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自分の意見と情報などの説明バランスは、かなり調整がいるのだろう

ある方が、自分の意見とかを出さずに、情報を伝えるみたいなことを書いていた。

確かに確かにと。

自分の意見を出す場ではないとか、そこを求められてないとか。それは立ち回りとか、色々あるわけで。それが正解でもないけど、まさにそれが考え方。

もちろんその考えがずっとそれでいいとも思わないのは、意見が求められたら言わないといけないとか。そこで止まってしまっても困るというか。

一方で、その人の主張を高らかに言われても困るということもある。確かに・・・。とはいえ、「ある情報はこうでー」と言われても「で、あなたの意見は?」と反射的に僕は感じてしまう。

これも正解はないのだけど、いきなりぶつけられれば困るが、こういうのがあってねーとある程度情報を共有して説明。そこで慣らしておいて、これという意見を伝える。というのが論法というか、伝え方として妥当なんだろうと感じる。

それを絶対しなきゃいけないわけでもない。
自分はこうなんだといってから、こういうことがあってねでもいい。それは伝え方だけなんだろうなあと。伝え方だけでもあるが、伝え方が色々あることを知らないといけないし、このあたりはさらに奥が深い気がする。

あくまで感覚だが、

だからバランスになる。

最近気付いたのは、そのバランスが悪いと情報寄りでなんかつまんないな、固いなと。また意見寄りだとちょっと情報がないのでもうちょっと説明欲しいとなる。自分が出来ているとも思わないのだが、人の言葉を聞いて感じやすい。

そこで、情報よりの人が自分の意見(どこかいったのが良かった程度の浅さではなく)として考えをぶつけてくると面白い。僕は深いとか浅いとかいう言葉は実は好きではないが、表現として、「全ての人がその人の心にあるものを全て出す」というのも疲れるだろう。分かる。だから、その度合いとして、たまに出ないと、心伝わらないよなという感じ。だから面白いのと同時に嬉しさを感じる。

逆に、意見寄りだと(こちらの人のほうが少ないかもだが)、情報が弱いのでもうちょっと説明がいるかもしれない。初めての人にそれ伝わる?とかだ。初めての人向けでないならそれでいいわけだが。

どちらも大事なのは言うまでもないことが分かるが、関係性があるなら意見寄りでいいわけで。また相手と共通趣味として情報があるなら端折れるわけだ。そこらへんが関係性、とくに社会関係というところのスキルなのかもしれない。ふと思っただけだ。

一定程度の情報を伝えつつ、説明として。とくに初めての人が聞く前提というのが必須かもしれない。僕も忘れがちだ。今この記事を見ている人は主張が強い人みたいな感じも受けるのはわかるが、色々な書き方と記事があるのでそこは一旦無視することにしている。という意味ではメタ認知した上でやっている。

意見のみだと良くわからないし、そう思ったんだね、で終わってしまう。相手が想像したり共感までいかず「ふーん」「へー」となる。人はそこを共感したり、考えるから、それで違いや同じところや色々発見や気づきや学びがあるから、会話や人と話すのではないかと思う。それが全くない、同じことを全く同じように繰り返す、または理解できない、なら話をしていかないのではないかと。

いずれにせよ、難しいことではない。ただそれが自然にできるかはまた別。シンプルに自分が思ったことを伝えることが「難しい」のだ。それは自分と人が違うから。だから短くすれば伝わるわけでも、長いから伝わるわけでもない。

面白いのでもっと詰めていけるといいかもしれない。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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