出しを仕事としてやると、既存の組み合わせですから、「私が作りました」とは言い切れないです。まあときには盛ることも勢いですが、盛るだけと思われても癪ですから、ほどほどですね(笑)

人のこといって自分に言及しないのもちょっとなと思うので(笑)ちなみに、僕も「君、今日から来なくていいよ」ということを言われたらそりゃ凹みますよ(笑)ただ、一方でそういうところを見抜けなかった自分の間抜けさとか、愚かさを呪うという感じがあります。ちなみに何度か書いているかもしれませんが、一日派遣バイトみたいな軽作業とか色々登録制バイトをやったことがある人は分かると思いますが、なんともいえない消化する感じの仕事観があるなと思っています。もちろん知らないもの同士がドナドナされて連れて行かれる感じとかって当たり前ですがかなり不安です。システムが分からなかった僕はおそらく初の引っ越しバイトをやった時にそれらについて「良くわからないのですけど」といったら、鼻で笑われました(笑)「君たちはコマである」という感覚だけが未だに残っていますね。そういう現場はお互い様というか、人が欲しい企業とそこを集客?して送り込める人材会社がいて成り立つわけですね。まあ脱線したのでここらで。

店長はやはり抵抗をする

・その店長は仕事を減らすだろうか?というのが多分ポイント。ここで抵抗するのは多分ある。本書には提案書はA4一枚でっていったら、A3を縮小したり、A4に束ねていくような何かで抵抗という話がある。笑い話に聞こえるけどそれが現場だし、実際だと思うし、多分心理なんだと思う。

・で、そこを踏まえた上で断行するくらいでやっとどうかって感じが実際かなと。

・じわじわと店長が違う仕事、つまりそういうレイアウトは任せられるから、出店戦略だとか、新しい商品をどう企画するかとか、それこそスタッフのサポートをするとか、働きやすくするという方向にいけるかどうか。

(自分メモからの引用)

上にも書いた通りでやや繰り返しになりますが、僕は面白かったのはこういったマニュアル化により人の仕事が変わることで、その変化にスタッフがついていけるか、変えられるかということなんだと思います。しかも、当然それは業績を上げるためですから。しかも色々やって変わらなかったのにまたかみたいなあきらめみたいなのがあるかもしれませんしね。

提案書の例がまさに本に書かれていた顕著の事例です。A4一枚にまとめて分かりやすくしていく、会議もそれに従って無駄がなくなる。ということをやろうとしたら、A4一枚を大喜利みたいに色々広げたり、それは無理だからできないみたいな意味で抵抗してくるという話です。笑っちゃうかもしれないですが、現場やそのスタッフにとっては本気なんでしょうね。そこを受け入れずに駄目だと、変えろと。断行するにはトップダウンですね。

当然組織改革みたいな話だけでなく、はやりのAIにも

このように店長一つとっても、マニュアルによって効率化されて既存仕事が減少して、その後違う仕事へいけるかって、AI然り、効率化した場合になんでも起こりえると感じました。あとこういう話はたくさんあるし、今後も増えていくのかなと思います。

また一方で在宅ワークを認めたら色々と問題が起きたとかもアンチパターンも出てくるでしょうし、あることがどこでもいけるみたいな有能なものってなかなかないと踏まえつつ、試してどうかという姿勢に慣れていくしかないのかなと。

僕もですが、いきなりやれと言われたら反抗したり抵抗しそうです。でも、なぜやるか、どうしていきたいかを伝えていく。それを通して少しずつですよね。やっていくわけですね。これは別に大きな話でなく、仕事を誰かにやってもらうのでも手順があったり、伝え方があるだけだなと。それによって何を見るか、どうしたいかの話でしかないかなとも思います。

今まではこうだったからは前例主義過ぎますし、ただのサボりかもしれません。とはいえ前例の意義があるならそれを踏まえつつ、そうもいうなら、やってみるかというところまで粘っていってどうかというのが実際でかなり泥臭い話でもあります。

どうしてもやだなら辞めてもらう覚悟みたいなのがいるのかなあと。それくらい、人って何かを変えるのはしんどいのかもしれないですね。

努力の方向を間違えない

努力の仕方という話があって、メモしていたのですが吹っ飛びました(笑)簡単にいえば、努力したけど出来なかったというのはまずいという話だったかなと。

努力というのはかなり曖昧な意味合いです。例えば逆上がりを鉄棒で出来ない人が出来るようにする場合、努力ってなんだと思いますか?

