編集工学研究所の安藤さんの本が面白い

友人に紹介された本で面白かったので読んでみました。

一言でいえばかなり面白かったです。

編集工学とは?

率直にいって編集工学を唱えた正剛さんの本は前読んだことがあるのですが、難しいというか、理解ができなかったですね。今も駄目かもです(笑)

ただ、僕が理解しうる範囲でいえば、要するに生命とかから始まるのですが、あらゆるものが、何かしら意図を持って選んだり、組み合わせるみたいなことをしていると。それを編集といえると。

あと工学ってのは仕組みや再現性やそれが学問みたいに言えること。実験でもいいし、検証や科学的に言えるみたいな感じですね。

そういう「編集」と仕組みがあるということを伝えるとか研究するのが編集工学だと考えています。あくまで僕がですよ。

なので、アイデア発想みたいなものももちろんですが、クリエイティブな組織作りとか、編集工学研究所は編集工学を用いるわけですが、その守備範囲は相当広い感じがします。

って意味でいえば学問としてどうかよりも、それを否定しないけれど、どこまで守備範囲があってカバーできて、かつヒントや知見として使えるかというところが面白く感じますね。

面白かったメモ

フレームワーク間を脱するにはアナロジーしかない

ミンスキーは「フレーム」についてもうひとつ重要な指摘をしています。フレームからフレームへ思考を飛び移らせるのは「アナロジー」の働き以外にない

才能をひらく編集工学 世界の見方を変える10 の思考法 kindle版、ページ55

これはミンスキーの言葉として紹介されているのですが、なるほどと。

フレームワークとは、ある種の概念や考え方です。固定概念といってもいい。またはある種の論理で作られた考え方セットといってもいいかなと。そういうある考えがあるとします。

実はこれは前数学的なネタ、なぞなぞ、謎解きですかねでやりましたよね。謎解きとアイデア出しを比較して考えるで、思考メモ的に書きました。

この時フレームワークは全てのアウトプットにはあると書いていますし、実際そうだと僕は思います。ここからも言えるのですが、例えば「謎解き」や「なぞなぞ」は、あるフレームワークを想起するような問いかけをしてきます。つまり「そのまま考える」とXという問題作成者の意図にハマります(笑)だから、Xでなく、別のYとかZとかを想起できるか?それが最大のなぞなぞや謎解きの解き方です。

ここで、アナロジーとは、類推として、他のやり方や考え方があるので、これもこのように解けるみたいな考え方です。これって、普通にある事例がこうだから、自社でもこうできるとか。そういうやつでオッケーです。ただ、この時大事なのは、自社で考えるとあまり広がらないものが、事例を持って「ならばこうできるのでは」ということが見えたり、やろうとして閃く、違うヒントが見えることがポイントです。

話としてはそれくらいですが、実際にここでの気付きは「アナロジー」くらいしか、このフレームワークを超えて別のフレームワークにいけるのがないってことです。となると、謎解きが得意な人はある種固有の解き方があるとはいえですが、そのまま見ない力、つまりフレームワークを認識しつつもそれを外す見方が身についているとも言えます。

また同時にここにアナロジーとして、違う例えや考え方を適用することが出来るといえます。例えば「疲れたら休む」という考えがあるとして、この人は「疲れたわ」という人に対しては「休んだら?」というのが自然な発言ですし、考え方として正しいですよね。ですが、「疲れた時こそ、軽い運動」という考えもありますよね。それがないと、「疲れたわ」という人に「軽く運動したら」とは言えないと。些細なことかもしれませんが、こういうのがフレームワークであり、考え方や概念と言えます。

つまり、疲れた人向けのサービスとして休ませようという前提や固定概念がある人はその延長でしかアイデアは出せないですよね。これがフレームワークの中にいる、脱せていないというわけです。

