企画はめちゃくちゃ価値があるスキル

企画というか、新しく何かをやることに関して最近感じることがあります。「何か新しくやることを妄想で終わらせず、形にしていくこと」はめちゃくちゃ価値があるんだという話です。

だらだら書いているので適当にどうぞ(笑)

世の中にないことを作ることは楽しい

新しいこととは基本的に世の中にないことです。仮にあったとしても気づかないなら、まあやるしかないですからね。

それで新しいことをやろうとすると、多くは「そんなことやっても意味がない」「既にあるんじゃないか」「なんでやるの?他にやることないの?」みたいな諭しが出てきます。不思議なんですが、ここで「それいいね!」「どんどんやったら!」という人がどれくらいいるか、もちろん全員それでは逆に怖いんですが、まあどちらかに偏るのもアレなわけです。

そして新しいことをやろうとして、まあ色々あって迷う、悩む、考える。そこで形にしていく。少しは形になる。なった。

このあたりが僕はめちゃくちゃおもしろいと思っています。人によっては0から1よりも、1から2とかのほうかもしれないしそこは人それぞれでしょう。

一方で、0から1を作ることって失敗すればただの妄想マンであり、妄想家であり、非現実人であり理想を夢見る夢子ちゃんですが、成功すれば、世の中にない新しいことを形にしている人となります。イノベーションを興すみたいな感じもありますしね。

こういう楽しさはもちろんずっと感じてきましたし、今もそうです。一方で、これらを単に企画と呼ぶのですが、こういう企画力や企画することってスキル自体も考え方そのものも、めちゃくちゃ大事だし、価値があるなと感じています。

企画の本質的な価値とは?

一言でいえば、社会の力を作ることとなります。もっといえば成長する原動力や仕組みとなります。

抽象的にいってますが、そういうインパクトや価値があるからで、現実的には「ぐだぐだいってないで企画もってこい。そして形にしろ」となりそうです(笑)

不思議なのは、新しく物事を作ったり、仕組みを作るのは、論理的には矛盾するので失敗を恐れるとまずは出来ません。そういう恐れる人でなくチャレンジする人を増やしていくのが、社会の大きなマインドであり流れだと思っていました。

ある業界の売上が放置しておけば上がることはない(ただ独り勝ちで伸びるところもある)し、夕張市破綻から10年「衝撃のその後」若者は去り、税金は上がり…のように、10年前に破綻した自治体はやはり3分の1の借金は返したが残り3分の2はあり、そして希望がないとも。

これと同様に、自分が思い込んでいるだけで基本的に社会という得体の知れない何かは全然別フレームであるのかなと思ったりしました。それは喪失感というよりも、近寄りがたい何かであり、今風に言えば社会の闇とかって感じです。そして真面目にやろうとすると、現状を否定することになるのでそれが出来ない。よくある葛藤ですし、保守するほうが基本的に楽なはずです。既にあるからですね。

最近ブランドのマーケティングの事例とかを見ていると、結局今だけ考えては当然だめで、未来や今後を考えた上でいく必要があると思っています。いや、当たり前なんですけど、そういってる人や事例が山ほどあるのに、「今だけ」考えることのほうが多い社会がある事実はどうなんだと。これは悲しくなると同時に、無力感みたいなものに失敗すると結びつくわけですね。

もっとできると自分を奮いたたせる

決して人にすすめませんが、自分にはもっとお前ならできるよという修造ばりの声掛けを内面ではしています(笑)自尊心であり自負でもあります。

一方で現状や評価が既に一定あり、満足してしまったらそれで終わりだなとも思います。つまり、ある意味で自分のやっていきたかったことは達成したり、少しでも動いたり、社会が動くとか大げさなことはひとまずスルーしても、何か出来たからむくむくと疑問や課題が出てきたと言っていいんじゃないか。

それはものすごくポジティブというよりも、ごく自然な感じでの解釈です。

僕自身は、端的にいって人と同じようになってしまっているかもしれませんがと前置きした上で、人と同じようにやっていては面白くないと考えるタイプです。これは未だに学校の先生に対するアンチテーゼというか、紋切り型の考え方を刷り込んでくる人達を反面教師としているところが根強いです。

たまに見かけますが、放置してくれるならまだしも干渉してくるのは、人間の共同体や社会心理的なものなのかもしれません。言いたいように言わせておけという王者の風格も、フェイクニュースでコントロールするぜ的な考えが多くなるとそうは言ってもいられないことになりそうです。

僕だったら何が出来るだろうか。また自分にとっての課題というか、やっていって方がいいことは何か。それはどう考えてもアウトプットは変われど、企画だなと考えるわけです。

つまり、お前はもっと企画が出来る。踏ん張れ自分って感じですよね(笑)

こんなことをしたいにこだわること

夢や希望や将来やりたいことっていうと途端に説教臭いのでしないのですが、基本的に自分がやりたいことって抑制がない限り大体あると。今日ハンバーグ食べたいとかってレベルで。

ハンバーグ食べたいが小さなことで意味がないことなんて思ったことはなくて、味付けは何がいい、トッピングにチーズ入れてやろう、ご飯にも工夫をしてみる、自分しか好きじゃないハンバーグにしてやろう、余裕があればレシピをネットにあげてやろう。

そんなところも企画だと思っています。世の中に企画が溢れているのに、それが企画だという認識がないのは勿体無いというのがあります。いわゆる自己能力を低すぎる見積もりというやつですね。

