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自家発電し人と話し着火していく。そして作りたい未来をつくるのだ

結構大事な気づきなので、書いているけど、ここでも書いておきたい。

着火していく

これは別にサボったりでもなくやってないわけでもない。

ただポッドキャストもそうだけど、何か発信していく。そのパワーがあるのだから、もっとやれるということになる。少なくとも、ポッドキャストをずっとやっていくだけの体力、ネタ、伝えるパワーはわりと結構慣れてもあるのだと。誰もができるわけではない。慣れれば簡単だが、慣れる程度にやれない人も多い。

それだけではない。様々なアウトプットをしている。それで満足しているわけではないが、足りないのだ。着火できているのだろうか?

どうやら、アイデアを出すところで満足しているのではないが、そういうことが長く続くと、既視感がある。「出すところで終わっていないのか」というところだ。それを望んでいるのではないが、出した後に着手しないと、永遠に形にならないのだ。

最も自分が嫌うとは言わないのだが、アイデアだけになってしまう。それによって自己都合で良いのだけど、自己満足になってないかと。そこまでストイックに言わなくてもいいし、思ってはいないのだけど、確かに結果が全てと見るなら何も形にしていないのは良くない。

着火とは僕の心の火が消えたわけでもない。病んでいるとかもでない(笑)ただ、足りてないなと。自家発電できる自分が稀有かは正直わからないのだけど、懐に飛び込んでいって、どうかは多分できるのだ。人は嫌いじゃない、相手が嫌ってくるならわからないのだけど、それなりにやってきた(笑)自信がある。

そして、自家発電できる使命とはいわないが、ならば誰かに発電やエネルギーを与えるというか、ノブレス・オブリージュとは大学生の頃に誰かが言っていたが、彼は元気だろうか(笑)それをやらないといけないわけだ。別に貴族でもなんでもない、平民意識なのだが(笑)

できるのにやらないのはイクナイということだ。それだけだ。確かにそれは全くその通りなのだ。

人に会う、話すだけでも違うのだ

パワーが足りないのだろう。僕は多分あるのだ。自家発電できるから、無限にあるといっていい。アイデアも、ネタも、アウトプットも、課題も、仮説も山程ある。それなのになぜやらない?と言われたようなものだ。

誰かと話す。その人に良い影響を与えられるかはおいておいて、多分それはできるのだ。小さなことでもいい、ちょっとした「ドリンク美味しいですよね」というナンパではないのだが(笑)そういうことでいいのだ。ちょっとしたことでもいい。

ちょっとしたことでもいいとは、ちょっとしたことだけをやればいい、それだけをやっていればいいとは違う。明確に違うのだ。ちょっとしたことをやれるということは素晴らしい。ならば次はもうちょっとしたいこと、ちょっとのこと、これやってみたいこと、どんどんアップグレードしていけばいい。

話すもそれがある。誰かと話すことで、なんでもいいのだ。雑談でもいい。なんかスーパースピリチュアルなのだけど、こう思うんすよね、どうなんすかね。それがいい。そういうのがいいのだ。語りといってもいい、それがなくなっているのかなと。

自分なりにオンラインでそれができると思いこんでたのだけど、どうも試行錯誤の中ではやはり足りないというか、伝わらないっぽいと。確かに何かオンラインって違うんだよなと。とくに新しい出会いはフィジカルであり身体性がいるよなと。その後ならオンラインでもいいわけで。大事な話は多分フィジカルがいると。多分だけども。

ならば、話をいていけばいい。何を考えどうしていきたいか。別にそれを迫るとか、詰めてどうとかはない。威圧とか、圧力とかもない(笑)その人がどう感じるかまではコントロールしないし、語弊もあるだろうが、そこも恐れずにいえば、ひとまずぶつけていかないと、相手も本気にならない。こちらがまず示す。本気損(笑)みたいなのもあるのだろうが、それでもいい。そのうえでどうかとなる。失望や残念さは当然残るし、悲しみもあるだろうが、その先にはとても素敵な絵が見えるのだと思う。既に見えている錯覚がある(笑)

何を望み、叶えるかは人それぞれ

であれば、自分が叶えたい見たいものを作っていけばいい。そこに気付ける人がどれだけいるかなんだと思う。分かっていてもやれないとかもある。でも、分かっていてもやれないとは、やりたくないことが分かっているだけかもしれない。または分かっていないのかもしれない。やりたくない言い訳を発動しているなら、それが真実だ。世界は別に変わらない。

変えるとは、世界が客観的な世界が変わることではない、と思う。認識の話だ。

良いことがあれば、世界が輝いて見える。逆に悪いことがあれば、世界は最低だなと思う。そんなものだ。そういうものだからこそ、自分が生きたい社会なり、見たいものを作ればいい。

誰かに遠慮して言わないとか、誰かがやってくれるでは遅いということがある。同じことを全く似たようなことをやるなら蹴落とす(笑)のでなく、またダブったら終わりでもなく、やってみたらいい。実は違うとか、実は全然見方が違うとかはよくあるのだ。また同じでない、同じように見えるだけというのもあるわけだ。

社会が誰かによって作られる、不特定の何かわからないものではない。またはそういうことがあっても、感謝しつつも、なんだろうか、一言でいえば、自分が見える範囲でも何かやればいいということになる。そのやってみたい、何かがあって、または何かをやる時、人は判断するし、動く。

着火もそうだし、人と話して見るのもそうだ。世界は閉じていない、閉じているのは自分だ。そして、見たいように見ているのは自分だ。そうではない。

自分の見方を誰かにせいにすることはない、いやわからないけど、自分がそう見ていただけだと考えるととてもスッキリする。自分の視点は切り替えられるし、変わっていく。楽しいよね、面白いよね、どうですかね、だけで全く違うのだ。そんなもので、結構単純なものだと思う。

全ては準備だった。これからの仕掛けるための仕込みだった。そう思うのが最もいいかもしれない。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア採択実績数は474件。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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