逆に「軽い運動」というのを何で知るか、ニュースでも誰かから聴いたでもいいんですが、そういう視点やヒントがあればフレームワークを脱して、違う視点が生まれると。最もこの時自分の経験として「疲れた」ら休まずに軽い運動をするほうが「より疲れない」という経験があればまた違いますよね。

アナロジーとしては、他の事例を考えるとか、類推するというところなので、例えばロードレースの選手が、走った後に乳酸を抜く?ためにレース後に軽く走るみたいなことでもいいんですよね。そういう事例や経験や感覚がどこかにあるか。または外部からその刺激を得るかってことです。そうであれば「休む」前提でなく「動く」前提でいいのではないかと。

まさにこれがフレームワークを突破する、飛び出す、脱するということと僕は理解しました。

確かにこれはロジカルでは突破できないです。ロジカルシンキングは否定しないんです。ただ、アイデアを出すとか、アート寄り、何もないところから出すとかは、ロジカルではないですよね?ロジカルではないところでは、ロジカルな考え方は面白いですが、論理が生まれてないとも言えるのでそこから何も生み出せないかもしれません。

正確には生み出してもロジカルなので、どこか見たことがあるものを量産する形となります。ロジカルはそういう意味でアイデアを出すところでは使いづらいと。ただアイデア→実現の中では使えるので、ここで大事なのはフレームワークを外す、そこからはまらないには、類推したり、連想したりってことがめちゃくちゃ大事なんだよというところです。

ロジカルには「あなた」が不在

これもしびれました(笑)

その通りで、ロジカルシンキングがNGで絶対駄目なんてことでなくて、ロジカルで行くと誰でも一緒なんですよね。

分かりやすいのは人は合理的行動を取るというもの。損があれば回避するし、得ならより活発になる。そんなことだけではないですよね?

例えば、誰か困っていたら助ける。それって損得ではない。自分が困っていて助けを求めるのも、相手に何かお返しできないなら「求めない」かというとそれも違うじゃないですか。

ロジカルに慣れていてそれで動かす、考えるのが自然だと思いこんでいると、あなた、つまり自分、個人が消失します。

では、ロジカルに慣れたら終わりというとそれはなくて、ちゃんと解きほぐせば誰でも出来ると著者は言ってます。僕もそう思います。

そういう意味で本当にスイッチ、場、考え方の担保というか、間違ってもいい、誰も正解が分からないというところを保証するんですよね。それだけです。それが出来ないからこそ、怯えてしまうと。

リスクテイクをクライアントと共有する

これも良かったです。

これはクライアントとの期待値コントロールと合致する話で、期待値コントロールは良くしていく、高いレベルならポジティブですよね。一方でネガティブでいえば、どこまでリスク取れるか、取れることを共有できるか。リスクテイクとはリスクをどこまで受容できるかってことです。

それが一緒に出来ないなら多分あんまり良い仕事はできないんですよ。良い点だけ共有したいってちょっと虫が良いというか(笑)そんなことはなくて、うまくいかない点とかここは検討ポイントですよね、というところがちゃんと共有できるか。

これは違うところでいえば、シェアハウスとか同棲とか。誰かと住むときに許せないポイントとか、苦手なところが合致するかどうかもありそうです。そこが共有できるから、お互いにそこは守っていくみたいなルールが出来る。ここがズレると結構悲劇です。意外に他人は生活が異なるんですよね(笑)

実験工房みたいな場があると面白い

これは僕の気付きとして、コミュニティというとちょっと堅苦しくて自由度がそこまでないかもしれないと。囲い込んでいる感じもしますから。でなくて、そういう実験をいつでもできるし、してもいいし、助言ほしければもらえる。そういうのがいいなと。

まあ理想ですが、少しずつでも作っていきたいですね。

正解、常識、表面的なものはNG

アイデア出しもそうだなというところで、正解とか考えてそれを求めちゃうのはNG。常識的だからもNG。深掘りしてない、表面だけのものもNG。別にいきなり深掘りしろってことでなく、表面で完結するやつですよね、駄目なのは。