こんなことできたらいいなをやる人はものすごくこだわりが強い人しかできない印象ってないでしょうか。実はそうでもない。僕の仮説では多少のこだわりはあれば多くは出来るという感覚です。ですがそういう感覚も結局アウトプットして伝えていく(伝えられるかはおいておいて書いていくこと)しかないなあと感じています。

ハンバーグ食べたいから色々なやりたいことって広がる気がします。あくまで一例ですけど、些細な事って0でないのですから、もちろん食べたいなで終われば0ですけど、形にしたら1になるのでやっぱハンバーグ食べて下さいという感じです。

そういうのって先程いう「今だけ」に見えるかもしれませんが、本質的には「この先ハンバーグを何回食べられるかを考えると、やはり今食べないと駄目なんじゃないか」くらいまで考えてれば全然今だけ感覚ではないなと思うわけです。

むしろ、後を考えて「多分、今やっちゃダメだとか色々コントロールしていると、ずっとそれが出来ない気がする」は概ね正しくて、もちろん駄目なケースもあるんでしょうけど、一生出来ないことってそういう感じで結構身近にあるけどって例が多そうです。

「それ企画ですね」運動

コピーライターっぽい感じですが、人の行動や何か良いことや単純に「それ企画だな」と感じたら、「それ企画ですね」みたいなことを発言すること。そういうことをやっていくだけでも違うかもしれませんね。

まあそれは半分冗談であまりやる気はないんですが(笑)、実際は仕組みを作ったり何かを0から1を作る人ってどれくらいいると思いますか?わりと熱心に観察して集めているつもりでも、やはりめちゃくちゃ少ない。

ブログなんかでももちろん「文章を書く」こと自体が0から1ですよ。でも、それって一瞬で終わってしまう。長い期間で捉えることができなかったり、履歴や記録、または今ここに書いていることがどうでもいいからどうでもいいやってなってしまう。まあどうでもいいことも多くてもそれをある程度自己満足として割り切ってGOも大事で、そこはメンタルやセルフコントロールの話かなと思いつつ、結局マラソンですよね。そう、企画でありマラソンみたいな(笑)

少ないから価値がないのかニーズがないのか?ですが、そういうことではない。むしろ、少ないけどニーズがある。つまりめちゃくちゃ価値がある。そういうことだと思っています。

もちろん、ハンバーグの献立を作るのは一瞬価値が低いのですが、あなたにとっておすすめのハンバーグレシピを教えるなら大分価値が上がりそうです。ハンバーグレシピ専門家ってなんか楽しそうですし、これも企画ですね。

一瞬で0から1をやれても、マラソン的に0から1をやり続ける、それは企画をし続けるってことなんですが、どうも体質であったり、性格であったり色々なことが必要な気がします。だからこそ、少ないのかなと。そして僕はそれを明確にブルーオーシャンだと思っています。

もっともこのブルーオーシャンもただニーズがない、魚がいない湖(笑)みたいなオチもありますが、それがやる前から完全に分かっている神みたいな人は残念ながらいません。知っているとか分かっているというのも、調査やデータや事実から精度の高い、信頼出来そうな確度の高い情報を読取るくらいです。だからこそそういう分かっている神はいないので、チャレンジだなあというところを感じます。

「企画」を他にもっていければ最強

僕はわりと正解と思っているのが、編集というスキルです。雑誌とか書籍の編集者は今後出版業が右肩下がりで終わった場合に仕事自体、今のやり方のものはほぼなくなるとします。

その場合でも編集スキルを持っている人はどこでも仕事が出来るなあと思っています。ここでは編集と言っていますが、企画とほぼ同様の意味で。

ゲームを作っていた人は多分、Web制作だったり、それこそラノベを作ってもいいだろうし、コピーライターとして活躍も出来るだろうしという感じです。ゲームを作るとは、もちろんプログラミングをするとかでなく、企画をすることをしてないと駄目なので「言われたゲーム仕様書をただ実装するだけ」をしていては駄目だろうなというところです。提案や自分が考えたりした部分がなければ駄目ということですね。

編集とは、全部の情報を入れ込まないとか、強弱をつけたり、何をみせるかを優先順位をつけたり、ターゲットによって読者のレンジによってコンテンツを調整したりとかをやることだと思っています。端的に取材とかもありますが、それはライターとか記者とかが担当するとして、それらの情報をどう見せるか。そういう意味では1を10にする感じもありますが、実際はネタが形にならないなら0なので、やっぱ0から1って感じがしますね。

もちろん僕が知らないだけで世の中には、企画で渡り歩いている人が色々いるのかもしれません。そうであれば観察をしていく必要があるので要チェックですね。またそういうおもしろい人があれば共有していきたいと思います。

おわりに

だらだらと企画するのは大事なことだみたいなことを書いてみました。たまにはこういうのもいいですね。

実際にポイントとしては、企画的なことをやるのは価値があるのでその価値って実際にはめちゃくちゃ高いと思って動いたほうがいいです。もっとも全く経験がない人がやればそれは高すぎってことになりますが、そこらへんは商売やビジネスの話なのでまた別と。

結論的には、志を高く持ち、マインドを高めに設定していく。そういう自己啓発というかセルフメンテナンスなんですけど、自分は嫌いじゃないというか得意だなと改めて感じました(笑)

企画するとか企画は価値があるよってことで、あなたのシゴトも企画要素があればどんどん価値が高くなるはずって感じで。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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