例えば、逆上がりをやれるように努力する、とかは最悪だという話です(笑)最悪というのは、それは努力といっているが何も変わらないし前進してないし、そもそも何をやったかが分からない。検証可能で、何が問題かということをまず出さないとまずいからです。

一方で、逆上がりには一定の運動神経として三半規管などバランスなどが人並みにあるとか色々あるかもしれませんが、足を勢いよく蹴って上にあがってその勢いで回るという感覚がないと、多分途中で止まるんでしょうね。逆上がりを教えたことはないのでそこは適当に受け取ってもらえればいいのですが(笑)、ここでいう努力ってなんだろうということです。

問題が何かが分からないと、まず何を直せばいいか分かりません。先生や指導者からアドバイスがあればそれをやってみる、出来てない点をイメージする。その克服法を教えてもらう。その方法A、B、Cなど選択肢があればより良く、それぞれやってみる。Aも駄目、Bも駄目、Cも駄目ということで、駄目でしたなら努力して駄目だったといえる気がします。

つまり努力といわれるのは「努力をしたかどうか」は意味がないので、「何を問題だと考え、その解決法を考え、どれを試してどうだったか」という言い換えが適切です。つまり努力という言葉はここで消え去ります。次に、どうだったかも短期間でなければ、「実はA,B,C試すなかで見えたものがあった。それは足だけでなく両腕の固定があまく、伸びてしまうことだった」というのが分かれば次は両腕を締め気味にしてやるというのが見えます。こういう成長が見えたり、分かる点があればしめたものです。その繰り返しで、目標である逆上がりをするに近づいていけばいいわけです。

長くなりましたが、努力としてやったことやその選択肢や手法、方法が大事であって、それをやってどうだったか。そしてどうするか。それができているかどうかという話でした。努力という言葉を使って、それが「一連の方法、検証、問題点の列挙、解決策の提示、その後の進捗」みたいに捉えている人はいいのですが、あんまりいないと思います。そういう人は努力という言葉を使わず上のように別の言葉を使う気がします。逆に「努力が」という人は、努力の詳細を知らないか、または努力という精神に頼りすぎている気すらします。

僕の刺さった部分はそんなところでした。仕組みづくりをしたい人が読むとある程度参考になるかもしれませんが、上の気づきから、結局提示しても説得ではないですが粘りと時間がかかるし、さくっと何か変えるものを期待するなら無駄だと思います。なんでもそうですけどね(笑)

どちらかといえば僕は仕事術として仕組みとか伝え方という点を意識した結果、やはりまあコミュニケーションしていってどこが伝わってないか、またはリソースが許すならばどこを突けばより伝わるか動きやすいか、「ここは分かりますか?」「ここまでいいですか?」など確認を多くするとか、現在地の確認だなと。

大分話は変わりますが、明示化されたマニュアルは実は何か仕事をしたら「こうしたらこうだった」「こういうときはこうだった」みたいな脳内マニュアル、自分マニュアルみたいなのがあると思っていて、それを人に言うと「仕事術」なんだろうとも言えそうです。その自分マニュアルをアップデートしていく感覚が楽しい人は多分ビジネス書をたまに読んだり、人の知的生産術とかを読むのが好きなんじゃないかと。僕はそういう感じです。

一方で自分マニュアル(自分の取扱書というではないですよ)という仕事マニュアルがないとか、あまり意識してないと色々な仕事術なりやり方を取り入れて失敗するのかもしれないですね。失敗というか何があるか分からないから何を入れてどうなるかも分かりづらいというか。

 

おわりに

若干読み方が素直でないかもしれませんが(笑)それはおいておいて、仕組みづくりってやっぱ粘り強さだなあとか当たり前のことを確認できたのが良かったです。

また仕事術としても、人への指示の出し方、マニュアルというものへの意識とか、実際はそういうことで困ったりしないとあまり本書は役立たないかもしれませんが、これやればいいとかでなく、ぜひ自分なりの考えをぶつけつつ読んでもらうと面白いのかなあという感じです。

マニュアル化するには、全ての仕事を洗い出す必要があります。これってある人には快感ですが(振れるから(笑))、ある人には「この書いた仕事をやる人が出たら自分要らないじゃん」という恐怖なのではないかと思っています。不安とか。

少し違いますが心理学で人の考えていることが分かることはないですが、傾向やパターンがあったりするわけで、それを見抜かれたくないというか、見られたくないという人もいそうです。閉じているといえば終わりですが、考えを伝えることでコミュニケーションをしていくというのがないと、さすがにこじ開けるのは大変です。だから上で心理的安全とか、大丈夫ですよというのが大事なんですよね。

自分が開示したら相手が攻撃してくるよね、みたいな経験をされている人は結構いそうです。開示した相手がまずかったのでなく、開示すると人は攻撃するんだという経験になってしまうことですね。

仕事=人格みたいな捉え方が多い、そうなると自己開示からのコミュニケーションとかとも大分通じるものがありそうだなあということですね。何か根拠があるわけではないですが、多分自己開示がうまい人は、他者開示もうまい→その経験値によって適切な伝え方ができる→スムーズなコミュニケーションができる、という気がします。

今回はそんなところです。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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