本質はこの逆で、正解がなく、非常識で、深掘りするから見えないし、分かりづらい。そこをやっていきたいですよね。

環世界の話

環世界、ユクスキュルって人の話ですが、生物の見方、認識はそれぞれあるということで、例えば人間が規定した客観的な一つの見方みたいなものではないってことですね。これ八百万の神とかではないですが、日本人的にわりと相性いいのかなと。

みんな違ってみんな良いみたいなのにはなりづらいとは思いつつ、それぞれ違うって感じですよね。この感覚は面白いし、どこかで一つの客観ワールドではないってイメージはめちゃくちゃ大事だなと。

不安があるのは誰でも一緒

アート思考、つまり自分はこうです、ああですと言いづらいのは、多分それが正解でないとか、間違っていると思い込むからですよね。誰も一致しないとどうしようと。でも安心してください、誰も唯一なんてことはまずないからです(笑)

不安は一旦置いておけるかですが、自分はこう思うと主観満載で言ってみる。スタートというか話はそれからというところです。

僕はアート思考をしているといっていいのですが、では不安はないかというと、不安だらけですよ(笑)不安とか考えたらキリがないのでそこではないところを考える。というのが多分アート思考の本質な気がします。

完璧なものが出るわけでもない。でも最初のスタートでそこから突破口が見えるかもしれない。そこですよね。

出来の良いアイデアは2つ以上の課題を解決する

一気に解決するということですね。これは一石二鳥、一石三鳥という感じですよね。

もちろんいきなり出来ないわけですが、考えていくと多分出来る時がある。ここでは、良いアイデアの定義って例えば、そういう課題を一気に解決する、一個だけでなくというところですよね。

イシス編集学校は文字のみが面白い

イシス編集学校の話も結構出てきます。そこでは文字のみコミュニケーションで、情報量が不足するかどうかは、そこで補う、ある種の内面世界や考え方をトレーニングするみたいな話がありました。

例えば、先生である師範はリバースエンジニアリングして、言葉遣いや言葉からどう考えているかを思考すると。まあそうなるよなあというところです。

あと、師範がパラレルワーク、つまり色々複業しながらやっているという形態も時代の先を行っていて面白いですよね。

余白があるとアイデアは生まれる

ちょっと考えたネタとしては、余白とコミュニケーションとか、アイデアの関係性です。

例えば、ブレストです。ブレストは実は連想モードや発散モードの時は、一意で伝わることが良いわけではないって話です。これは僕の考えです。

例えば「あひる」といって、僕がイメージするあひると、あなたがイメージするあひるが完全一致することはあまりない。むしろそのズレ、誤配、誤読、ゆらぎがあるからこそ、違う連想が生まれるという、ズレをポジティブに楽しむという意味合いです。

一方でこれはズレとなるのは、お互いが異なるからであり、背景や文脈が違うわけですよね。同質化というのはこれが似てきてしまうということでしょう。

だから、遊びというか、簡単にいえば楽しんでやる、ズレを楽しむというのがめちゃくちゃ大事になるなあというわけですね。

ただ、留意として、余白でずれてそのままでは駄目で、最終的には収束して回収するか、または意味するところは伝えられるというのが大事ですよね。これはわりと一意的な感じがします。

だから、発散も収束も、ずらしも一意も両方大事って感じですかね。

あとは、映画とか絵とか言葉に比べて情報量が多いものはアイデアは生まれづらいです。ただ、映像を受けて刺激になることもあるので、情報量が多いから駄目とは言えないかなと思ったりします。また言葉で「あひる」だけで余白が楽しめないなら、あひるも伝わらず、これも受け手、伝え手で変わるので、法則はあまりないかなと。要するに知識やインプットがあって、かつぐるぐるリンクする状態であってはじめてアイデアって出やすくなるし、出るのだろうってことですよね。

