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学びは本来楽しいし、面白いからもっと楽にやっていったらいいのさ

色々書きたいネタはあるのだけど、やはり学びに対して、それとAIの関係性とかかなと思ったのでそこらへんを書いてみたい。

学び、知的好奇心、楽しむはより大事になる

何度も言われているような、そして書いているような気がするのだけど、やはりそこに着地する。

人がなんで学ぶのか?に答えられる人は少ないと思う。それがとくに学び=辛い、強いられる、やりたくないならそうなる。だから、やりたくないテスト勉強があって、それを避けられるなら避けるみたいな感覚があれば、「学びたくないよね」「AIに任せたい」となるわけだ。

話はそんなレベルではなくて、そもそも学びってめちゃくちゃ楽しい。面白いことということ。その前提がないと、話が噛み合わないので、そこをまず前提としたい。

AIが教えてくれることは普通にありえるし、うまくAI教師として使えば良い。だけど、それは人が学びたいから、人が楽しいと思うからがなければ始まらない。当たり前なのだがそれを忘れて「学び」とかは意味がないわけだ。

人が、自分が、あなたが、学びたいなあ。面白いことをしたいなあ。楽しいなあ。というのがあって、「AIにこれどうしたらいいか」を聞いた、それで返ってきたらからそこから学べるわけだ。

それがなくして「AIがこういっていた」からでは無批判、盲目的で、何も練られてないので血肉になることはないよねという話なわけだ。

AIがーというところだから、人がなんで学ぶか、いや楽しいことをしたいか?その理由を知りたい人は多そうだ。けれどもそれはあまりなくて、そうしたいからでしかない。理由がなくても動けるのが強みというか。むしろ仮に理由をつけてしまうと、モチベーションが消えるかもしれない(お金を与えるとやる気がなくなるみたいな)。

今、まさに自分が学びたいとか、面白いことをしたいとか、楽しい、これが面白いというのがあれば至って正常じゃないかと思う。それがないとかなりしんどい。AIも活かせられないし、AIに使われる。それはAIに代替ということになるのだけど、そもそも知的好奇心度が低すぎる(高くあらねばというのはプレッシャーだから)のかもしれない。

低すぎるとは、自らやってみたいとか、チャレンジしていない具合が高いと言ってもいい。体験をしていれば疑問が出てくる。問いが出てくるからだ。頭が良いとか悪いとかでなく、単にやってないだけ。ということが多くの場合で、色々こじらせるとまた出てくるかもしれないが、それは一旦スルーしておこう(笑)

正解がない中で走れるかどうか

歩くでもいいのだけど、正解がこれというのがないと不安でしょうがない人が多い。そういう人がつくった社会は、正解を散りばめるし、マニュアルでこれをやっておけばいいというようになる。最適解というのも近い。最適解だとそこばかりで、安牌というか、これでいいでしょ、という押し付けになってくるまである。

押し付けられるとそこは不自由というか、自由というのもおかしいけど、これをやっていれば間違いがないよね、というある程度絞られた枠に落ち着いてしまう。それを狙っているからいいのだけど、最適解=マニュアル=間違いない、となって、チャレンジはしなくなる。予定調和とっていい。

正解がないとは、まさにそういうものとは一線を画すものだ。やってみないとわからないし、やったものが良いかもわからない。不安だ。だけども、正解がある方が少ないし、そもそも正解がわからない中で歩く、走るが普通というか。

ある答えAが正しいということもあれば間違いということもある。人によって、文化や社会や地域によって異なる。だから面白いというか、そこに可能性を見いだせるかどうかなんじゃないかと思う。

正解がある中で歩き走りたい人は、それだけで不確実性や変化に弱くなる。また学びの必要性も薄くなるので高めることをしづらいのだろう。そこにAIが入ってくると、学びがなく、変化に弱いのでなかなかにしんどくなる。今に始まったことではないのだが、既にそういう兆候あった。

それがAIで顕在化しているだけだ。AIでなくても何かでそうなったのだろう。AIが悪いということもなさそうだ。

学びを楽しんでやる

学ぶって楽しいものだ。ということを改めて最近痛感した。1日何か学んだり気づいたりしないとなんかつまらないと思うようになった。なんでもいいのだ。学び=高尚な学問的見解、ということでもない。深さがなくてもいい。土管がドッカーンというネタを見かけて面白かっただけでもいい。そんなものでいいというか。そこでオッケーを出せればいいというか。オッケーを出してしまおう。

楽しいなら、燃費はいくら悪いとか、人からどう言われても楽しいからー関係ないしー(笑)で続けられる。最強なのだけど、そこを評価せず、人がどうとか、なんか資格がどうとか、あと趣味だからとか別にそこで逃げなくてもいい。そんなのどうでもよくて、自分が楽しいでいいということだ。仕事が楽しいでもいいわけで、なんでも楽しいならいいというか。

当然楽しい?ふざけるな?という人もいるのだろう。楽しいという要素を理解できないという人もいるのは想像がつく。根が真面目といってもいいのだけど、クソ真面目では困るというか。

そもそも、面白いな、どうなってるんだこれ?というのがなければ、僕はやる気が起きないし何か書いたり伝えたりはないのですと。そこだけでしかない。それを上回る何かがあるから学んでいる。それだけだ。

それは基本であり、学ぶとか楽しむとかってそういうことなんじゃないかと。そこをAI時代では忘れがちだ。でも、AIがどれだけできても人が楽しくないなら、AIも使わないし使いこなさそうとしない。そのあたりを忘れている人は再度考えてみても良いと思う。

もっとくだらなくてもいいし、楽というか思いつきでいいというか。楽にいこうよと。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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