すぐやること、すぐやらないことのバランスで成長する

今回は難しいことをあえてやるという意味を考えてみます。

ある本にあったあえて難しいことをやることで、信頼を得て技術を得てそこから仕事を得たというくだりがありました。ある種の修行的アイデアですが、多分ある程度有効ではないかと。

ここではもう少し解釈して、目標設定をやや高めにして自分が伸びる(ストレッチ)ところでいけるかどうかみたいな話をイメージしてみてください。

簡単なことで何か進むのか?

かなり主観的ですが、簡単なこと、普通、難しいこととある場合、多くの人は簡単なことをやろうとします。ただこの難易度評価自体がどういう形でつけられたかですよね。

ニーズと供給から考えると、

  • 簡単なこと、誰でも出来る、数が多い、ニーズはあるし、供給もある
  • 普通のこと。少しだけ難しい。簡単なことに比べて、供給が少ない。ニーズはハテナ。
  • 難しいこと。難しいためやる人がいない。ニーズは少なく、供給も少ない

例えばイラストレーターの人で、ある種の表現技術があって、その技術を使う人でないと描けない絵があるとします。分かりやすくするためその人しか描けないとしておきましょう。

この場合、難しいからなかなか真似して技術レベルをあげてきて同じことをする人がいません。もちろん多くのニーズがあるのでなく、ただその人へ依頼すれば一定の値段になるけれど、仕事としては十分な量だと考えます。この時、この難しいことのチャレンジはグッドだと言えますよね。

一方で簡単なことは、たくさん人がやれると思うし、価値が縮小均衡していくイメージです。いつか破裂というかより簡単になり、意識すらしないレベルになるかもしれません。

普通のことは普通です。ただこれは簡単になるか、難しくなるかのベクトルがあるかもしれません。

難しいことをやろうとすると、成果が出ないとかニーズがないからといって諦めがちですが、そこを耐え抜いたり一定の粘りを見せると次の仕事が舞い込むのではないかと考えています。

自分が出来ることばかりをやっていては成長はない

まさにこれです。

自分が出来ることだけだと背伸びがないので成長がありません。成長がないということは・・・何度も書いてますが死あるのみです。

難しい難問で、誰も解けないみたいなことを考えるのではなく、ストレッチしてこれはやってみたらどうなるか分からないけれどみたいな設定です。まあこの設定が難しい。目標設定の難しさはここにあるのですが、適した設定を教えてくれることってまずないですね。感覚的です。120%とか、背伸びとか(笑)まあ、でも自分で設定を色々やってどうかというところですよね。

難しいことをやっていくと勉強をすることになります。勉強って教科書を読んだりみたいなことでなく、自分でテーマを決めてこれをやるとあれが見えるかも知れない。仮説検証ってことです。

簡単なことではないので、より徹底的に突っ込んで、深めにやります。さらっと勉強するのが駄目でなく、ストレッチして伸びるためには負荷が必要でしょう。

すぐやること、すぐできないことでバランスを取る

成長のために筋トレしまくってというのもありですが、限界があります。ストレッチする分も突っ込めば簡単に「限界だから無理」となるわけです。

そこで、すぐやることというのは、モチベーションの維持とか手応え、嬉しさを得るもの。つまりすぐ見えることで快を得ます。一方で、すぐにできないことはストックして考えて、ためをつくる。踏み込みです。こっちがストレッチに近い。

伸びるためには溜めが必要です。とはいえ溜めてばかりでは、感情としてつまらないし、動きが実感できないし、エモくないのですぐやれることをやって手応えを得ます。

この考えは、ある種の目標設定=すぐできないこと、として、すぐやること=アクションリストとしてすぐやれることを2,3出してやることとほぼ一緒です。というか言い換えたといってもいいでしょう。

さらにいえば、

  • 難しいこと=すぐできないこと=溜めが必要=目標設定=ストレッチして目指す=ストレスが溜まりやすい、飽きやすい
  • 簡単なこと=すぐできること=手応えが得やすい=結果が分かりやすい=嬉しい、楽しい、すぐ終わる

という感じです。

もちろん世の中には難しいものだけどすぐできるとか、簡単なだけどすぐできないとかってあるんでしょうけど、そこはスルーしておきます(笑)

ここでは難しいことをやることでストレッチしてそこから人と違う道だったり、よりユニークなことに磨きをかけていくという話になります。差別化ではないですが、簡単とか普通の中に埋もれない、とんがった存在にこうすればなっていくだろうなという感じですね。

気づくと出来ることしかやってない

ふと思ったのは、人は鍛錬というか練習すれば上達します。だからそのうち上達すると、今までの負荷が気にならなくなってくる。先回書いたような無意識レベルになるので楽になる。ハイになれる。

そうすると意識的に振り返ると「簡単なことしかやってないぞ」(以前はそうではなかった)となります。成長とはそのようにしか感じにくいのかなと。あとは普段あってない人と再会したり、初対面の人に言われることなどでアップデートを確認できたりします。

だからこそ、意識的に難しいとか今できてないことをステップアップとしてやっていく。これが成長理論ではないかなと思います。単純になぜあえて難しいことをやるかですが、より高いことをやれると楽しいし充足感があります。また単純にエモいというのもあります。今までできなかったことが出来ると世界が広がります。

ついでに、難しい課題を解いてくれてそれで感謝されることがあります。医学の研究とか、食料技術とか、化学的な物質とか、そういう研究ってまさにそんな感じですよね。ここでは別に研究者になれということでなく、自分のシゴトづくりにおいて、より高みを目指していこうという視点です。

目線が落ちると足元だけみて満足して終わります。それはそれでいいですが、楽しいと思える自分を感じられる=メタ認知が出来るなら、それを見て楽しいといって巻き込めるはずです。同様に、自分がより成長すればそれに合わせて周りも成長していくという循環も出来るはずでしょう。

そういう意味で、難しいことというのは唐突な設定ですが、課題をより高いレベルにしたり、自分の今までの知識を総動員したり、全てのパワーをぶつけて動くかどうかみたいなこともたまにはやってみたり、そこであきらめずまたやってみるかと試してみる。何度も何度も動くまでやる。

ええ、失敗なんてなくて、全て成功のためのフィードバックですから。踏ん張りましょう。

おわりに

難しい問題があるとき、これは簡単ではないといって明らめることが出来ます。僕も明らめることは多いのではないかと思います。

一方でそこであきらめず保留する。一定の検証はした、振り返りもした、仮説も再度見直した、試している。が、どうも動かん。

そういうときは別のことをやったり、また来るわといって出直したり。そうやってリズムを変えることで思わぬ隙間やチャンスが見えるかもしれません。ポイントは「難しいなら明らめる」とかその場の対応だけで決めないということですね。もちろん即断出来ることもあるわけですが、多くのことってぶっちゃけ分かりませんから。

もちろん逆もあります。簡単でできるとおもっていることができないとかもですね。

差別化するとか、人がいないところで戦っていくというアイデアは面白いわけですが、その場合難しいことをやる。自分ができてないことをやっていくことでその難しいことをやりきる景色が見えたら、おそらくあなたをほっておく人はいないでしょう。誰かが必ず見ているとは保証しませんが、次につながるし、何かしら気づきを得るはずです。

自分にあえて負荷をかけて成長を得ていく人というのはだいたいこんな感じでバランスを取っているのかなと想像しています。

今回は以上です。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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