映画がだめではないですよ(笑)映画見まくって映像とタイトルと世界がリンクしていれば、それ「あの映画のこんな感じだから、さらにこうするといい」なんてことも可能です。ただそれもある程度ストックとして貯まるくらいは見ないと、後で書くようなリンク感がないと武器としては使いづらいかもですね。

連想感は、ゲームで自機とリンクする感じ

ここで連想する感覚を表現してみます。

一つは、ゲームで、シューティングゲームのようなものとします。自機を操作して、ミサイルを撃って敵を破壊するというようなタイプのゲームですね。

この手のゲームではなくてもですが、基本自機を見ていてはいけないです。いけないとはそういうプレイがルールとして駄目とか、法律で禁じられている(笑)わけでなく、巧拙として、巧い人はまず自機を見ないはずです。

自機を見ているとはどういうことか?自分が動かす対象を見ているので、右を押したら右へ動くことを確認します。実際には、敵の弾がきて、右へ避けるという行動があるわけですが、この時、自機にあたらないように右へ避ける=右を押すということになるんですね。

この時、自機を見ていると、敵の弾が見えませんよね?だから、正確には敵の弾と、自機を一定程度見つつも、基本、自機の位置をほぼ把握する。または右へ移動するなどの距離も把握する。目をつぶれとは言わないですが、敵の弾、敵の動きを見て、動かすというのが必須となります。巧い人はですよ。

この自機と右などのボタンとリンクして自機を見ずに動かせるのが、リンク感と言っていいと思います。身体拡張といってもいい。無意識とかはそれに近いです。

この感覚を持って、連想とは、ほぼ勝手に何かフレーズや思い出したりが生まれることといっていいわけです。それはこういうことですか?こんなことですか?なんて聴いているのでは遅いわけです。当然そうやって閃くこともあるので、それが駄目でなく、連想スピードってもっと早いって話です。無意識でやっていれば、それくらいの差が生まれると。

上手い下手でいえば、自機を見ている人が下手で、自機を見ない人が巧いというそれだけのことです。下手だから駄目ではないですが、自機を見続ける意識はかなり疲れるのと、自機だけでなく敵も見るので追いつかない、処理が追いつかないんですね、破綻するわけです。そこをどうすればいいかというところで、自機とリンクする、無意識で動かせるようになるというところまでトレーニングするのが上達のコツとなります。

ゲームの話でなくて、これが連想のコツです。無意識で「あーその出来事は、これがあった」とすぐ連想できること。これは自分の脳の中で、出来事認識として見たり聴いたりを確認せずとも出来る状態があれば、巧くなったといっていいんじゃないかなと思います。

もっといえば、言語化も、言語化するぞと意識しては遅いですし、既に無意識で言語化されている状態がある、みたいなことが多分言語化が得意ってことかなと思います。これは言葉でなくてもよくて、自分が勝手に変換するスピードが早いもの、コストがかからないもの、そういうものがお薦めですね。鍛えるならば。

おわりに

本書の最大の気付きは、やはりフレームワークとして、固定概念や常識ですよね、バイアスといってもいい、それを飛び越えるのは、連想みたいなものしかないってことが最大の収穫でした。

やはりそうだなと。実際に連想だけでなくてもいいですが、ジャンプするには、今を踏まえてどこかに行く必要がある。視点といってもいいし、発想を変える、切り口を変えるといってもいい。でも、そういうのって、必ず先の地点と別のところにいるか、見ないと生まれないんですね。想像でもなんでもいいんですけど。

それが出来ないと、同じ視点か同じようなところをウロウロするのでとてもストレスです。変えたいんだけど変えられない。

そういう時に連想、もっとロジカルでなくて、情緒、身体、アートというところで、主観でオラオラするという感じですが、それこそまさにアイデア出しのコツです。

本書はメソッドや思考法が本当に丁寧に書かれているので、発想法としても使えますが、丁寧に書かれた見立てはかなり参考になると思います。ただあまり思考や発想について考えてないと結構難しいのかもなというところは思いました。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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